2007-08-04 14:44:53

第7回_吉田秀雄_21世紀の人材

テーマ:広告
「仕事は自ら創る可(べ)きで与えられる可(ベ)きではない」これは電通「鬼10則」の第1章を飾るあまりにも有名な言葉だ。
この電通「鬼10則」は、電通の4代目社長で電通中興の祖と言われる吉田秀雄氏が、昭和26年に社員のために書き留めたビジネスの鉄則、つまり原理原則です。最近の電通の若手社員には批判的な者も多いようだが世界のGE(ゼネラルエレクトロニック社)でも英語で翻訳され飾られているほどのものだ。


しかしこの「鬼10則」にあるように指示待ち人間ではなく自ら仕事を創り出せる人材が日本でどれ程いるであろうか?


私は人材ビジネスにも関わっているが残念ながらこのような人材にはほとんどお目にかかることがない。


何故だろうか、バブル期は仕事は勝手にやって来た、得意先から郵便配達のように持ち込まれたそんな時代もあったかもしれない。


しかしバブルが弾けて16年が過ぎ、果報は寝て待て式の仕事等どこにもあるはずがない。
私は日本で独創的な人材が少ないのは日本の企業は創造性より協調性を重視するからといった単純な問題とは考えず、1941年の国民学校令にまで遡ぼるのではないかと思う。


「日本は第2次世界大戦によって生まれ変わった」私達は学校でそう教えられて来た。終戦時に日本は軍事国家から平和国家への変身を果たした。新憲法の制定や公職追放に続き、財閥解体、農地改革、労働立法などの戦後改革が行なわれ、このような改革が、戦後の経済成長の要因になったと教えられてきた。


しかし確かに戦後に変わった制度は多いが、実際は1940年前後に作られた制度が戦後も多く残ったことはあまり知られていない。


世界で初めての源泉徴収制度、法人税の導入といった直接税中心の税制度、終身雇用制、年功序列賃金体系の原型、直接金融から間接金融への改革といった、現在もその制度や体質が残っている多くの経済システムは戦後ではなく1940年前後に作られたものなのだ。


これらの経済システムは元々1938年に制定された「国家総動員法」に象徴されるように国の資源や労働力のすべてを戦争目的のために仕向けるために作られたものだ。


それと同じくして日本は本物の近代工業社会を築くために、学校制度を拡げ、規格大量生産の現場に適した「協調性と辛抱強さに富み、個性と独創性の乏しい人材」の養成を行なってきた。この規格大量生産向きの人材を作る試みは、1941年の国民学校令の主要な枠組み、初等教育制と通学区域制によって完成された。


戦後は1940年前後に作られた経済システムと工業社会に適した「協調性と辛抱強さに富み個性と独創性に乏しい人材」との両輪で経済復興を遂げることが出来たのは紛れもない事実であるが、出る杭は打たれる、即ち独創性を持った人材が活躍出来るフィールドがあまりなかったのも事実だ。


今現在、独創性のある人材が少ないのはこうした戦前から延々と受継がれてきた工業社会に適した人材を養成し重宝してきた結果ではないかと思う。
しかし、今企業は生産性の低い社員を抱えている余裕はない。また自ら仕事を創り出せる独創性のある社員がいない企業に未来はないと思う。
私は今こそ電通「鬼10即」を創った吉田秀雄氏の仕事に取り組む姿勢、精神を現在のビジネスマンは学ぶべきではないかと思う。 


また、経営者は人材を埋もらせてはいけない、活躍出来る土壌を作っていくことが大事だ。


売上高日本一のドラックストアーチェン、マツモトキヨシの創業者、松本清氏が松戸市長になっと時に「すぐやる課」を作ったのはあまりにも有名な話だが、この「すぐやる課」の課長に抜擢したのは臼井銀次郎という男で、この男はいわば松戸市役所では窓際族と言っても良い男だった。課長に抜擢された臼井氏は張切り、馬車馬の如く働いた。この「すぐやる課」の活躍で松戸市役所は一躍マスコミに注目されることになった。


独創的な人材のいる企業、真に人材を活かせる経営者のいる企業は21世紀も間違いなく生き残れるだろう。投資家の方々はそういう企業に投資をしてはどうかと思う
2007-07-28 14:32:36

第6回_安田善次郎_人物本位の投資

テーマ:銀行

北陸の北アルプスに立山連峰という山があるがこの山を平野部から眺めると実に美しい。この美しい立山連峰は富山にあるが、意外にもこの富山から実に多くの実業家が出ていることを知っている人はあまりいないだろう。


越中富山出身の実業家を思いつくままに上げると、セメント王と言われた浅野総一郎、読売新聞中興の祖、テレビ放送の父と言われた正力松太郎、ホテルニューオータニの大谷家、丸井の青井家、コクヨの黒田家、博報堂の瀬木家、インテック、YKKの吉田家、といった人達になるが、なかでも傑出した人物を一人挙げるとすると、後に金融王と言われる安田善次郎(ヤスダゼンジロウ)であろう。


安田善次郎は世界最大級の銀行である、みずほフィナンシャルグループの源流を創った男で、富士銀行を頂点とした芙蓉グループの創始者、一代で大財閥を作り上げた男であるが、この安田善次郎の郷里も越中富山になります。


安田善次郎は安政5年(明治維新の9年前)20歳の時、2800文の金だけを懐に江戸へ出て玩具問屋、両替商などで奉公し、日本橋人形町に海産物商兼両替商として独立し、1872年(明治5年)、大蔵少輔伊藤博文の建議に基づいて、アメリカのナショナル・バンクの制度を模倣した国立銀行条例が発布されると、第3国立銀行を設立し、次々と経営のうまくいかなくなった銀行の救済をしていき自身のグループの傘下に治めていきました。当時、両替商や質屋を経営して預かり金や貸金の業務を営んだという、銀行業務の実務経験のあったのが安田善次郎のグループだけだったということもあり、どんどん発展していきました。銀行の設立について政府に聞きにいくと銀行のことは安田に聞けと言われたぐらいです。


