いやあ、昨日は大変でした。


午後9時半までの勤務でしたので、10時前にJRで帰途に。。。

と、駅がいやにざわついているじゃあ、ありませんか。


「○○駅××駅間でソクシャ事故が発生し・・・」


ソクシャってなに?

何人かが携帯電話で連絡をとってます。

「ああ、俺だよ、俺。オレオレ。今金山駅におるけど、人身事故があって電車止まってまって」


ソクシャじゃなくて触車。電車が人やその他と接触する事故だそうです。


事故にあった方には申し訳ないけれど、おいらも運が悪いなあ。

(この路線では時々あるんです)

と思ったら、通常のアナウンスとともにホームに電車が滑り込んできました。 ラッキー!


いえいえ、そう甘くはない。電車に乗ったはいいが、一向に発車しません。


「・・・ソクシャ事故が発生し、現在警察消防が現場検証に入っております」


何度聞いてもソクシャといってるような。

発音が悪いよ。

駅員さんのアナウンスに突っ込みいれても発車はしません。


そんなこんなで1時間くらい電車は駅に張り付いたまま。

やっと発車してもノロノロ運転。

やっとのやっとで帰宅できました。


で、本日。

友人と夕食をともにした時にその話をしたら


「地下鉄で帰ってくればよかったジャン」


ぐはあ! そうだった。

職場も自宅もJR・地下鉄両方あるんだった!

地下鉄だと乗換えをしなければならないけれど、それでも20分あれば帰ってこれた。。。


「いやいやいや、いつ出発するかわからへんしい、本読んでたから待つのは苦にならんかったしい、お金払わないかんから、地下鉄に乗ったら負けジャン?」


苦しい言い訳をするとき、ぼかあ、こんな阿呆な口調になるんです。

ちなみに待ち時間中に読んでた本というのは、キオスクで買った文庫本だというのは内緒です。





こんな阿呆な私に、せめてできること。

亡くなった方のご冥福をお祈りします。

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みんな、背中をまっすぐにして、胸を張って生きているかい?

僕は背中ちぢこませて、しかめっ面しているらしいよ。職場の女の子が言ってました。肩こりがひどくて背中が痛えや。

どうも仕事のキャパが小さいから、いけないね。いやさ、身の回りを整理し、計画をしっかり立てて行えばよいのだけれど。なにせ資料探しに少なからぬ時間をとられてるからね。

そんなわけで今年度の目標

・整理整頓と計画性

・貯金を増やす

・名古屋城検定に合格する


以上三点を、さっそく買ってきた手帳にメモしました。

ドアラのひみつ手帳 2009/ドアラ
¥1,050
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「ドアラのひみつ手帳 2009 めのまえのしごとをコツコツと」

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-70767-9

コツコツは大事だよね。


仕事の話はこれくらいにして、過去へと逃亡するよ。


先月21日に「さわやかウォーキング」に参加しました。

JR東海が春~夏、秋~冬に行っているもので、JR東海の駅からスタートし、数キロ~十数キロ歩いて駅(スタートと同じ場合も、違う場合もあります)をゴールとする、ハイキングです。

今回は地元の名古屋市内12キロ。


新・みないで♪ (東海妄言)

ルート途上に名古屋城。定められたルートでは外をぐるりと一周するだけで中に入らないんですが、


新・みないで♪ (東海妄言)

(お堀を泳ぐ鴨? とでっかい鯉。でっかいから近づいても食われません)


新・みないで♪ (東海妄言)

(お堀に面した「清洲櫓」)


ウォーキングのチラシ(マップが載っている)があれば入場料100円引き。桜の季節だし、ちょっと入ってみました。


新・みないで♪ (東海妄言)

正門を入ると西の丸。 迎えてくれたのは


新・みないで♪ (東海妄言)


新・みないで♪ (東海妄言)

ハチ丸君。。。じゃなくて義直君。徳川家康の九男で尾張徳川家初代。これは少年時代のイメージですね。現代風。ポケモンと並んでも違和感がない。

なんて具合に見たり考えたりしてると数時間ではおさまらず、ウォーキングを棄権してしまう羽目になっちゃうんで(午後三時までにゴールしないといけない)、今回は西の丸→本丸→御深井丸(おふけまる)限定にしました。


新・みないで♪ (東海妄言)

新・みないで♪ (東海妄言)

