東京交響楽団第641回定期演奏会を、サントリーホールにて。

指揮:ダニエーレ・ルスティオーニ
ヴァイオリン:フランチェスカ・デゴ

グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77

(ソリスト・アンコール)
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 op.27 「バラード」
パガニーニ:24のカプリース第16番 ト短調

チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」

イタリアの若手ヴァイオリニスト、フランチェスカ・デゴは名門ドイツ・グラモフォン・レーベルと契約してベートーヴェンのソナタをリリースしたばかり。一方のダニエーレ・ルスティオーニはイタリアの若手指揮者の三羽烏のなかの一人と言われているそうだ。三羽烏の残りの二人は、2011年にボローニャ歌劇場と来日したときに全然いいと思わなかったミケーレ・マリオッティと、ご存じ東京フィル首席客演指揮者であり、最近恐ろしく太くなったアンドレア・バッティストーニである。

鮮やかな「ルスランとリュドミラ」序曲に続いて演奏されたのは、ショスタコーヴィチの傑作、ヴァイオリン協奏曲第1番。上記のデゴとルスティオーニ、新婚夫婦が共演。デゴは白と黒の横縞で裾が非常に長い斬新なドレスをまとって登場。昨日のミューザ川崎公演とは別のドレスだそうだ。この斬新なドレス、誰のデザインなんだろうか?
さてこの演奏、大変期待していたのであるが、ショスタコーヴィチのこの作品が持つ深遠さは残念ながら全く聞こえてこなかった。デゴのソロ、音量はそれほどではないものの、表面的にはとても美しい。しかし強靱に心の奥底に訴えてくるものがない。夫君の指揮も華やかであるが掘り下げが弱い。というわけで、大好きな1番の協奏曲だったのだがまあまあであった。
若いヴァイオリニストと指揮者、ショスタコーヴィチが生きていた辛い時代など当然知るよしもないのだが(ちなみに私はショスタコーヴィチと人生が10年かぶっている)、若いヒラリー・ハーンの演奏はものすごかったから、単に譜面の読み込み方とか表現力・表現意欲の問題なのかもしれない。
デゴのソロは、ショスタコーヴィチよりもむしろアンコールのイザイ、パガニーニの方が断然よくて、彼女の明るく軽めの音はこうした曲の方が断然マッチしていた。

ところが後半の悲愴交響曲、こちらがとてもよかったのである。
若手イタリア人指揮者ということで、かつてのムーティに代表されるように、熱血漢で切っ先鋭い表現を好むのかと思いきや、音の作り方は落ち着いている。しかしデュナーミクの幅はとても広くて、弱音の研ぎ澄まされた美しさはなかなかのものであるし、トゥッティにおける音の輝きも特筆ものである。オケのポテンシャルを最大限に引き出した素晴らしい演奏。過度にセンチメンタルになることがないが、イタリア人らしいこぶしも効いていたように思う。
オケがとても素晴らしくて、前半のショスタコーヴィチではもう少し硬くごつい音が欲しいと思ったチェロとコントラバスが、この悲愴では実に豊かで味わいのある音を出していて、第2楽章の旋律など最高だった。

ルスランと悲愴が14型通常配置(コントラバスは7)、ショスタコーヴィチは12型通常配置(コントラバスは6)。悲愴、14型であの音圧とデュナーミクはすごい。


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読売日本交響楽団第559回定期演奏会を、サントリーホールにて。指揮は音楽監督のシルヴァン・カンブルラン。

ベルリオーズ:序曲「宗教裁判官」 作品3
デュティユー:チェロ協奏曲「遥かなる遠い世界」(Vc:ジャン=ギアン・ケラス)
(アンコール)バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番から「プレリュード」
ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 「ワーグナー」(第3稿)

フランス人指揮者で現代音楽を得意とし、シュトゥットガルト歌劇場のGMD(音楽総監督)であるシルヴァン・カンブルランのブルックナーというのは、ちょっと意外といえば意外。読響では、昨年4月に7番を演奏していて私も聴いているが、昨年のことだというのに、びっくりするくらいその演奏について何も覚えていない。そのときの感想はこちら
http://ameblo.jp/takemitsu189/entry-12012792125.html

