市政報告会を行います
テーマ:ブログ28日(土)10時~12時まで。サンアゼリア会議室にて(小ホールの入口外の北側の階段を登って入ります)。
今回は井上わたる県議がゲストです。
南相馬市での活動の報告などもあります。
恐縮ですが、会場費、茶菓などで500円ご負担いただきます。
28日(土)10時~12時まで。サンアゼリア会議室にて(小ホールの入口外の北側の階段を登って入ります)。
今回は井上わたる県議がゲストです。
南相馬市での活動の報告などもあります。
恐縮ですが、会場費、茶菓などで500円ご負担いただきます。
マイクロファイナンスというとグラミン銀行、KIVAなどの海外、特に発展途上国を連想する方が多いと思います。途上国の小さな起業を先進国の人々が小遣いで支える、というイメージはマイクロファイナンスの典型的な姿です。
今回の東日本大震災の復興支援においても「義援金」「食糧支援」「炊き出し」「泥かきボランティア」の他に、お金を出資する、貸すという手法が大きな役割を果たすと思います。
今回ご紹介するセキュリテ被災地応援ファンド は、まさにマイクロファイナンス的な福祉の要素の色濃い、しかし、その気になればかなりの額を出資してがっしりと被災地の企業を支えることができる、「何かしたい」けれども時間がない、という方にぴったりの被災地応援プログラムです。
事業を信用され、能力を見込まれて出資を受けるということにより、誇りと資金の両方が手に入る。これは被災地の企業にとっては大変うれしいことだと思います。
また、消費者としても被災地の企業を支えたいというマインドが働くことが予想されますが、出資はより深く被災地の企業と継続的にかかわることになり、復興後の満足度は高いものがあろうかと思います。
もちろん、リスクが伴います。
そのリスクを正確に認識するならば、マイクロファイナンスへの参加は有力な選択肢として一考に値します。
(承前)
さて、約束の時間に近くなったので、バスに乗り原町第二中学に向かいました。ここでは約140人が避難しておられるとのことでした。
まず、東松山と鶴ヶ島の皆さんからの物資と炊き出しの一式を荷降ろししました。
また、食事提供の時間まで避難しておられる方の話を聞きました。
本当に命からがらの話で、ここに書くのは気が引けるような内容でした。
「助かったのは本当に紙一重だね」という言葉が印象的でした。
そして、職員の方も家が飯館村だったり、職場が流されたり、と本当に苦労しておられる方ばかりでした。
親族のご遺体を見つけた時の話しを聞き、本当に戦場だ、と痛感させられました。
次に寿司ロボットのセッティング。今回は職人さんとともに、寿司ロボットが行くというのでガンダムのようなものを想像していたのですが、現物を見て拍子抜けしました。ロボットというより単なる「おひつ」。
そして、食事時間の30分前から寿司の準備が始まります。職人さんとロボットが次々と寿司を握ります。
私は寿司を運んだり、もろもろの雑用。手に職がない人間の宿命です。
しかし…、食事の提供が始まるとあっという間に寿司はなくなって行きます。
やむなく私も衛生手袋を使い、手伝うのですがどうもうまくいかないので十数個握って諦めました。
私の握った寿司を食べた方、ごめんなさい。
それにしても、海の街でお寿司を本当に美味しそうに、嬉しそうに召し上がっていただき、ありがたい一方で心から切なくなりました。
さて、炊き出しの後、出てきたのは松永牛乳と地元のパン。
担当の方の説明によると「これは今朝のここの朝食です」とのこと。この松永牛乳は給食の牛乳の業者であり、酪農家である南相馬市長もまた、ここに以前は牛乳を出荷しておられたとのことでした。
そのパンと牛乳を試食させていただきつつ、担当の方の現状の解説を聞きました。
そうこうするうちに、この日は超多忙スケジュールだったにもかかわらず、南相馬市長があいさつに来られました。こういう心配りがあるからこそ、多くの支援の声があるのだとは思います。
ただ、現実的に原発の風評被害(実態として放射線量は和光市内の数倍程度)は大きく、物資は今も市内では不足しているとのことでした。
特に全国チェーンの関係者には「店を営業して欲しい」とのことでした。
そうすることで地域の方々の雇用も復活するのです。
一兵卒として参加した今回の南相馬での活動。
前回の訪問と違ったのは、現地での実際の支援活動をさせていただいたことの喜びと、多くの避難者との触れ合いでした。
復興が始まりつつある他の地域とは異なり、南相馬の復興は原発問題の終息が前提です。
これからもできることはないか、すべきことはないか、常に考えながら行動して行きたいと思います。
先日、南相馬市を訪問し、義援金と缶詰をお届けしましたが、その際に先方に相談をさせていただいた、知人が運営するNPO法人の炊き出しが実現しました。
15日当日だけたまたま日程を丸ごとあけることができたため、私も同行しました。
今回は、NPO法人比企フィルムコミッションの松坂理事長中心に、原町二中の避難所に行き、生寿司の炊き出しを行いました。
私は比企フィルムコミッションと南相馬市役所を繋いだ関係で、急遽、この炊き出しに個人的に参加することとなりました。
夜中の2時に東松山市内で集合し、川島町の「寿司懐石そうま」さんのマイクロバスで現地に向かいました。
現地には朝8時過ぎに到着し、炊き出しの予定時刻まで時間があったことから、市内の視察を行いました。
遠くに高圧線が途切れている場所があったため近づいてみると…。
田んぼの中に鉄塔がぐしゃぐしゃになって倒れていました。
また、田んぼは一面の泥に埋まり、下を掘ってみるとその下には海砂が、さらに下からはがれきの破片が出てきました。
