大阪フィルハーモニー交響楽団第502回定期演奏会を、フェスティバルホールにて。

<指揮>エリアフ・インバル

<曲目>

モーツァルト/交響曲第25番 ト短調 K.183

マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調

 

私が大阪フィルを聴くのは、驚いたことにこれで6回目。今まで聴いた演奏はほとんど記憶がない。1991年にザ・シンフォニーホールでコバケンの第九を聴いたのが最初。その後は東京公演ばかりで、1998年にサントリーで聴いた朝比奈のブルックナー5番は覚えていてなかなかよかったと記憶している。朝比奈亡き後はフロールや大植英次の演奏をサントリーで聴いているが、今日のプログラムであるマーラー5番、大植指揮で2009年に聴いている。しかし記録を見ると酷評…ただ2005年に聴いた大植指揮のマーラー6番は、記録を見る限りよかったようだ(やはり記憶にはないが)。

 

後半のマーラー5番。現代における最高のマーラー指揮者であるとして私が尊敬するエリアフ・インバルの演奏を聴きにわざわざ大阪まで来たのであるが…正直、今まで聴いたインバルのマーラー演奏のなかでは、よく言って「普通」、あえて言えば「凡庸」な演奏だった。フェスティバルホールの比較的デッドな音響のせいもあるのかもしれないが、いかんせんオケの表現力が、従来インバルを聴き慣れている都響とは比較にならない。今日の大阪フィルの演奏を聴いて、都響がいかにインバルの意志を完璧に、そして余裕を持って完璧に体現していたかがよくわかったのである。

弦に表情が乏しく、いつものインバルの自信に満ちた説得力が感じられないし、キレキレなところがない。アンサンブルは粗く、怪しいところもあり…

 

前半のモーツァルト25番。インバルのモーツァルトのシンフォニーを聴くのは、これが初めてだ。しかし、インバルらしさはあまりなくてとても普通。それにしても、この曲におけるホルンがかなり難しいのはわかるのだが…正直、アマチュア並だ。ここまで落ちまくってぼろぼろだともう苦笑するしかなかろう。ちなみに、マーラーのソロを吹いた奏者は前半いなかった。

 

初めて聴くフェスティバルホール。新しいだけあってきれいだし、入口の赤絨毯の階段も、その後の長いエスカレーターも素敵だが、音はまずまずか。今日の私の席は2階で、屋根を被った場所だったのもあるが。

 

 


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【日本フィル創立60周年記念】ピエタリ・インキネン首席指揮者就任披露演奏会をサントリーホールにて。

 

指揮:ピエタリ・インキネン[首席指揮者]

ソプラノ:リーゼ・リンドストローム

テノール:サイモン・オニール

 

ワーグナー:楽劇《ジークフリート》より抜粋

ワーグナー:楽劇《神々の黄昏》より抜粋

このたび日本フィル首席指揮者に就任したフィンランドの俊英、ピエタリ・インキネン。彼はザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(長い!)の首席指揮者にも内定している。

 

今日の首席指揮者就任披露、ものすごく期待していたのであるが…素晴らしい歌手をそろえたものの、正直言ってがっかり。3年前のワルキューレ第1幕はものすごくよかったんだけど…おかしいなあ…

 

その原因は、オケである。

指揮者の意向なのかオケの調子が悪いのかわからないが、音がすかすか。アインザッツの揃わないホルンセクション(ワーグナーチューバ含む)や普段の好調からするとどうしたんだろう言いたいぐらいはずしたトランペット、まあそんなことはどうでもいいのである。正直、オケが奏でる音が、まるでワーグナーの音になっていないのだ。安全運転に終始し、全くリスクを取って攻めるところがない。

弦がすかすかで薄い。トゥッティになると全く聞こえない。ワーグナーだったら、もっと前傾姿勢でぐいぐい攻めながら熱く弾いて欲しいのだが、全く身体を動かすことなく、いかにもお仕事ですという淡泊な演奏。

ワーグナーの音楽が持つうねりは、全くない。いや、うねりがなくてもいい。うねりがなくても、ベームのようにストレートに熱い演奏であれば絶対満足するはずなのだ。今日の演奏、特に歌手が登場しないオケだけの部分、ジークフリートのラインの旅とか、葬送行進曲とか、全然訴えて来るものがないのである。ワーグナーの音楽は、いい演奏であれば、こちらが自然体でも心に身体に染みこんでくるはず。

インキネンのワーグナーはかなり叙情的で、ぐいぐいと踏み込んでくるところがない。しつこいが、3年前のワルキューレはよかったのだが…

 

二人の歌手は素晴らしかった。特に、ブリュンヒルデを歌ったリーゼ・リンドストローム、声がキンキンせず、クリアで芯が通ったいい声だ。ちょっと低域は声量が弱くなるけれど。この人は今後ワーグナー歌手として伸びていくだろう。サイモン・オニールはいつもながら頭のてっぺんから抜けるような声。

 

オケは16型通常配置。前半のジークフリート、何故か天井からスピーカーが降りていたのだが、あれは何のためだったのだろうか。プレトークからそのまま残っていただけ?

