人材育成戦略の補助線

人材育成戦略の補助線

一度、人材開発から離れ、再び人材開発に戻り、また離れました。
ですが、人材開発に対して気づいたことを書いています。

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ある酒席で、一人の男性メンバーが「うちの嫁は忙しいと言う割には、女友達と長電話ばかりしている。一体何なの?」という話になり、同調する男性もいて盛り上がった。その時、一人の女性メンバーが割って入った。彼女の話で、その理由が理解でき、そうさせている自分たちの考えに反省しきりだった。同時に、働くお母さんとはこんなにも大変な仕事だったのかということを再認識した。

彼女は、IT企業で契約社員として働いているが、仕事内容は正社員とほぼ同じである。担当業務が終わらない場合、残業もする。ただし、早く仕事を終わらせ、早く帰るように努めている。残業が無い場合、17時に会社を出て、急いでスーパーに向かい、足早に買い物を済ませて、急いで家に帰る。その理由は、小学生の長男と次男が、クラブ活動を終えて18時には帰ってくるからである。家族に作り立ての手料理を食べさせたい一心で、忙しい中でも毎日スーパーで新鮮な食材を購入し、料理している。子供たちが夕食を食べている間に、浴槽に湯を張り、キッチンを掃除する。その後、子供たちがお風呂に入っている間に、夕食の洗い物をし、子供たちの分の洗濯済ませ、乾いた洗濯物をたたむ。そうしていると、あっという間に21時だ。疲れがひどい日は、座り込んでしまい、立ち上がれなくなる時もある。でも、誰も代わりはいないため、踏ん張って自分でやる。

その後、ご主人が帰宅する22時か23時頃までがようやく一息つける時間だ。その間の女友達との電話が楽しみである。つのる話をするうちに、長電話になる。電話の最中にご主人が帰ってくると「またかっ」と良い顔をしない。ご主人の態度にイラッとしながらも、お風呂の支度をして、お風呂に入っている間に晩酌の準備をする。お風呂から上り、ご主人が晩酌をしている間に、寝床の準備をし、ご主人が寝た後は、洗い物をして、夕食の残りをつまみ食いしつつ、明日のお弁当のおかずの下ごしらえだ。それが済んだら化粧を落として、お風呂に入り、寝床に入るのは午前1時である。それでも翌朝5時30分には起き、朝食の準備をし、弁当を作り、子供たちより一足先に家出て、会社に向かう生活の毎日である。

聞いているだけで大変な重労働である。私は思わず「そこまで大変なら、働くのを辞めた方が良いよ!?」と聞くと、「ははっ、主人と同じこと言うのね。男の人って、奥さんの気持ちがわからないのね」と吐き捨てるように彼女に言われた。

彼女は、元々専業主婦だった。再び働き始めた理由は、自分のためにお金を使うことに後ろめたさを感じたためだった。綺麗な妻、綺麗な母でいたいため、定期的に美容院でカラーリングや縮毛矯正もしたいし、エステにも行きたい。ご主人のお給料でも可能だが、どこか後ろめたさを感じる。自分で稼げば、そんな気持ちにもならずに済むと思い、働き始めた。

再び働き初めてうれしかったのは、自分がした仕事に対して、お客様や社内のメンバーが喜んでくれ、お礼を言われ、プラスのフィードバックを貰える事だった。一方、家事では、ご主人や子供から喜ばれ、礼を言われる事はまずない。反面、料理の味が濃い、風呂が熱いなど、マイナスのフィードバックは日々たくさん受けているが・・・。

そんな日常で、貴重なプラスのフィードバックを貰えるのが女友達との電話だ。おいしいケーキ屋を見つけた、かわいい服があった、便利なレシピのサイトを見つけた、という情報を教えると、喜んでくれ、行ってみた、使ってみたと、お礼を言ってもらえる。自分が役に立っている実感が持て、うれしくなる。だから、忙しい中でもつい長電話になる。ご主人は、ムッとした顔をするが、奥さんのそんな気持ちは全く分かっていない。毎日仕事で疲れた後に、家族のために一生懸命家事に励んでいるけど、それが「当たり前」になっており、感謝の言葉もないのだから・・・。

研修の際に、上司の面倒見が悪い、先輩が助けてくれない、という声を聞く。相手が自分にとって好ましくない行動をとる場合、自身の考えが自分勝手な「当たり前」に陥っていないか振り返ることも必要だと伝えている。例えば、お母さんの長電話を誘発していたのは、家族が「家事はお母さんがやって当たり前」と感じ、感謝のフィードバックすらしていないことが背景にあった。上司の面倒見が悪いならば、上司は部下の面倒見るのが「当たり前」と考え、冷たくされても当然の立ち居振る舞いをしていないか?先輩が自分を助けてくれない場合、先輩は後輩を助けるのが「当たり前」と考え、助けようとは感じない立ち居振る舞いをしていないか?である。相手の行動を安直に追及するのではなく、その背景を検討し、自身の考えに勝手な「当たり前」とそれを体現した「立ち居振る舞い」が、相手の行動を誘発していないか、振り返ることも必要かもしれません。