西南隅櫓(未申<ひつじさる>櫓)

表二之門 (人がいっぱいで、どの写真にも顔が写っているのであっぷできませぬ)


新・みないで♪ (東海妄言)

本丸(現在本丸御殿復興工事中。でも天守の中には入れます)

ここで一休み。天守前の売店でたこ焼きを買いました。

高い、まずい、冷たい

の観光地の食事三ポイントを見事に押さえたお品でありました。


続いて不明門


新・みないで♪ (東海妄言)

本丸北方にあり、普段は開いていない「開かずの門」。 殿様の脱出ルートの一つです。

そして不明門を抜けて御深井丸へ。 ここには「旧天守礎石」があります。


新・みないで♪ (東海妄言)

新・みないで♪ (東海妄言)

大小天守を鉄筋コンクリートで再建するときに、元の礎石群を移したものです。


その礎石のすぐ北にこんなものが。


新・みないで♪ (東海妄言)

新・みないで♪ (東海妄言)

新・みないで♪ (東海妄言)

一応説明書きがあります。

「石棺式石室。

島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室で、

本来は床石があって、手前に羨道(石室への通路)を備えていた。

古墳時代後期のもので、出雲地方独特の横穴式石室である。」


なぜ出雲の古墳(の中身)が名古屋城に?

実は私がここに来たのは今回が初めてではなく、というより初めて来たのがいつかは覚えていないのですが、来るつどに「なぜ?」と思ってました。

長い間放ったらかしにしてた疑問ですが、ここ半年位はまじめに調べました。


けれども説明板以上のことはわからない。

古墳辞典、島根県史、考古学大辞典、名古屋城叢書、名古屋市史等々

いろいろ調べたけれど載っていない。


団原古墳というのは早い時代に失われていて、石棺式石室が埋もれていた。そこは私有地であり、今は跡形もなく畑にな
っている、位のことしかわからない。

どうしてもわからない。

ギブアップです。 名古屋城管理事務所に電話しました。

すると

「担当の学芸員さんは土曜日まで来ないので、またそのとき電話してください」

お預けです。


で、先週の土曜のこと。お昼ごろ私の携帯電話が鳴りました。

なんと件の学芸員さんがわざわざ電話してくださったのでした。恐縮です。


それにしても流石は学芸員さん。私の疑問にすらすらと答えてくれました。

それをかいつまんで書きますと


先述しましたように団原古墳があったところは私有地でしたので、石室も個人の所有だったそうです。それを名古屋の古美術商が買った。昭和11年のことです。当時と今では文化財に関する法律も異なりますから、今ではこんなことはできないでしょうね。

で、その古美術商さんは名古屋の郊外(現緑区)に茶席を作り、そこに石室を置いたそうです。

出雲から名古屋までは鉄道で、名古屋駅からは牛車で運んだそうです。

(そういえばゼロ戦こと零式艦上戦闘機もテスト機は名古屋の工場から牛車で岐阜の飛行場に運ばれたそうです。当時牛車はもっともゆれの少ない運搬手段だったのです)

ところが先の戦争で名古屋城が炎上。わずかな櫓、門を残すのみとなりました。
まことにさびしい限り。

そこで当時名古屋にあったいろいろな石材を名古屋城に寄付してほしいと動いた人がいました。石室もその一つで、先の古美術商さんは快く承諾したそうです。

そこで本丸の北、現在礎石群があるところに移されました。

市民の憩いの場を少しでもにぎやかにしようという思いです。

やがて天守が復興されると、旧礎石が御深井丸に移され、石室は更に北の、現在の位置に移されたのだそうです。

名古屋城は徳川家康の天下普請により江戸時代に作られました。

明治時代には陸軍の鎮台がおかれ、本丸はやがて宮内省の管轄に移り「名古屋離宮」となりました。

そして昭和5年に名古屋城に下賜され、翌年から一般公開。

戦争で焼失するも昭和34年に鉄筋コンクリートで外見復興。


時代時代で所有者が変わり、城内にさまざまな施設が作られました。

この石室や茶席にあるつくばいなどもその一つです。


さまざまな人の善意がこれらには宿っていたのでした。

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顔出しはNGで

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日記と仕事とストレス、ためると厄介ですな。
気がつけば三月も下旬。学生さんも卒業式終わり、在校生諸君も春休みになりましたね。

