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今さら新年の抱負など

2017-01-14 09:01:25 テーマ:エッセイ

 さてさて、気がつけばすっかり年も明けきって、すでに1月も半ばに差しかかってしまった。何のご挨拶もできないまま、当雑記もなかなか更新されることなく、ほとんど開店休業状態になってしまっているが、とはいえ書いていない訳でもない。とりあえずUPできないだけだから、この辺りご理解いただけるとありがたい。

 

 というのも、元々当雑記は文章の練習のために綴り始めたわけであって、それを思えば、自分で言うのもなんだが文章に関しては当初から比べると、下手の横好きなりには上達したと思う。喜ばしいことだ。が、こうなってくると困ったもので、また少し背伸びをしたくなる。下手の横好きなりに、クオリティにもこだわるようになってしまうのだ。

 

(ん? この表現は筆致に合わへんのちゃうか?)
(言い方変えてるだけで、同じこと2回書いてるし……)
(あかん、ええ言葉が見つからへん……)

 

 結果、陽の目を見ることなく、いたずらにノートが殴り書きで埋まるだけで終わってしまう。

 逆にこんなこともある。

 

(おっ! これええんちゃうか? この展開、たまらんがな……)

 

 いわゆる自己満足という奴だ。が、これもまた困ったもので、ちょっと満足できるものが書けたりするといい気になって、もう少し先を見たくなってくる。ただし、こうしたチャレンジには制約が付きものだったりするから、またまた悩ましい。例えばこんな制約だったりする。

 

『応募資格は不問。但し、未発表のものに限る。(ブログ等含む)』

 

 結果、それなりに満足できる仕上がりになった文章というのは、またまた陽の目を見ることなく、悲しいかな応募作品の一つとして埋もれることになってしまう。今後も埋もれるだけになってしまうかもしれないが、今年は本気でチャレンジしてみようかと、ようやく一月半ばにして抱負みたいなものを書いてみたというわけだ。

 

 ちなみに、もう少ししたら、一編だけ某誌に載せていただける予定だが、まあそれはそのときのこととして、さてさて、今年の年末にはどんな心境でいるか、ちょっと楽しみではあるが、まあそれなりにボチボチ行こうかしらと思っておりますです、ハイ。

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突然はここから生まれた?

2016-12-14 09:50:42 テーマ:エッセイ

「ラブストーリーは……」

 

 ラジオから流れてきた音に、ふとそんなフレーズが頭に浮かんだ。と言っても、いきなりのギターカッティングで始まる我々世代なら誰もが知っているあの曲ではなく、最近の若者世代の曲だ。パンチの効いた、なかなか重めの音ながらも、その歌詞は近いようで遠い彼女への想いをつづるラブソングになっている……。

 

 考えてみれば、若い頃に比べて歌詞が頭に入ってくるようになった。ふと流れてきた何十年かぶりの曲を耳にして、その歌詞の意味するところに今さらながら新しい発見をしたりする。きっと昔は、メロディに任せて歌詞も音の一部として聴いていただけで、齢50を超えて、ようやく歌詞を歌詞として、言葉として受け取れるようになれたようだ。

 

 今さらかい? というところだが、正直今さらだ。こうして下手の横好きなりに文章を書くようになったからか、それとも単に歳を重ねたからなのか判らないが、いずれにしてもそんな言葉に気付けるようになったというのは悪くない。

 

 そうして、いろんな曲の歌詞に注意して聴いてみると、実にラブソングが多いと思う。もちろん、理不尽なものへのメッセージを歌にした社会派の曲も少なくないが、そんなメッセージの中にも近しい、もしくは密かに想うあの人に対するメッセージが見受けられたりする。確かに、怒りを持続させるには思った以上にパワーが必要なのと同様、硬派を貫き続けるのもしんどいし、詩の上でカッコつけすぎても普段の行動がそこまで伴っているわけでもないだろうし、ついでに全体の歌詞のバランスを考えればアクセントになるのは間違いないし、そうして改めて身近なところに目を向けて素直な気持ちを書いてみた、そんな感じかも? と勝手にライターの気持ちを思ったりしてみるが、まああながち外れてもいないだろう。結局は、どんな硬派なメッセージも、社会的な発言も、誰かを想うことから発しているに違いなく、行きつくところはこの言葉ということだ。

 

「Love」

 

 この言葉も今では一般的にも使われるようになったとは思うが、昔は、特に奥ゆかしさが美徳とされていたここ日本では、Loveや愛なんて言葉は、もっぱら歌詞や映画のセリフなどエンターテインメントの世界、感性の高い一部の人たちの間で使われる言葉だったから時代も進んだということだ。まあ、その分、我々も少し素直になれるようになったということかもしれない。なるほど、結局ラブストーリーは突然以前に必然だったということか。この辺り、うまくかけたタイトルだったとは、流石に小田さんだわ。

 

 定かではないが……。

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つりバカ日誌? ん?

