子どもが私を怒らせる、
という言い方には、
かなり巧妙なトリックが隠されています。
「私は、こども達を、怒ることにする」
「子どもに言いたい事を、怒って伝えることにする」
というのが、正しい言い方です。
「〜せる」
「〜させる」
という使役表現は
相手主体の言い方。
自分主体ではない。
使役表現を使うときは
相手に責任を転嫁したいから。
自らの選択に、責任を負いたくないから。
ですねぇ。
(イタタタタ・・・)
こういうのって、
そこかしこにある人間関係において、
ちらほら見る事が出来ますね。
なんか、失恋を間近にして
「あの人に、騙された」
って言うのは
「私はあの人が大好きだった」
「私が、あの人を信じた」
「私に、見る目が無かった」
という事実を、隠したい。
ぜーんぶ、相手のせいにしておきたい。
という、意図がありますね。
**
これ、自覚するの、
かなり心が痛いの、知ってます〜。
(イタタタタ・・・)
でも、ここを自覚して
認めて
踏まえて
それから、
で、どうする?
と、自分に返す。
私がしつっこく
口酸っぱく
お伝えしている
自分主体になる、
ということです。
「私は怒っていた」
で、どう?
後味が悪い。
ならば、どうする?
私は、こども達が大好きだから
こうしたらいいのに、ああしたらいいのにと
常に思っている。
こども達が自分の重い通りに、ならなくて腹が立つのは
私がこども達を
自分のように大事に思っているから。
で
本当は、怒りたくない。
じゃあ、どうする?
***
わたしは、こう決意します。
私は、彼らを、愛します。
そのために、
彼らが、愛を実感する方法で
私の愛を伝えます。
辛抱強く、何度でも、伝えます。
***
だから
自分主体であることは、
人間関係の基本にありますよね。
相手主体のままでは
自分の人生は、始まりません。
はい。
心が千々に乱れた(要は怒りまくった)
自分に、自戒をこめたブログでございます・・・
ちなみに、これは
親子関係のみならず
夫婦関係
恋人関係にも、
全ての関係に、適応可です。
*
無意識に使ってしまう、使役表現。
「子どもに習い事をさせる」
とかね。
「子どもがする習い事」
ですよね。
相手主体に転じてしまう、
言葉のトリック。
私は意識的に、封印しております。
使っちゃうときは、
大体、言い訳ですね。
(イタタタ・・・) 三度目
月曜日。
一週間のスタートですね。
のんびりいきませんかー。
mica
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