東京都交響楽団第812回 定期演奏会Bシリーズをサントリーホールにて。指揮はニューヨーク・フィル音楽監督であるアラン・ギルバート。

 

モーツァルト:交響曲第25番 ト短調 K.183(173dB)

マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

 

先々週のノット/東響によるブルックナー8番とともに、今年のベストパフォーマンスに位置づけられそうな演奏会だった。素晴らしい!!マーラー5番の実演のなかでは、インバル/都響、インバル/フランクフルト放送響、ティルソン・トーマス/サンフランシスコ響、ルイージ/サイトウキネンに並ぶ超名演である。

 

アラン・ギルバート、現在ニューヨーク・フィルの音楽監督であるが、2016-2017シーズンを最後に退任することになっている。次に彼がどのポストに就くのか未だ発表されていない。見た目同様に大変大柄でドラマチックな音楽を作り上げる人であるが、同時に日本人的な繊細さを併せ持っていて、2014年にニューヨーク・フィルと来日したときの公演も忘れがたいし、2002年にN響を振ったときのショスタコーヴィチの4番も未だに記憶に新しい名演である。

 

さて、今回のメインはマーラー5番。アランの大きな身体とともに音楽は大きくうねり、圧倒的迫力をもって聞き手に迫る。特に第2楽章の起伏の激しさは、過去に聴いたあらゆる演奏を上回る壮絶なものだった。第1楽章の葬送行進曲、最初に現れる弦のフレーズは聴き取れないほどもやもやとしているし、木管の旋律はフレーズごとに区切って演奏させることによってさらに悲哀感を増す。第3楽章のリズムの処理が巧妙で一層のグロテスクさを増しているが、圧倒的なうねりも共存している。第4楽章のフレージングは独特の雰囲気があるが、ここでは吉野直子さんの透明なハープの音がとにかく素晴らしかった!ハープの音の違い、あまり自分にはわからないと思っていたが、やはり全然違うのである。第5楽章、圧倒的な推進力と迫力、エンディングの高揚感も見事である。

そして素晴らしいのがオーケストラ。やはり、都響のマーラーは驚くほどすごい。冒頭のソロから全曲を通してしなやかで見事な演奏を成し遂げたTp高橋さん、美しくかつ迫力あるソロを聴かせたHr西條さん。他のパートもみな驚くほど上手い。やはりこのオケはすごい。16型通常配置。

これだけの名演ゆえ、当然にアランに対するソロ・カーテンコールがあって、アランは高橋さんと西條さんを連れて登場。記憶に残る超名演だった。

 

前半に演奏されたモーツァルトの25番、こちらも素晴らしかった。やや速めのテンポ。弦は8-8-6-4-3という小編成で、フォルムがしっかりとしてタイトな印象である。広田さんのオーボエソロが非常に見事。

 

都響の聴衆はいつも静かだが、この日に限って静かなところで咳が多くて閉口。それにしても、アラン・ギルバート、もっと頻繁に都響を振って欲しいものである。

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フェスタサマーミューザ2016オープニングコンサート。指揮はジョナサン・ノット、管弦楽は東京交響楽団。

 

ヴィラ=ロボス:ニューヨーク・スカイライン・メロディ

アイヴズ:ニューイングランドの3つの場所

1. ボストン・コモンにおけるセント・ゴーデンズ(ショー大佐と黒人連隊)

2. コネチカット州レディング、パットナム将軍の野営地

3. ストックブリッジのフーサトニック川

ベートーヴェン:交響曲第6 番 ヘ長調 作品68「田園」

 

先週のブルックナー8番で驚異的な名演を披露してくれたこのコンビ。

今回の公演も期待したのだが、先週の公演があまりに素晴らし過ぎて、あれを超える演奏にはならなかったというのが正直な感想。

 

後半のベートーヴェン6番。冒頭の弦の美しく歌う様子を聴いて、音楽する喜びがびしびしと伝わってきたのであるが、その喜びが継続的に伝わってきたかというとやや微妙だった。弦の編成は12-12-8-6-5の対向配置なのだが、なぜか私の席では第1ヴァイオリンの音が引っ込んで聞こえてしまってややアンバランス。

とはいえ、木管と中心とした各楽器が伸びやかに歌い、きびきびとしてかつしなやかな音楽の流れはいかにもノットらしい。第3楽章のリズムの活気が特に印象的。

 

