誰もが経験する「孤立」との戦い | 医療とバレーボールとアメリカ留学記

医療とバレーボールとアメリカ留学記

2016年5月9日からアメリカオハイオ州のオハイオ州立大学に留学することとなりました。日本では埼玉の大学病院でリウマチ膠原病内科医をしていました。冨永こよみ選手を中心に上尾メディックスを応援しております。これからは基本的には留学中の日記が主となります。

昨日は留学前からずっと恐れていたシチュエーションが起こってしまいました。

昨日はオハイオ州立大学全体の新入社員のオリエンテーションでした。

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結構人数いて、ざっと2-300人といったところでしょうか。

このように7人掛けの円卓に座らされました。

見た限り東洋人と思しき人はほとんどいません。

わずかにいましたが、中国人っぽいです。

この状況。

まぁ、何が起こったかは想像に容易いであろう。

案の定、7人いる中の6人で話が盛り上がり、私は完全に孤立してしまいました。

オハイオ州立大学周辺には日本人はほぼ皆無です。

東洋人としては中国人は多いですが、中国人は英語が得意な民族であり、だいたいアメリカに住んでいる中国人はキャリア関係なしに問題なくしゃべれます。

だから、オハイオの人達は東洋人が英語を話せないという認識はありません。

つまり、日本人が英語が苦手なことを知らないのです。

西海岸だと日本人が多いため、その辺の事情を知っているアメリカ人は多いらしいが、東海岸の特に内陸部は日本人が極めて少ないことから、その認識がないことが知られています。

私はただ英語が分からないから輪に入れないだけなのに、周りはそう思ってくれません。

無理に合わせても内容が分からないから必ずボロが出ます。

かといって目も背けることも出来ない。

周りが何で笑っているかも分からない。

私は完全に孤立してしまいました。

教授からはそういう時には絶対につまらなさそうな素振りを見せてはいけないとアドバイスを受けていましたが、今日ばかりはたまらず、休憩時間のたびに席を離れ別の所にいました。

当然、周りは不愉快な想いをしたことでしょう。

これは、日本人が特にアメリカに留学した際に必ず経験すること。

そして、その仕打ちを受けた後、一度は必ず後で泣いたこと。

これは例外なく全ての先生が経験したことです。

でも、私は泣きませんでしたよ。

別に泣いてもいいかもしれませんが、こういう話を聞いていたので覚悟はしていましたから。

それ以前に、かつてブログに書いたことがありましたが、最初にワシントンD.Cに行った時は散々ホテルで泣きましたから。

あの時最悪な経験をしたし、その後も何度かアメリカには行っていたので、ちゃんと元気にやっていけます。

今までどれだけ多くの方に支えられ、そしして期待されているかを考えたら、こんな所でめげちゃいけないよ。

そしてその後。

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私の目前に現れたのは日本では決して見られない美しい風景。

そして。

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辛いこともこれを見れば癒されます。



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