 

そんなわけで、家でティーレマンのCDを聴いているところ。。

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NHK交響楽団第1842回 定期公演 Aプログラムを、NHKホールにて。

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

ピアノ:ラルス・フォークト

 

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595

(ソリスト・アンコール)シューベルト:楽興の時D780〜第3番

ブルックナー/交響曲 第2番 ハ短調

 

パーヴォ・ヤルヴィの今回の定期公演3プログラムの一つ。

 

前半は私が大好きなラルス・フォークトが弾くモーツァルト。これが、実に美しかった。

フォークトの演奏は、どの曲をやる場合でもそうなのだが、どこかほの暗さがある。モーツァルト最後のピアノ協奏曲である27番、モーツァルト後期のいくつかの作品に共通して言えるが、長調なのにどこか悲しげな表情が垣間見える作品だ。こうした作品を演奏するのに、フォークトほどふさわしいピアニストはいないであろう。第2楽章冒頭の平明で清らかな旋律がなんと寂しげに響くことだろうか…

フォークトのピアノ、即興的な装飾音も採り入れてかなり自由な部分もある。第2楽章、最後の主題回帰でピアノとフルートが旋律を奏でる部分に、ヴァイオリンソロが旋律を重ねるのは初めて聴いた。普通はこの部分のヴァイオリン、トゥッティで演奏されると思うのだが…

オーケストラは14型と、昨今のモーツァルトの協奏曲の伴奏としては大きめの編成で、その響きはとてもロマンティックである。

ちなみにフォークト、譜面をピアノのフレームの上に置いて演奏。

 

後半はブルックナーの2番。

私もブルオタの端くれではあるが、正直、3番よりも前の作品、つまり0、1、2番についてはあまり共感していないというのが事実。2番も、今までスクロヴァチェフスキ、インバル、ムーティ、バレンボイムの実演を聴いたことがあるが、そのときは確かにいい作品だと思っても、なぜかそのあと耳に残らない音楽なのである。しかしこの2番を高く評価し好む人も多く、パーヴォ自身高く評価している作品とのことである。

今回の版は1877年第2稿に基づくキャラガン版。2月にバレンボイムがシュターツカペレ・ベルリンと来日してこの2番を演奏したときもこの版だった。ちなみにその日、パーヴォが会場にいたそうだ。

さて今日の演奏、この作品が好きになったかどうかは別として、非常に素晴らしい演奏であったことは確か。どこか、一本くっきりとした筋が通ったかのような、確固たる自信にあふれた推進力ある音楽で、造形の美しさが際立っている。

第2楽章と第3楽章はアタッカで演奏。第4楽章冒頭の旋律のメリハリがある表情にはっとさせられる。

 

16型オケは実に見事で、筋肉質なパーヴォの演奏スタイルを見事に体現している。特に充実しているのは輝かしく重量感がある金管で、私がN響を聴き始めてから、金管は今が最も充実していると言っても過言ではなかろう。トランペットのソロは東京フィルから移籍した長谷川智之氏。メンバー表上は未だノンタイトルだが、いずれ首席になるであろう。

 

ちなみに、今回の来日公演に際して、実に絶妙なタイミングでパーヴォ・ヤルヴィ指揮hr響(フランクフルト放送響)によるブルックナー2番の国内盤が発売。こちらも優れた演奏である。

 

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東京交響楽団第644回定期演奏会を、サントリーホールにて。

ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」作品24

(コンサート形式/字幕付)

 

指揮:ユベール・スダーン

ファウスト(テノール):マイケル・スパイアーズ

メフィストフェレス(バス):ミハイル・ペトレンコ

マルグリート(メゾ・ソプラノ):ソフィー・コッシュ

ブランデル(バス・バリトン):北川辰彦

児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)

混声合唱:東響コーラス(合唱指揮:安藤常光)

 

素晴らしい!

実を言うと、私はこの曲が苦手だった。聴かず嫌いだったと言うべきか…もちろん超有名な「ラコッツィ行進曲」はもちろん、「妖精の踊り」「鬼火のメヌエット」も知っていたのだが…全曲に関しては実演でデュトワN響を聴いていたのだが、そのときは予習していなかったせいもあって全く記憶がない。

しかし、今回の公演にあたってベルリン・フィルのデジタルコンサートホールで歌詞とともにしっかり予習。こんな素晴らしい曲を聴かず嫌いだったことを後悔した。

 

この日の公演、何より歌手が素晴らしい。

特にすごかったのがファウスト役のマイケル・スパイアーズ。既に30回以上この役を歌っているという。やわらかく伸びやかな高音が耳に心地よく、かなり高い音域でもファルセットを用いずになめらかに響かせるのはさすがだ。