2016-11-21 23:25:56 テーマ:エッセイ

 準備を怠るな!!

 

 今さらながら、この言葉が身に沁みる。……と思ったところで始まらない。始まらないどころか今さら遅い。あと残り7kmあまり、ここからは苦行となった。

 

 考えてみれば、ここ6年あまり、年に1本か2本フルマラソンの大会に出場し、そのためそれなりにトレーニングを続けているが今年は確かに走れていない。仕事が忙しくて帰りの遅い日が続いたことで定期的だったジョグが不定期になり、不定期になれば走れる時間ができても、何かと理由をつけてサボってしまったりと、振り返れば走行距離はいつもの年の半分以下だったから致し方もないか。さらには、加えてこの暖かさはなんだ? 天気がいいのは気持ちよくてうれしいし、沿道の人たちも快適に違いないが、季節外れのこの気温は人一倍汗かきの小生としてはまったくお呼びでない。いつも以上に水分補給に気を付けていたつもりだったが、やっぱりダメだった。

 

 最初は左もも前部に来た、大腿四頭筋という筋肉だ。

 

「うっ、やばい……」

 

 筋肉が硬直し、固まったまま戻らない。それでも負けるもんか止まるもんかと、少しペースを落とし、そのまま騙し騙し走り続けていたら、次は右の大腿四頭筋に加え、ハムストリング※腿の裏(大腿二頭筋)まで攣りだした。ここは塩分補給が必要だと、慌てて塩タブレットを取り出そうと腰のバッグに手を回した途端、今度は右のわき腹(外腹斜筋)が攣った。少しでも楽な体勢を取ろうと右わき腹を伸ばす感じで身体を少し左に傾け右腕を挙げる。

 こうなると筋肉反応は次々連鎖していく。上げた右腕のおかげで収縮した右の上腕(三角筋)が攣り、左の肩甲骨周り(棘下筋)が攣り、左の臀部(大臀筋)が攣る。

 

「おっ、あっ、いっ、うっ、え……」

 

 痙攣にもがきつつ、いろんな体勢を試みるも次は右、次は左と痙攣は治まらない。ここまで何とか走り続けてきたが、ついにストップしてしまった。

 

「あぁぁぁ……」

 

 そのままでは再スタートもままならない。痛みに耐えつつ、なんとか攣った部分を分散させようと腕を上げたり、腰を横に突き出したり、肩をすぼめたり、痙攣が治まるのを待つ。恐らく沿道の人たちから見れば「なにを身体クネクネさせてんの?」と思われるに違いないが、今さらどう思われようと構わない。とりあえず緩めないと、まだまだ先は長い。

 痙攣が少し治まったところを見計らって、再び走り始める。が、またしばらくするとまた痙攣が始まる。攣りにもがきつつ緩むのを待ち、緩めばまた走り始める、この繰り返しだ。だが、悲しいかなこれも長くは続かない。緩んでから攣るまでの間隔がしだいに短くなり、ついには常時痙攣状態が続くことになってしまった。加えて、すでに体力も消耗し切ってしまっているから、身体自体すでに思うように動かせなくなってくる。周囲のランナーも多かれ少なかれ同じ状況だ。すでに歩きに変えたランナーや次の一歩が踏み出せないまま立ち止まるランナー、メディカルの力を借りてストレッチしてもらっているランナーなどが目立つようになってきた。

 

(ここでなら、止まっても目立たないからええかも……)

 

 ともすれば気持ちが萎えてしまうが、それでもとにかく前に進まないとこの苦しみからも抜けられないのは確かだから、なんとか気持ちを奮い立たせる。

 

「がんばれ~!」

 

