鷺洲小学校校歌の「たみの島わ」 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

 

ボクが大阪市立鷺洲小学校を
卒業したのは昭和37(1962)年ですので
もうとっくに50年を越えてます。
信じられないことですが、半世紀以上も昔のことです。

 

それが実家のある福島区鷺洲を
調べていますと
つい、小学校校歌の歌詞を思い起こすのです。

 

作詞者は知りませんが、

作歌時は、同校が
『さぎす-創立100周年記念誌』を
1998年12月に発行していて、
創立は明治31(1898)年です。
創立時に作曲されたとします。

 

当時のこの地域は
未だ淀川の改修もされていなくて
井路川が縦横に通っていたのでしょう。
同記念誌に載る歌詞は以下のとおりです。
写真図1 『さぎす-創立100周年記念誌』の校歌

 

 一 淀の流れをくみわけて
  水のかよいじいとしげく
  煙は高く空をおおいて
  鷺洲の里は にぎわえり
二 たみの島わに波たたず
  おさまる御代のなりわいを
  はげみて国のいしずえを
  かため浦江の 城のあと

 

歌空言はあるでしょうが、
今から120年も昔の
このあたりの光景が詠まれています。
小学校校歌には、
地域の昔を伝承するところがあります。

 

以前、「煙は高く空をおおいて」が
仁徳天皇の「高き屋に登りて見れば」の
炊飯の煙のなぞらえで
繁栄を祈る国見の見立てであると
本ブログ「街角探訪 うめきた~野田阪神まで(7) 
       2015-02-17 09:36:54」に記しました。
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http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11990964252.html

 

その時、さほど気に懸けてなかったのが、
「たみの島わ」です。

「たみの島」は、歌枕「田蓑の島」に基づく
言葉でしょう。
歌枕「田蓑の島」の場所を
狭い地域に特定すること自体、
ナンセンスなのかも知れませんが、
この地域に、ある時代から
伝承されていることは間違いありません。

 

今日では
地名の「鷺洲」に「洲」があることの他、
現在の地形からは、
到底、「島」であったなど想像できません。
しかし、昭和10(1935)年以前の地図までは
小学校の東には南北に川が流れ
その流れは湾曲しており、
島の形をした区域が
確認されます。
写真図2 『鷺洲町史』(1924年発行)付図の
      「明治43(1910)年の鷺洲村」

地図右下(南東部)に
川に囲まれた区域が読み取られます。

 

校歌の歌詞の二番の冒頭に注目ください。
「たみの島わ」の「わ」です。
この「わ」は「島」に着く接尾辞です。
いつもの*『広辞苑』の「わ」には
次の記述があります。
  *『広辞苑』:新村出編2008年『広辞苑第六版』岩波書店
◇わ【曲・回】
 山・川・海などの入りまがって一区域をなした所。み。
 永久百首「峰の―のむら草隠れきぎす鳴くなり」。
 「浦―」「島―」「川―」

 

埼玉県に「浦和」という地名があり
めでたくも「和」を宛てていますが、
そこも川が入りまがって
一区域をなした所なのでしょう。
校歌にある「たみの島わ」は
この地域の原風景を伝承する言葉と考えます。

問題は、地形語「島」に上接する
「田蓑」が何を意味するかです。

「あまごろも」を「雨衣」として「田蓑」と解釈するのが
本来の意味だったのか否かをも含めて
検証する必要があるように感じ出しています。

 

究会代表 田野 登