2007-07-28 14:32:36

第6回_安田善次郎_人物本位の投資

テーマ:銀行

北陸の北アルプスに立山連峰という山があるがこの山を平野部から眺めると実に美しい。この美しい立山連峰は富山にあるが、意外にもこの富山から実に多くの実業家が出ていることを知っている人はあまりいないだろう。


越中富山出身の実業家を思いつくままに上げると、セメント王と言われた浅野総一郎、読売新聞中興の祖、テレビ放送の父と言われた正力松太郎、ホテルニューオータニの大谷家、丸井の青井家、コクヨの黒田家、博報堂の瀬木家、インテック、YKKの吉田家、といった人達になるが、なかでも傑出した人物を一人挙げるとすると、後に金融王と言われる安田善次郎(ヤスダゼンジロウ)であろう。


安田善次郎は世界最大級の銀行である、みずほフィナンシャルグループの源流を創った男で、富士銀行を頂点とした芙蓉グループの創始者、一代で大財閥を作り上げた男であるが、この安田善次郎の郷里も越中富山になります。


安田善次郎は安政5年(明治維新の9年前)20歳の時、2800文の金だけを懐に江戸へ出て玩具問屋、両替商などで奉公し、日本橋人形町に海産物商兼両替商として独立し、1872年(明治5年)、大蔵少輔伊藤博文の建議に基づいて、アメリカのナショナル・バンクの制度を模倣した国立銀行条例が発布されると、第3国立銀行を設立し、次々と経営のうまくいかなくなった銀行の救済をしていき自身のグループの傘下に治めていきました。当時、両替商や質屋を経営して預かり金や貸金の業務を営んだという、銀行業務の実務経験のあったのが安田善次郎のグループだけだったということもあり、どんどん発展していきました。銀行の設立について政府に聞きにいくと銀行のことは安田に聞けと言われたぐらいです。


私は安田善次郎が凄いと思うのは人物本位の銀行業を貫き通したことです。人物を吟味した上で無担保でも企業に貸出しをしたことです。事業の成否について安田善次郎は「一にも人物、二にも人物、その首脳となる人物如何」「その人物が満腔(マンコウ)の熱心さと誠実を捧げ、その事業とともに倒れる覚悟でかかる人であれば十分」と言いきっていたことです。実際に銀行の救済、事業の成否は人物次第ということを身を持って実践してきました。


この安田善次郎のお眼鏡にかなった事業家の一人に浅野財閥を作った浅野総一郎という人がいます。


浅野はセメント、石炭、海運、埋立造成、造船、鉄鋼といった数々の事業を束ねて大財閥を築きあげたが、なかでも東京湾構築と関連して、京浜間に大運河を開削し、鶴見、川崎の遠浅海岸を埋立て、京浜工業地帯を作ったことは後世に残る偉業といえよう。浅野の作った京浜工業地帯は日本で初の港湾と工場を一体化した臨海工業地帯となるが、この事業を資金面で全面的にバックアップしたのが安田善次郎になります。資金を安田が全て賄い実務は全て浅野が行なったが、安田は浅野の人物だけを見て資金的なバックアップをしました。


今もJR鶴見線に「安善駅」というのがあるが安田善次郎に因んだ名前になります。ちなみに東大の赤門をくぐると見える安田講堂は安田善次郎が匿名を条件に寄付して出来た建物です。


私は今こそ、安田善次郎のように担保主義ではなく人物本位で融資や投資をする銀行マン、投資家が必要ではないかと思います。特に中小企業の発展には欠かせないと思います。経営者だけでなく投資をする側にも器量が問われるのではないかと思うが、今こそ安田善次郎のような人物が出てくることを望む。




文責 田宮 卓




 












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2007-07-20 14:28:56

第5回_石坂泰三_私心のない志

テーマ:石坂泰三

戦後の日本の経済の復興に経営者、経済人として貢献した人物に、真先に石坂泰三(イシザカタイゾウ)の名前を上げて異論のある人は多くはないであろう。



石坂は逓信省に四年、スカウトされた第一生命に入り昇進して同社社長を8年、戦後は倒産が危ぶまれ組合との労働争議の折合いも付かず、誰もなりてがいなかった東芝の社長を引受け見事に再建し8年社長を勤め、経団連の会長を612年、そして日本万国博覧会会長を務めた人物である。



それまで数々の輝かしい業績を遺してきたが、なかでも経団連会長時代にアラビア石油の創業者山下太郎のアラビア湾での海底油田発掘を全面的にバックアップをし、日本の国益に貢献したことを忘れてはならないだろう。



山下太郎は大正6年、ロシア革命で混乱しているウラジオストックに大量の缶詰めの滞貨があるのを知って輸入し大儲けをしたり、戦前、戦中を通じて満州、朝鮮、台湾を舞台に財産を築き、その山師ぶりのスケールの大きさから「満州太郎」と言われていた人だ。



その山下が戦後に情熱を傾けたのが石油ビジネスだ。それもアラビア湾の海底油田を自らの手で発掘しようというのだから並の考えの持主ではない。発掘には当然巨額の投資が要り最初は、中東の海底油田を開発するなんて夢だか寝言みたいな話だと、銀行も財界人も相手にしなかった。それはそのはずで、まず油田を開発するのに開発する権利をサウジアラビアから巨額のお金を払って買わなければならないが、仮に権利を獲得出来ても石油が出る保障はどこにもなかった。また山師が大法螺吹きを吹いているとしか思われていなかったからだ。



そんな時、最初に山下の支援を名乗り出たのが石坂であった。日本が第2次世界大戦に突入したのは石油がなかったからで、この事業は日本にとって必要なことというのが大きな理由だったようだ。