 なんともありがたい声だ。大人も子どもも女性も男性も、誰もかれもがわざわざ沿道に出て、見ず知らずのランナーたちに声援を送ってくれている。きっとこの声がなければ、ほとんどのランナーはゴールに辿り着くことはできないに違いないと思いつつ、前半の20km以上に長くに感じるこのラスト2kmほど、沿道の声を借りてなんとかゴールに辿り着くことはできたが、昨年に比べて30分弱ほども遅く、スタジアムで待っていた連れ合いは救急車に運ばれていないかと本気で心配していたぐらいだ。結局3年前、交通事故の1ヶ月後のレースとほぼ同じタイムというから情けない。4時間15分台、とにかく練習不足が身に沁みた大会になったが、一点、攣りまくりのおかげで、筋肉の名前には結構詳しくなったかしら。

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年に一度の写真です

2016-11-13 04:59:37 テーマ:お知らせ

ラジオ考

2016-10-21 08:39:41 テーマ:エッセイ

 ラジオが好きだ。

 

 ボタン1発でお目当ての放送局に合わせられるラジオなどない時代、耳を澄ませて音を拾いつつ、一番クリアに聴こえるところで針を止める。針の位置が微妙にずれているとは思いながらも、まあそんなものかと聴きはじめたのが確か小学校5年生くらいだったか。そう思えば、もうかれこれ40年の付き合いだ。当時は今のように検索すれば何でも出てくるどころか、テレビにキスシーンが出てくることすら珍しく、また水着姿の女性が雑誌の表紙を飾るのも、まだまだ少ない時代だったから、くだらぬ話や大人の事情、時折混ざるムフフな話など、大人たちのフリートーク感満載の世界に夢中になったものだ。

 

 何より、そのフリートークの合い間に流れる音楽は、歌謡曲や演歌など当時のテレビのそれとは違ってカッコよく、そこからは一気にラジオの世界にはまっていく……。トーク中心のAMから音楽中心のFMへ。そのうち自身の感性に合う番組、DJさんなどお気に入りができるが、かと言って依存しすぎるわけではなく、本を読みながら、仕事をしながら、掃除をしながら、ほどよい距離を保ちつつ、ふとトークに耳を傾け、流れてきた音楽に身を任せる。それは齢50を越えた今でも変わらない。

 

 ただ、聴き方が変わったことだけは確かだ。少し前からはラジコなるものが登場し、地下やビルの影など電波が届きにくい場所でもインターネット経由でクリアに聴くことができるようになり、さらには本来電波の届かない遠く離れたエリア外の地域でも聴くことができるようになったから、長年平日単身赴任を続けている小生にとっては週末でもお気に入りの番組が聴けるこの状況は非常にありがたい。つい先日からは、オンタイムの放送を聴き逃してしまったとしても、1週間のうちなら聴き直しが可能というタイムフリー機能まで登場したというのだから、これはもうラジオとは別物の感覚だ。

 

「そら、ラジオやなくて、ラジコやからね」

 

 そうだった。ラジコ、そうラジコだった。心しておこう。

 

 それはそうと、このネーミング、恐らく名付け親はまだ「子」の多かった小生と同じ世代の人ではないだろうか。ラジ男に対し、ラジ子。例えるなら、和男に対する和子、秋男に対する秋子、ジャイアンに対するジャイ子のようなもので、音の響きだけで性別が判るという安心感がある。近ごろのように音だけでは性別どころか、名前なのかさえ窺い知れず、窺い知れないからと書いてある文字を見れば、音と見た目が一致せず、さらにはそんな名前を思いつく親の頭自体が理解不能という状況だから、こうした判りやすさというのはありがたい。

 

 まあ、実際このネーミングがこうして性別から来ているかどうかは知らないが、それはともかく変わらずラジオを楽しもうと思う。最近は少しばかり、テレビのニュースなどと同様、双方向を意識したSNSとの連携が過ぎているような気がしないでもないが、この辺りほどよい距離を保つことを意識しつつラジオを楽しめればと思う。

 

「あれ? ラジコちゃうの?」

 

 ん? まあ、エリア外なら仕方ないが、ただ気がつけば隣のテーブルの女性がクスッと笑うタイミングも、指先が刻むリズムも、イヤホンから聴こえるラジオの音にシンクロしていることを思えば、小生としてはやはり同時進行感、ライブ感を感じられるラジオがいい。

 

 もしかしてお知り合いになれるかもしれないし……。

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長い一日

2016-09-22 11:16:34 テーマ:エッセイ

「ティリリリ ティッティリ、ティッティリ……」

 

