夢を求めて | 医療とバレーボールとアメリカ留学記

医療とバレーボールとアメリカ留学記

2016年5月9日からアメリカオハイオ州のオハイオ州立大学に留学することとなりました。日本では埼玉の大学病院でリウマチ膠原病内科医をしていました。冨永こよみ選手を中心に上尾メディックスを応援しております。これからは基本的には留学中の日記が主となります。

本日、無事デトロイト国際空港より、妻を見送ることが出来ました。
 
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こちらが駐車場からの眺め。
 
滑走路を一望できます。

 

 

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このように、目前で離陸する瞬間を見ることが出来ます。
 
もっとも、経験のある方ならご存じだと思いますが、残念ながら(多分一昔前の)漫画やドラマのように、誰かが乗っている飛行機が飛び立つ姿を見送る、何てことは現実的には困難です(相当なマニアなら可能かもしれませんが)。

 

 

 

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出発約1時間半前である10時40分頃、ここで妻を見えなくなるまで見送りました。
 
お互い涙することなく、笑顔で握手した後に。
 
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昨日はちょっとだけデトロイトの郊外を車で走らせました。
 
写真はとてもじゃないけど撮ることは出来ません。
 
理由はちょっと調べれば分かります。
 
今や郊外は潰れたお店や廃墟が目立ち、非常に殺伐としております。
 
もっとも、私が走ったのは幹線道路で車も沢山走っている所であり、運転する分には安全ですが。
 
しかし、そんなデトロイトも、かつては自動車産業で賑わい、多くの日本人が夢を求めてこの地を訪れたと聞きます。
 
そんな話を妻と一緒にしていました。
 
結果的には、そこで知識や技術を習得した日本人技術者が日本の自動車産業を発展させ、デトロイトは衰退した。
 
皮肉な結果ではあるが、それも日本人が夢を求めた結果。
 
でも、おそらくアメリカにとっても、このように夢を求めた日本人の存在は教訓となり、様々な産業に活かされていることと思います。
 
 
もっとも、私が将来どうなるかなんて想像もつきませんが、私も同じように夢を求めてここに来たのです。
 
それが、いつか日本のために、そして世界のためになれれば、こんなに嬉しいことはないです。
 
そういう話をして、ここを後にしました。