水道橋には縁があって、高校を卒業し上京後すぐに大原簿記学校の門をたたきました。
日商簿記1級の勉強をしたかったからです。
その後、現在に至るまでLECやらTACやら数校の資格受験の専門学校のお世話になっていますが、水道橋界隈にいると「勉強」をする意欲がわいてくるのです。
上京したてで友人もいなかったころに、電車の乗り方も苦手だったころ水道橋にくると、同じ希望を持った若者が大勢いるように感じて、妙に安心をしたものです。
「孟母三遷」という言葉がありますが、人間は弱きもの置かれる場所によって心意気は変わるものだと思いました。
東京では、お茶の水から本郷、水道橋あたり。いわゆる明治の文豪たちが居を構えた地域が、孟子の母が最後にたどり着く地だと思います。
話がそれました。
就職して、周りを見渡すと大卒ばかりで、夜間の大学に通う人も少なくはなかったです。
もともと勉強は好きでしたが、学校は嫌いだった私に「通信制の大学」の情報が飛び込んできたのです。
「やろうかやるまいか迷ったときはやってみる」のポリシーがありましたので、前述のとおり土地鑑のあった日本大学を選びました。
勉強をして、レポートを提出するわけですが、高校(それも商業高校)で学んできた内容では論文形式のレポートの書き方が全くわからなかったのです。
かなり学習をして提出しても、一応合格点をもらえるものの、単位修得試験も難しく、独学の悲哀を強く感じました。
はっきり覚えていませんが四科目くらいでとん挫してしまったと思います。
覚えているのは、桜上水の文理学部のグランドでやった体育の授業くらいで、「大学」という手ごわさの一度目の挫折を味わったわけです。
ただ、この短い期間の苦労が、やがて職場の中の昇進試験などに活かされてくることになるわけですが、今思うと「根性」がなかったしかいいようがない出来事でした。
FPの発想でいえば、高い授業料を払ってもったいないわけだったのです。
(つづく・・・・このテーマの次回は放送大学になります)