2015年2月5日(木) 第13回公判(仮谷事件)
証人 林郁夫
「林郁夫です」
「耳が遠いのでなるべく大きな声でお願いします」
<検察側主尋問>
現在、オウム真理教との関係は?
「退会しています」
入信はいつですか?
「平成元年2月です」
出家したのは?
「平成2年5月です」
出家当時の職業は?
「医師です」
医師になったのはいつですか?
「昭和46年です」
専門分野は。
「心臓外科です」
出家後も教団内で医師を?
「ワークとしてやってました」
省庁制が発足してからの役職は。
「菩師長です」
(同じ質問)
「治療省の大臣です」
(次の質問に移る前に、証人自ら口を開いて)
「ちょっと、ひと言いいですか。……私と麻原と仲間たちで、亡くなられてしまった人達、心や体を傷つけてしまった方たち、後遺症に苦しまれている方たち、日々看護なさっている……、ご家族の方達に心からお詫びします」
(眼鏡を外し、ハンカチで涙をぬぐう証人)
被告のことを知っていましたか?
「知っていました」
どのような関係?
「ほとんど接点はありません」
では、仮谷事件についてお聞きします。
あなたがこの事件に関与することになったきっかけは?
「平成7年2月28日、時間は午後10時から10時半ごろ。中川智正が、…証言の都合上敬称略にさせてもらいますが、私に麻原から指示を得て、ナルコを手伝ってもらいたい人がいるので協力して欲しい、第2サティアンにいるから一緒に来てくださいと言いに来ました」
場所はどこですか?
「私の居住している第6サティアンの3階です」
証人はそれまでにナルコをやったことがありましたか?
「あります」
何件くらい?
「数としては言えないくらい、かなりの人数にやりました」
ナルコとは何ですか?
「正式にはナルコインタビューというのですが、精神分野ではイソメタルインタビューと言います。精神科の分析に使われる方法です。麻原のアイデアで私たちにやって見せたことからはじまり、主旨も最初は同じでした。教団の生活とはすなわち修業、ワークのことですから、そこへの引っ掛かりがある人に麻酔剤を打って普段は意識に出てきていない煩悩を出して、会話して納得させて、生活をしやすくするというものです。
人が亡くなったあとの転生を決めるバルドーの意識状態と同じようになることから、バルドーの悟りのイニシエーションと名付けられました」
第6サティアンで中川さんに頼まれてからどうしましたか?
「私の車で第2サティアンに向かいました。必要な道具と薬、ナルコですからチオペンタール、当時教団で作っていましたからそれを1バイアルと点滴なども用意していきました」
第6サティアンから第2サティアンまではどれくらいかかる?
「車で約5分です」
向かう道中で中川さんから何か事情説明はあった?
「なかったです」
第2サティアンに着いてからは?
「中川がなにか車を探しているようにしていて、麻原の車庫のシャッターを開けたら白い乗用車が見えて、車の中にH田の顔が見えました。ですからそれを探していたんだと思いました」
証人はどうしていた?
「私は訳が分からなくって中川にくっついて歩いていました」
そしてどうなりましたか?
「中川は車を第2サティアン入口の旧麻原の自宅の前に誘導しました」
そして?
「彼ら3人は後部座席から意識がなくて自分では動けないスーツを着た男性を……(涙してうつむく)。えーと……手足を持って、まあ、歩けないから、運び出しました」
彼ら3人とは?
「中川、H田、あとはその時は名前は分かりませんでしたが高橋克也被告です」
そしてどうした?
「私は彼らが旧自宅にその人を入れるんだと思って扉を開けて、私たちが"広間"と呼んでいたところに入れました。
想像していた事情と全然違ったので、何も道具がなくて、まず診察しなくてはいけないですから、2階にイニシエーションの管理のために聴診器などの道具を揃えていた部屋があったので、そこへ行って道具を持ってきて診察することにしました」
運ばれてきた男性はどこに入れられましたか?
「入って左側の部屋に、上着を脱いでワイシャツ姿で横たえられていました」
<第2サティアン1階の図面が示される。仮谷さんが入れられたのは瞑想室①>
そしてどうした?
「とにかくその人を診断しなきゃなんないんで、診察をしました」
意識がない理由は何だと?
「それはもう何かの薬、麻酔がかかっていた状態でしたから、麻酔剤で眠らされて連れてこられたんだなと。状態は安定していたので、事情を聴くために一度広間に出ていきました」
広間にはだれが?