マルグリート役のソフィー・コッシュ、比較的著名ながら実は初めて聴く歌手である。てっきりドイツ系でゾフィー・コッホと読むものと思っていたら、生粋のフランス人だそうだ。よく間違われるようである。マルグリートという役柄から言うとやや重いかもしれないのだが、深く熟した、味わいある声である。

メフィストフェレス役のミハイル・ペトレンコは日本でもおなじみで、初めて聴いたのは2002年の来日。ザルツブルク音楽祭も常連で今や著名歌手である。彼はメフィストフェレスを歌うのが初めてだそうで、それもあってかややぎこちなく感じられるところがあったが、会場全体を震わせるような朗々とした低音は見事である。彼の低音は、決して重すぎないのだ。それがいい。

ブランデルを歌った北川辰彦、悪くないけれど、スパイアーズ、ペトレンコのあとに聴くとちょっと声がこもっていて物足りなさが残ってしまった。

 

合唱は東響コーラスと、第4部に東京少年少女合唱隊(ここで児童合唱を入れるのは任意だそうだ)。東響コーラス、フランス語の歌詞を全曲完全暗譜でこなす努力にはいつもながら恐れ入ってしまう。若干ピッチが気になったところがあったのと、アインザッツの乱れがわずかにあったけれど、全体としてはいつもながら極めて素晴らしい出来である。第4部エピローグ、マルガリータの昇天における女声合唱と児童合唱の天国的な表現は実に美しく感動的!

 

東響の音がまた、ベルリオーズの明るく華やかな音に似合っている。艶やかで軽め。マルグリートが歌うトゥーレ王の歌(スダーンが語る通り、この曲はヴァイオリンが一音もない!)における青木さんのヴィオラソロ、やはりマルグリートが歌うロマンスと美しく絡む篠崎氏のイングリッシュホルンが素晴らしかった。

ユベール・スダーン、実はこうしたフランスものも得意で、ベルリオーズは好きらしく、彼の東響音楽監督ほぼ最後に演奏された「テ・デウム」も素晴らしい演奏であった。この日の演奏も、彼らしいとても丁寧できめ細かい音楽作りが感じられた。このスダーンの音作りに対する真摯な姿勢が、彼の音楽監督時代を通じて現在の東響の礎になっていることは間違いない。

 

オケは16型で、Pブロックに東響コーラスが配置され、舞台右手奥に児童合唱が置かれ、舞台の一番後ろ、つまりPブロックのすぐ前に独唱陣が配置されたが、独唱は指揮台の横に置いた方がよかったのではないか。独唱が聞こえづらいということは特になかったものの、サントリーホールのようなよく響くホールではもう少しクリアな声を聴きたいと思う。

 

東京都交響楽団第815回 定期演奏会Bシリーズ インバル80歳記念/都響デビュー25周年記念 をサントリーホールにて。

指揮/エリアフ・インバル

ヴァイオリン/オーギュスタン・デュメイ

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調 op.65

 

インバルの今回の都響来日公演の最後は、モーツァルトとショスタコーヴィチ。ショスタコーヴィチはエクストンからライヴ盤が続々登場しているが、今回もマイクがたくさん立っていたので録音されていたのであろう。

 

前半はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲3番。

ソロのデュメイは昔から私が大好きなヴァイオリニストだ。アルトゥール・グリュミオーに師事したフランコ・ベルギー派の正統的継承者である。相変わらず、シルクのようななめらかな美音!彼のモーツァルトは実演で初めて聴いたが、遊び心に満ちていて、楽しくて仕方なくなってしまう。

インバルの振る10型オケの伴奏がまた素晴らしい!出だしの音が音楽する愉悦に満ちあふれていて、嫌なことを全て忘れてしまいそうなぐらいに心地よい。インバル、なぜか今までモーツァルトはコンチェルトの伴奏ばかりで、交響曲を1回も聴いたことがない。これだけ素晴らしいモーツァルトを演奏するのに、彼の膨大なディスコグラフィーにモーツァルトの交響曲が(たぶん)ないのは意外。そのような状況で、来週大阪フィルでモーツァルトの25番の交響曲を聴けるのは楽しみである。

 

後半はショスタコーヴィチの8番。冒頭の低音弦楽器からして圧倒的な迫力で、有無を言わせぬ説得力があるのはいつも通りだ。インバルのショスタコーヴィチは極めて明快で、ある意味楽天的と言ってもいいかもしれないが、これはインバルのマーラーやブルックナーにも共通して言えることである。

ショスタコーヴィチの音楽と言うと、我々はどうしても「時代背景」に思いをはせるあまり、その音楽の中に悲劇性を見いだそうとしてしまいがち。しかし、ショスタコーヴィチ自身がそのような聴き方をして欲しかったのかどうかはわからない。