前半の20世紀音楽、冒頭のヴィラ=ロボス作品は短いながらニューヨークの摩天楼の壮観を彷彿とさせる名曲。

オルガンまで登場するアイヴス作品は彼らしくごった煮感満載の音楽だが、ノットの交通整理がしっかりしていてはっきりとした印象である。先週のブルックナー8番における腹立たしいフラブラに続き、この曲のエンディングではフライング拍手が…こちらは怒りが沸くというより、苦笑せざるを得ないといったところか…

 

今年のフェスタサマーミューザ2016は今のところ、これが最初で最後。

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東京交響楽団第642回定期演奏会を、サントリーホールにて。曲目はブルックナーの交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版第2稿)。

 

驚異的水準の名演である!今年のベストコンサート入りは間違いない。

ノットと東響のコンビ、今や最高の状態にあるといっていいのではなかろうか?日本のオケで、これだけのブルックナー8番が聴けるとはただただ驚きと言うしかなかろう。

東響のブルックナー8番、前任の音楽監督であるスダーンとの演奏も忘れがた

い。実演だけでなく、CDになっているセッション録音の完成度は驚異的だ。しかし今日のノットの演奏、スダーンの薫陶を受けたオケがさらにその先に歩みを進めた感がある。

 

ドイツ語圏のオペラハウスで研鑽を積み、主としてドイツ語圏でキャリアを築いてきたジョナサン・ノット。当然ブルックナーもレパートリーに入っているわけである。しかし、明日の公演があるよこすか芸術劇場ホームページに掲載されている音楽評論家松本學氏によるコラムによると、ノットが8番を演奏したのは2002年3月ルツェルン響との演奏と、今年の6、7月のバンベルク響引退公演しかないそうだ。ともにそのオケの任期の終盤で演奏されているのが興味深い。8番に特段の思い入れがあってこそ、演奏回数が少なく、そして重要な場面で演奏してきたということか。まあそのあたりは推測するしかない。

 

今日の驚異的に素晴らしい演奏。珍しく暗譜でないノット、特段変わったことをしているわけではない。極めてナチュラルで、テンポ設定は遅すぎず、速すぎずであるが、わずかに速めだろうか。他の指揮者で言うと、テンポ設定はハイティンクに近いか?オケの特性もあってとてもエレガントで流麗なアプローチである。強いて注文を付ければ、第4楽章最後のあの3つの音は速すぎる。もっとかみしめるように終わって欲しかった。フルトヴェングラー、バレンボイム同様速い。ただ、楽譜を見ると最初の2つの音は16分音符なので、譜面通りやると速くなるのだろう。

 

今日はオーケストラがとにかく素晴らしい!第3楽章のあの天国的な響きを聴いていて思ったのだが、オケのメンバーが催眠術にでもかかっているのではないかということ。オケ全体がジョナサン・ノットのマジックにかかってしまったのか?官能的で、とことん美しい響き。

全てのパートが最高水準の演奏を聴かせてくれたが、最高によかったのが金管、特にワーグナーチューバを含むホルンセクション。素晴らしい音色で、驚くほどの繊細さである。金管、トランペットもトロンボーンもチューバも、どんなに盛り上がってもうるさく鳴らないのがよかった。

素晴らしい弦セクションを引っ張るゲストコンマスは、ハノーファーNDRフィルハーモニーのコンサートマスター、林悠介氏。4月にもリゲティ、R・シュトラウスでノットと共演している。今日のブルックナーは、まるで海外のオケを聴いている錯覚に陥るほど、濃密な響きであった。このブルックナーの弦の響きを、10月のヨーロッパ公演のムジークフェラインで聴いてみたいものだった。

 

本日の公演、完売。東響が演奏するブルックナーで完売になったのは、朝比奈隆以来だそうだ。ということは、ユベール・スダーンのあの素晴らしいブルックナーは完売しなかったということである。

ブルックナー1曲の演奏会で完売するだけあり、客席はブルヲタが多く、ノイズは極めて少なかったが素晴らしい。

 

今日の演奏、客席の静かさも含めて全てがよかったが、第4楽章のあとのあの静寂を打ち破ったフライングブラボーだけは最悪である。あいつのせいで余韻がぶちこわし。Pブロック7列目にいたというあの男、今日マイクが入っていることを認識した上での確信犯だろう。自己顕示欲の塊。60ぐらいのオヤジらしい。私が言うまでもないが、CDを出す際はあのブラボーは絶対に消去すべきだろう。