3月8日(日) 朝曇り、昼前から晴れ


新・みないで♪ (東海妄言)

名古屋の市章は丸に八。尾張徳川家の合印、荷物などにつける識別マークに由来してます。じゃ尾張徳川家の合印の由来は、というと複数ありますが、尾張八郡(愛知・春日井・葉栗・丹羽・中島・海東・海西・知多)から来ているんじゃないか、というのが一番有力な説。
市のマークが八ですから、8日にイベントが行われることが結構あります。今月8日には江戸時代の街並みを歩くイベントがありました。

江戸時代の名古屋(木戸内)は細長い逆二等辺三角形をしておりました。名古屋西高校と旭丘高校を結んだラインを底辺とし、金山駅のちょっと北側を頂点とした逆三角形。現代の中区の大部分と、西区と東区の端っこを付け加えた範囲です。ローカルな話題ですみません。


新・みないで♪ (東海妄言)
(地図赤線で囲ったところが大まかな範囲です)
城下町は京都と同じように碁盤割の町並みとなっています。
(地図中青い長方形の範囲)


今回はその碁盤割の町並みを、歴史的なスポットを訪ねながら歩くというイベント。

スタートは下園公園というところ。ここでエントリー。参加料は100円(保険代込み)。
集いしは地元の小学生、親子連れ、そして市内各所からやってきたご老人、もとい、熟年の方々。
名古屋開府400年のマスコットキャラクタ、「はち丸君」もお出迎え。


新・みないで♪ (東海妄言)

彼は「400年の旅人」


新・みないで♪ (東海妄言)

背中の荷物に何が入っているかは秘密です。風呂敷にはやはり丸八のマークが。

さてはち丸君の見守る中、主催代表による噛み噛みの挨拶、地元小学生によるか細い歌声による開会式。ぐだぐだと言うなかれ、いかにも手作り感あふれる、微笑ましいイベントであります。

この様子は

名古屋の中心部てのは明治維新と戦争によって激変したのですが、道筋は変わっていない。昔ながらの名前もいまだに残っている。交差点の表示などに。
現代にぽつんと残った江戸時代の染みのような。なんとも妙な気持ちがします。

新・みないで♪ (東海妄言)

上の青い部分の拡大。赤丸で囲ったのが東西の、青丸で囲ったのが南北の通りの名前で、青地に白抜きは交差点の名前。「錦通り」だけは江戸時代は「蒲焼き通り」と呼ばれてました。


私は時折薄く浅く軽い知識をひけらかしたりしますが、こういう集いでは若輩者。ご年配の方々と時折言葉を交わしながら、彼ら彼女らの知識の豊富さには脱帽であります。
自分の知らないことを聞くというのは面白いものです。そして私にはまだまだ知らないこと、知らねばならないことは多い。すなわち楽しみがまだまだ多い、ということですね。


ちなみにはち丸君のブログがアメブロにありまして。このイベントも紹介されてます。

開会式の写真には私もちょっとだけ写ってるんですよ(後姿だけど)。

名古屋開府400年祭 公式ブログ

トライアスロン!? 歩いて、走って、最後は滑って♪

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言葉って難しいです。ええ、頭ではわかってるんです。

一度放たれた言葉はもう消せない。人を喜ばせ怒らせ楽しませ傷つける、大きな力を持ったものだと。

頭でわかってても過ちを繰り返すから馬鹿だと言われてもしかたないですね。

*どちらかというと阿呆と言われた方がまだ救いはある。馬鹿! はきつく感じる。名古屋弁の「たーけ」(たわけ)になるともうグサグサ突き刺さりまくりです。



僕は今とある劇場で事務のお仕事をやってます。

お客さん――といってもイベントを見に/聞きにくるお客さんではなく、劇場を借りるイベントの主催者さんたち――の対応をしたり、電話の応対をしたり、経理やデータ整理をしてます。派遣ですけど(でも来年度から臨職)。

でもイベントの様子は仕込からリハーサル、本番までモニタやスピーカを通して大まかに見聞きできます。仕事中ですからかぶりつきにはなれませんけどね。

おかげで今時のタレントさんの名前や曲名も少しは覚えられましたよ。またバレエや日本舞踊、オーケストラのことも少しはわかるようになりました。なにより文化情報がいち早くキャッチできるのがうれしい。僕の場合嬉しいのは演劇や郷土史関係ですけど。