鉄塔の根本はというと、紙細工のようになぎ倒されていました。
付近の集落跡です。ご覧の通り、ほぼ壊滅状態でした。集落跡だったということも、後で南相馬市の職員に聞いて分かったほどです。
この付近はギリギリ津波が止まった辺りです。ただ、周辺でも犠牲者が多数出たそうです。よく見ると、電柱などが引きずり倒されていることが分かります。
次に多数の入居者が犠牲になったとの報道があった老健施設「ヨッシー3」へ。もちろん、既に報道で「一面泥の海」と出ていた泥の片づけは終わっていました。現場には花が手向けられていました。
犠牲者の方々への心よりのご冥福をお祈り申し上げました。
現場には午後3時32分頃を示したまま止まった時計がありました。
一方で、高いところにあった時計はまだ時を刻んでいました。
ここでたくさんのお年寄りが亡くなられたという事実の重さ…。
阪神淡路では一面焼け野原であり、焼けこげた臭いが今も脳裏に残っていますが、ここでは泥の臭いと海の臭いの混じったような独特の臭気が印象に残っています。
そろそろ時間ということで、炊き出しの会場である原町二中避難所に向かうことにしました。
すみません、あまりたくさん写真を並べて現場の光景や現地の方の話を思い出して書いていると精神的にきついため、続きは後日書かせていただきます。
県市町村長会議がありました。
これは県知事と県内の市町村長の会合であり、特に上田知事になってからはざっくばらんな意見交換会をめざして、通告なしで意見交換をしています。
まず、県庁の幹部紹介の後、県の今年度の予算の概要報告があり、その後、意見交換を行いました。
私は鉄道駅エスカレーターの運転再開(バリアフリーと通勤時間帯の危険性の観点から)についてのみ発言しようと考えていたのですが、いろいろと思うことがあり、屎尿処理施設の老朽化(災害時に大切)への対応の要望も行いました。
知事、環境部長から、今後について答弁もあり、進展を期待しているところです。
特に運転再開の要望が多い鉄道のエスカレーターについては、和光市駅の狭い階段の半分を占めているエスカレーターが動かないため、階段が混雑し危険であるということ、そして、お年寄りや体が不自由な人が出かけやすいようにして欲しいという要望があることをお話ししました(同様の駅が多数あります)。
もちろん、夏の電力消費のピーク時には止めざるを得ないとは思っているということもお話ししました。
ちなみに、震災を踏まえての鉄道関連の諸問題については各市長個別にも鉄道会社に要望してきた経緯があります。
上田知事からは既にメトロや都営地下鉄の駅のうち、特に深い駅のエスカレーターの運転について、要望していただいて運転再開までこぎつけておりますが、あらためて東武等の駅について、要望させていただいたのはそれだけニーズが多いからです。
昭和20年8月のあの日、広島の被爆地で爆心地側の半分が焼け焦げながら、奇跡的に生き残ったアオギリ。やがて、奇跡的に芽吹いたその木はどんどん成長し、人々の希望のシンボルとなりました。
和光市では、その「二世」を広島市から譲り受け、市制40周年を記念して市役所敷地内に植樹しました。
昨年の市民祭で植えた時には「棒?」という感じでした(実は「育っているのか」と随分お叱りを受けましたが、木ですから、こんなペースです)が、今では立派に芽吹いています。
今、原発の事故で日本中があらためて放射線の怖さを痛感し、悩んでいます。放射線で焼かれた木がそれでも大きく再生し、その二世が和光市内で元気に育っている、ということには大きな意義があると思います。
先月、県庁の要請で県内の放置自転車を整備したものが岩手県に送られました。
和光市の自転車はというと、50台が自転車組合の方々の丹念な整備を経て、宮古市に送られたとのことです。
持ち主の手を離れ、活躍の場を失っていた自転車たちの第二の「人生」に期待。
和光市下新倉に「わこう助産院」と併設の「産前産後ケアセンター」がオープンしました。
子育て世代の多い和光市の現状はというと、およそ4年前、市内で長く産科を運営してこられた医院が参加から撤退し、市内で子どもを取り上げてくれる施設は国立病院機構埼玉病院のみとなっていましたが、埼玉病院は妊婦さんの集中ですでに非常に過密な態勢となっていたところです。
そこで、市民を中心に出産できる場を、という運動がおこり、市もその方向性に賛同する中で、当該地の地主さん、助産師会の加藤会長をはじめとする多くの方々の情熱的な活動が実り、わこう助産院のオープンとなりました。
わこう助産院の特徴は、産前・産後の様々な相談やケアを行う「産前産後ケアセンター」を併設しているということ。和光市は核家族が大変多い土地柄で、里帰り出産をする方や地方からお母さんを呼び寄せて産後の面倒を見てもらう方などが多くなっています。また、育児の相談をする相手がないという声も従来からあり、この施設はまさに待望の施設ということができます。
もう一つ、この助産院の特徴は家庭的な雰囲気を大切にしていることです。一階のスペースは家庭のリビングをイメージした、親しみやすい場となっており、個室となっている居室もまた、ホテルというよりは家庭の洋室のイメージです。
また、助産師と妊婦さんの関係性を大切に多くの赤ちゃんを取り上げてきたベテランである伊東院長、そして伊東院長を支える提携嘱託医の体制も充実しており、「病院ではなく家庭的な場所で産みたい」という方々には待望の施設であると言えます。
市としても今後、連携しながら地域の妊婦さん、お母さんお父さんを支えて行ければと思っています。
気になる方はぜひ、現地を訪問して見学されてはいかがでしょうか。
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