なんだかとっても目がさえて眠れないないので、読みかけ-といっても気乗りがしなくて数ページ程しか開かれることのなかった-の『スプートニクの恋人』を読んだ。

って、村上春樹風にハイフン使ってみたけど(笑)
村上春樹って全然読んだことなくて、読んだのは、『海辺のカフカ』『ノルウェーの森』『レキシントンの幽霊』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』しかないか…
たしか、『世界の終わりとハードボイルドほにゃらら』は、途中で飽きちゃった。でも上に書いた四つの作品はどれも大好き!
短編集のレキシントンは置いといて、僕が彼の小説で好きなのは、
青春時代特有の、あっさり感ともったり感の絶妙なバランス具合。

なんだか言葉にすると薄っぺらいな…
うまく説明できないんだけど…
いままで僕が読んだ彼の作品の主人公はなぜか必ず、自慰をしている描写があるんだけど、
blogなんで、上にあげた行為の持つ矛盾性についてはあえて説明しないけれども、

そこに作品の根幹があるような気がして、
ようは主体と客体というか、僕から見た僕と人から見た僕、そーゆーパラレルワールド的な? 行間をひもといていく感覚が、読んでいてとても好き。

二律背反と戦ってる若い人の物語というか…

あぁ…言葉にするとやっぱり浅い感じになるm(__)m

スプートニクの恋人は、それを、より注意深く拾って積み上げていった、そんな印象を受けた作品でした。
途中からどんどん面白くなって、一気に全部読んでしまいました。

僕が初めて脚本を書いた舞台、『月落トのみなも』で書きたかったのは、まさしくコレだったんだなと、読みながら思ってしまった。
月落トのみなもという作品で書きたかったことは、日常と非日常。相対するんだけど、実は断絶されていなくて、
イメージは、シーソー。ようするに割合の問題。
日常に転ぶか非日常に転ぶか、生と死とかも。
そこの中間に位置する、ヤジロベーのような危うさを書きたかったんだなって改めて思ったと同時に、全然そこ描けてなかったなーって、スプートニクの恋人読んで思い知らされて、ちょっとヘコんだ(笑)