忘れっぽい僕の、忘れたくない娘達との日々のあれこれ

忘れっぽい僕の、忘れたくない娘達との日々のあれこれ

もうすぐ4歳になる長女と、まだ0歳の次女との素晴らしい毎日のあれこれ、面白い言葉の数々を、絶対に忘れたくないと思いながら、かなり忘れっぽい僕の日々の日記です。

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こないだ嫁さんが体調を崩したから、僕がかわりにイロハを幼稚園に連れて行った。


1番仲良しの子が休んでいたので、ちょっと不安だった。

イロハは1人で大丈夫だろうか。。


仲良しグループが自然とあって、ここでは大人のそれよりも露骨に輪がくくられているように思える。

思えるだけでその輪はいつでも開くのかもしれないけど、僕は昔、その開き方がわからなかったし、イロハもあまり上手な方じゃないかもしれない。


でも、イロハは行った!!


ままごとが始まって、足の速い仲良しグループがぬいぐるみやらを集めてままごとセットの場所に集まった。イロハはちょっと遅れて何かを探しはじめ、もの凄く重たそうなドラム缶入りのブロックをうんしょうんしょと運んできた。

その間にもうままごとは始まっていて、イロハがそれを持ってきて到着して、

「ブロックしよう♪」


誰も聞いてない。聞こえてない?


「ブロックしよう♪」


やっぱり聞いてない。聞こえてない?


僕はなんにも言わなかった。
僕と嫁は前に決めていた。

子供同士のことは大人が口を挟まないと。
色々と経緯はあって、それはしないと。


しばらくしてその重たいブロックを、イロハはまた、重たそうに抱えながらゆっくりと元の場所に持ち帰った。


その後ろ姿が、健気で、切なくて、切なくて。


そんな律儀にしなくていいよ、と、
心の中で泣けた


でも、そんなことはすぐに忘れてまたイロハはそこへ混ざっていった。今度は体一つで。


そしたら、するっと輪が開いた。


イロハはお姉ちゃん役になって、楽しくままごとに参加した。


僕は娘が誇らしかった。

昨日は家族4人でLOHAS FESTAに行ってきた。

 

我が家では恒例のイベント。

 

僕は漠然と革小物が欲しくて、嫁さんは抱っこ紐に装着する便利なカバーが欲しくて、それを探そうと楽しみにしていたんだけども、万博公園ということもあり、すぐそばには可愛らしいコスモス畑が。

初めは嫁が子供たちの写真を撮りまくっていたが、途中から隣の家族のお父さんが遊びだしたシャボン玉遊びに便乗して、イロハがそのシャボン玉を片っ端から割って行くという遊びに切り替わった。

その家族の子供たちはイロハを見てやや戸惑っていたけど、当のお父さんは気にせず次々とシャボン玉を量産してくれたから、イロハは次々にそれを割ることができた。その嬉々とした姿に僕はずっと笑い転げていた。

しかし、何事も終わりが来るもの。遂にそのお父さんは活動を、停止した。


割るものを見失ったイロハは「もっとやってよー」と僕にねだってきたが、今日はシャボン玉を持ち合わせてない。じゃあそろそろお目当の買い物に繰り出そうかと思った矢先、ふわふわと舞い込んできたのは、、、シャボン玉!!


なんと新たな少年がまたシャボン玉を製造し出したではないか!


嬉々として割りにかかるイロハ!


シャボン玉を作る少年、

その少年の写真を嬉しそうに撮るお母さん、

その間を駆け抜けて、吹き出されたばかりのシャボン玉を片っ端から割るイロハ!


完全に困惑した様相の少年!

しかし、シャボン玉が大好きなのかそれでも作り続ける少年!


割るイロハ!


我が子のショットを撮ろうとするも謎の風船割り職人イロハがもれなく写り込んでくる災難に見舞われたお母さん!


嬉々とするイロハ!


もはや腹筋崩壊して腹を抱えて空を仰ぐ僕。

お金をかけずに腹の底から笑えるなんて、

なんとLOHASなLOHASfesta♪


part1 終わり。

僕の宝物、子供達。

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イロハは心が繊細で、優しく、ちょっと泣き虫で、おませで、人のお世話が大好きなお姉ちゃん。

フタバはまだ何も知らない純粋無垢な赤ちゃん。お姉ちゃんが大好きで毎日きゃっきゃっとわらっている。

先日、子供を残して逝かなければならなかった人の本を読んだ。
その本の人だけではなく、災害があった場所や、世界中の日常の中に、悲しい別れがいくらでもある。

僕は子供を愛するほど、いつも不安で怖くなる。
この宝物に、痛いこと、悲しいことが起こりませんように。
そして、もし、自分が先に逝くことになったら、もうこの子供達を守れないのかと思い、また泣く。いつか来るその日のために、僕は実は手紙を残している。僕がいつか死んでも、子供達を勇気付けられるように、いつも寄り添って支えてあげられるように。

想いは生き続けると信じていて、
きっと世界中の悲しみの後には、実はみんな寄り添っていて、守られていて、通じ合っていると信じてる。

僕はいつか自分が逝ってしまったとき、子供達を守るためにできることは向こうの世界でうんと努力しようと思っている。
そんな風に先に逝ってしまった人達も営んでいるのかもしれない。

そう思えば哀しみはちょっと和らぐ。

こんなことをつい考えてしまうくらい、僕は子供達を愛している。

毎日、怒ったり、うざったく思うこともあるけど、今日も明日も、できるだけ一緒に遊びたい、話したいと思う。

僕は健康です。
でも、そこに甘えないで、一瞬一秒を子供達と大切にしたいです。