民主主義を機能させるために | たなべ雄治のブログ 幸福実現党

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岡山県から政治家を目指す
衆院選2017 岡山第2選挙区 幸福実現党公認候補

民主主義を機能させるために
~現在の政治に決定的に欠けているもの~

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昨日、「何を争点にするべきか――本当の意味での政治参加の自由を!」と題しまして、HRPニュースファイルに寄稿しました。

選挙公約は掲げても、状況の変化で「政策」は変化せざるを得ないものです。
政治家に判断を委任してしまうのですから、選挙の争点として「政策」を問うだけでは不十分です。
それよりも、どうしてその政策を良しとするのか、その「判断基準」をこそ、選挙にて問うべきではないでしょうか。
このような提言をさせて頂きました。

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さて、今回の寄稿を通じて、民主主義と選挙について考えてみました。

その昔、主権はお殿様にありました。お殿様は血統や家柄によって決められます。
したがって、国民が政治に携わる可能性はゼロでした。

しかし現在、主権者は国民です。主権者として、政治に参加する権利があります。
そのための制度として、民主制が定着しました。

民主主義とは、政治に参加する権利を要求する考え方です。
国民が政治に参加して、国の方向性を決めていくわけなのですが、今度はその「決め方」というのが問題になります。

理想的には、「全会一致」です。誰もが納得する政治がベストですよね。とは言え、立場の違いはあるもので、全会一致は困難です。
しかも、国際情勢の変化や大災害への対応など、現在の政治にはスピードも要求されます。時間をかけて全会一致を目指すには限界があるでしょう。

そこで最後の手段として、やむなく「多数決」という方法を選びました。
最大多数者の意見が通るという仕組みであり、いわゆる現在の選挙制度です。

ところが、この多数決というのは大変な曲者(クセモノ)です。
多数者の利益のために、少数者が犠牲になる可能性が出てくるからです。これを「多数者の専制」と言います。

「多数者の専制」を防ぐために、国民の権利を保護する考え方が必要です。一人一人の権利を守り自由を保障する、この考え方を自由主義と言います。
歴史的には、王様の専制を防ぎ、貴族や各階級の権利を守るために発達してきた考え方です。三権分立や二院制など、政治に携わる様々な立場を競わせ牽制させ合うことで、専制を抑制して、人々の権利や自由を守るのです。

民主主義が政治参加という「権利を要求する」ものであったのに対し、自由主義は私有財産権などの「権利を守る」ものです。

この似て非なる二つの考え方をバランスさせる制度として、現在多くの国で代議制民主主義が用いられています。

しかし、利益追求のために様々な勢力が牽制し合いながら、しのぎを削る中で、政治は複雑化して分かりにくくなり、癒着が生まれ、政治家は信用を失いつつあるように見えます。

この虚しい感じは、一体なんなのでしょうか。
国民の権利や自由を守るために、私たちの先人たちが様々な工夫や血の滲むような努力をして、そして実際に血が流れるような事件なども乗り越えて、培ってきた政治思想です。
このような民主主義や自由主義といった思想に支えられた現在の政治が、なぜにかくも不毛なのでしょうか。大変残念な思いがします。

何かが決定的に欠けているように思います。
それは何でしょうか。どこに何が欠けているのでしょうか。

わたくしは、民主主義の意思決定のプロセスに、欠けているものがあると思うのです。
利害をベースにした「欲望の多数決」が、今限界に来ているのではないでしょうか。

一度、利害から離れて考える必要があると思います。
多数決の段階で、自分の利害を離れ、自分の立場を離れて、そして「人類全体の幸福を願う存在」がいると仮定して、その存在から客観的に見たと想定して考えてみる必要があるのではないでしょうか。
何が人類全体の幸福につながるのか、これをこそ議論して多数決を取るべきではないかと思うのです。

「人類全体の幸福を願う存在」のことを、一般的に「神」と言います。
呼び方はお任せしますが、この「人類全体の幸福を願う存在」の視点こそ、現在の民主主義に潤いを与え、未来を明るくするものだと考えます。

私は、この視点を追求していきたいと願うものです。そして、その視点に沿った政治を実現させたいと強く決意しております。

皆様とこういう議論ができれば、政治は復活するはずです。何が「人類全体の幸福」になるのか、こういう議論の実現を目指して、頑張ってまいります。