1945年3月の東京大空襲で、
東京は焼け野原になってしまいました。
当然、歌舞伎座を始めとして、
数々の劇場や映画館もその多くが消失してしまいました。
仕事を中断せざるを得なくなった映画スターの多くが、
地方の劇場に出稼ぎに行かざるを得なくなったのです。
僕が生まれる少し前の昭和20年代、
数々の劇団や大勢の映画スターが祖父の映画館を訪れています。
時には相撲興行まで請け負ったようで、
当時、島に渡るには小さな客船しか交通手段が無かったため、
力士たちは船が揺れるたびに沈んでしまうのではないかと、
びくびくしながら尾道から渡って来たのだそうです。
市川右太衛門や高田幸吉といったスターの興行を仕切ったこと、
後々まで祖父はこのことを自慢していました。
そんな祖父が後々まで悔やんでいたこと、
それは「美空ひばり」興行を打てなかったことでした。