月刊ワイヤーママは、
今年の秋に創刊7周年を迎えます。
今でこそ、ワイヤービルにて仕事をしていますが、
創刊~約1年半の2001年~2002年の間は、
ごめっち編集長の実家の“一部”に間借りしていました。
実家の一部???
実は、ごめっち編集長の実家は、
昔、父さんがテイクアウト専門の鰻屋を営んでおりまして、
その跡地である庭のプレハブ小屋がちょうど空いていたので、
お金のない僕ら2人は、まずそこを拠点として借りたのです。
・・・といっても、
鰻を焼くだけの場所なので、広さは約6畳くらい。
そんでもって、床もコンクリートむき出しのままだったので、
友人達に手伝ってもらって、自分たちで板を切って組み合わせ、
釘で打ち付けて、その上にビニールを貼って事務所風にしました。
※そういや、その作業を手伝ってくれたトシちゃんやしょうすけさんが、
あとからワイヤーに加わってくれるなんて、その頃は想像もしてませんでした。
昨日。
約5年ぶりに旧編集室に足を踏み入れました。
場所は、中心部からちょっと遠いしらさぎ台という住宅地にあります。
5年ぶりに扉を開け、中に入ってビックリ。
ほぼ当時のままを、ごめっち両親が残してくれていたのです。
↑いや~、本当にすべて手作りの事務所でした。
写真上の超巨大な換気扇が元うなぎ屋の面影を物語ってるでしょ。
なんせ金が無かったんですよ、創刊から1年半は特に。。。
【注意】これから書くことは、今から起業する人、特に営業職の方には絶対にお薦めできません。そのような悪い例を書きますので、絶対に参考にしないでください!!
創業当時。
周りのいろんな人からの反対・・・
「男性二人が育児雑誌なんて絶対に成功しない!」
「まして、たった80万人しかいない徳島県では無理!」
「てゆーか、この少子化で育児雑誌なんて先が見えていない!」
「そのうえ、WEBと関連させた雑誌なんて聞いたことない!!!」
なんて、有り難いお言葉(笑)をいろいろ頂戴したので、
とにかく出費を控えようということで、事務所も手作りプレハブを選びました。
僕は、立場上は広告営業部長。
必死で、広告を取りに駆けずり回ったのかというと、、、、、
まっっっっっっっっっっっっっっったく広告営業には出ませんでした。
一言でいうと、
プライドが高かったんですよ。
自分から営業に行って、ワイヤーの広告買ってください、と頭を下げるのがイヤだったんです。
人には向き不向きがありますが、
僕は、営業に行くのが本当に苦手(なら経営者やるな!)。
ま、苦手で嫌な思いするくらいだったら・・・その時決めたことがあります。
「自分からは絶対に売りに行かない。向こう(企業や店舗)が、自分から、ワイヤーに広告を載せたいのですが・・・」と連絡してくるまで待とう。こっちが潰れるか、企業から連絡が来るか、我慢くらべじゃ!!
ハイ、絶対に営業職の方にはお薦めできません、このスタイル(; ̄ー ̄A
今では、口が裂けても部下や、知り合いの営業マンにはこんなことお薦めしていません。僕もかなり大人になったもんだー。
ただ、
編集室でじっと電話を待っていたのかというと、そんなことはありません。
苦手な営業には一切行きませんでしたが、
その間は、毎日1~2時間睡眠でいろんなところを駆け回りました。
少しでも世間にワイヤーを知ってもらうために、です。
●オフ会やサークルや公園に集まっているママさんたちと世間話とビラ配り(もちろん手書き)。
●幼稚園・保育所・託児所などで、売れ残ったワイヤーを必死で手配り。
●小児科や産婦人科などの先生や看護師さんに、売れ残ったワイヤーを配ってもらうため回りまくり。
●美容院や銀行の待合い室や喫茶店など、多くの人の目に止まる場所に、とにかく1冊でもワイヤーを置いてもらえるよう交渉。
●新聞社やラジオ局、テレビ局など各種メディアへ本が出るごとに挨拶回り。
●少しでもワイヤーを置いてくれる本屋さんや、もー本屋でなくても、どこでもええので置いてくれる場所開拓。
●夜は、自社サイトへの書き込みはもちろん、必死で探したママ日記(当時ブログなんてまだない頃)や、育児掲示板に顔を出して、少しでもワイヤーを覚えてもらうPR・・・とはいえ書くだけでは失礼なので、徐々にコミニケーションを取りながら、信頼を得てからのお知らせ。
とくに、読者となっていただくべきママさんへのPRは必死でした。
しかし、先ほども書いたとおり、
ただPRだけする行為は不公平なので自分として許せません。それこそ、ただの“営業”です。
おとくなイベント情報を提供したり、
バーゲン情報を調べてリストにして教えてあげたり、
そうやって「この人達は本気で真剣にワイヤーを作っているんだ」と信じてもらうしかなかったのです。
これはウソのような話ですが、
当時、記事や取材でとても協力してくれた読者ママさんがママ友達にふと「そういやずっと前に結婚指輪を、子供と行った砂場で無くしてしまって、かなり探したけど全く出てこないんよ」と言ってるのを聞くなり、僕は次の日、その公園に行って、砂場の砂を端から端まで、、、昼から日暮れまでだから約5~6時間ずっと探しました。公園のほとんどの砂を掘ったと思います。周りの人は、僕を変な目で見てたのを思い出します。
でも、見つけたんですよ!!