その点インバルは、ショスタコーヴィチをあくまでも純粋な一シンフォニストとして捉えているような気がする。「音のせぇるすまん」とも言うべきゲルギエフでさえ、ショスタコーヴィチを振ると深い悲しみを感じ取ることができるのであるが。

インバルが振ったときの都響の音は本当に違う。一本太い芯が通っている。低音弦楽器のごつごつとした手触りと、深い響きのティンパニによって縁取られた分厚い音響。各パートのソロも抜群に上手い。特に中川愛さんのピッコロは秀逸。第3楽章冒頭のヴィオラの刻みは、今まで聴いたあらゆる演奏の中でも最も激しくあまりに強烈。きっと私の目の錯覚だと思うのだが、ヴィオラのこの冒頭の刻み、全部下げ弓だったような…いや、さすがに気のせいか。

弦は16型。インバルは第1楽章と第2楽章をアタッカで続けて演奏したし、第3楽章〜第5楽章は元々続けて演奏されるので、パウゼは第2楽章の後に1ヶ所あるのみとなった。

 

会場は満員に近い。インバルが振るときの都響は会場が静かなことが多いが、今日もかなり静かであった。ソロ・カーテンコール1回。

東京二期会オペラ劇場 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を、東京文化会館にて(18日)。

指揮: ヘスス・ロペス=コボス

演出: ヴィリー・デッカー

演出補: シュテファン・ハインリッヒス

舞台美術: ヴォルフガング・グスマン

照明: ハンス・トェルステデ

 

合唱:二期会合唱団

管弦楽:読売日本交響楽団

 

トリスタン:ブライアン・レジスター

マルケ王:清水那由太

イゾルデ:横山恵子

クルヴェナール:大沼 徹

メーロト:今尾 滋

ブランゲーネ:加納悦子

 

今回の公演はダブルキャスト。今日はトリスタンにアメリカ人テナーのレジスターを配した公演。出演者のなかで、このレジスターと、指揮のコボス以外は基本オール日本人によるトリスタンの上演である。

今日の公演を観て、歌手もオケもほぼ日本人だけでこれだけ見事なトリスタンが上演できるようになったのだという感慨と、いや、音の厚みやうねり、歌手のスタミナなど総合的に見ればまだまだ課題は多いな、という思いが相半ばしたというのが正直なところである。

 

第1幕、歌手の声は予想外によく聞こえるし、みなとても上手であるし、オーケストラも上手くてよく鳴っているのであるが、どうも音楽が平坦でうねりやたたみかけるような情念が感じられない。テンポが遅めで緊迫感なし。これは指揮者の解釈のせいなのか、あるいは歌手に気を遣ってそういうテンポ設定をしているのか…?

そんなわけで、正直眠くなってしまった。歌手が幕切れに向かってスタミナ切れになっていったような…ちょっと、オケに音量で負けてしまった。そして、1幕エンディングで登場する金管のバンダがよく聞こえない。これは私の席(5階R)のせいか?

 

第2幕、緩めのテンポで始まって、第1幕と同じ調子かなあ、と思っていたのだが、愛の二重唱になって音楽が一変!オーケストラの音に深みが増し、しっとりと官能的な響きに変貌したのである。このあたりからだいぶ満足度が高くなってきた。

 

第3幕になると、オケも歌手もだいぶこなれてきていい感じになっていた。長いトリスタンとクルヴェナールのやりとりも不自然なところがない。エンディングの愛の死、打って変わってかなり速めのテンポになったのは歌手のことを考えてなのだろうか。しかし、なかなか感動的であった。

 

イゾルデ役は横山恵子。ドイツでの歌手生活が長かった方であるが、日本人歌手でこれだけのイゾルデが歌えるというのはやはりすごいことであろう。少なくとも5階で聴く限り声量が弱いということもない。ただ、声の厚みはやはり欧米のワーグナー歌手よりはやや薄め。最後の愛の死、はっきりと声が聞こえたのは素晴らしい。

トリスタン役はアメリカ人のレジスター。圧倒的迫力というわけでもなく、声量も欧米のワーグナー歌手のなかではそれほどあるとは言えないが、なかなかの美声である。第3幕のモノローグはそれなりの存在感を示していた。

マルケ王役の清水那由太は抜群の声量を誇り聴いていて気持ちいい。ただ、あとほんの少しだけ表現の深さがあるといいのだが。クルヴェナール役大沼徹、ブランゲーネ役のベテラン加納悦子も安定していて、日本人歌手の手堅さと水準の高さがわかる。

 

指揮のロペス・コボスはスペインの指揮者。かつてベルリン・ドイツ・オペラ、マドリード王立劇場のシェフを務めていたオペラ指揮者である。名前は前からよく知っていたのだが、彼の実演を聴くのはこれが2回目。2014年にN響定期に登場している。しかし、彼のトリスタンはあのカミソリのようなベームの演奏が好きな私の好みとはかなり違う…ちょっと緩い。