「H田と中川がいて、ゴミ出しに使うようなビニール2つに、仮谷さんの上着から出した所持品を何か分類して入れているようでした」
被告もいましたか?
「いました」
そして?
「何でこの人はここにいるのか、どんな人なのか事情を聴きました。H田がこの人の名前は仮谷さんというと。妹さんがオウムに出家を希望していて土地をお布施することになっていた。その土地は元々この方にあげるようになっていた。それでこの人が妹をどこかに隠してしまった、と。それでこの状態はこの人からナルコをして妹の居所を聞き出すためだ、と言っていました」
中川からは?
「この人をどんなふうに拉致してきたのか説明しました。道路上で無理やり車に乗せた。その時にタイヤかなにかで怪我をして血が出た。ケタラールを筋肉注射をして意識を失わせた。その後チオペンタールを打った。そうしたら呼吸が停止したんであわててマウストゥマウスをした。どういう管理をしていてどれだけの薬を使ってここまで運んできた、というような話を受けました」
それまでに投与されていた薬の量は?
「私が供述を最初にした時もですが、”大量”という意識でした。逮捕後の取り調べで、中川の供述を検事が読み上げたんですが、私が「どれだけの量使ったんですか?」と聞くと、中川が「すこし多かったですかね」と。そして私が少し考えてから「そんなもんじゃないですか」と言ったと。そういうやりとりをした記憶があるか?と検事に聞かれました」
どう思いましたか?
「当時の私と中川の関係性ではきわめてよくある話だと思い、肯定しました」
その時の中川さんとのやり取りで覚えていることは?
「薬の種類と量。量については当時の私の感覚でも"大量に使ったな"と。私だったらそんな大量には使わない、と思った記憶があります」
中川さんとの当時の関係はどうだった?
「教団での人間関係というのはワークの場なんですね。そして出家の順番と霊的ステージがとにかく最優先されます。中川はそのふたつで常に私より上だったので、彼が私を使うという関係がありました。省庁制度発足後もそのようなつもりで彼と接していました」
仮谷さんの管理を引き継いでまずしたことは?
「第一義に考えることは死なせないこと。この麻酔状態を覚まさなきゃいけない。そこに集中していました。診察して必要だと思う医療器具や医薬品を2階に取りに行きました。で、戻って、布団を敷いて、呼吸するのに一番いい体位を試して、結局仰向けにして、毛布を掛けたりして保温のセッティングをしました。その他にも尿道留置、バルーンだとかの処置を施し、ひたすら管理していました」
何か気が付いたことはありましたか?
「仮谷さんの上着の胸ポケットの中に持薬と思われる薬を見つけました。十二指腸潰瘍の薬で、心臓の虚血性発作の予防の薬だと判断しました。
それを確かめようと思って中川とH田に事情を尋ねましたが、分からなかったので、あるもんだと思ってそのための薬も2階から持ってきて、必要だと思われる点滴もして、皮膚に薬を貼りました」
ナルコを始めたのは何時ごろですか?
「3月1日の午前3時頃です」
それまでにチオペンタールの投与はしましたか?
「していません」
午前3時頃に何がありましたか?
「井上と中村昇が入ってきて、妹さんからI田E子に電話があって「もう出家しない」と言ってきたという話を聞きました。それならもうナルコはしないのかな?と思っていたら、井上が「それでもいいからやってください」と言うので、午前2時にはもう覚醒している兆候があったので、やりました。
最初に覚醒の兆候が表れたのは?
「3月1日の午前0時。でも到着してから少なくとも6時間はあけたいと思い、まだですか?と聞かれても、まだ覚めてませんよ、と周りの人には言っていました」
「仮谷さんの体を揺さぶると「オウムがやった、オウムがやった」と答えることができた。会話できて答えられるので大脳皮質のかなりの部分が麻酔から解放されているのではないかと思いました」
その時の仮谷さんの状態は、起き上がったり歩いたりできる状態?
「一応医学的には"覚醒"と言いますが、肩を貸せば体は起こせるけど、自分で起き上がるとか周りを見るとかそういう意味の覚醒状態ではありません」
ナルコをするためにまずしたことは?
「点滴のラインに三方コック(※三方活栓のこと)がついていますので、チオペンタール1バイアルを20ccで溶いて、注射器で吸ってセットしました」
1バイアルに500㎎入っているチオペンタールを20ccで溶く濃度は一般的?