 先日、とある温泉旅館に行きました。急に思い立ったため、直前の予約となり、お目当ての旅館の予約は取れず、近くの別の旅館を予約しました。宿に到着して中居さんに部屋まで案内頂き「さぁ、すこしゆっくりしよう」と考えていたら、「後程、女将が挨拶に上がります」とのこと。しばらくして、着物を着た女将さんが挨拶に来ました。女将さんが来て、通り一遍の挨拶(どこから来たのか、遠くからありがとう的な)を交わし、女将さんは次の部屋に行きました。

 女将さんとしては、おもてなしの表現として各部屋を回り、お客様一人ひとりに挨拶しているのでしょうが、有難迷惑に感じました。私は、少しでも「自由気ままにゆっくりしたいのに」と感じたためです。

 おもてなしは、サービス業でさかんに言われていますが、私が“おもてなし”を感じる機会は、さほどありません。先ほどの旅館では、玄関先に女将さんが活けた立派な花がありました。しかし、たいして感激しませんでした。玄関先の活花よりも旅館の各部屋の机の上に一輪挿しがある方がよほど感激します。往々にして、玄関先に立派な活花がある旅館では、部屋の机の上に造花の一輪挿しが置いてあったりします。玄関先の活花は、女将さんの自己顕示かと勘繰りたくなります。

 勘違いと感じる“おもてなし”は、いろんな場面で見られます。たとえば、温泉旅館でいえば、見事な枝ぶりの木々の日本庭園があり、その中に露天風呂がある旅館があります。入浴客は、まるで日本庭園の池で泳ぐ鯉です。盆栽や庭木いじりが趣味の方であれば、好むのかもしれません。しかし、現在そのような旅館は、あまり人気が無いようです。今の時代、お客様が求めているは、団体旅行で騒げる旅館ではなく、立派な日本庭園のある旅館でもないと感じます。慌ただしく、ストレスフルな日常を離れて、ゆっくりくつろげる雰囲気のある、田舎風情の野趣あふれる温泉旅館ではないでしょうか。

 そのような時代のニーズを早くに汲み取った人気の温泉地として熊本県の黒川温泉があります。熊本県の山間部にあり、電車ではいけない、大変不便な場所にあり、旅館も30件ほどしかない小さな温泉地です。黒川温泉は、日本の故郷(ふるさと)を体現しているといわれます。温泉街の雰囲気は、昔から変わらないままの自然(広葉樹からなる雑木林)を残した田舎という佇まいです。しかし、このような黒川温泉にも流行に乗って西洋風の建屋や日本庭園が乱立して、どこの国だかわからない変な温泉街になり、閑古鳥が鳴いた時期がありました。

 そのような中、強い問題意識を持った、ある旅館のオーナーが中心となり、大改革に取り組みました。そのオーナーは、京都や軽井沢、湯布院などの人気の観光地を定期的に訪れ、現場観察(定点観測)していたそうです。旅慣れて見える観光客が、どんなことに感激するのか、何に興味を持つのかを知りたかったためです。実際に何を見て感激の声を上げるのか、どんな風景の前で写真を撮っているのか、などです。時には、そっと後ろに行って、会話に聞き耳を立てていたそうです。そんな現場観察を重ねる中で気付いた事は、観光客が感激するのは、立派な日本庭園を持つお寺や旅館ではなく、日本のふるさとを感じさせる場(雑木林のような庭を持つお寺など)という点でした。

 その気付きを自分の旅館や温泉街全体に活かせないのか?と考えて、自身の旅館や黒川の温泉街に取り入れ、試行錯誤を繰り返しました。そして、毎日のように温泉街を歩き周り、「お客さんを満足させる、よかアイデアはなかか?」と常に考え、お客様をそっと観察し続けました。そして、「あのケヤキの前でみんな写真撮るなぁ」「あの椿をよう見とるなぁ」など、現場観察から得たヒントを旅館の庭や露天風呂、温泉街の中に取り入れていきました。このような試行錯誤の結果、繁盛する温泉旅館を作り上げ、ひいては黒川温泉全体の大改革に成功しました。そして、黒川温泉が成功した今でも、全国の観光地や自身の旅館や黒川の温泉街で、お客様の様子をそっと観察し、試行錯誤を続けています。

 「自分がやりたい事」ではなく、「相手に必要な事」を考えることは、人材開発分野でも極めて重要です。有名な理論や最先端の理論、華麗なる経歴の講師による研修は、人材開発の専門家としては興味を引かれます。ただし、それは果たして受講生や現場が必要としている内容なのか、今一度検証が必要かもしれません。
必要な場合もあるが、もっと業務シーンに直結した内容の方が、受講生の悩みや課題をダイレクトに解決できるかもしれません。大学の有名な先生の研修が良い場合がある一方、企業の人事部長として人事業務に携わり、真剣に悩み苦しみ抜いて考えた泥臭い経験のある講師の方が響く場合もあります。大切なのは、現場から考えることのように感じます。