ただ、オケはとてもいい音を出していたと思う。ちょうど1年前に、音楽監督シルヴァン・カンブルランの指揮でセミ・ステージのトリスタンを上演したばかりのこのオケ、今時点でトリスタンを演奏したら日本で一番かもしれない。精妙な響きという点ではカンブルランの方が圧倒的であったが。

 

演出はヴィリー・デッカー。ライプツィヒ歌劇場との提携公演ということだが、この演出はなかなかよかった。シンプルで美しい舞台で、音楽を邪魔しない。トリスタンとイゾルデの衣装は赤系。それ以外の人は緑系。

オケピットに先端がせり出している菱形の床の上に、小舟が各幕で姿を変えながらも象徴的に配置されている。この小舟、井の頭公園に浮かんでいるような類いの舟。これは第1幕でも歌われているこのオペラの前史で、イゾルデが許嫁のモーロルトと戦って傷を負ったときに乗っていた小舟であろう。第2幕の愛の二重唱では、二人はこの小舟に乗って歌い、第3幕では真っ二つに裂かれた小舟にトリスタンが横たわる。2本の長いオールも象徴的に扱われている。

特に第2幕の愛の二重唱における舞台の美しさは特筆すべきものであった。おそらくそれほどのコストはかかっていないような気がするが、バイロイトのカタリーナ・ワーグナーの、カネをかけてはいるが非常に悪趣味な演出よりこちらの方がずっと共感できる。

第2幕のエンディング、本来メーロトがトリスタンを傷つける場面では、トリスタンが剣で自らの目を傷つけ、イゾルデもそれに倣うのだ。そして第3幕では、トリスタンもイゾルデも、黒い目隠しのような帯を目に着けて登場するのである。これが何を表現したかったのか、プログラムノートを購入しなかったのでよくわからないのであるが。

 

今回の二期会公演、ダブルキャストで各2公演、合計4公演ということもあってか、客席はかなり空きが目立つ。

NHK交響楽団第1841回 定期公演 Bプログラム1日目をサントリーホールにて。

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

ムソルグスキー/交響詩「はげ山の一夜」(原典版「聖ヨハネ祭のはげ山の一夜」)

武満 徹/ア・ウェイ・ア・ローンII(1981)

武満 徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド(1991)

ムソルグスキー(リムスキー・コルサコフ編)/歌劇「ホヴァンシチナ」─ 第4幕 第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」

ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」

 

1年前からN響首席指揮者を務めるパーヴォ・ヤルヴィによる今シーズン最初のプログラムは、ムソルグスキーと武満徹を組み合わせた一見不思議なものである。

 

前半の2、3曲目に演奏されたのは今年没後20周年を迎える武満作品。

美しい!なんと素晴らしい音楽だろうか?

こんな独特な音を持った音楽を書く人は、後にも先にも武満徹以外いないであろう。武満の音楽はよくフランス音楽の文脈で語られることが多い。サイモン・ラトルもそういうことを言っていたと記憶する。しかし、音楽学的なことはわからないが、武満の音楽は全く独自の世界であって、どの文化圏にも属さない極めて特異なものであろうと思う。彼はその見た目通り「宇宙人」だったのかもしれない。

そして、パーヴォが振るタケミツがこんなに素晴らしいとは!なにより、オケの音がいい。ア・ウェイ・ア・ローンIIにおける弦の絶妙なバランスとしっとりした質感。ハウ・スロー・ザ・ウィンドにおいては、それに加えて絶妙な間合いと、会場の空気そのものを変質させてしまうかのような「気」のようなものさえ感じられる。

弦は対向配置で、8-7-6-5-4、6-6-4-4-2。

 

今日のプロではムソルグスキーが3曲演奏された。前半1曲目がムソルグスキーのオリジナル、後半の1曲目がリムスキー・コルサコフ編曲、最後がラヴェル編曲。

作品の解説にも書かれているが、オーケストラの魔術師であったリムスキー・コルサコフによるムソルグスキー作品の編曲や未完成作品の補完は、ムソルグスキー作品の紹介には貢献したものの、本来の独創性を阻害しているとも言われているらしい。そのような観点から、ムソルグスキー作品を原典版で演奏する潮流があって、その先駆者はクラウディオ・アバドであろう。1994 年のベルリン・フィル来日公演で今日と同じ「はげ山の一夜」の原典版を採り上げたり同じ1994年のウィーン国立歌劇場来日公演で「ボリス・ゴドゥノフ」の原典版を採り上げたりしていた(ちなみに私はどちらも聴いている)。

しかし個人的には、どこか土臭いムソルグスキーの原典版よりも、リムスキー・コルサコフ版の華麗な編曲の方が好きかもしれない…「はげ山の一夜」なんて、小さいときから聴き慣れたコルサコフ版の方が絶対にいいと思うのだが…(ちなみに、パーヴォ・ヤルヴィがかつてシンシナティ響と録音したムソルグスキーのアルバムでは、「はげ山」はコルサコフ編曲版である)。まあ、コルサコフ版の「はげ山」はもう別の曲と言ってもいいかもしれないのだが。