本日はその劇場で高齢者の方たちのコーラスの大会がありました。

普段は事務室で大部分パソコン、帳簿を相手に格闘する僕も、今日は出場団体さんのお世話をすることに。

僕の役割は団体さんの案内と誘導。

高齢者といっても皆さん矍鑠としてらっしゃる。歌を歌うから姿勢が正しい、というのもありますが、やはり笑顔でいらっしゃるからかな。人生を楽しんでらっしゃるからお若いのだと思います。そりゃ多少お体の不自由な方もいらっしゃいましたけれど、そういう方々も含めてやはりお元気だなと感じる。華やいでいるんですね。素敵だなあと思いましたよ。


僕は前職が塾の先生でしたから、人と接する仕事はやはり好きです。てんてこ舞いの忙しさで体は疲れましたけれど、反面エネルギーもたくさんいただきました。何より皆さん最後に笑顔で帰って行かれたのが嬉しかった。



さて、そんな疲れて楽しかった一日でしたけれど、やっちゃいました。失敗を。

言葉は本当に難しいですね。

ある団体さんを次の場所へご案内するときに、さわやかな笑顔と大きな声で


「お迎えに来ました」

皆さん一瞬シーンとなって、その後爆笑でした。


「もうお迎えがきたのかい? まだ生きていたいんだがね」


言葉って難しいです。

怒っちゃダメ!

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神様っていると思う?&本当にいるんじゃないか?と思った瞬間 ブログネタ:神様っていると思う?&本当にいるんじゃないか?と思った瞬間 参加中
本文はここから

はい、スミマセン。久々にかっとなってしまいました。
ちょっと理不尽なんじゃない? そんな目にあいましてね、
そしたら腰がズキズキ痛み出したんです。
それあもう、立ってられないくらい、動けないくらいね。
数分で収まりましたけれど。

実は10と2年前に車に撥ねられましてね、腰の骨やっちゃったんです。
お医者に「腰の骨が折れてます」言われた時にあ、ぞっとしましたが、
なに、あの太い骨がぽっきり折れたわけじゃあ、ありません。
腰骨の突起の部分が欠けちゃったんだとか。それでもすごく痛かったですがね。
半年で完治しましたが

それ以来かあっとなると腰がズキズキ痛むようになりました。
といっても今まで一回こっきりですけど。今日で二回目。
一回目の時、お医者によおく見てもらったんですが、別に異常はないと。
異常がないのに痛むのはおかしな話ですが、完全に元に戻ったわけじゃあないんだと。

今日5年ぶりくらいに腰が痛むほど怒りがこみ上げたということになります。
つくづく思いました。
かあっとなっちゃあいけないんだと
それこそ神様が教えてくれたのかもしれません。
短気は損気で今まで失敗を繰り返した僕に
気を長く持ちなさいと言いたいのかもしれません。


気は長く心はひろく色うすく勤めは堅く身をばもつべし

勝海舟の親父さん、小吉つあんの一句です。元ネタは天海僧正らしいんですが、ちょっと変えてある。
しかし小吉つあんほどこの言葉が似合わない人はいないね。正反対の人生を送ったからね。
ああ、だから逆に小吉つあんらしい言葉なのかもしれない。
僕は小さいときは勝海舟のような立派な人間になろうと思っていたけれど、半生を振り返るに小吉つあんに近いものがある。
身に染みるねえ。



親父が死んでから仏壇に手を合わせるたびに語りかけるようになりました。
時には心を空にしてるときもありますが。
あっちから見守ってくれろと最後には心の中でつぶやきます。
これも親不孝者の自己満足といやあその通りです。
だけどこうした素朴な拝み方ってのが先祖崇拝につながり、神さんとやらにつながっていったのかもしれません。



神様がいるかいないかは誰にもわからんでしょう。
いると思うにせよいないと思うにせよ、それを自分の思いや行いにどう結びつけるかでしょうね。
別に結び付けてなくても、全然かめへんのですけどね。

春は恋の季節

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春になったらやりたいこと ブログネタ:春になったらやりたいこと 参加中
本文はここから