 

 

 

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読売日本交響楽団第560回定期演奏会をサントリーホールにて。

指揮=コルネリウス・マイスター

ハイドン:交響曲第6番 ニ長調 「朝」

マーラー:交響曲第6番 イ短調 「悲劇的」

 

2017年から読響首席客演指揮者に就任するコルネリウス・マイスター、読響音楽監督カンブルランの後を襲って18/19シーズンからシュトゥットガルト歌劇場の音楽総監督に就任する逸材である。

彼の名前はウィーン放送交響楽団の首席指揮者として通の間では知られていた。しかしマイスターとウィーン放送響の来日公演、現代音楽が得意なオケにもかかわらず名曲プロばかりで行く気がせず、私が彼の指揮を聴くのは今回が初めて。

いや、驚いた。非常に才能ある指揮者である!シュトゥットガルト歌劇場のMDに就任するだけのことはあるな、というのが今日の感想。指揮振りはとても大柄で端正な印象だ。

 

前半のハイドンの初期交響曲、適当に流すのだろうと思っていたらこれが全く違う。冒頭の音があまりに小さくて聞こえないほどだったが、ハイドン演奏でこれほど繊細な弦を聴いたことがない。なんと優雅で、とことん美しいハイドンなのだろうか?私はハイドン苦手な方だが、こういう演奏で聴くと本当に感激してしまう。ハイドンの音楽がいかに調和の取れた美を持っているかがよくわかる名演である。10型。

 

後半のマーラー。今まで、こういうアプローチの6番は聴いたことがない。オーケストレーションの細部が、極めて明晰に浮き彫りにされていて、各パートが何をやっているのかが手に取るようにわかる演奏である。

弦は16型。前半からそうだが、第1、第2ヴァイオリンは対向配置で、ヴィオラが左手奥、チェロとコントラバスが右側にいる配置で、これはカンブルランがマーラーをやるときと同じ。このため、ヴィオラが舞台に向いていて、内声部がくっきりと聞こえたのがうれしい。通常聞こえないような細かいパッセージがはっきりと聞き取れたのだ。

弦以外でも、各セクションの分離が極めてよい。私の好きな演奏だとトランペットが強調されるような場面でも、マイスターは決してがなり立てない。むしろ控えめに吹かせるのだが、これは分離よく聴かせるための手段なのかもしれぬ。

テンポの揺らし方も、多くの指揮者とはちょっと違うやり方をしていて、ここは意外に淡々としているなと思ったら、ここで突然突っ走るのか、と思うようなところがあったりするのだ。

基本的に明晰な響きを追求するアプローチゆえ、最終楽章は冷静過ぎるきらいもあったのは事実。しかし、やりたいことがはっきりしているのはとても素晴らしいと思う。

マイスター、各楽章の終わりの余韻をかなり大事にしていて、指揮棒を下ろすまでの時間がとても長い。そして、各楽章の始まりも、会場が完全に静まってから棒を始めるのがとてもいいと思った。

 

今日のオケ、結構エキストラが多い。チェロの首席は遠藤真理さん。チェロセクションの音がとても太く、マーラーの第1楽章冒頭の音がとてもすっきりとしていながら太いのがよかった。読響、10月にチェロ首席のオーディションがあるが、その伏線か?フルート首席は日本フィルの真鍋恵子さん。

 

 

 

ベルリンフィル12人のチェリストたちの来日公演を、サントリーホールにて。プログラムのテーマは「パリ—ブエノスアイレス」。

フランセ: 朝のセレナーデ

フォーレ: 組曲『ドリー』から「子守歌」

: 組曲『ペレアスとメリザンド』から「シシリエンヌ」

スコット: パリの橋の下

ブールテイル: パリの花

ジロー: パリの空の下

ピアソラ: ルンファルド、レヴィラード

カルリ: パラ・オスヴァルド・タランティーノ

ピアソラ: 愛のデュオ

カルリ: ラ・ディクエラ

ピアソラ: ソレダード

サルガン: ドン・アグスティン・バルディ

ピアソラ: エスクアロ、現実との3分間

(アンコール)

ピアソラ:カランブレ

ピエール・ルイギ/エディット・ピアフ(詞):ばら色の人生

滝廉太郎/三枝成彰編曲:荒城の月

 