 最近の若手、いわゆる「ゆとり世代」には、これまでの新入社員とは大きく異なる行動傾向があると言われています。研修会社や団体が調査や見解を発表していますが、ほとんどが妥当とは思えません。なぜなら、世代間ギャップの原因分析を目的とする調査にも関わらず、調査対象が本人や上司のためです。本人に聞いても自己認識しかわからず、上司に聞いても入社後の行動傾向しかわかりません。そもそも、ゆとり世代とそれ以前の世代で“何が違うのか”を調査して比較しなければ、本質的原因には迫れないと感じます。さらに、個人的には“入社前の生い立ち”における社会の変化を調べ、それ以前の世代と比較することが有益であると感じています。そのように感じるのには理由があります。

 実は世代間ギャップが世間を大きく騒がせたことは、少し前にもありました。
いわゆる「新人類(1961年から1970年生まれ)」です。それまでの若者と比べて、“けしからん”というものでした。具体的には、「プロ野球談義に乗ってこない」「アフターファイブの飲みの付き合いが悪い」などでした。
何が変わったのかといえば、「文明の進化」により、家族や集落の行動が変わり、分散化や個別化が進んだ点です。例えばテレビは、彼らが生まれる頃までは、大変高価であったため、一家に1台しかなく、家族が茶の間に集い、皆で1つのチャンネルを見るのが普通でした。そのような状況で、茶の間で居心地良く過ごすためには、周囲と話を合わせる必要がありました。共有できる話題を調べて話題を振り、振られたら応え、それにより関係が維持されていました。
ところが新人類世代が成長する過程で、高額商品のテレビが低価格化し、一家に1台から、各部屋に1台も珍しくなくなりました。そのため、茶の間に集い同じ番組を見て、無理に話を合わせる必要も無くなり、各人が見たい番組を自分の部屋で見るようになりました。テレビ以外にも余暇を楽しむツールが多様化し、周りと話を合わせて関係維持を図ろうとする意識や行動がそれ以前の世代より大幅に低下しました。そのような“生い立ち”により「自分勝手で話を合わせない」「付き合いが悪い」という行動傾向が顕著になりました。

 「ゆとり世代」の行動傾向の本質的原因も同じパターンと考えられています。
少し前の社会(例えば20年前以前)では、成人するまでの間に避けられない人間関係が多分にありました。避けられない人間関係とは、地域社会、親戚、学校、部活動などです。 避けられないため、上手く立ち回る必要がありました。 その中で苦労することで、多くの学びがありました。自分勝手な振る舞いにより、隣のおじさんに怒られた、先輩にしごかれた、などです。 仕方なく、違和感のある環境の中で過ごすうちに鍛えられ、自然と学んでいきました。しかし、社会の多様性受容度が高まっていき、嫌な場、居心地の悪い場、慣れない場から、距離を置くこと、逃げることが許されるようになりました。
そのような中、インターネットが登場し、世の中に急速に広まりました。ネット上のバーチャルな社交場を通じて、出会いたい他人同士(自分と趣味嗜好が合う人)が出会う事がすごく簡単になり、後腐れなく離れることも簡単になりました。ネットの社交場は、相当数登場し、細分化されて劇的に拡大し続けていきました。
このような社会に幼いころから慣れ親しんだ人、それが「ゆとり世代」と言われる今の若手です。ネットの劇的な進化により、居心地の悪い環境下で鍛えられる経験が上の世代と比較して極端に少なかったため「空気が読めない」「相手視点に立てない」「習ったことしかやろうとしない(応用力がない)」「打たれ弱いなど」という行動傾向になったと考えられます。また、「本音が見えない」という行動傾向もネットの影響と言えます。ここ数年の間に義務教育の学年で、ネットの書き込みが原因となる殺人や殺人未遂が複数ありました。今の子供の場合、メールやソーシャルメディア、電子掲示板などで情報交換をしており、自分の学校の裏サイトも珍しくありません。このような状況で、下手なことを言うと、裏サイトやSNSで何を言われるかわかりません。しかも自分のまったく知らない場所で、自分を飛ばして(ccから外されて)の情報交換が行われているかもしれません。そのような環境下で警戒しながら育ってきたのが今の若手いわゆる「ゆとり世代」と言えます。そのため、本音を語ることや、表情に出すことが苦手であると考えられます。

 「ゆとり世代」の育成を考えるには、育成する側が“入社前の生い立ち”も理解しようと努め、育成課題や対策を検討することが必要と感じています。例えば、新入社員研修の中に、上の世代と比較して何が違うのかを理解させ、改善すべき点と改善方法を教える必要があると感じています。また、育成する側である上司や先輩にも研修の機会があれば、入社前の生い立ちが異なる点をご理解いただく講義や演習を取り入れた方が良いと感じています。