 アナウンスが聴こえてきた。

 

「お客様にお知らせ致します。この先、○○駅○○駅間において、台風による倒木のため、撤去作業を行っております。復旧には今しばらくかかる見込みでございますので、そのまま車内にてお待ちいただけますよう、お願いします。本日は列車が遅れ、誠に申し訳ございません」

 

 30分遅れの各駅停車に乗るか、それとも1時間半以上遅れている次に着くはずの特急列車に乗るか、少し思案したが結局大阪に着くにはどちらが速いか皆目見当がつかないとのこと。であれば、来た電車に乗るかと、各駅停車に乗ったところがこれだ。動き出して2~3駅ほど過ぎたところで停まってしまった。

 

 まあ、ジタバタしても仕方なく、そのうち復旧するだろうし、朝が早かったものだから、一眠りしようと目を閉じる。考えてみれば向かう先が台風直撃の恐れがあるからと朝4時に起きて、早めに客先に入ったが、本当にまともに直撃を受けるとは思わなかった。客先は3時間以上停電し、帰りの電車も台風の影響で動かず、ようやく動き始めたのが19時半過ぎと、とにかく長い一日だった。とはいえ、台風でなくても大阪まではまだこれから3時間近くかかるのだから、まだまだ長い。そんなことを思いつつ、眠りに落ちた。

 

「ティリリリ ティッティリ、ティッティリ……」

 

 チャイム音のような軽い音の「となりのトトロ」のメロディから少し間が空いた後、しばらくして改めて社内アナウンスが入った。

 

「お客様にお知らせします……」

 

 腕時計に目を遣ると20時過ぎ。どうやら30分ほど眠ったようだが、まだ復旧のめどは立っていない。

 

「なかなか、動かないね」

 

 他の席から話し声が聴こえてくる。まあ、そのうち動くだろうと、その声は長閑にも感じられる……。が、それもここまでだった。

 

「ティリリリ ティッティリ、ティッティリ……」

 

 トトロのメロディが鳴るもアナウンスが入って来ない。どうしたんだと思っていると、忘れたころにアナウンスが入る。

 

「お客様にお知らせします……」

 

 まだまだ復旧の目処は立っていないようで、伝える内容はあまり変わっていない。恐らく、ここまで連絡が届いていないんだろう。気がつけば、時計はすでに21時半を過ぎている。あきらめているのか、いつの間にか周囲の話し声もまばらになってしまっている。

 

「ティリリリ ティッティリ、ティッティリ……」

 

 そんな中、聴こえてくるのはトトロのメロディばかりで、続くアナウンスは聴こえてこない。車掌さんも、だんだん落ち着かなくなってきているのかもしれないと思いつつ、この状況をひたすら耐える。

 

「ティリリリ ティッティリ、ティッティリ……」

 ……

 

「ティリリリ ティッティリ、ティッティリ……」

 ……

 

 何度かのトトロの後、久しぶりにアナウンスが聴こえてきた。

 

「お客様にお知らせします。倒木の撤去作業がようやく完了しましたので、列車はまもなく動き出します。なお、和歌山駅より先、大阪方面にお越しの方は、この先、海南駅にて後続の特急列車にお乗換えください」

 

 ようやく列車が動き出した。この時点ですでに24時前、まあ大変な日になってしまった。列車が海南駅に到着し一旦降りて伸びをする。同じように特急を待つ人たちの表情も一様に疲れた表情だ。

 

「ティリリリ ティッティリ、ティッティリ……」

 

 突然、後ろからトトロのメロディが聴こえてきた。

 

 えっ? 振り向くと、そこには男性がいるだけだ。手にした携帯に目を落としている。

 

(何や、トトロはオッサンやったんかい!)

 

 思わず口に出しそうになってしまった。それにしても紛らわしいオッサンだ。ただ、結構アナウンスには合っていたから、そんなことを思い出すとふと笑えてきた。

 

 さてさて、後続の特急も来たことだし、ようやく帰れそうだ。

 

 19:39発、大幅遅れの特急に乗れたのは、24時を10分ほど過ぎた頃だった。

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遅ればせながら……

2016-09-19 19:43:39 テーマ:エッセイ

 この春先からの怒涛のような忙しさに、身体が、心が、いつ悲鳴を上げだすかと思っていたら、先に音を上げたのはすでに10年を超える付き合いになる、こいつだった。

 