石坂が凄いのはこの事業に90億円近い金が要るため、借りるのに個人保障をして全財産をかけたことだろう。家族にはもし石油が出なければ山下君と2人で首を吊ると何とも不気味な冗談を言ったと言います。



記者からも、知人のリコーの創業者、市村清からも心配されて何故あんなペテン師に肩入れをするんだと聞かれて、「何故ってそれは、かれがペテン師だからさ」とこのような大博打を打てるのは山下のようなペテン師しかいないと擁護したといいます。



結局、石坂が山下が設立したアラビア石油を全面的に支援することで、銀行からも財界からも融資を受けることが出来、見事に石油を掘り当てることに成功しアラビア石油は28億円の純利益を計上、数年後1割配当を実施すまでになった。

 

私たちは戦後日本の経済の復興に命をかけた人達がいることを忘れてはいけないと思う。

また、今は大きな会社であっても独立系であれば最初に必ずリスクをとった創業者や株主が要る筈だ。今その会社の株主や従業員である人達はそのことを忘れてはいけないと思う。

 



文責 田宮 卓

 



















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2007-07-07 23:25:56

第4回_小佐野賢治_目先の利益に囚われない買収術・損して特取れ

テーマ:観光

世田谷区上野毛(カミノゲ)の高台に広大な日本庭園があり、その庭の邸宅からは富士山と多摩川を見晴らせるという。この邸宅の主が誰かと言えば東急グループの総帥、五島慶太(ゴトウケイタ)である。 



時は昭和20年、上野毛の五島邸に粗末な背広を着たツルッパゲの男が強羅ホテルを買いたいとやって来た。



この時、五島は組合に越年資金をよこせとストライキを起こされ歳末生活資金の要求を突きつけられていて現金で500万円が必要であった。当時の500万円は現在の金額でいえば数十億円である。五島は組合対策資金を捻出するのに困り、ついに強羅ホテルを売ることを決意し、誰か買ってくれる人がいないか、当時の政友会の幹事長を務めたことのある大物代議士、田辺七六(シチロク)に相談したところ紹介されたのがこのツルッパゲの男であった。



しかしこの男の年齢を知って驚いたのは五島である。頭が禿げているので老けて見えるがまだ28歳だという。



「君が強羅ホテルを買うのか。」

「はい、売ってください。」

5百万円以下では売らないよ。ただし現金でだ。」

「結構です。」

「金は、急ぐんだ。明日までに用意できるか。」

「用意してみせます。」





五島はあまりにも若いので本当に現金を用意出来るのかどうか半信半疑であったが、この男は翌日、五島の目の前にトランクから取り出した札束を積上げてみせた。そのときのこの男の台詞がふるっていた。



「わたしのような若造が、大それたことをとお叱りを受けるかもしれませんが、天下の五島さんが強羅ホテルを手放されるということは、よほどお金が大変だったのでしょう。ついては、55十万円で買わせてください。わたくしのご挨拶の手みやげ代わりです。」



普通の若者ならいくら相手が天下の五島慶太といえども、足元を見て値切るが当然であるがこの男は違っていた。相手の言い値に、さらに1割の50万円を上乗せし、55十万円出したのである。 それから直ぐに強羅ホテルの売買契約は成立した。



このツルッパゲの男が国際興業の社主、小佐野賢治(オサノケンジ)である。後に五島は伝記執筆のためにしばしば訪ねてきていた経済評論家の三鬼陽之助(ミキヨウノスケ)に「小佐野は山梨の百姓の子だというが、打てば響く男で学問はないが妙に折目が正しい。いつも筋も通っている。太閤秀吉、いや木下藤吉郎の生まれ変わったような男だ」と感嘆したという。



小佐野は強羅ホテルの買収をきっかけに五島慶太の知遇を得ることが出来、国際興業がバス事業としての出発となった「東都乗合自動車」を譲ってもらったり、財界の大御所、小林中(アタル)の家を売ってもらう等、公私にわたりバックアップを受け国際興業を飛躍させる足がかりを作ることが出来た。



強羅ホテルの買収そのものは一見高い買物に見えるかもしれないが、その代りに五島慶太の心を捉えることが出来たのである。



私は先日、小佐野賢治が存命中に国際興業の経理部で働いていた人に話を聞く機会を得た。



私はそれまで小佐野賢治は乗っ取りやというイメージがあり、お金に見境がなかったのではないかと思っていたがそうではなかった。



小佐野は回収に時間がかからない事業にしか手を付けず、回収に時間がかかる事業は一切やらなかったという。また、どんなに小さい書類、細かい伝票にいたるまで小佐野本人が印鑑を押していた。小切手の一枚でも自分が納得しないものには出さなかったという。10代の頃、自動者部品の販売をしていた時は下宿先の電気代、水道代を払うのがもったいないと営業用のトラックで寝ていたというほどの倹約家でもあった。小佐野も他の創業者がそうであるように1円たりとも無駄なものにはお金を使わない人であったのだ。



清濁合わせ持ち突出して人情の機微にたけていた小佐野にしてみれば一見高い買物に見える強羅ホテルの買収も五島慶太の心を捉えることが出来れば安い買物という計算があったのであろう。



小佐野賢治といえば政商として成り上がった男というダーティなイメージがあるかもしれないが、それだけで歴史の隅に片付けてしまうには余りにも惜しい人物である。現代の経営者も、特に買収やM&Aで事業を拡大しようと考える若い経営者はこの男から学ぶべきことは多いのではないかと思う。






関連サイト

小佐野賢治エピソード

http://amba.to/m7rDki

小佐野賢治語録

http://bit.ly/mZLP8Y


文責 田宮 卓









































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