さて今回は3番。ここ数年、日本で演奏頻度が増えている曲であるが、版があまりにたくさんあって一筋縄ではいかないところだ。私が実演で聴いたことがあるのは
1998年 ブロムシュテット/N響(1873年ノヴァーク版)
2006年 同上(第1稿)
2007年 スクロヴァチェフスキ/読響(ノヴァーク版。1889年版だったと思われる)
2013年 マゼール/ミュンヘン・フィル(1889年ノヴァーク版)
2016年 バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン(1877年エーザー版)
今回は「第3稿」。大まかに言って版は3つあって、その最後の稿で、上記の中では1889年版がそれに当たる。2013年のマゼール最後の来日公演が壮絶な名演で、あれを超える演奏は今後出てこないだろう。
当初第2稿と発表されていたのが、最終的に第3稿での演奏となったようだが、カンブルラン自身まだこの曲をそれほど演奏していないのであろうか。しかし、カンブルランの流れるようなブルックナー、これはこれで意外によかったのである。
縦の線をかみしめるようなブルックナーとは違って比較的すいすいと流れていくのが心地よい。そしてトゥッティの音は濁らずなかなか絶妙なブレンドで、重厚感よりも抜けの良い明るさが感じられる。
オケの出来もなかなかよい。冒頭の有名なトランペットも、その後3本で吹奏されるフレーズも非常に深くいい音がした。

前半はフランス音楽2つ。艶やかで快活なベルリオーズに続いて演奏されたデュティユーの名作は、ケラスのチェロの音が素晴らしい!冒頭、やや暗く深い音で始まったのだがその後七変化し、コーヒーのような濃く苦みが効いた音からシャンパンのようなはじける音までを幅広く表現。
このデュティユー作品、聴感上は現代音楽ながら、様式は比較的古典的なのでとても聴きやすい音楽である。オケの明るめの音が作品に合っている。
ケラスがアンコールで弾いたバッハは、なんともしっとりとした軽めのテイスト。

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NHK交響楽団第1840回 定期公演 Bプログラム2日目をサントリーホールにて。指揮はウラディミール・アシュケナージ。
シューマン/交響曲 第2番 ハ長調 作品61
エルガー/交響曲 第2番 変ホ長調 作品63

2曲とも私の大好きな交響曲ゆえ大変に期待していたのであるが、「予想通り」まあまあの演奏である。
アシュケナージの指揮で大当たり、ということは過去にあまりなくて、ショスタコーヴィチの交響曲第13番はなかなか感動的だったのを覚えているぐらい。
「ピアニストにはユダヤ人か、ホモか、へたくその3種類しかいない」と言ったのはウラディミール・ホロヴィッツであるが、そのカテゴリーで言えば彼はユダヤ人で、ピアニストとしては大変優秀だと私も思うのだが、指揮者としてはどうもぱっとしない。

前半のシューマン、冒頭から管と弦のバランスに違和感が。管楽器の音が大きめで、弦の音が引っ込んでしまいあまり聞こえなかったのは、あえてそのようなバランスを意図したのだろうか。あるいはまさかとは思うが指揮者の耳が悪くなり始めたのか…後半は冒頭ほどではなかったが、全体としてそのようなバランスを維持していたようで、トランペットが朗々と鳴るところはまあ気持ちいい。ただ、音量の強弱の差があまりなくて、全体として平坦な印象に終始した。

後半のエルガー。どこかもの悲しくノスタルジックな旋律がちりばめられた名曲。大英帝国の衰退を思わせる音楽だが、なんとアリス・ステュアート・ワートレイという人妻へのエルガーのやるせない憧れが込められた作品だそうだ。弦のディヴィジ(パートをさらに複数に分割する書法)が多用され、厚い響きのオーケストレーションが魅力的だ。
こちらは前半に比べるとデュナーミクの幅が大きくなっている。拍の取り方が難しい曲に聞こえるが、N響にしてはややぎこちないような…各パートの音はとてもよいのだが。
エルガー演奏という点では、アシュケナージの演奏はちょっともやもやしていて、日本人の尾高忠明の鮮やかな演奏に及ばないように私には思える。尾高さんのエルガー2番、読響、N響それぞれを振った演奏を聴いているが、2009年に読響を振ったときの演奏は最高だった。

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読売日本交響楽団第188回マチネー・シリーズを、東京芸術劇場にて。

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ピアノ=ハヴィエル・ペリアネス

ストラヴィンスキー:管弦楽のための4つの練習曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」
(アンコール)ショパン:夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作)
ベートーヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」から
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

冒頭とトリにストラヴィンスキーを配置、間にベートーヴェンを挟むという意欲的プログラム。だったのだが、正直満足度はあまり高くない公演だった。

ストラヴィンスキーは2曲とも16型。
冒頭に演奏された4つのエチュード、ブーレーズがフランス国立管を振った「春の祭典」の余白に入っているので、曲は耳に馴染んでいるのだが、ブーレーズの音の密度が濃い演奏に比べると、カンブルランと読響の演奏は洗練されていて、フランス音楽のような色彩の豊かさを感じる。
最後に演奏された「火の鳥」も同様に、鮮やかな色彩が目に見えるような音である。「火の鳥の踊り」の最後の音で、ピアノの残響だけを残して、次の「王女たちのロンド」の冒頭のFis音につなげたのは面白かった。
しかし、なんというのだろうか、ルーティンワークのようであまり深い感動には至らない。いや、私の演奏会通いがルーティンワークだからそう感じるのか。そして、やはりこの東京芸術劇場というホールはあまりに響きすぎる。そして、客席のノイズはやはり酷い。