三月になりました。

春です。

昨日と今日でどこが違う、というでもないけれど、明日はまた冷え込むらしいけど、三月だから春なのです。

「三月」というだけで春っぽいではないですか。「弥生」というだけで稲作をしたくなるじゃないですか。。。ちょとはずしましたね。



春は恋の季節。

卒業入学人事異動お引越し、年度おさめなど他にもいろいろありますが、春といえば恋の季節なのです。人間に発情期があるとすればきっと春でしょう。僕はそう思います。恋なのです。変なんじゃありません。



いや変なのです。恋をすると人間どこか変になるんです。変にならなきゃ恋なんてやってられません。



ということで僕は恋をすることにしました。無理やりにでも。

相手はいくらでもいます。その気になれば。多分。選ばなければ。きっと。

それに僕の間口はかなり広いのです。中学時代の憧れの人が北政所(寧、または寧々;豊臣秀吉夫人)でしたからね。

年上過ぎましたが。



経過結果はおいおい報告しようかなと思ってみないわけでもありません。



とりあえず今は従姫さんと赤染衛門にはまってます。ともに人妻ですが(北政所も人妻か)。

お前らには負けへんで~~!!

テーマ:

やまいはいきから


と申します。いや、そういう台詞があるんですよ、ホント。

腹式呼吸で病知らず

なんだそうな。確かに呼吸は大事さね。さすがに「病知らず」は言いすぎだと思うけど。



僕は慢性のアレルギー性鼻炎なものですから、物心ついたときからすっと鼻が詰まってます。なので歌うとき、踊るとき以外は口呼吸になっていることが多い。寝ているときは口をあけて寝ている、らしい。





その1 花粉には負けない



口をあけて寝てると、口の中の粘膜が乾いてしまう。だからあかんらしい。確かにこの季節は起きるとのどが痛くなってます。

先週からどうやら花粉症になったらしく、目が痒くてクシャミ鼻水がよく出ます。男前が台無しです。職場の人が僕の顔見てびっくりしてたので(悪い意味で)、薬局で買った薬を飲みました。

ところが

アレルギーはおさまったものの、副作用がものすごい。よほどあわない薬だったのでしょう。頭はくらくらするし、下痢はするしで大変でした。体の調子を悪くするために薬を飲んだようなものです。

のどもと過ぎれば何とやら。アレルギーの鬱陶しさを忘れ薬に不満をもったものですから、昨日は飲まずに過ごしました。

そしたら夜中に息苦しさで目が覚めちゃった。

僕は心から反省しましたね。

面倒くさがらずにお医者へ行こう。

というわけで本日行ってきましたよ。目の周囲にヘルペスもできてるので、総合病院へ行ってきました。。。4時間かかりました。

お金と時間をたくさん使った以上、花粉にはもう負けない。

ただ問題がひとつ。

薬の中に目薬があるんですよ。実は僕は先端恐怖症なんで目薬がものすごく苦手なのです。





その2 ミュータンスには負けない



先日13ヶ月にしてやっと歯医者を「卒業」したんですが、先週ガムをかんでいたら詰め物が取れてしまって――それは10年以上前に治療したとこなんですが――また通ってます。決して助手が美人だからではありません。



それにしても歯医者さんは偉いものですな。歯を見ただけでその人の健康状態、生活状況がわかってしまうらしい。

「タレーさんだいぶストレスたまってるでしょ。肩や背中がこったりしませんか?」

「ええっ? なんでわかるの?」

「全部歯に出てます」

僕という人間はぱっとみ真面目に見えて実はルーズなやつなんですが、もう一皮剥くと小心者なのです。ストレスはたまりますね。

「お仕事でいつも背中をちぢこませているでしょう? 歯を治すには体全体も治さないとだめです」

「確かにそうですな」

「そこで僕がとっときの方法を教えたげます。ちぢこまって仕事してても背中がはらない、肩がこらない、歯にストレスもかけない方法」

「おいくらですか?」

「歯歯歯。アドヴァイスですから只ですよ」

「それなら是非」

「腹筋を鍛えなさい」

「腹筋?」

「そう。背中が突っ張るのなら腹筋を鍛えればいいんです。それから腹式呼吸ですね」



というわけで僕は今腹筋を鍛えているんです。

大阪にいたころ、図書館でデートしたことがあります。

昼ごろに一緒に図書館へ行き、夕方まで(土日は夕方に閉館するので)それぞれ勝手に本を読んで、一緒に帰る。


最もお金がかからずにすんだデートでした。


行き道帰り道には話をしました、が、それだけでは味気ないので食事に誘ったのですが

「ごめん。あたし断食してんのよね」

彼女はとある教会に属している身なのでした。



図書館に行くとたまに彼女のことを思い出します。美しい思い出です。人は失ったもの、もう会うことができないものを美しいと感ずるものなのです。

今回は図書館で紫川について調べました。

どうしても「むらさき」という名前のいわれを知りたかったのです。今はない川だけにロマンを感じます。人は失ったもの、もう会うことができないものにいとしさを感じるのではないでしょうか。

