昭和天皇の防空壕のことについて書いた時に、書くのを忘れてた
霞ヶ関離宮のことを一応、書いておこうかな~と思います(*^.^*)

霞ヶ関離宮

1884(明治17)年に竣工した、ジョサイア・コンドル設計の
有栖川宮熾仁親王邸を宮内省が懇望して、持ち主の有栖川宮家から
譲り受けて、諸外国の王族・使臣のための宿舎や、迪宮裕仁親王の
東宮御所として使っていた明治時代初期の本格的西洋建築物でした…。
因みに所在他は、国会議事堂の前庭南地区だったそうなんですが
今は、全く面影も残ってませんよね~。何だかとっても残念(>_<)

霞ヶ関離宮 客室

しかし、1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で大破。
修繕はされないで、結局そのまま取り壊されてしまったのだそう。

霞ヶ関離宮 二階 階上広間

明治宮殿が焼失した同じ日に、霞ヶ関離宮も青山御所も焼失して
子どもの頃からの思い出ある建物が焼けてしまって、昭和天皇の
お悲しみは如何ばかりだったことでしょう、って御文庫附属室の
ことを書いた時に書き忘れていたので、別記事にしました(^o^;)

どうも失礼しましたm(__)m