夢と知りせば覚めざらましを | こひうた〜恋するやまと歌〜

こひうた〜恋するやまと歌〜

昔の人も今の人も、恋をします。
人を愛して結婚をして、そして別れがあり。
恋愛の様式に違いはあれど、恋する思い自体は今も昔も、変わらないのではないでしょうか。

昔の人の恋の思い、一緒に追体験してみませんか。

思ひつつぬればや人の見えつらん 夢と知りせばさめざらましを(題しらず・小野小町・恋二・552)


あなたを想いながら眠りについたせいでしょうか、あなたに会えたのは。
あれが夢だって知っていたならば、目覚めなかったのに。





昨日までの二首は恋一の巻でしたが、今日はあえて番号を飛ばして恋二の巻に移ります。
古今集に恋の巻は一から五までありますから、二首もしくは三首ずつ、順番に読んでいこうという魂胆です。(シチュエーションが似たり寄ったりになると、さすがに飽きてくるので。汗)


では歌に戻りまして、有名な小野小町の歌です。
巻二の最初の三首が、小町の歌、しかも全て夢に愛しい人を思うという歌なので、

まとめて「夢」三首などと呼ばれています。




「ぬればや」寝たからでしょうか?

「見えつらん」会えたのかしら?

「夢としりせばさめざらましを」夢って知っていたら目覚めようなんて思わなかったわ…

と、全て曖昧な言葉で書かれています。

すべては夢の中だから、曖昧もことしていて、でもなんとなく彼はそこにいた気がしている。
その情景がよく伝わってくる歌です。



当時、なぜ人の夢を見るかというと、思いが強いからだと考えられていました。

現代とは逆で、思いが強いから、恋する相手の夢の中に行く、という考えです。
だから小町の元に来た男性は小町を思って夢の中に現れた、と考えられます。

でも、本当かしら?
あの人はそんなに私のことを思ってくれているのかしら?
やっぱり私が彼を思いながら、寝たからかしら?


目覚めたばかりの夢うつつの状態で、色んな思いが頭をよぎり、ああ、もう少し寝ていたら、愛の言葉を貰えたかもしれない、抱きしめられていたかもしれない…。

なんて、ちょっとだけ後悔する。



まだ恋は始まったばかり。
だから、相手の気持ちを推測するのも、疑ってしまう。
だから余計に、曖昧な言葉が生きてくるのです。






小野小町という人は、昨日ちょこっとお伝えした僧正遍昭という人と一緒で、和歌の名人として六歌仙にあげられています。しかも紅一点。女の人は彼女だけです。

絶世の美女だったという言い伝えがまことしやかに残っていますね。
現在でも世界三大美人の中に名前が入っているとかいないとか。
(当時の認識として、和歌が上手な人はモテますから、当然モテモテだったとは思います。)


ただ、女性ということもあって、記録にはほとんど残っていないので、どんな人だったのかはわかりません。



伝説では、

小町に恋をした男(深草少将といわれてます)に

「それならば百日私の元に通ってきてくださいな。そうしたらばあなたを受け入れましょう」

と言って、律儀に通い続けた男が99日目に悪天候のために死んでしまった「百夜通い(ももよがよい)」のお話とか、

百歳まで生きたのだけれども、最後は貧乏になって乞食のように物乞いをしていたとか、

道ばたで亡くなってドクロの目の所からススキが生えて、痛い痛いと泣いていたとか。



まあいろんなお話があります。
話のタネにしやすかった人なのでしょうね。



百人一首にも選ばれています。

「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に」

桜の花の美しさはいつのまにかうつろって、散ってしまいました。春の長雨が降って、私がぼんやりと我が身の上を考えて物思いにふけっている間に。(時が移ろうのって、本当に早いのですね。)



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