スーパーハイテクチェロ集団、ベルリンフィル12人のチェリストたちの公演を聴くのは、2004年、2006年に次いでもう10年振りである。

当時は第1首席に名手ゲオルク・ファウストがいた。彼は今だってまだ60歳ぐらいかと思うが、極めて残念なことに、いろいろあって今はチェロを弾いていないそうだ。

現在の第1首席はルートヴィヒ・クワントと、その弟子であるブリューノ・ドゥルプレール。二人とも音色は異なるものの、驚異的に素晴らしいチェロを弾くという点で共通している。私はかつて、クワントが弾くブラームスのピアノ協奏曲第2番第3楽章の、格調高く骨のある男性的なソロを聴いてほぼ泣きかけたことがある。

「第1」が付かない首席はマルティン・レーアと、ベルリンフィル・デジタルコンサートホールを運営する会社の取締役でもあるオラフ・マニンガー。これら首席奏者以外も、他のオケであれば首席になっているか、あるいはソリストとしてもやっていけるような実力の持ち主ばかりであることは言うまでもない。

 

12人が同じ楽器を奏でるなんて、単調になるのではないかと思ったら大間違いで、音色は多彩でカラフル。そのうえ、一人一人が超名手で超絶技巧の持ち主。ただただ舌も巻くばかりの壮絶な演奏である。これだけチェリストがいると、どうしても高音の音程が緩くなったりするものだが、彼らに関してはその心配はほぼないと言って良いだろう。

一人一人の上手さにも惚れ惚れするが、さらに驚くのはミニ・ベルリンフィルならではの合奏能力である。まさに、鉄壁のアンサンブル。指揮者がいないのになぜこれだけぴったり合うのか。そして、圧倒的な瞬発力でクレシェンドもディミヌエンドも自由自在。ピツィカートも気持ちいいくらいにぴたりとそろって響くし、わざと音程を狂わせるような部分でも、その狂った音程がメンバー間で揃っているようにすら感じられるほどである。

 

曲目はご覧の通りであるが、冒頭のフランセのオーバート、12人チェリストのために書かれたオリジナル曲で、15分からなるそこそこの大作。メインでもおかしくないこの曲が冒頭とは…「朝のセレナーデ」という題名にふさわしい、さわやかで味わい深く、そして粋な音楽である。

前半のこうしたフランス音楽の音色の明るさから、後半のピアソラの哀愁を帯びた曲想や快活なリズムまで、まあ何を弾いてもすごい…アンコールで演奏された「ばら色の人生」の冒頭のハーモニー、なんと色っぽいことだろうか…

 

 

 


アレクサンダー・ロマノフスキーのピアノ・リサイタルを紀尾井ホールにて。

シューマン:アラベスクOp.18,トッカータOp.7,謝肉祭Op.9
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
(アンコール)
ショパン:練習曲作品10~ハ短調「革命」
ショパン:夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」
リスト:超絶技巧練習曲第10番ヘ短調
スクリャービン:12の練習曲作品8~第12番嬰ニ短調
バッハ:管弦楽組曲第2番~バディネリ

ウクライナ出身、イタリア在住のピアニスト、ロマノフスキーのリサイタル。彼がオケと共演するのは何度か聴いているが、リサイタルは初めて。

前半のシューマン。今まで彼がオケと共演したときに聴いたのはラフマニノフとプロコフィエフというロシアものだけだったので、ドイツ音楽を聴くのは今回が初めてであったのだが…ちょっと違和感が残る演奏だった。
シューマンの音楽を、これほどまで華麗に、驚異的と言っていいまでの推進力でバリバリと弾くことが可能なのは確かにものすごいことであるが、シューマンの音楽はもっと内声部が美しく歌わなければダメだと思う。シューマンの音楽が持つ歌謡性はあまり感じられず、音色の深さもなかった。

後半はムソルグスキー。やはり、ロマノフスキーはこちらの方がしっくりくるのは間違いないのだが、彼の演奏にしては意外に粗削り。ペダルの使い方も、あえてわざと濁しているのかもしれないがちょっと雑に思われたし、ものすごいスピードでタッチが崩れている場面も多かったように思う。
それにしてもこの「展覧会の絵」、我々も演奏者も、ほとんどがラヴェル編曲のオケ版に親しんでいるはず。したがって、このピアノの原曲を聴いても、脳内ではオケが鳴っていることが多く、アルトサックスの音がかぶったり、シンバルが鳴ったりするわけである。そんなわけで、多くのピアノ原曲の演奏がラヴェルのオーケストレーションに影響を受けているし、ラヴェルのオケ版を知っている聴き手を想定して演奏していることは明らかだ。今回のロマノフスキーの演奏でも、私はオケの音色を脳内で重ねて聴いていた次第。