あの「キラッ」と光ものを見つけた時は、本当に涙が出そうでした。
さすがに5時間も砂場を掘って出てこなかったので、あきらめる直前だったんです。
その夜、デジカメでその指輪を撮影して、メールを送りました。
「探してたの、この指輪ですか?」
いや~、喜んでくれましたね、マジで(≡^∇^≡)
そんなこんなを繰り返しているうちに、
半年後くらいから徐々に、広告に興味があるという電話が鳴り始め、
1年後くらいには僕一人では対応できないくらい広告が取れるようになりました。
今ではトップ営業マンであるトシちゃんには、その頃ワイヤーに加わってもらいました。
それから徐々にスタッフも増え、
なにより、市内中心部から通勤ラッシュ時には1時間もかかってしまう「しらさぎ台」ではさすがに話にならないということで、今の便利な立地に引っ越したのです。
今から思うと、
あのまま1年経っても2年経っても広告問い合わせが全然来なかったら・・・と考えるとゾッとしますが、そんなはずありませんわな。だって、企業や店舗には直接営業廻ってませんが、それ以上に、時間を費やしいろんなところを廻りまくっているので、回り回って実際に企業営業してくれたのは読者のママさんである、といっても過言ではないのですから。
実際に、大手ケータイキャリアから広告を取ってきてくれたのは広報部の奥さんでしたし、
大手自動車販売店から広告を取ってきてくれたのは、そこで働くママさん社員でした。
あ、本屋さんでいえば、ずっと相手にされなかったコンビニに交渉してくれたのも「なんでここにはワイヤーを置いてないの?」と説得してくれたママさんたちでした。。。。。。。。。。。
こんな強い営業ウーマンたちが、他におりまっか???
う~ん、こんなことを書いていると、
営業には行かないスタイルをお薦めしているようにも見えますが、
いや、最初にも特大文字で書いたとおり、絶対にやっちゃダメ!!
なぜならば・・・
普通に営業を廻る方が、時間的にも効率的にも絶対に合理的で楽!!!!!
自社商品を自分から売りに行かないと書くと、
一見カッコ良く見えたりするかもしれませんが、そっちのほうが大変なこといっぱいありますので絶対にやるな! 営業行け!! 廻れ!!! 以上!!!!
それでも、どうしても営業行きたくないなら、
お客さんが自分から手を挙げてくれるよう必死で頭を使って人の何倍かけずり廻れ。
でも、そっちのほーがしんどいぞー。性格的に向いてる奴は行け。向いてない奴は、向こうから手を挙げてくれるように、営業に出る以上に苦しいこといっぱいやれ。あと目標を達成するまで寝るな。どっち選ぶかは自由。要は、向いてるか向いてないか。そんなのドラッガーの本を読むまでも無い。
おっと、
なんだか苦しい想い出ばかりの創業時のように書きましたが、
いやいや・・・・・昨日ごめっち編集長とクルマの中で話してたんですが、
あの頃が一番楽しかったりしますね、だって産みの苦しみが今思えば一番楽しかった。
それに、、、、、
今の事務所では考えられないような厨房の充実度!!
そりゃ、元ウナギ屋ですからね。大火力のコンロもガス炊飯器も完璧なわけですよ。
▼ここで毎晩のように飯を作ってました、なんせ金が無かったので(; ̄ー ̄A
↑あの頃は料理も上手かったなぁ、ほぼ毎晩やってたしなー。
それと。
これも当時の自分を褒めてやりたいのは、
創刊時のWEB日記(当時はブログなんてなかったの!)を読み返しても、
この生きるか死ぬかの1年半の日記でも全然弱音を吐いてないところ(多分)。
毎日、
こんなもの食いましたーイエーイ、とか、
こんな差し入れいただきましたーワーイ、とか、
こんな人と会いましたーウヒョー、とか、武士は食わねど高楊枝といいますか、
ただのハッタリと言いますか、とても楽しそうに綴っているんですよ。
印刷費の回収が怖くて眠れぬ日もあったというのに。。。
でも、今日のブログで僕が書いたこと読んでもらえたら当然ですよね。
そのWEB日記は、読者のママさんに向けて書いているのですから!!
なんで、営業廻らない、怖い、本が売れるかどうか次号が怖い、なんて書けますかいな。
それよりも、ショップ情報やお得情報、グルメ情報、
あと、心配してくれているママさんたちに「全然元気ッスよ♪情報」を贈らないと。
当時、合い言葉のようによく使っていた言葉が、
「読者はいらない、愛読者をつくろう」でしたから。
それともーひとつ。
なんか、今の若手経営者って、弱音とか書きすぎじゃ、あと凹みすぎというかなんというか、書くなとは言わんけど、もっと読んでてオモロク書け、書くんだったらせめて・・・って、そんなの求めてどーするって感じですが。。。。。
あーあと、こんなことは書かなくてもおわかりでしょうが、
創刊当時。毎月初めてのことばかりで、まさに暗中模索。
真っ暗なトンネルを進むように、全国初の地域版月刊育児雑誌を作り続けてくれた、
ごめっち編集長の誌面内容があったからこそ、僕の廻りまくりにも効果があったことは言うまでもないわな。今日は久々によーけ書いた。以上じゃ。
いや、以上ちゃうわだ。
最後にもーひとつ。
しんどーても楽しそうに仕事せぇよ、でないと、
だれっちゃ付いてこんぞ、社員も誰もぞ。武士は食わねど高楊枝。
以上、わしら原点の場所からのメッセージじゃ。ほなな。