よく会議室を貸して頂ける『コミュニティセンター治田東』の職員さんたちはいつも明るい😊
今朝も集会室予約の為に訪れたら、満面の笑顔で「お待ちしていました〜^_^」と出迎えてもらえました。
今日もいい日になりそう❣️
やっぱり!笑顔が一番😄
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「霧の中を行けば、覚えざるに衣湿る。よき人に近づけば、覚えざるによき人となる也。」(道元)
随分以前に、大阪の講演会で耳にした言葉です。致知出版社の藤尾社長の講演会でした。
霧が立ち込めた道を歩いていると、服や髪の毛が知らないうちにしっとりと湿ってくる。これと同じように、人間もいい人と一緒に過ごしていると、知らないうちに自分もいい人になれるものだ・・・
不思議と、道元禅師の言葉は私の中に素直に入ってきます。このような名言をすっと口にできる藤尾社長の哲学性にも憧れます。
幼い頃からよく耳にした「朱に交われば赤くなる」と同じなんだろうなと思いながら聴いていました。
人が人としてより良く成長できるには三つの「良い条件」が欠かせないとされています。
先ずは「良い書物」
身の回りに良書を置くことです。
二つ目が「良い先生」
”万象我が師”の言葉があります。良い先生とはいったいどのような先生なのか? 悩むところではありますが、私は、「より良い生き方のお手本となる存在」を”良い先生”と考えています。良い先生は人に限りません。路傍の草花やひなに餌を運ぶために忙しく飛び回る子育て中のスズメたちでさえも、「我いかに生くべきか」を示唆してくれる「良い先生」になります。
そして三つめが「良い環境」
環境は人の成長に決定的な影響を及ぼします。人は環境によって育ちが変わります。その大事な環境を作るれのも、また人間なのです。
子ども論語塾を主宰しながらいつも意識することは、お寺の本堂に子どもたちが足を踏み入れる、その瞬間の空気を「良いもの」にすることです。笑顔での爽やかなあいさつが一番です。
各家庭でも「朝一番の空気」をいいものにしたら、きっといい一日になるだろうなあ(*^o^*)
”人間学を学ぶ月刊誌『致知』”の発行責任者である藤尾社長の講演を、二年ほど前に拝聴しました。感動し腑に落ちる多くの事柄について学べた気持ちでいましたが、日が経つにつれてあの日の感動と決意が色あせていることに気づきました。
学んだひとつひとつを読み返して、自分の心に刷り込むためブログに綴ってみることにしました。塾の子供たちに相対する者の責任として・・・。
私たちが人生を生きる上で大切なことは、心の中に太陽を持って生きることです。子にも心に太陽を持たせて生かすことです。
この太陽とは「尊敬できる人」のことです。
森羅万象全ては太陽に向かって成長するようにできています。心に太陽(尊敬する人)を持たない人は成長できません。
心に太陽 藤尾社長は「尊敬する人」と言われました。確かにそうだと思います。
ある人から教えられた「人は人によって人となる」という言葉にも通じる道理です。明治維新の若き志士たちが身命を賭して日本の将来のために動けたのは、吉田松陰という絶対的に尊敬できる人を心に抱いていたからに違いありません。
幼稚園児から小学6年生までの塾の子供たちにとって、「心の中に尊敬する人を持つ」と言われても、すぐに、ハイわかりました!とはならないでしょう。
今回は、『心に太陽を!』を取り上げました。 これを書きながら思ったことは、
少なくとも、自分自身が「あんな人にはなりたくない」と思われない生き方をすること、そして、できるだけ多くの偉人の話しを伝えてあげることだと、5月開講の29年度塾に向けて気を引き締めるいい機会になりました。
「いただきます」で美味しく頂いた食事の後には、必ず「ごちそうさま」ですね。
前回は「いただきます」の意味について考えました。
今回は「ごちそうさま」についてです。
漢字で書くと 「ご馳走さま」 となります。
「馳走」 の意味を漢字源で調べてみると、「はしる」 「早く行くために馬を走らせる」 とあります。
さらに日本語としては 「人をもてなすこと」 とか 「うまい食べ物」 と補足されています。
いただきますの編で紹介した、食前のあいさつを思い浮かべてみましょう。
『天地(あめつち)の恵みと、多くの人々の働きに感謝して、いのちの根本(もと)を慎んでいただきます。』 でした。
馳走の熟語は、”馳せる” と ”走る” が組み合わされています。
この文字の組み合わせから想像できることは、
多くの人々が走り回っている(一生懸命に活動している、働いている)光景
です。
そうなんですね。
私たちが毎回頂いている食べ物は、どれを取ってみても、私たちの口に届くまでに、それこそ数え切れないほど多くの人々の働きを経てきています。
そうそう
もちろん
数え上げたらきりがありませんね。
そうだったのです
「ごちそうさま」は
働いてくれた多くの人々への感謝の気持ちを表すご挨拶だったのです。
「ありがとうございます。
とっても美味しかったです。」
食後のご挨拶は、目を閉じ多くの人々の働きに思いを馳せながら、ありがとうの気持ちで「ごちそうさま」と唱えましょう。
きっと食べたものも喜んでくれ、体の栄養になってくれることでしょう。
当たり前のように毎回口にする「いただきます」
私たちは、なぜ食前に「いただきます」というのでしょう?
どこの家庭でも、食前には「いただきます」と手を合わせますね。
一体何を頂くのでしょう?普段あまり意識することのない、この言葉の意味について考えてみたいと思います。
先日、ある団体のご縁で富士山ろくにある研修センターへ二泊三日の研修に参加してきました。初日は快晴で富士山も美しい雄姿を誇らしげに見せてくれました。でも二日目の朝は一面銀世界
そうそう、富士山の話しではありませんでしたね。 いただきますについてでした。話しを戻します。
そこでは、一日三回の食前食後にテーブルごとに揃ってみんなであいさつします。
そのあいさつが何とも素晴らしいのです。心に染み入ります。そして、頂く食事が一層美味しく感じられたのです。
それは、こんな感じです・・・
「姿勢を正してください。軽く目を閉じてください。(清黙10秒)」
「食前のあいさつをいたしましょう。以下続いてください」
天地(あめつち)の恵みと (天地の・・・)
多くの人々の働きに感謝して(多くの・・・)
いのちの根本(もと)を(いのちの・・・)
慎んでいただきます(慎んでいただきます)
いただきます(いただきます)
「いのちの根本(もと)を頂きます」・・・そうなんですね。私たち人間に限らず、生きている者は食べなければ生きていくことができません。食べ物は私たちの命の根本(もと)なのです。
しかも、私たちの命の根本(もと)として口にしている物は、元々はすべて命ある生き物だったのです。魚も豚も牛も、みんな生きていました。
野菜なども同じように生きているのです。だから「成長」するわけです。生きているから成長するのです。
みんな生きていたのです。
このように見てみると、私たちは自分の命をつなぐために、多くの命を食べていることになります。命をつなぐために命を頂いているわけです。
その事に気づけば、『いただきます!』の一言にも心がこめられ、感謝の気持ちも湧いてきます。「ありがたいなぁ」という気持ちで味わいながらよく噛んでいただきましょう(*^o^*)
『いのちの根本(もと)を 慎んでいただきます』
次回は「ごちそうさま」について