「一般的です」
証人はこの時の点滴状況について以前図にしていますね?
「そうです」
<平成7年5月8日付 証人が描いた点滴ラインの状況の図が示される。「ソリタ」と書かれた点滴パックのラインの途中に三方活栓がつけられ、注射器がセットされている。ラインは仮谷さんの手の甲に繋がれている>
ナルコは計何回実施されましたか?
「2回です」
1回目のナルコの時には他に誰がいましたか?
「中川です」
1回目のナルコでのチオペンタールの使用量は?
「4cc使いました」
どのように開始しましたか?
「体を揺さぶって意識がどのくらい回復したのか確認し、受け答えができる意識状態と判断して質問を始めました」
その後追加でチオペンタールを投与しましたか?
「しました」
仮谷さんの瞼は1回目のナルコの間どうなっていましたか?
「閉じていました」
どんなことを質問しましたか?
「"妹さんはどこですか?"と。質問の角度を変えて何回か聞きました」
何と答えましたか?
「私は耳が悪いので、声は聞こえていましたが中川に何と言っているか聞いたところ「オウムがやった、オウムがやった」と。そして「私には分からない、誰にも分からない」と」
1回目のナルコはどれくらいの時間やっていましたか?
「10分弱です」
妹さんの居場所はわかりましたか?
「分かりませんでした」
1回目のナルコを終えてどうしましたか?
「広間に出ました」
広間には誰がいましたか?
「井上がいて、仮谷さんの所持品の手帳を見て「妹さんは友だちのところか旅行に行っているのではないか?」と言っていた。もう私はやりたくないので「それならご自分でやってください」と言いました。
あと先ほどの三人は確実にいました」
その後どうしましたか?
「井上と中川と三人で2回目のナルコインタビューをしました」
2回目のナルコでのチオペンタールの入れ方は?
「ちょっと覚えていないのですが、2回やってトータルで13~14cc使っています」
2回目のナルコでのやり取りで覚えていることは?
「井上が仮谷さんの手帳の住所録に従ってひとりひとリ聞いていき、妹さんの居場所はどこですか?と聞いていました」
居場所は聞き出せましたか?
「聞き出せませんでした」
2回目のナルコの所要時間は。
「10分くらいです」
1回目のナルコと2回目のナルコの間は何分くらい開いていましたか?
「5分もなかったと思います」
2回目のナルコの後、井上さんはどうしましたか?
「外に出て行ったと思います」
ナルコを終えた後?
「通常ナルコでは30分見ていればわかります。ですから30分は仮谷さんの様を見ていました。状態は安定していました。ナルコをやる前とほぼ同じ状態に戻っていました」
2回目のナルコが終わった時点で点滴にセットしたチオペンタールの溶液は残っていた?
「残っていました。仮谷さんを教団内で管理するために、生理食塩水100ccのパックにチオペンタールのバイアルから500mgを溶いて三方コックに繋ぎました。繋いだだけで、落としたり注入したわけではありません」
教団内で管理するためとは?
「教団内に留め置くため、それと、もし起き上ったらこの人を帰せなくなると思い、セットしておきました」
2回目のナルコの後30分ほど様子を見ている間、チオペンタールを投与しましたか?
「していません」
その後どうなりましたか?
「そのあと、私の知識と経験からひとまず状況を把握できる状態になったので、部屋を出て、広間の椅子に腰かけました」
どういう気持ちでしたか。
「ものすごく緊張していたので、ほっとしました」
その後、何時ごろまで第2サティアンにいましたか?
「中川に引き継ぐ午前9時~9時半頃までいました」
その間はどこに?
「中川やH田が出入りしていたので、旧自宅の戸口が見えるところに座っていましたが、その後はずっと仮谷さんのそばにいました」
なぜ仮谷さんの部屋にいた?
「管理しなきゃなんない。心配だったから」
その時に聞こえた声として覚えているのは?
「中川とH田が、着ているものを焼きに行くだとか、着替えを取りに行くだとか、お弁当を買いに行くだとか…。戸口に村井が来て、中川とH田と話しているのを見ました」
戸口とは?
「北東側の出入り口です」
<図面で示す。"旧麻原の自宅"も赤ペンで囲む>
何を話しているか聞こえましたか?
「話は聞こえなかったです」
ニューナルコについての話を聞いた?