本プロは20時40分ぐらいには終わっていて、アンコールはなんと5曲。今回のリサイタル、このアンコールが一番よかったような…ここに来てやっと本調子になったような感じだった。ショパン、スクリャービンは彼のアンコール定番であるが、リストがまた壮絶。最後に弾いたバッハのバディネリはいったい誰の編曲だろうか?シロティ?ブゾーニ?こんなきらきらした編曲があるとは!


新日本フィル第560回サントリーホール・シリーズ。

マーラー作曲 交響曲第8番変ホ長調 『千人の交響曲』
指揮:ダニエル・ハーディング
罪深き女:エミリー・マギー
懺悔する女:ユリアーネ・バンゼ
栄光の聖母:市原 愛
サマリアの女:加納 悦子
エジプトのマリア:中島 郁子
マリア崇敬の博士:サイモン・オニール
法悦の教父:ミヒャエル・ナジ
瞑想する教父:シェンヤン
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山 文昭
児童合唱:東京少年少女合唱隊
児童合唱指揮:長谷川 久恵

ダニエル・ハーディングのMusic Partner of NJPとしての最後の演奏会。
今日のサントリーホール定期は、同じ曲をトリフォニー定期で2回演奏した後の演奏会ということで、オーケストラは初日よりだいぶよくなっていたように思う。

ウィーン・フィルとの楽友協会のコンサートとそれに続く演奏旅行をダニエーレ・ガッティがキャンセルし、楽友協会におけるカウフマンとの「大地の歌」をジョナサン・ノットが代役として振ったというニュースは知っていたが、それに続く演奏旅行のうち、6月27日のバルセロナ公演、28日のフィレンツェ公演はなんとダニエル・ハーディングが代役を務めていたのだ。
今回の一千人の初日は7月1日だったわけであるから、逆算すると今回この大曲のリハは1日しかなかったという計算になる。道理で初日のオケが荒れていたわけだ…私はこのことを今日まで全く知らなかった。
そのことを考慮すると、こんな大曲をそつなくまとめ上げたハーディングの手腕がさすがであることは確かだが…

いつものハーディングと異なり淡々とした指揮姿であったが、決して音楽がさめていたわけではない。第2部、冒頭は弦のトレモロが聞こえないくらいの音量で、ゆったりとした歩みから始まったが、歌が入ったあたりから音楽が活気を増して饒舌になり、熱くなっていった。
驚いたことに、第2部最後の「神秘の合唱」の冒頭部分、初日の印象とだいぶ違ってかなり音量が抑えられていたように聞こえたのだが、さらに驚いたのはその後のハーディングのアプローチ。なんでこんなにあっさりとサクサクと終わってしまうのだろう、というくらい淡泊でまっしぐらに進むエンディングだったのだ。今まで実演で聴いた一千人の中で最も淡泊な終わり方だろう。初日のトリフォニーはこんなに淡泊ではなかったように思うのだが…ホールの響きを考慮してアプローチを変えたのか、安全運転に走ったのか、私の単なる思い込みか、あるいはNJPとの5年間を締めくくるにあたっての彼の心境の表れなのか。
けしからんのは、音が鳴り終わった直後のフライング・ブラボー。未だにあんなブラボーをする輩がいるとは驚きである。

バンダの位置はトリフォニーと同じく、オルガンの左手。この位置だと、トリフォニーでもサントリーでも舞台に近すぎて、どうしても空間の拡がりが感じられない。やはりバンダは客席側に配置すべきだと思う。
栄光の聖母、トリフォニーではバンダの位置で歌ったが、サントリーではLAかLBあたりにいたようだ(LCの私の席からは全く見えなかった)。法悦の教父と瞑想の教父はトリフォニーのときと同様、第2部のソロの部分のみ指揮台の右手に移動。