そんなわけで、今日のプログラムでも、ムソルグスキーは後半の2曲の方が耳あたりがよい。コルサコフ編曲の「ホヴァンシチナ」にしても、あまりに有名なラヴェル編の「展覧会の絵」も、色彩感がムソルグスキーのオリジナル管弦楽作品とはまるで違う。

今日の「展覧会の絵」、何よりトランペットの菊本氏があまりに素晴らしい!クラシックの世界では、日本で最高のトランペット奏者であろう。安定感があって、肝心なところで唸らせてくれるのである。

パーヴォらしく要所要所で引き締まった響きを聴くことができる演奏であった。ちなみに今回の定期、ソニークラシカルからライヴ録音が出るらしくマイクがたくさん立っていた。

 

今日は2日目からの振替だったため、だいぶ遠い席になってしまったのだが、意外に音は届いてきた。

 

東京都交響楽団 第813回 定期演奏会Cシリーズ インバル80歳記念/都響デビュー25周年記念 を、東京芸術劇場にて。

 

指揮/エリアフ・インバル

チェロ/ターニャ・テツラフ

 

エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 op.85

(ソリスト・アンコール)バッハ:チェロ組曲第3番〜サラバンド

シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944 《ザ・グレート》

 

今年はインバルが都響にデビューして25周年。今回の来日は3プログラムあり、この日はその最初のプログラムである。

 

前半、エルガーのソロを弾いたのはターニャ・テツラフ。テツラフといえば、日本では兄のクリスティアン・テツラフがより著名であるが、妹であるターニャはその兄とカルテットを組んで来日しているし、2014年12月にはパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとブラームスの二重協奏曲を共演している。そもそも彼女は、カンマーフィルハーモニーの首席チェリストでもあるのだ。

http://ameblo.jp/takemitsu189/entry-11964728724.html

そのテツラフが弾くエルガー、実に素晴らしい!実演で聴いたエルガーの協奏曲の中ではベストの演奏だ。

ターニャ、どちらかと言えば兄同様にかなり激しいスタイルの演奏様式だと思っていたのだが、今回のエルガーは深く暗めの色合いでしっとりした趣きを持つ。1776年製グァダニーニがエルガーの哀愁に満ちたサウンドに実によく合うのだ。

そして、オケパートがすごい。14型の規模で、極めて雄弁でメリハリがあるのだが、ソロとの絶妙な音量バランスを常に保っている。さすがは熟練のマエストロ、協奏曲でもこれだけのコントロールができるというのはただただ見事。

ターニャがアンコールで弾いたバッハ、もう泣きそうだった…

 

後半はシューベルトのグレイト。

インバルが振るシューベルト、私は2011年5月の5番しか聴いたことがなかったが、都響アーカイブによれば1997年5月の定期で7番「未完成」を振っているらしい。いずれにせよ、インバルのシューベルトはあまり聴いたことがないし、録音もなさそうなので、レパートリーではあるものの積極的に取り上げて来なかった、というところかもしれない。

しかし、この演奏がまたすごかった!インバルが振ると、都響の音は明らかに他の指揮者が振ったときと違う。今回の月刊都響のインタビューでマエストロは「リハーサルをする前と後とで、オーケストラが変わらない、ということは自分にとってあり得ない」と語っている。いい指揮者であれば当たり前と言えば当たり前のことであろうが、それが十分に実現できる指揮者は意外に多くないのではなかろうか。

16型倍管編成。倍管ゆえ、音のスケールが増してリッチになる上、第3楽章トリオのような木管が活躍する場面は極めて華やかになる。実に骨太で重厚なシューベルトで、独墺音楽の本流を行く演奏とでも言おうか。昨今のピリオド志向とは対極にある方向性だ。インバルは形式的な原典主義を極端に嫌う人で、「ここはこのように演奏すべきだ」という明快な主張が、説得力ある音楽につながっているのであろう。例えば、第1楽章コーダ直前の猛烈なアチェレランドなど、非常に効果的である。

オケは実に素晴らしい。第2楽章の広田さんのオーボエソロは最高であった。それにしても、インバルが振ったときの都響の音の密度は本当に驚くほどである。

 

インバルの今回の来日、あと2つのプログラムがあるが、私は後の方しかいけないのが残念。今後、都響とまだ演奏していない曲目を取り上げていくとのこと、これからも楽しみである。

N響90周年記念特別演奏会 マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」をNHKホールにて。

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

ソプラノ:エリン・ウォール

ソプラノ:アンジェラ・ミード

ソプラノ:クラウディア・ボイル

アルト:カタリーナ・ダライマン

アルト:アンネリー・ペーボ

テノール:ミヒャエル・シャーデ

バリトン:ミヒャエル・ナジ

バス:アイン・アンガー

合唱:新国立劇場合唱団

合唱:栗友会合唱団

児童合唱:NHK東京児童合唱団

 

今日の演奏を楽しみにしていたあまり、朝からマーラーの8番が頭の中でずっと鳴っていたのだが、その期待に違わず大変素晴らしく、立派な演奏だった!