「聞いていません」
その頃の被告について何か覚えていることは。
「彼は私が腰かけていた椅子、2つ並んでいたんですが、そこに彼がパンツ一丁で座ったり立ったりしていました」
それはいつの話?
「ナルコを終えて広間に出た時の事です」
2回目のナルコの後、点滴にセットしたチオペンタールは使いましたか?
「2回使いました」
何故使った?
「兆候を調べたときに、胸骨を圧迫して反応を調べたんですが、それに反応して起き上がりそうになったので使いました」
1回目はどのように投与しましたか。
「三方コックを切り替えてチオペンタールが流れるようにして、滴数を全開にして流しました」
仮谷さんの状態はどうなりましたか。
「起き上がることなく眠った状態になりました」
2回目は?
「1回目と同様ですが、滴数をある程度決めて落としたはずですが、詳しいことは覚えていません」
中川に管理を引き継いだ後はどうしましたか?
「第6サティアンに戻りました」
なぜ第2サティアンを出ることができた?
「6時~6時半には仮谷さんの状態が私でなくても見ていられる状態になっていたので、帰りたいと言ったら中川が「10時から10時半に麻原に会うのでそれまでいてください」と言った。それで9時から9時半には中川が戻ってきて「あとは私がやります」と」
交代する際、中川さんに引き継いだことは?
「仮谷さんの管理状況、薬液の濃度などを話しました。それで私が強調したのは、状態が安定しているけど呼吸状態に気を付けてくださいと言いました」
チオペンタールをどういうときに投与するかの引継ぎもした?
「それは当然しています」
どういうときに投与すると?
「麻酔状態にするために入れるのと、起き上がりそうになったら入れるということです」
投与量としてはどちらが多い?
「麻酔状態にするときの方が多くなります」
中川さんに引き継ぐまでに使用したチオペンタールはまだ体内に残っていた?
「残っているものとして心配して管理をしていました」
その日の別の時間に、中川さんに会いましたか?
「午後3時~4時ごろに第2サティアンの入り口で出くわしました」
何か会話した?
「私が「あの人どうしたんですか?」と聞くと、中川は「麻原に会ってポアするように指示が出た。麻原が、新しくこの事件に参画させる人にやらせると。方法は塩化カリウムを静脈注射すると。連れて行ったら仮谷さんがすでに亡くなっていた」と言ってました」
どういうことだと理解した?
「要するに新しく入った人を教団から離れられなくする口止めだと。それがすごく嫌だなと思いました」
塩化カリウムでポアするとはどういうことだと?
「ポアということは殺害するということ。オウムの用語として分かっていました」
中川さんがその後仮谷さんをどう管理していたかは分かった?
「分からなかった。私が管理したまま管理していれば亡くなるはずはないんだが、と思いました」
他に何か中川さんに聞いた?
「聞いていないと思います」
薬物の効果を確かめようとした、とは聞いていない?
「新聞か何かで読んだんですけど、井上がそういう証言をしていると知っています。でもそれはあり得ないと思っています。例えば塩化カリウムという話を聞いたと思うんですけど、薬液のことを知らないからそういう解釈をしたんだと思います」
チオペンタールの濃度についてですが、500mgを20ccで溶くということは、1ccあたり25mgということですね。
「そうですね」
(溶液の量や濃度についての質問)
ナルコの後2回チオペンタールを投与した時はどれくらい投与した?
「10~20mgくらいです」
出家前、病院でチオペンタールを医師として使ったことはある?
「あります。外科医ですから、麻酔の訓練を受けます。気管挿管の際に使うチオペンタールはいつも使っていました。それと手術合併症の空気塞栓で脳の細胞を保護するために…(書き取れず)、その際は基準量より圧倒的に多く使用します。それは2例だけ経験しています」
気管挿管の際に使うというのは?
「長時間の手術に及ぶときは吸入麻酔をします。その際に気管挿管が必要で、短時間で覚めるチオペンタールを使ってまず挿管をします」
合併症の空気塞栓という方は。
「こちらは圧倒的に多い量を使用します。呼吸中枢が麻痺し呼吸が停止するため、血圧などをモニター管理しなければならない。ICUのみの治療法です」
通常は短時間麻酔として使うと。
「10分とか20分とかの短い時間で使います」
成人男性の全身麻酔の気管挿管の時に使うチオペンタールの量はどれくらい?
