他者への祈りとはなにか | 人は話さずにはいられない「トークケア」

人は話さずにはいられない「トークケア」

栗原未来主宰 日本発の思いやりを形にした”トークケア”。
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3.11 震災から4年
この日多くの祈りが奉げられ
日本全体が祈りに
包まれていたように
感じました。

私は「祈ります」ということばを
よく使います。

朝に

「今日も目覚め起きれたことにありがとうございます。」
~にはじまり
「今日一日たくさんの笑顔と喜びに会えます。」と宣言します。

ことばは言霊といいますね。
ことばにした方向に意識が向かうのです。

夜寝床で

「今日一日無事に過ごせましたことにありがとうございます。」
自分の体にもありがとうございます。
「今日感謝できたことはなんですか?」と問いことばにします。
他者へ深く呼吸をしながら祈りをおくり
いつのまにか眠っている自分がいます。

「祈り」とは
「祈る」とは なんでありましょう。
何を意味するのでしょう。


祈られている人とそうでない人とは
薬の効果や術後の経過に差があるといいます。
今欧米のホリスティック医学界では、代替療法と並んで
祈りや意識の力についての研究が盛んに行われており
医療現場でも応用されています。

「水からの伝言」の著者江本勝氏の写真も物語っていましたね。
炊いたお米に一方には「ありがとう」
もう一方には「ばかやろう」と言葉に出して毎日声をかけた結果
一方では芳醇な麹のような香りに
もう一方では真っ黒に変色した腐臭となっていました。

「こうしてくれ、ああしてくれ」ではなく
ただ「最善最良に為されること」 
あるいは「神様の御心のままに」と委ねて祈ることが
効果をよりもたらすことも多いといいます。

「自分を満たしていてはじめて他人を癒せる」といいます。
私もそのように思います。

他者のために祈る行為は
自分への祈りではないにもかかわらず
脳内にドーパミン、エンドルフィン、オキシトシンなど
脳の報酬系とよばれる快楽ホルモンが分泌されて
幸福感を生みます。

前頭葉下にある古い脳は、人称が区別できないので
他者へ祈ることは
自分への祈りととらえられるのかもしれません。


タイガーウッズがプレー中相手の成功を祈る話も聞いたことがあります。
ビジネスでも瞑想はかかせない手法にもなってきていますね。

「汝の敵を愛せ」
憎くてしかたのない人へ、許せないあの人へ
ただただ「最善最良に為されること」を祈っていく。

ふざけるなといわれそうですが、他者へ祈ることが
巡り巡ってあなた自身への祈りとなって
あなた自身を幸せに導きます。


わたくしたちは幸せに生きるために生まれてきたのです。

だれかのために手を合わせて、こころをあわせて祈ることは

それは目には見えないけれど

見えないからこそ、
時空を超えるほどに大きな
力をもつのだとおもいます。


ささやかなる行いですが、確実に為されてゆくのです。

孤独に感じられるあなたかもしれませんね。

ただ、どこかで必ずだれかが
あなたを見守ってくれていることを
忘れないでください。

声となって届かないかもしれないけれど
気づかないかもしれないけれど
自分を信じてあなたの人生を生ききって欲しいと
望み応援していくれている人が必ずいることを
忘れないでいてください。


一人ひとりの意識が地球をつくっています。
現実をつくっています。

そしてそれは難しいものではなく、真のものこそ
とてもシンプルです。

手と手を合わせて 
しあわせ~


「すべてのご縁が平和と調和に向かいます」


次回
[他者を知る講座] がはじまります。
お題は
「傾聴く」(きく)

 他者とうまくやっていきたい。
コミュニケーションを円滑にしたい。
なぜ人は人と関わるのでしょうか。

人と人とが交わることで
生きている幸せを感じたい。

人と人が関わる、交わることで
今までとは全く違う、もの、こと、エネルギーを
創りだしていく醍醐味。
その化学反応を楽しんでいきましょう。

相手の声なき声を聴き、心の中の想いを知る。
すべては自分を相手を想う心からはじまります。

「最善最良に為されます」

祈りとともにあります

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