「もしもし~、お世話になります。はい、今大丈夫で ブチッ……」

 

 会話中、いきなり電源が落ちてしまった。しかも今までなら、再度入れ直せばなんとか復活していたのに電源が入らない。

 

 確かに予兆はあった。すでに何か月か前からカメラ機能にすると電源が落ちるようになってしまっていたし、少し前にはメモリ内に残っていたはずの写真はすべて破壊されてしまっていたが、何とか電源だけは入り、通話には問題なかったから忙しさにかまけて、ここまで引っ張ってしまったというわけだ。Oh! She's Gone、ここまで使い切れば彼女も本望に違いない……。

 

 とはいえ、そんな嘆いているわけにもいかない。小生にとって忙しいというのはイコール、電話が多いということだから、その電話が使えないのは即致命傷になってしまう。急ぎ近くのShopに飛び込み、相談するも今さら修理もままならず、かと言って新しいモノに変えるとすれば1時間以上もかかるというのだから困ってしまった。

 

「すぐに使いたいんですが、なんとか、ええ方法ありませんかね?」

 

 こんなとき、やはり頼りになるのは、お姉さんだ。

 

「お店のデモ機なら、貸し出せますが……」

「ありがとうございます、助かります!!」

 

 これしかないんですが……、とお姉さんが奥から出してきたのは、ショッキングピンクのいかにも女子高生が持つようなもので、オッサンが持つと恐らく周囲からは気持ち悪く見えてしまうに違いないが致し方ない。一瞬、「故障中につき借り物です」と札を付けたい衝動に駆られたが、女々しい気もして、まあいいかと使っているとこれも慣れてしまうものだ。気がつけば、そのまま使い続けて10日ほども過ぎてしまい、そろそろ返却の時期が近づいてきた。

 

「う~ん、どないしょうかなぁ、スマホ? ケータイ?」

「そら、今さらスマホやろ! 今さらガラケーの選択肢はないで。こんな仕事してるんやし……」

 

 周囲の声はどれも同じだが、仕事以外ではそれほどネットも使わないし、月々が高くなるのも嫌やし、と気持ちが定まらないまま、休日を迎えた。

 

「悩んでるんですよね。スマホとケータイ比べたら、月々の費用って全然違うんですよね?」

「いえいえ、今はそれほど違いはないんですよ」

 

 どうやら、もう以前のようなほぼ通話オンリーのような契約形態はなくなってしまったようだ。となれば、ただでさえ小さいものが見づらくなっている小生としては画面は少しでも大きい方がいいと、今までのこだわりなどなかったように、晴れてスマホユーザと相成ったが、意図せず電話をかけてしまったり、逆に切ってしまったり、まだまだ慣れない。

 そしてそれは小生だけでなく、周囲も同じようだ。

 

「たまけみさん、似合わんわぁ」


 遅ればせながら、たまけみ、スマホデビューいたしました。

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終わらない

2016-07-26 08:39:40 テーマ:エッセイ
 終わるという言葉を聞いて何を思うか?

 小学生くらいなら、待ち構えていた一学期の終わりを告げるチャイムにこう叫ぶだろう。

「やったぁ!! 終わったぁ!!」

 そう叫ぶ子たちの頭の中は、すでに楽しい楽しい翌日からの夏休みのことでいっぱいのはずだから、終わるというよりも逆に始まりを予感させる感情の方が大きいに違いなく、そこには終わるという響きが連想させる寂しさは微塵も感じられない。

 中高生になっても、まだその傾向は強い。

「よっしゃぁ!! やっと試験終わったぞ~!! 結果? そんなん今はどうでもええねん」

 あまり後先考えなくてもいい年頃だ。小生もそんな頃があったなぁ、ええなぁ、と思いつつ、それはともかく、そんなつかの間の時を経て歳を重ねるにつれ、口にする「終わり」には憂いを帯びることが次第に多くなってくる。

「終わっちゃった……」

「終わったんだ……」「終わったの?」「終わったわよ!!」「終わったのね……」「終わりました」

 ……

 いろんな終わりの中に見え隠れするのは、できればもう少し続けたかった状況に望んでもいないピリオドが打たれてしまったことに、どうにか折り合いを付けようとする感情がほとんどだ。

 ん? 「終わりました」は?