普段デッドでスカスカな音しかしないNHKホールが狭く感じられる音圧。500人は超えるであろう出演者の気合いが感じられる演奏である。

 

マーラーの8番、これだけの大曲ゆえそうそう演奏される機会がないはずなのであるが、ここのところそれなりの頻度で実演を聴いている。

2014年3月 インバル/都響

2014年12月 ノット/東響

2016年7月 ハーディング/新日本フィル

まあ、昨年は一度もなかったのであるが。

 

パーヴォのマーラー8番、昨年2月に演奏されたあの強烈な1番「巨人」の尖った解釈に比べると、比較的安定してオーソドックスに近い解釈である。

しかし、オケ、合唱、独唱のバランスが最高によく、やはりこの指揮者の棒さばきが実に素晴らしいことがよくわかる。

祝祭的な高揚感で言えばインバルに軍配が上がるが、総合的な完成度の高さは圧倒的と言っていいだろう。

 

特に私が感心したのは独唱陣。かなりの水準であり、日本でこれだけの独唱でマーラー8番が聴けるのは珍しい。上記ノット/東響のときに匹敵するレベルである。

特に男声が素晴らしくて、バリトンのミヒャエル・ナジは出番が少ないながら美声で安定感が凄い。彼は、上記ハーディング/新日本フィルでも同じパートを歌っていて、わずか2ヶ月のインターバルで日本再登場である。

バスのアイン・アンガーは東京春音楽祭のタンホイザーで領主ヘルマンを歌っていた人。古くは小澤/ウィーン国立歌劇場来日公演のドン・ジョヴァンニで騎士長を歌っていたから、それなりのキャリアだ。こちらもそんなに目立つところが多くはないのだが、深く安定した声がいい。

そしてテノールは名手ミヒャエル・シャーデ! 20年にわたり、私はザルツブルク音楽祭を中心に10回以上聴いているが、見かけを含めだいぶ年をとったな、と感じる。しかしこのマーラー8番のあまりに無茶なテノールのパートを破綻なく歌ってくれたのは感謝すべきだろう。余談だがバーンスタイン/ウィーンフィルのザルツブルクライヴでは、テノールが破綻している。

 

女声歌手の中では、初めて聞く名前だったちょっと太めのアメリカ人歌手アンジェラ・ミードの深々として会場に響き渡る声が実に素晴らしかった。エリン・ウォールは上記ノットのマーラー8番でも同じパートを歌っているし、この人は来日公演での出演がとても多い。ダライマンの味わい深い声も魅力的。

 

合唱はあれだけの人数で実によくコントロールされていた。人数の割には、各パートの声がとても明瞭に分離していたのは特筆に値する。児童合唱はNHK東京児童合唱団。舞台の中央に位置し、まさに天上の声だが、あまり声が幼すぎないのがかえってよかった。

 

そしてオケ。やはりN響はすごい!弦は18型(コントラバス9)対向配置、コンマスは篠崎・伊藤ツートップ。

全体のバランスが抜群にいい上、ソロが上手い。特にトランペットはまさにこの曲にふさわしい響き!今、日本のオケで最高のトランペットはN響の菊本氏であろう。バンダは私の席(1階最後列中央)からは見えなかったが、3階右手だったようだ。

 

パーヴォの指揮はいつもながらとても淡々としているが、ときとして鋭いキュー出しをする。熱くなりすぎることがなく最後までクールなのはいかにもこの指揮者らしい。

 

これだけの高水準の演奏ゆえなのか、いつものN響定期とは見違えるほどの静かな会場。第2部が始まる直前に上の方で携帯が鳴って、パーヴォがちょっとそれを意識して開始を少しだけ遅らせるということはあったのだが、第2部のエンディングでもしばらく拍手が起こらず余韻(といってもNHKホールなのでほとんど残響はないのだが)に浸ることができたのはとても素晴らしかった。

 

それにしても、やはりマーラーが書いたこの大作は何度聴いてもすごい…もう一度すぐにこの曲を聴きたいと思う。

 

 

 

 

 

ユジャ・ワンのリサイタルをサントリーホールにて。曲目は直前に決まった。

 

シューマン:クライスレリアーナ op.16

カプースチン:変奏曲 op.41

ショパン:バラード第1番 ト短調 op.23

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」

(アンコール)

シューベルト(リスト編):糸をつむぐグレートヒェン 

プロコフィエフ:トッカータ(ピアノ・ソナタ第7番より第3楽章)