それにもうこの世にないものを追い回すのであればストーカー呼ばわりされることもありません。多分。



いろいろ調べましたところ、大正時代に編纂された『名古屋市史 地理編』が一番まとまっていて、次のように書かれていました。


これを紫の清水、又は朝日の清水と称え、この川の北の岸辺りを藤野といいきという。往古藤の大樹ありしと伝えたり。

(原文は旧漢字旧仮名遣い;以下同)


藤の花から紫という名前が来たのかもしれません。ところでもう少し読み進めると次の文が。


一説にこの川は名古屋村(原文ママ)の先にあれば村先川なりともいえり。

*江戸時代名古屋城ができるまでは名古屋ではなく「那古野」と書いてましたから、正しくは那古野村です。


しかし、これはまた散文的な由来であります。「村の先だから『むらさき』」とは。居酒屋チェーンの「村さ来」を連想しちゃいました。


江戸時代の地誌『尾張志』にもこの「村先」説が紹介されていますが、


愚なる考えなり


と一刀両断しています。「村先」説はどうもあやしいようです。僕の中ではロマンがないので却下です。

同じ項に紫式部の墓があるという伝承の考察もされています。


式部が墓のここにある故よしはいまだ古書に見あたらず。赤染の衛門はこの国にゆえよしあればその遺跡ありしをもしくは誤り伝えたるならんか


赤染衛門(あかぞめえもん)は紫式部と同時代の歌人で、百人一首にも登場しています。彼女の夫大江匡衡(おおえのまさひら)が二度尾張守に任ぜられたので、尾張に来たことがあるのですが、そのことをいってます。なるほど、確かに平安時代の歌人という共通点があり、しかも紫式部ほどメジャーでないから、途中で誤って伝わる可能性は大いにあります。


まあ僕は


藤→むらさき川→紫式部


だろうと思うんですけどね。



明治の文豪泉鏡花『紅雪録』という名古屋を舞台にした小説がありまして、ここにも紫川が登場します。主人公が友人を評して

「紫川にはまった」

と言ってるんですね。紫川の南には大須の遊郭があったんで、遊女と深い仲になったのをそう言ったわけです。

前回の光源氏に恋した少女といい、この友人といい、また現代の我々も、恋という盲目の病に冒され川にはまって流されて、時には死んでしまうこともある。。。まあ恋愛というは恐ろしいね。

お粗末でした。


紫式部のお墓

テーマ:

   むらさきの川


紫川に身を投げて

身は身でしずむ

小袖は小袖で浮いてゆく

   (名古屋で昔歌われていた手鞠歌)


紫川という、きれいな名前の川が昔名古屋にありまして。なぜそんな名前がついたかっていうと、あの紫式部にちなんでいるらしいんですね。


ある日、ひどく疲れた様子の旅の女が川のほとりで休んでいるとき、通りかかった村人に泉のある場所をたずねました。

村人の教えてくれた泉は林の中にあり、それは美しい水でした。

女は越後(えちご)と呼び、都で紫式部に仕えてきたのですが、式部が死んでしまったので、故郷へ帰る途中だったのです。

越後は式部の「なきがら」を大切にもっていたのですが、泉のあまりの美しさに、村人に頼んで、ここに式部の墓を建ててもらいました。

越後はここで3年の間、式部の供養をすませた後、ある日、川に身を投げたのでした。

村人は越後のなきがらを式部の墓のそばに埋めてあげました。

そして月日がたち、この話が語りつがれて来て、いつごろからか、泉は「むらさきの泉」とよばれ、川は「むらさき川」とよばれるようになりました。

(末吉順治『堀川散策』より)