 ……この言葉を聞くと、学生時代の友人を思い出す。なんでも、チェックアウトを告げるためのフロントへの電話の際、思わず「終わりました」と口走ったそうだから、正直というか、バカヤロウというか。いずれにしても、他の終わりにも負けず劣らず憂いを帯びまくっているから、ここに登場させた次第だ。

 さてさて、それはともかく、まもなく始まるオリンピックなど大きな国際大会になると、決まってこのフレーズが多用されたりするのは何とかならないものか。

「4位に終わりました……」って、4位やで。世界で4位やで。例え競技人口が少ない競技であったとしても、それでも世界のすべての競技者の上から4番目やで。期待は判るけど、この表現はどうなのか? 同じ競技を志す子どもたちが、畏敬の念を持って世界で4番目になった選手を見ていたところに、この水を差すような一言は教育的にもよくない気がしてしまう。

 大体、本人が言うのならまだしも、他人に、それも公の場で言われたなら、本人や特に身内なら、きっとこう言いたくなってしまうに違いない。

「ほな、お前やってみぃ!!」


 ……などと、一瞬落ち着きかけたのに、最近ではさらに忙しくなってしまっている現状に、思わず吐き出したくなり、こんなことを書いてしまった。

 ちなみに、とんと間が空いてしまったが、当雑記、終わったわけではないので、念のため。
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準備を怠るな

2016-06-23 08:58:53 テーマ:エッセイ
 聞いたのは、田植えの2週間前、溝掃除のときだった。

「そういえば、今年は下の方がすごいよ、ホタル」


 その夜、早速行ってみた。

 カメラを持って連れ合いとともに現地に向かった。と言っても、極々近所、歩いて5分もかからない所だから、特に大がかりな準備も必要ない。フラッとその辺りに出かけるような感じで出られる。そう、イメージするなら、サンダルをつっかけて、近くのお店にタバコを買いに行く感じと言えば判りやすいだろうか。こんなとき、小生タバコを止めてからすでに25年以上経つというのに、こんな表現が一番イメージし易かったりするのは昭和世代ということだろうか。まあ、それはともかく、そのイメージのとおり、玄関にあったシャワーサンダルをつっかけ、カメラのほかには何も持たずに家を出た。

 ありがたいことに普段から、少なくない数のホタルが普通に飛び交う地だから、特にホタルを見ても珍しくもなく、あまり驚くこともないが、驚いた。

「おぉ~! すげぇ!」

 どれくらいいただろうか。何千? いや何万? それこそ数えきれないホタルが小さな光を放ちながら、200mくらいに渡って川沿いにびっしりと舞っていた。いつもの年なら、もう少し山手に上がった場所で見ることができるが、今年は聞いたとおり極々近所でこれだけのホタルを見られるのだから驚きだ。以前、ホタルの鑑賞会みたいな、人の手で一度にホタルを放すイベントも見かけたことがあるが、そんなイベントなどまったく足元にも及ばない、今までこれほど多くのホタルを目にしたことはない気がする。おまけに、連れ合いと小生以外、辺りには人がおらず、独り占めならぬ、二人占め状態だ。

「すごいわ!」

 これはカメラに収めなければと思ったものの、カメラのほかには何も持たずに来たから、困ったことに明かりがない。それほど使い慣れていない一眼レフの操作盤が見えない。これだけ暗いと、バルブ撮影する以外ないのに、懸命に目を凝らしても暗くてよく見えず、また加えて近くを見る用のメガネ、いわゆるローガン鏡を持ってきていないものだから、どうしようもない。あ~情けない。まあ、そもそも三脚を持ってきていないのだから、バルブ撮影したところで致し方ないかと、なんとか判った夜景モードなるもので適当にシャッターを切ってみた。

 が、帰ってパソコンで開いてみるも、案の定なにが写っているのか判らない。目を見開いてようやく、何かしらポツポツと白いモノが浮かび上がる程度で、画面に付いた埃と何ら変わらない。唯一写っていたのは、足元の草むらに留まっていた一匹だが、それもブレブレ。再度出直す手もあったが、まあ2週間後の田植えには娘も帰ってくることだし、小生も出張で2週間後まで帰れないものの、それまでのお楽しみということにしておいた。

 2週間が経った。

 田植えを終え、陽が沈むのを待って、懐中電灯と三脚とローガンを携え、準備万端、連れ合いと娘を伴って意気揚々と出かけた。

 ホタルは……、全然いなかった。

 ふぁんふぁんふぁんふぁん、ふぁわわわ~ん。

 また、来年出直しだ。
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くるまはどこへ行く?

