2007年8月撮影、青木山本覚寺が表舞台に出たのは幕末に横浜港が開港されるた時、本覚寺はアメリカ領事館となり、初代領事ハリスが駐在しました事です。この領事館は三年後には横浜へ移されますが、この間、寺僧は退去させられ、御本尊は板囲いで覆われ、一般人の立ち入りは禁じられていた状態だったそうです。
当寺に岩瀬肥後守忠震のレリーフ像をはめこんだ碑が建っていますが、これは幕末、神奈川(横浜)の開港を首唱した岩瀬肥後守忠震で、横浜の開港の恩人への感謝の碑として、横浜郷土研究会有志によりまして昭和57年に建立された背景です。付近の寺院では、甚行寺がフランス公使館、浄滝寺がイギリス、慶雲寺はフランス、長延寺はオランダ領事館となっております。また江戸時代、当寺一帯は、東海道五十三次の神奈川宿場町として大変賑わっておりました。ことに、現在の台町辺りは、神奈川湊を見下ろす景勝の地で、宿や茶店が建ち並んでいたようです。明治を迎えると、本覺寺の境内は、新橋-横浜間の鉄道用地、道路拡張などで収用され、狭められていきました。
この頃の画像を添付しましたの参考にして下さい。

青木山本覚寺

青木山本覚寺

青木山本覚寺

青木山本覚寺

青木山本覚寺

青木山本覚寺

青木山本覚寺

青木山本覚寺

明治4年10月、わが国初の鉄道開通の前年

現幸ヶ谷公園から現横浜西口方面を望む

左手の森は現青木町、線路右手の木は本覚寺

線路をまたぐ陸橋は東海道を結ぶ青木橋

青木橋の先き、線路が大きくカーブする手前

左側に神奈川駅(昭和3年に3代目横浜駅が

現在地で開業したため廃駅)。その神奈川駅の

先一帯が現在の横浜駅西口だが、当時は

海であったことが一目瞭然である

青木山本覚寺

明治4年(1871)鉄道開通の前年、現在の

台町から見た港。手前の家並みは東海道

路線左手に国鉄「神奈川駅」カーブした右手

が現横浜駅あたりで、現在の駅前周辺は

海であった。



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「坂本龍馬の妻お龍」
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