まあ、あくまで伝説なんで、目くじら立てないでください。有名人には各地にこのような伝説が残っているもんです。


この紫川、江戸時代の絵図や本をみると確かに存在していました。プラネタリウムで有名な科学館がある白川公園の少し北東から、公園の北を流れ、二度ほど折れ曲がって今の若宮大通――名古屋っ子自慢の、100メートル道路のひとつです――のあったところを西に進み、新洲崎橋の辺りで堀川に注いでいました。

*ちなみにこの「白川」という名前は紫川に由来するそうです。紫がどうやって白になったのか。。。調査不足でわかりませんでした。ゴメンナサイ


新・みないで♪ (東海妄言)

yahoo地図
を元に作成。クリックすると拡大できます。




地図中赤い四角で示したのが伝光院という浄土宗のお寺で、ここに紫式部の墓と伝えられる古い五輪塔があったそうです。

現在お寺は名東区(名古屋市東部)の住宅街に引越し、川も明治から大正にかけて土管の下水路となって埋められ、今はまったく面影はありません。実際歩いてみましたが、そこにお寺や川があったことを示すものは本当に何もありませんでした。

しかし引越したものの、お寺にはまだ件の五輪塔はある、ということなので行ってきましたよ。

丘陵地の住宅街だけあって、道は複雑なつながり方をしています。四苦八苦してお寺にたどり着きました(お寺がすぐそこに見えるのに、道がなくて、10分以上も回り道をしたんですよ)。新・みないで♪ (東海妄言)

浄土宗のお寺だけあって、門の左脇には法然の石像があります。


新・みないで♪ (東海妄言)

五輪塔は境内の裏手に、ひっそりと、水子地蔵、「愛犬の墓」とともにありました。
新・みないで♪ (東海妄言)

右脇の石碑には「紫式部の碑」とあります。

確かに古い石碑で、表面はかなり風化してます。


新・みないで♪ (東海妄言)


これが紫式部の供養塔であるかどうかはまったくわかりません。

ですが遠い昔の誰かが別の誰かのために建てたものには違いありません。僕はしばらくそこで手を合わせました。

お寺の人によると、年に一度くらいは郷土史家の方や学校の先生がくるそうです。




    果たせぬ恋


紫川の名前の由来を示すもう一つの伝説があります。


紫式部の書いた『源氏物語』は絶大な人気を誇ってきましたが、ここにも一人、源氏物語が大好きで、光源氏にあこがれていた少女がおりました。

今も昔も夢見る年頃というものはあるのですね。



少女は『源氏物語』を読んで、なんとかして光源氏に逢いたいと夢想するようになった。母親が光源氏は物語の中の架空の人物だといくら説明しても、少女はそれがなっとくできない。募る思いはますます高まり、光源氏にたいするやるせない思いにひとり胸をこがしていた。

なんとかして光源氏に逢いたいという思いは、ついに少女を狂わせてしまった。ある夜、ふらふらとさまよい出た少女は紫川に身を投げてしまい、川には少女が身につけていた小袖が浮かんでいたという。

(名古屋市中区役所まちづくり推進部地域振興課『堀川端 ものがたり散歩みち』より)


冒頭の手鞠歌はこの少女のことを歌ったものかもしれません。
しかし悲しいお話ですね。個人的にはこちらのお話の方が胸に来るものがあります。

恋というのは人の心をゆがませ、見えるものも見えなくなるというのは、僕もさんざ経験しましたからねえ。。。


川の伝説というと、このような身投げ話がつきものですが、そのいずれもやるせないものです。

幼いころ読んだ『安寿と厨子王』で一番心に残っているのは姉安寿が湖に入水するくだりでした。川じゃないけどね。


*その後鴎外『山椒大夫』を読んだけれど、もちろん残るものは鴎外の方が大きいのですが、怖さは幼き日に読んだものかなわなかった。


安寿姫と厨子王丸 (新・講談社の絵本)/須藤 重



¥1,575
<

堀川の桜  その3   桜に思う

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高力猿猴庵(こうりき・えんこうあん)
『御船御行列之図』(おふねごぎょうれつのず)にすっかり惹きこまれてしまった僕。1月末から休日を利用して絵図に描かれていた日置橋から納屋橋まで猿猴庵の本を片手に堀川沿いを歩いてみました。