2016-06-16 08:50:22 テーマ:エッセイ
 近ごろの車事情はすごい。

   *

「おかあさん……」

「えっ! なに?」

「……」

 あっ、いけない! バカな旦那との朝のやり取りを思い出していたら、思わずケンちゃんへの返事がトゲトゲしくなっちゃったわ。大体、お話するときには相手の目を見て話さなくちゃいけないのよ、って昨日言い聞かせたばっかりなのに。バカバカあたし、ケンちゃんどうしていいか困ってるじゃない……。

 と、そんなことを思っていたかどうかは別として、母は隣に座る息子に向き直る。

「ごめんごめん、ごめんね。おかあさん考え事しちゃってた。で、ケンちゃん。どうしたの?」

「……ほら、あのふるいかんばん、「とびだすな、くるまはきゅうに止まれない!」だって……。へんなこと言ってるね」

「くるまは急に止まれない? あっ、そ、そっかぁ。車は急に止まれない、そうだね。今では当たり前なんだけど、昔はね車は急に止まらないものだったのよ」

   *

 いつの日か、そんなやり取りが当たり前になる日がくるのだろうかと、最近のニュースを目にするたび、ふと思ったりする。確かに、自動と名は付いているものの未だ半自動だ。この世に自動車が生まれてからすでに200年以上、恐らくメーカー各社は自動車メーカーと呼ばれることに少なからず申し訳なさを感じていたに違いない。ようやく「自動」という名に恥じないものができそうな技術の目処が立ち始めたから、こぞって自動車を開発中というわけだ。もちろん半自動ではない自動車をだ。

 すでに行き先を告げれば、道を教えてくれるようになったし、勝手に扉の開閉もできるようになったし、自ら危険を察知し、追突を防いでくれるようにもなりつつある。隣を走る車の助手席の女性に目を奪われ、前の車がかけたブレーキに気付くのが遅れようと、長時間の運転に疲れて、ふと襲われた睡魔にまぶたが重くなって渋滞に気付くのが遅れようとも、勝手にブレーキをかけてくれるそうだから、何とも頼もしい奴だ。運転席ではもちろん、場合によっては助手席でも冷や汗をかきながらブレーキを踏みこむことも必要なくなりそうだ。

 さらにその先には、どうやらハンドルを持つことすら、なくなるらしい。前を走る車との車間距離は常に一定に保たれ、前方で思いがけぬ飛び出しがあっても、その車間距離を保ちつつ安全に、かつ秩序だって停車する。結果、ムダなブレーキを踏むこともなく、それにつられて後続車にも、そのまた後続車にもとムダの連鎖が続くことなく、どこから始まるのか判らない自然渋滞も発生しなくなるに違いない。行き先さえ告げれば、時間通り確実に最短ルートで目的地まで運んでくれる。縦列駐車が苦手でも、坂道発進が怖くても大丈夫だ。場合によっては、車を運転したことがなくても問題ない。運転免許? そんなものは必要ない! とにかく行き先を告げること、どこへ行きたいか指し示すことができればOKだ。あとは自動車に任せておけばよい。

 ……う~ん、なんだろう。まったくワクワクしない。

 技術の向上によって事故が減るのはいいとして、身体に障害を持つ人たちにも優しい存在になるのもいいとして。だが、便利になればなるほど、機械の、コンピューターの、出番が多くなればなるほど、ワクワク感が失われていくような気がしてならない。

「やった! あたし、できたわ! ほら、見てよ! I did it! この完璧な縦列駐車、すごいでしょ!」

 何度やってもうまく行かなかった縦列駐車が決まったとき、これまでならきっと貴女は叫んでいたはずだが、今後はこんな小さな達成感も奪われることになってしまうのかと思うと、何となく忍びない。

「けど、そんな縦列駐車を完璧にこなす自動車を作ってる人たちは叫んでるんちゃうの? I dit it! って」

 そうだ、そうだった。物事は片方から見ているだけではいけない。表があれば裏があり、光があるから影があり、山があるから川があるのだ。と思えば、また別のワクワクする何かを見つければいいということだ。とにかく何事も楽しめるように自らが思えばいいことなのだ。

 というわけで、未だ頑なにマニュアル車に乗る小生としては近ごろの車事情に少し憂いを感じつつも、こうしてくだらぬ雑記を書いていたりする。
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