先月末

 

母が亡くなりました。

 

 

 

 

2月に入った頃から、母は急速に痴呆症が進行して

あんなに食欲あった人が、ご飯を食べない、薬を飲んでくれない、横になって寝てくれない・・・・etc

 

今まで普通にしていた日常生活を放棄しはじめて

私たち娘の言うこともすべて拒否するようになりました。

 

 

 

1月半ばくらいまでは、一緒に手をつないで買い物に行っていたのに・・・・

急に『買い物に行きたくない』と言い出したのは、1月後半に入る頃。。

 

 

『お腹があまり空かない、食べ物もたくさんあるからいらない、身体が痛くて歩くのがいや』

と言い出してから、次も・・・その次も・・・買い物に行くことを拒否するようになった為

私は一人で母の食糧の買い出しに行くようになりました。

 

 

 

さらなる母の異変を感じたのは、それから少しして2月7日。

高血圧の定期診療に行く予定の朝でした。

 

 

私が駐車場に車を停めると、年齢のわりに耳の良い母はいつも

玄関のドアを開けて迎え出てくれていましたが

この日は雨戸が締まっていて、母は一向に出てくる気配がなく

合鍵でドアを開けたものの、ドアチェーンがかかってるので中に入れません。

 

 

ドアの隙間から、『お母さん! 大丈夫?』 と声をかけると

 

二階の階段から ヨロヨロしなが 降りてくる母

顔を見たら。。。。びっくり

 

 

顔面蒼白・・・というより・・・もう 今にも死にそうな土色の顔していて、白い髪も振り乱していて・・・

そんな姿の母を見るのは初めてだったので・・・・ショックというか

 

 

そのまま病院に連れていこうとしても、頑として『いかない』の一点張り

とりあえずソファに座らせたけれど、まったく動けない様子と、足と手が震えて痙攣に近い状態だったので

『救急車呼ぶから』 というと

『いやぁーーー だめ!! 呼ばないで。どこにも行かない、行けない!!!』

 

と叫ぶ始末

 

仕方ないので、とりあえず診察を予約していた病院に電話して 

事の次第を話したら、看護師さんが電話越しに母と代わってほしいといわれ

電話に出ることを拒否する母を半ば無理やり受話器を持たせて、看護師さんと会話させました。

 

 

さすが看護師さん。慣れてます

母は少しずつ落ち着きを取り戻して

少し休んで体調がよくなってきたら、午後の診療に行くということになりました。

 

 

午後の診療では、血圧・脈拍・体温など 

その場でできる検査などしましたが、どこも異常はありませんでした。

痴呆症のテストもしましたが、結果は以前受けた時よりかなり進行している、とのこと

痴呆症の薬も処方していただくことになりました。

 

私は、午後からの仕事を休めない日だったので、急遽、姉にも来てもらい、

母を姉に託して 私は会社に向かいました。

 

 

1月までは、ちゃんと自分で薬を管理して服用していた母

カレンダーにもちゃんと 1月31日までの薬を飲んだチェックを自分で記していたのに・・・

なぜか2月からのカレンダーは、いきなり真っ白状態

 

 

今回、新たに処方してもらった薬も『どう飲んでいいか分からない』というので

姉がお薬カレンダーを買って、曜日ごと、朝晩のお薬を入れて壁に貼っておいてくれたのに

まったく飲んでいる気配がありませんでした。

 

 

私はしばらく、毎日、仕事に行く前に実家に通いました。

母がちゃんと食事をして、薬を飲んでいるか、促すために。

 

 

最初の2~3日は、なんとかパンや果物など食べてくれて、薬も飲んでくれましたが

そのうち私が『お薬飲もうね』と促しても 飲んでくれなくなりました。。

 

『こんな薬飲みたくない、こんなの飲むから体調が悪くなるんだ』

と言って拒否するようになりました。

 

 

ご飯も食べない、薬も飲んでくれない状況に危機感を感じて姉に相談しました。

姉は、母を引き取ると何度も言ってくれたんですが

母は実家を離れたくない、の一点張りでした。

 

 

これはもう第三者に相談して知恵をお借りするしかない・・・ということで姉と二人で奔走

包括センターへ介護認定の話を進め

病院に相談して、在宅診療の相談をしました。

 

在宅診療の契約前、とりいそぎ看護師さんが実家に来てくれて(感謝っ!!)