「体重1kgあたり4~5mgです」
チオペンタールがすぐ効いてすぐ覚めるのは何故ですか?
「脳の血流量は普通は多いためすぐ流れる。脂溶性のため脂肪組織に蓄積されるので……(説明続く)」
麻酔が覚めてもチオペンタールは体内に残っている?
「そういうことです」
チオペンタールの副作用は何がある?
「まず特徴的なのは呼吸抑制。中枢が麻痺すれば呼吸が停止する。ですからそれはまず一義的に管理しなくてはなりません。他には生体防御をする反応。器官痙攣、舌根沈下、嘔吐……言い出したらきりがありません」
チオペンタール麻酔の深さと投与スピードの関係はありますか?
「すごく密接に関係あります。多めでもゆっくりなら麻酔の震度は浅く保てる」
使用量の危険の目安は?
「それはもう説明書にも書いてあるけど、1g。私は尊重してやっていたけど…(説明続く)」
教団では麻酔薬として何を使用していた?
「最初はイソフルラン(?)、次がチオペンタール。チオペンタールを石川たち法皇官房が大量に使用したので手に入らなくなり、教団で作るようになりました」
仮谷さんのナルコに使用したのは教団で作ったチオペンタール?
「そうです」
バルドーのイニシエーションというのはいつから始まったのですか?
「麻原の作った純粋なやつ、という言い方をしますが、それは平成6年5月の終わり。それが平成6年の6月以降は石川が信徒に向けてやった数々のイニシエーションで信者に広められていきました」
バルドーのイニシエーションの周知度は?
「決意の1~4の詞章を中心として、他のイニシエーションもひっくるめて麻原の思わせたいことを刷り込むものに石川がしあげた。意識の深い時にテレビを見させて○○を唱えさせる。ナルコと同じ手法で確かめるというようなものです」
CHSから麻酔薬を使用したイニシエーションを依頼されたことは?
「あります」
この事件に関わったことについて今思うことは。
「何と言ったらいいのか…表現のしようがないですけど…。色々な人にね、育てられて医師としてもやってきましたけど……そういう知識や経験こういうことに使って、仮谷さんを亡くならせてしまって…。本当に表現できない、辛い悲しい思いを味わせ続けている。本当に申し訳ありません」
(泣きながら。座ったまま仮谷実さんに深く一礼。ハンカチで涙をぬぐう)
<質問者交代>
3月1日に中川さんに管理を引き継ぎ、「安定しているけど呼吸状態には気を付けてください」と言ったんですね。どういうことを想定して言ったのですか?
「呼吸抑制、停止ということも含めて言いました。中川も当然知っているという認識で、舌根沈下ということも含めています」
舌根沈下は防げる?
「医師がついていれば、例えば一つの操作、顎を上げる、それだけで取れます」
舌根沈下が起きると窒息状態になるわけですね?
「舌根沈下というのは通常の状態でもありますけど、この場合麻酔を使ってますから本当に注意しないと。医師がついていないと」
呼吸抑制になると、その後心臓が止まると。その時に死亡したと判断していい?
「そうです」
呼吸が止まって、心臓が止まる仕組み?
「呼吸が止まるとすでに血液中に酸素が取り込まれない低酸素状態になります。徐々に心臓が収縮し、動けなくなる」
それを心不全と呼ぶ?
「いろんな概念がありますから。まあ、心臓の不全ですね」
麻酔が効いているかどうか確認する時に睫毛反応を見ることはありますか?
「はい、あります」
睫毛反応とは?
「こうやって(自分のまつげを触って)、まつげを触って反応を見ます」
3月1日の午後3~4時、中川さんと話をしたと。「塩化カリウムを静脈注射してポアする」、その話の中で「新しい人に首を絞めさせる」という指示があったとか、実際に締めたとかいう話は?
「ありませんでした」
井上さんの薬物に関する証言を新聞で読んで「ありえないことだ」と思ったと、そこを詳しく教えてくれますか?
弁護人「異議あり。井上証人の証言を評価するのは裁判員や裁判官であって、林さんではない」
裁判長「異議を認めます」
証人がナルコを終えて30分様子見をしたと。ソファにいるとき被告を見たとのことですが、その時の場所を図で示せますか?
「はい」
<瞑想室⑥に近い位置の椅子を指し示す>
被告がパンツ一丁で立っていて、その時の被告人の様子は?
「ええと…、パンツ一丁です」
<検察側主尋問 終了>