ビゼー(ホロヴィッツ編):カルメンの主題による変奏曲

モーツァルト(ヴォロドス/サイ編):トルコ行進曲

カプースチン:トッカティーナ op.40

ラフマニノフ:悲歌 op.3-1

グルック(ズガンバーティ編):メロディ

 

当初の発表曲目は下記の通り。

スクリャービン:ピアノ・ソナタ第4番 嬰ヘ長調 op.30

ショパン:即興曲第2番 嬰ヘ長調 op.36、即興曲第3番 変ト長調 op.51

グラナドス:「ゴイェスカス」から ともしびのファンダンゴ、わら人形

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op.106「ハンマークラヴィーア」

(チケット発売時点での曲目はショパン、スクリャービン、バラキレフだったはず)

 

現代を代表する女流ピアニスト、中国出身のユジャ・ワン。

ある程度名前が知られているピアニストはみな天才であるが、その中でも彼女は頭一つも二つも抜きんでた、本物の天才である!

北京に生まれ、北京で音楽を学び、その後カーティス音楽院でゲイリー・グラフマンに学んだ彼女は、特段有名なコンクールに優勝しているわけではないが、間違いなく現代最高のピアニストの一人である。

 

今回の来日公演、神奈川県立音楽堂、日立システムズホール仙台におけるリサイタルの曲目が直前に変わったので、今日のサントリー公演も当然曲目変更だろうと思っていたが、発表されたのはまさに演奏開始直前の場内アナウンス。しかし、そのアナウンスでは、前半がクライスレリアーナ、後半がハンマークラヴィーアということで、カプースチンとショパンはそもそも案内されてもいなかったのだ。

 

最初のクライスレリアーナ。まさかユジャがシューマンを弾くとは…しかし、後半のベートーヴェンもそうだが、ユジャの弾くドイツ音楽は予想以上によかったのである。

いわゆる、独墺の正統派の演奏とはやはり違う。しかし、その音のクリスタルな輝きは、他のどのピアニストとも違った独自のものだ。

シューマンの音楽は、ファジーななかに漂うそこはかとないロマンティシズムが特徴的だ。しかし、ユジャのシューマンはちょっと違う。実にクリアなシューマンであり、霞のようなものがなく、澄み切った世界の音である。こうしたアプローチは好き嫌いが分かれるかもしれないのだが、私は予想以上に気に入ってしまった。ランランが弾くドイツ音楽よりも、ユジャが弾くドイツ音楽の方がずっと自分にはしっくり来る。

 

これで前半が終わりかと思いきや、いったんステージから去ったユジャはiPadを持って現れ、すぐに次の曲を弾き始めた。そう、旧ソ連時代からジャズのテイストを持った音楽を書き続けているニコライ・カプースチン(1937〜)の曲だ。ものすごい勢いで譜めくり(?)をしながらの演奏。こうした乗りの良い曲を弾いた方が、ユジャの本領が発揮されるのは言うまでもない。音が、本当にきらきらと輝き、無数のオタマジャクシが宙を飛び跳ねているかのようだ。

 

これで前半終わりかと思ったら、いったん引っ込んでまたすぐに次を弾きだした。今度はショパン。こちらも、普通のショパン演奏に比べると妖艶と言えるくらいの演奏スタイル。そのうえ、かっこいいのだ。

 

前半はカラフルなロングドレスだったが、後半はシルバーのきらきらしたロングドレスに着替えて登場。ヒールを履いているのは前半後半とも同じだ。

まさかユジャがハンマークラヴィーアを弾くとは思わなかったのであるが、こちらもクライスレリアーナ同様、意外によかったのである。

言うまでもないが、テクニックは圧倒的である。全体の構成もしっかりしている。ただ、細部の深い味わいはまだちょっと足りないところがある。ベートーヴェン弾きの大家に比べればまだ掘り下げが甘い。とはいえ、今後の発展が期待できる出来映えであることは間違いない。直前にベートーヴェンをプログラムに組んだうえ、さらに公演を目前に前半の曲目までシューマンに変えてしまったことを考えると、彼女も独墺系の正統派クラシックで勝負したがっているのは間違いない。これ以上、今までの路線(プロコフィエフ、ラフマニノフ、リストといった技巧を凝らしたヴィルトゥオーソ系)で進んだら、そのイメージが定着して払拭できなくなってしまうであろう。彼女も、変化する時期なのかもしれない。

 

しかしアンコールは従来の彼女の路線の音楽が目白押し。やっぱり、ユジャが弾くリストやプロコフィエフはすごい。特にプロコフィエフの7番の3楽章!ここまで精確で力強く、推進力ある音楽はそうそう聴けるものではない!ホロヴィッツ、ヴォロドス、サイと言った他の有名ピアニストの編曲を聴けるのもうれしかった。

 

9日名古屋、11日長野公演。迷っている方は是非行かれることをお勧めします。