実家で看てもらうことができました。

 

他人が家に入ることを強く拒否する母でしたが、来てくださった看護師さんはとても優しく母を介抱してくださりました。

血液の検査もいつもは嫌がる母が、この時は優しい看護師さんに懐いてくれて、採ることができました。

 

 

『ご飯も食べたいときに食べてるようだし、水分もとってるみたいだから、緊急性はなさそうです。

お薬も、無理に飲ませなくて良いですよ』

と言われて、ちょっと一安心していた矢先でした。

 

 

それから数日後。。。在宅診療の契約日

朝一番で、姉と一緒に病院に向かい、手続きを済ませました。

 

その後、すぐ11時頃過ぎに主治医が実家に来てくれる約束になっていました。

初めての訪問診療の日です。

 

診療時間に間に合うように病院から直接、姉と二人で実家に向かいました。

実家の雨戸が締まっていて・・・なんだか嫌な予感。。。

 

 

合鍵でドアを開けて、無理やりドアチェーンも上げて

部屋に入ろうとしたけれど・・・・

 

 

母が部屋のドア付近に倒れこんでいて、開けることができません。

 

 

姉が先に、隣の和室から回って居間に入って 倒れている母を確認。。

 

 

息をしていない

冷たい

脈がない・・・

 

亡くなっていると。

 

 

私はすぐに、まともに母を見ることができませんでした。

 

 

救急車を呼びましたが、すでに息を引き取っていたため、一時的に警察が入りました。

 

 

ここにいたる経緯をお話ししたところ

事件性がない、外傷もない・・・ということで病院に連絡してくれました。

 

 

在宅診療で来てくれる予定だった主治医は、病院で待機してくれていました。すぐにこちらに来てくださり、

 

『今日、初めての在宅診療で・・・お会いできるのとても楽しみにしていたんです・・・』

と言って・・・・

死亡診断書を書いてくれました。

 

 

 

とても優しくて 話をよく聞いてくれる内科の主治医で

母も大好きだった医師でした。

 

 

本当に感謝です

 

 

 

 

 

母はいつ亡くなったのか・・・・

 

 

遺体の状態から、少ない知識と ちょこっと調べてみたところ

 

 

おそらく、私たちと最後に会った日の夜

もしくは、その次の朝には・・・

 

どちらにしても、私たちと別れた後、そんなに経ってはいないだろうと推測できました。

 

 

いろんな想いはあります

私たちがもっと早く気づいてあげていたら・・・

 

でも もし息があったとして

病院に入って、管を通して、無理やり命をつないで

果たしてそれが母のためになったのか・・・

 

 

あんなに離れたくなかった お家で 母は逝きました

 

88歳

大往生ですよね・・・

 

 

死亡診断書には、『老衰』の二文字が書かれました

 

 

 

 

 

 

とても厳しくて気丈な母でしたが

 

時に優しく 時にかわいらしく 

 

亡くなる直前までの想いや思い出が溢れてくるたび

涙が出できてしまいます。

 

 

母が定期診療に行く予定の日に 死にそうな顔で手足が痙攣して

病院に連れていくことも、救急車を呼ぶことも 強く拒否されて途方に暮れたとき

私は母を抱きしめて、背中をさすりました。

 

 

その時、母はまるで

私の子どものような表情で 私を見たのです。

安心しているような 甘えているような そんな目を そんな表情の母を見るのは初めてだったので

おそらくあの時の母の顔を 一生 忘れることはできないでしょう

 

 

 

 

 

愛情表現があまり上手でない人でしたが

 

今、母に想うこと、伝えたいこと

 

 

産んでくれてありがとう

 

育ててくれてありがとう

 

愛してくれてありがとう

 

 

 

感謝の気持ちを伝えたいです

 

 

 

 

 

 

 

 

2月27日