独唱者、トリフォニー初日での印象と変わらないが、懺悔する女を歌ったバンゼが深みある声でよかったのと、やはり彫りの深い歌を聴かせたナジが印象深い。難易度の高いテノール(マリア崇敬の博士)のパートも、オニールだと落ちる心配はないが、やや細めで突き刺すような声質は好き嫌いが分かれるかもしれない。ちなみにオニール、9月27日日本フィルのインキネン首席指揮者就任披露演奏会では得意のワーグナーを歌うので、これは聞き逃せないだろう。日本人歌手では加納悦子の安定感あるアルト(サマリアの女)が印象的。

児童合唱は今日も非常に上手い。栗友会合唱団はときとして大味に思われるところもあったが、非常に健闘していたのではなかろうか。

終演後のハーディングは初日同様、大変に疲れ切った様子だった。
今日は最終公演ということでハーディングがマイクを持って通訳付でスピーチ。2011年3月11日、東日本大震災の日に共演が始まり、以来5年間でおよそ60公演を指揮したということだ。
ただ、その中で印象に残っている公演は正直、少ないのであるが…
オケと合唱団が引いた後も拍手は鳴り止まず、ソロ・カーテンコールとなった。

ハーディングはこの秋から名門パリ管のシェフに就任する。パリ管のシェフは、かつてカラヤン、ショルティ、バレンボイム、最近はパーヴォ・ヤルヴィが歴任した、大スター指揮者への登竜門だ。ハーディング、11月にはこのパリ管と来日してマーラー5番などを演奏することになっており、こちらも聞き逃せないだろう。



團伊玖磨「夕鶴」を新国立劇場オペラパレスにて。
作:木下順二
指揮:大友直人
演出:栗山民也
つう:腰越満美
与ひょう:鈴木 准
運ず:吉川健一
惣ど:久保和範
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

松村禎三「沈黙」と並んで日本オペラの傑作であると思われる「夕鶴」。
團伊玖磨(1924~2001)が1951年に完成させた木下順二作の戯曲に付けたオペラである。なんと團は30歳になる前にこの作品を作っていたことになる。すごい。
既に完成から60年以上が経ち定番化したオペラで、公演回数は既に800回を超えているそうだ。非常にわかりやすいストーリーと美しい音楽が人気の理由だろうか。
今回も、前回の2011年公演同様、字幕なしである。口語による戯曲であり、普通に聴いていて日本人であればほとんど理解できるからということであろう。
栗山民也の洗練された舞台装置がとても美しい。雪が降りつもるなか、空の色が夕日を反映してオレンジ色に染まったり、青や白に染まったりするのが単純であるがゆえに心にしみいる。

歌手はダブルキャスト。1日、3日公演は澤畑恵美、小原啓楼、谷 友博、峰茂樹というキャスト。私は前回公演における腰越満美さんに感服してしまったので、今回も腰越さんがいるキャストを選択した。
やはり、素晴らしい!リリカルでありながらかなり芯の強い声。そして、立ち居振る舞いのなんと美しいことか。実に優雅で品があって、動きが優しい。
与ひょう役の鈴木准、若く頼りないこの役に声も姿もマッチしている。声はソフトでリリカルであるがやや声量は弱いだろうか。私の席は1階の2列目ゆえそれほど違和感はなかったが。運ず、惣ども芸達者。
しかし、ほとんどの日本語は理解できたものの、やはり低音になると聞き取れないところもあったのは事実。
そして、ファイナルシーンは前回の方が感動的だったかもしれない。

オケは大友直人指揮の東京フィル。やや薄めながらなかなかいい音を出していたと思う。世田谷ジュニア合唱団の子供たちもとても上手い。

新日本フィル、第560回トリフォニー・シリーズ第1夜を、すみだトリフォニーホールにて。
マーラー:交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」

指揮: ダニエル・ハーディング
罪深き女: エミリー・マギー
懺悔する女: ユリアーネ・バンゼ
栄光の聖母: 市原 愛
サマリアの女: 加納 悦子
エジプトのマリア: 中島 郁子
マリア崇敬の博士: サイモン・オニール
法悦の教父: ミヒャエル・ナジ
瞑想する教父: シェンヤン
合唱: 栗友会合唱団
合唱指揮: 栗山 文昭
児童合唱: 東京少年少女合唱隊
児童合唱指揮: 長谷川 久恵