私は安田善次郎が凄いと思うのは人物本位の銀行業を貫き通したことです。人物を吟味した上で無担保でも企業に貸出しをしたことです。事業の成否について安田善次郎は「一にも人物、二にも人物、その首脳となる人物如何」「その人物が満腔(マンコウ)の熱心さと誠実を捧げ、その事業とともに倒れる覚悟でかかる人であれば十分」と言いきっていたことです。実際に銀行の救済、事業の成否は人物次第ということを身を持って実践してきました。


この安田善次郎のお眼鏡にかなった事業家の一人に浅野財閥を作った浅野総一郎という人がいます。


浅野はセメント、石炭、海運、埋立造成、造船、鉄鋼といった数々の事業を束ねて大財閥を築きあげたが、なかでも東京湾構築と関連して、京浜間に大運河を開削し、鶴見、川崎の遠浅海岸を埋立て、京浜工業地帯を作ったことは後世に残る偉業といえよう。浅野の作った京浜工業地帯は日本で初の港湾と工場を一体化した臨海工業地帯となるが、この事業を資金面で全面的にバックアップしたのが安田善次郎になります。資金を安田が全て賄い実務は全て浅野が行なったが、安田は浅野の人物だけを見て資金的なバックアップをしました。


今もJR鶴見線に「安善駅」というのがあるが安田善次郎に因んだ名前になります。ちなみに東大の赤門をくぐると見える安田講堂は安田善次郎が匿名を条件に寄付して出来た建物です。


私は今こそ、安田善次郎のように担保主義ではなく人物本位で融資や投資をする銀行マン、投資家が必要ではないかと思います。特に中小企業の発展には欠かせないと思います。経営者だけでなく投資をする側にも器量が問われるのではないかと思うが、今こそ安田善次郎のような人物が出てくることを望む。




文責 田宮 卓




 












2007-07-20 14:28:56

第5回_石坂泰三_私心のない志

テーマ:石坂泰三

戦後の日本の経済の復興に経営者、経済人として貢献した人物に、真先に石坂泰三(イシザカタイゾウ)の名前を上げて異論のある人は多くはないであろう。



石坂は逓信省に四年、スカウトされた第一生命に入り昇進して同社社長を8年、戦後は倒産が危ぶまれ組合との労働争議の折合いも付かず、誰もなりてがいなかった東芝の社長を引受け見事に再建し8年社長を勤め、経団連の会長を612年、そして日本万国博覧会会長を務めた人物である。



それまで数々の輝かしい業績を遺してきたが、なかでも経団連会長時代にアラビア石油の創業者山下太郎のアラビア湾での海底油田発掘を全面的にバックアップをし、日本の国益に貢献したことを忘れてはならないだろう。



山下太郎は大正6年、ロシア革命で混乱しているウラジオストックに大量の缶詰めの滞貨があるのを知って輸入し大儲けをしたり、戦前、戦中を通じて満州、朝鮮、台湾を舞台に財産を築き、その山師ぶりのスケールの大きさから「満州太郎」と言われていた人だ。



その山下が戦後に情熱を傾けたのが石油ビジネスだ。それもアラビア湾の海底油田を自らの手で発掘しようというのだから並の考えの持主ではない。発掘には当然巨額の投資が要り最初は、中東の海底油田を開発するなんて夢だか寝言みたいな話だと、銀行も財界人も相手にしなかった。それはそのはずで、まず油田を開発するのに開発する権利をサウジアラビアから巨額のお金を払って買わなければならないが、仮に権利を獲得出来ても石油が出る保障はどこにもなかった。また山師が大法螺吹きを吹いているとしか思われていなかったからだ。



そんな時、最初に山下の支援を名乗り出たのが石坂であった。日本が第2次世界大戦に突入したのは石油がなかったからで、この事業は日本にとって必要なことというのが大きな理由だったようだ。



石坂が凄いのはこの事業に90億円近い金が要るため、借りるのに個人保障をして全財産をかけたことだろう。家族にはもし石油が出なければ山下君と2人で首を吊ると何とも不気味な冗談を言ったと言います。



記者からも、知人のリコーの創業者、市村清からも心配されて何故あんなペテン師に肩入れをするんだと聞かれて、「何故ってそれは、かれがペテン師だからさ」とこのような大博打を打てるのは山下のようなペテン師しかいないと擁護したといいます。



結局、石坂が山下が設立したアラビア石油を全面的に支援することで、銀行からも財界からも融資を受けることが出来、見事に石油を掘り当てることに成功しアラビア石油は28億円の純利益を計上、数年後1割配当を実施すまでになった。

 

私たちは戦後日本の経済の復興に命をかけた人達がいることを忘れてはいけないと思う。

また、今は大きな会社であっても独立系であれば最初に必ずリスクをとった創業者や株主が要る筈だ。今その会社の株主や従業員である人達はそのことを忘れてはいけないと思う。

 



文責 田宮 卓

 



















Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

    ブログをはじめる

    たくさんの芸能人・有名人が
    書いているAmebaブログを
    無料で簡単にはじめることができます。

    公式トップブロガーへ応募

    多くの方にご紹介したいブログを
    執筆する方を「公式トップブロガー」
    として認定しております。

    芸能人・有名人ブログを開設

    Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
    ご希望される著名人の方/事務所様を
    随時募集しております。