むらさきの川


紫川に身を投げて

身は身でしずむ

小袖は小袖で浮いてゆく

   (名古屋で昔歌われていた手鞠歌)


紫川という、きれいな名前の川が昔名古屋にありまして。なぜそんな名前がついたかっていうと、あの紫式部にちなんでいるらしいんですね。


ある日、ひどく疲れた様子の旅の女が川のほとりで休んでいるとき、通りかかった村人に泉のある場所をたずねました。

村人の教えてくれた泉は林の中にあり、それは美しい水でした。

女は越後(えちご)と呼び、都で紫式部に仕えてきたのですが、式部が死んでしまったので、故郷へ帰る途中だったのです。

越後は式部の「なきがら」を大切にもっていたのですが、泉のあまりの美しさに、村人に頼んで、ここに式部の墓を建ててもらいました。

越後はここで3年の間、式部の供養をすませた後、ある日、川に身を投げたのでした。

村人は越後のなきがらを式部の墓のそばに埋めてあげました。

そして月日がたち、この話が語りつがれて来て、いつごろからか、泉は「むらさきの泉」とよばれ、川は「むらさき川」とよばれるようになりました。

(末吉順治『堀川散策』より)



まあ、あくまで伝説なんで、目くじら立てないでください。有名人には各地にこのような伝説が残っているもんです。


この紫川、江戸時代の絵図や本をみると確かに存在していました。プラネタリウムで有名な科学館がある白川公園の少し北東から、公園の北を流れ、二度ほど折れ曲がって今の若宮大通――名古屋っ子自慢の、100メートル道路のひとつです――のあったところを西に進み、新洲崎橋の辺りで堀川に注いでいました。

*ちなみにこの「白川」という名前は紫川に由来するそうです。紫がどうやって白になったのか。。。調査不足でわかりませんでした。ゴメンナサイ


新・みないで♪ (東海妄言)

yahoo地図
を元に作成。クリックすると拡大できます。




地図中赤い四角で示したのが伝光院という浄土宗のお寺で、ここに紫式部の墓と伝えられる古い五輪塔があったそうです。

現在お寺は名東区(名古屋市東部)の住宅街に引越し、川も明治から大正にかけて土管の下水路となって埋められ、今はまったく面影はありません。実際歩いてみましたが、そこにお寺や川があったことを示すものは本当に何もありませんでした。

しかし引越したものの、お寺にはまだ件の五輪塔はある、ということなので行ってきましたよ。

丘陵地の住宅街だけあって、道は複雑なつながり方をしています。四苦八苦してお寺にたどり着きました(お寺がすぐそこに見えるのに、道がなくて、10分以上も回り道をしたんですよ)。新・みないで♪ (東海妄言)

浄土宗のお寺だけあって、門の左脇には法然の石像があります。


新・みないで♪ (東海妄言)

五輪塔は境内の裏手に、ひっそりと、水子地蔵、「愛犬の墓」とともにありました。
新・みないで♪ (東海妄言)

右脇の石碑には「紫式部の碑」とあります。

確かに古い石碑で、表面はかなり風化してます。


新・みないで♪ (東海妄言)


これが紫式部の供養塔であるかどうかはまったくわかりません。

ですが遠い昔の誰かが別の誰かのために建てたものには違いありません。僕はしばらくそこで手を合わせました。

お寺の人によると、年に一度くらいは郷土史家の方や学校の先生がくるそうです。




    果たせぬ恋


紫川の名前の由来を示すもう一つの伝説があります。


紫式部の書いた『源氏物語』は絶大な人気を誇ってきましたが、ここにも一人、源氏物語が大好きで、光源氏にあこがれていた少女がおりました。

今も昔も夢見る年頃というものはあるのですね。



少女は『源氏物語』を読んで、なんとかして光源氏に逢いたいと夢想するようになった。母親が光源氏は物語の中の架空の人物だといくら説明しても、少女はそれがなっとくできない。募る思いはますます高まり、光源氏にたいするやるせない思いにひとり胸をこがしていた。

なんとかして光源氏に逢いたいという思いは、ついに少女を狂わせてしまった。ある夜、ふらふらとさまよい出た少女は紫川に身を投げてしまい、川には少女が身につけていた小袖が浮かんでいたという。

(名古屋市中区役所まちづくり推進部地域振興課『堀川端 ものがたり散歩みち』より)


冒頭の手鞠歌はこの少女のことを歌ったものかもしれません。
しかし悲しいお話ですね。個人的にはこちらのお話の方が胸に来るものがあります。

恋というのは人の心をゆがませ、見えるものも見えなくなるというのは、僕もさんざ経験しましたからねえ。。。


川の伝説というと、このような身投げ話がつきものですが、そのいずれもやるせないものです。

幼いころ読んだ『安寿と厨子王』で一番心に残っているのは姉安寿が湖に入水するくだりでした。川じゃないけどね。


*その後鴎外『山椒大夫』を読んだけれど、もちろん残るものは鴎外の方が大きいのですが、怖さは幼き日に読んだものかなわなかった。


安寿姫と厨子王丸 (新・講談社の絵本)/須藤 重



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