師匠からのメール | 医療とバレーボールとアメリカ留学記

医療とバレーボールとアメリカ留学記

2016年5月9日からアメリカオハイオ州のオハイオ州立大学に留学することとなりました。日本では埼玉の大学病院でリウマチ膠原病内科医をしていました。冨永こよみ選手を中心に上尾メディックスを応援しております。これからは基本的には留学中の日記が主となります。

今日、私の師匠からメールが来ました。
 
もう2年以上前なのですが、師匠と二人でやった仕事を論文化したので、内容を確認して欲しいということでした。
 
師匠とは、私が医者になって一番最初の指導医です。
 
もうすぐ卒後11年目を迎えますが、今も変わらず師弟関係が続いています。
 
当時卒後7年目だった師匠は、大学院を卒業して間もない時期でした。
 
私は師匠から医者として必要なことの全てを教わりました。
 
その後、師匠のような教えを受けることは、他の先生からはありませんでした。
 
もし師匠に会わなければ、今私は間違いなくここにはいません。
 
まだ師匠はその時留学はしていませんでしたが、なぜ医者が研究をすべきか、そしてなぜ留学をすべきか、私が医者として研究も行い、そして留学を果たしたのは、100%師匠の影響です。
 
その後、師匠はスイスに留学し、留学期間は1年とやや短かったのですが、帰国後は臨床では外来病棟の中心的な存在として、そして研究では日本でも屈指の量の論文を両者し、2014年では私達の領域では世界で1,2位を争う雑誌に掲載され、なおかつその雑誌の表紙に師匠の論文に載っていた細胞の画像が紹介されたのです。
 
そして、最近学会で非常に大きな賞も受賞したのです。
 
さらに最近はまだ若いながら講師にも昇格しました。
 
今や師匠は私達の世界では全国的にも非常に有名で、ありとあらゆる領域で大活躍している最中です。
 
 
どんどん雲の上の存在になっていく師匠に、心から嬉しいと思うと同時に、自分もこうなりたい、しかし、自分には無理という気持ちが複雑に交錯しております。
 
ただ、この前の記事に書いたように、私の想いとして師匠の活躍に対して「私も」という気持ちがあるということは、自分もそうなれる可能性があると自分で思っているからなのでしょうね。
 
師匠からのメールにより、私の中でまた気持ちが高ぶりました。
 
私にとって師匠に出会えたことは、本当に幸運だったことだと思っています。