前半の2曲目の「皇帝」を弾いたのは、スペイン出身のハヴィエル・ペリアネス。今月末、ウィーン・フィルのマドリッド公演で、エストラーダの指揮でやはりベートーヴェンの4番を演奏する予定。コンマスにやたらにボディタッチをするところを見ると、この人もそうなのかも…と思ってしまった。
まあそれはさておき。ペリアネスの皇帝、かなり豪快で開放的で、多少粗削り。オケは12型で小ぶり、ティンパニは古楽器系の小さくて硬く締まった音のする楽器である。どうも、ピアニストと指揮者の方向性が定まらずなんとも中途半端な印象で、途中で退屈してしまった…
アンコールで弾いたショパンの方がベートーヴェンよりも繊細に聞こえた。
休憩後に演奏されたプロメテウスの創造物からの3曲、こちらも12型だったが、皇帝に比べるとずっと音が締まっている。フィナーレ、英雄交響曲の4楽章と全く同じテーマ。

同じ曲目を2日連続、東京芸術劇場で演奏するとあってか、結構空席が目立った。
それにしても、カンブルラン/読響、今まで結構聴いてきたが、正直印象に残っている演奏はほとんどない…



東京交響楽団によるミューザ川崎シンフォニーホール名曲全集第118回。
指揮:鈴木雅明
オルガン:鈴木優人

モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲 K.620
モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」
サン=サーンス:交響曲 第3番 ハ短調 作品78 「オルガン付き」

バッハ・コレギウム・ジャパンとの極めて優れたバッハ演奏で世界的に有名な鈴木雅明氏。最近、モダン・オーケストラを振ってロマン派音楽を指揮し始めているのは周知の通り。東京シティ・フィルの定期ではマーラーの1番を振っているし、同オケの来年2月の定期ではなんとウェーベルン、ベートーヴェン、バルトークを振る予定なのである。
考えてみれば、古楽のカリスマだった故ニコラウス・アーノンクールも、あるときからモダン・オケを振ってモーツァルトを演奏し始め、ついにはブラームスの交響曲、スメタナ「わが祖国」、そしてヴェルディの「アイーダ」まで録音するに至った。同じく古楽のカリスマ、ロジャー・ノリントンもマーラーやエルガー、ヴォーン・ウィリアムズを演奏している。
そのような流れを見れば、バッハ演奏の世界的権威である鈴木雅明がマーラーやサン=サーンスを演奏するのもありえないことではなかろう。

しかしながら、今日の演奏…疲れた。
なんというか、非常に力んだ演奏に聞こえた。聴いている方も疲れたが、演奏したオケもきっと疲れたのではないか。というか、サン=サーンスの最後の方は明らかに疲弊しているのがわかった…

前半のモーツァルト、弦は10-10-8-6-4通常配置。ノン・ヴィブラートである。聴いた印象は意外に普通。魔笛序曲、かなりスケールが大きく、金管のファンファーレなどもかなり堂々たる鳴らし方。ただなんというか、硬い。ちょっとオケのアンサンブルも乱れる。
続くジュピター、こちらもかなりの力演。全てのリピートを実施していたうえに力んだテンションが続いたので、疲れてしまった。鈴木氏の指揮、バッハのときこんなだったか忘れたが、とにかく振りが大きいのである。
トランペットは長い管のピリオド楽器。変ホ長調の魔笛とハ長調のジュピターで持ち替えていて、ジュピターの時はオーボエがトランペットの音合わせのためにCを吹いていたから、C管なんだろう。弦の音がオケ全体のなかではちょっと引っ込んで聞こえてやや薄め、物足りなさを感ずる。

後半はサン=サーンス。こちらの弦は12-12-10-8-7か。ティンパニ、前半の小さいものの代わりに、モダン楽器を使用。トランペットももちろんモダン楽器。
結構速めのテンポでぐいぐい進むが、そのうえかなり力んだところがあってやっぱり聴いていて疲れてしまった。オケも曲が進むにつれて疲れを見せ、結構荒れていた。
鈴木優人のオルガン、上手いのだろうけどオケからちょっと浮いた感じがするのはミューザのオルガンの音のせいなのだろうか。

というわけで100%納得、というわけにはいかない演奏であった。客席は結構埋まっていた。