まず猿猴庵に敬意を表するため、彼の屋敷があった場所へ。


江戸時代の名古屋城下の地図(絵図)は数種類ありますが、ネット上ではこんなものがあります。




愛知県図書館絵図検索


http://www.aichi-pref-library.jp/gazou/search/


ここの「城下重ね絵図」では、江戸中期~後期の名古屋城下の地図と現代の地図を重ねて見ることができるんです。


城下町を散策するときは非常に重宝します。




猿猴庵の屋敷は、他の藩士達の屋敷とともに公園になっていました。






新・みないで♪ (東海妄言)


中之町公園




特に碑や案内板がたっているのでもなく、当時の面影はありません。


しかし実際に歩いてみると、江戸時代の名古屋の行楽の中心であった大須や堀川沿いに近く、好奇心旺盛な彼には絶好のロケーションだったなと感じます。






中之町公園から南西に下り、日置橋へ。ここから1.2キロほど川沿いをさかのぼります。




新・みないで♪ (東海妄言)
新・みないで♪ (東海妄言)






ちょっとわかりづらいかもしれませんが、両側に歩道が設けられ、黄色い欄干があります。もちろん現代作り直されたものです。


並べた図は猿猴庵の「御船御行列之図」にあるもの。立派な石垣の上に木の橋がかかっています。




ここでちょっと寄り道して、日置橋界隈を。ここらへんは昔ながらの町並みが残っていて、雰囲気のある場所。日置橋から西へ商店街を歩くと、塩竈神社(しおがまじんじゃ)に着きます。




新・みないで♪ (東海妄言)




塩竈神社は全国に複数存在しますが、ここには無三殿大神(むさんどのおおかみ)という神様が祀ってあります。




新・みないで♪ (東海妄言)




昔堀川に住んでいたといわれている河童で、なんでも痔の神様なんだとか。


痔に苦しむ人はお尻を出して堀川の川面に映すと、このむさんどのかっぱが治してくれたそうです。なんともありがたい神様ですが、幸い僕はそんな苦しみはありませんので、川岸でお尻を丸出しにせずにすみました。


もっとも昔はいざ知らず、現代の堀川では逆に痔が悪化しそうです。そのくらい水が汚いのです。むさんどのもさぞやお心を痛めていることでしょう。






日置橋に戻り、西岸を北上します。


江戸時代堀川には7つの橋が架かっていました。現代は橋も増えて、日置橋から納屋橋の間にも、江戸時代橋はなかったのですが、今は岩井橋洲崎橋新洲崎橋天王崎橋と4つできました。


橋も人も車も増え、名古屋は大きな町となりました。


反面堀川は汚れてゆき、今では水も深緑に濁り底が見えません。名古屋で「堀川」といえば「汚い川」の代名詞なのです。建物も皆川に背を向けて建っています。川岸まで降りることはできません。ごみが投げ捨てられたりして、降りたくなるひともいないでしょう。




神社仏閣歴史スポット、あちこちふらふらしながら納屋橋に近づいてまいりました。


納屋橋は名古屋の中心繁華街名古屋駅を結ぶ橋。少しオーバーにいえば東京の日本橋、大阪では心斎橋にあたります。


納屋橋近辺はさすがに整備されていて、川沿いに遊歩道があります。


そこに立っているのは




新・みないで♪ (東海妄言)


小さいけれど、桜の木でした。


今は冬なのに花が咲いています。




新・みないで♪ (東海妄言)




けなげですね。


なぜこんなところに桜があり、こんな季節に花を咲かせているのでしょう。




近くにその由来が書いてありました。




堀川を昔のようなきれいな川に、という思いは市民の間にあり、さまざまな活動を続けています。


そんな中で堀川を愛し、高校生のころから積極的に活動に取り組んでいたものの、20歳の若さでなくなった山中さくらさんの想いを受け継ぐためにこの四季桜が植えられたのだそうです。




詳しくはコチラ↓


http://www.horikawa-lions.com/topics/2007-01-26-sakura.htm




ああ、だから君はこんな寒空の下でもけなげに咲いていたのだね!
今日君に会えてよかった。とても美しいものを見られた。
僕は今日ほど自分の生まれた町、名古屋を恋しく思ったことはない。
たとえ花が散っても僕はここへ来る度に君を見るだろう。そして今日の熱い思いを蘇らせるだろう。

僕はしばらくそこを離れることができませんでした。
ただただ桜を見上げて地道ながらも重要な活動を続けていた彼女の心を想い、後に続いている人たちの心を思い続けました。