ダニエル・ハーディング、ミュージック・パートナー・オブNJP最後の公演は、マーラー一千人の交響曲。トリフォニー・シリーズで2回、サントリーホール・シリーズで1回、合計3回の公演の初日である。
トリフォニー1夜は若干の空席があるも、第2夜、サントリーホール定期は完売。やはり、ハーディングの人気と、マーラー8番の人気は大変なものがあるということであろう。

大作であるが、日本での演奏頻度は低いとまではいえないこの曲、我々は若杉、ベルティーニ、そしてインバルが振る都響の数々の名演を聴いているし、デュトワが振るN響の意外な名演や、最近ではジョナサン・ノットが東響を振った驚異的名演にも接している。果たして若き巨匠ハーディングがどのようなマーラー8番を作り上げるのか、多くのファンが注目していたはず。
さて、1日目の公演の私の印象だが、水準の高い独唱者、力強い合唱によって第2部の後半から、終結部の神秘の合唱に向かって感動が増していったのは確かではあるものの、100点とは言えない公演だった、というところか。
100点と言えない最大の原因はオーケストラである。一部のパートの音程に問題があるし、金管にはもう少しがんばってもらわないと困るだろう。もっとも3日ある公演の初日なので、改善が見込まれるところ。私は最終日のサントリー定期も行くのでとても期待している。

独唱者、高名な歌手をそろえていて、女声ではユリアーネ・バンゼの熟しているが伸びやかな声が印象に残り、男声ではワーグナーテナー、サイモン・オニールの突き抜けるような高音と、出番が少ないながら、つい先日素晴らしいクルヴェナールを聴いたばかりのミヒャエル・ナジの美声が印象に残った。
余談ながら、ユリアーネ・バンゼが歌手デビューしたベルリン・コミッシェ・オパーの魔笛、1989年の暮れに私は現地ベルリンで彼女のパミーナを聴いているのだ…まあ大した自慢ではないが。

栗友会の合唱はとても力強く安定している。神秘の合唱の冒頭はもう少し抑えてもよかったとは思うが、日本のアマチュア合唱団としてはかなりの出来映えだろう。そして、いつもいつも素晴らしいのは長谷川久恵指揮東京少年少女合唱隊。自分のデータベースを調べてみると、なんとこの児童合唱団の演奏、今回で40回目であった!特にマーラーの8番、3番といえばまずはこの合唱団であろう。トリフォニーホールでは、オルガンの右手に配置されていた。

バンダはオルガンの左手。市原愛が歌った栄光の聖母もこの位置だ。バンダ、第2部終結部ではややずれがあったが許容範囲。ただ、やはりバンダは客席側に位置した方が演奏効果は上がるような気がする。
この日の私の座席は2階中央。2階は完全に屋根を被っていることを忘れていた。場所のせいかもしれないが、オルガンがやや軽めに聞こえた。



フランス国立リヨン管弦楽団の来日公演をサントリーホールにて。
指揮: レナード・スラットキン
ヴァイオリン: ルノー・カプソン

ブラームス: 悲劇的序曲 op.81
ブルッフ: ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
(アンコール)マスネ:タイスの瞑想曲
ムソルグスキー: 組曲『展覧会の絵』(ラヴェル=スラットキン編)
(アンコール)
オッフェンバック:ホフマンの舟歌
スラットキン:ツイスト・カンカン

リヨン管、私が実演を聴くのはなんとたったの2回目であった。前回はなんと2007年、準メルクルが監督だったとき。2年前の現音楽監督スラットキンとの来日公演はなぜか聴いていない。
このオケ、同じリヨンの歌劇場のオケとは別団体。といっても、もとは同じオケだったものが分離したからさらにややこしい。歌劇場のオケも来日が多く、こちらは大野和士との来日が多かった。私は歌劇場のオケは結構聴いていたのだが、やはり今日のオケとごっちゃになっていた。

パリに次ぐフランスの大都市であるリヨンの名門オケであるが、今日の客席はかなり空席が目立ち、入りは6割強と言ったところか。指揮者がアメリカ人だからなのか、ラヴェル編曲の展覧会があるとはいえ、曲目にフランス音楽がないからなのか。

さて前半はドイツ音楽2曲。冒頭の悲劇的序曲を聴いて思ったのは、フランスのオケにしては結構重く渋めの音がするなというものだった。

2曲目のソロを弾いたのはルノー・カプソン。10年以上前から彼の演奏に接しているが、これほどまで素晴らしいと思ったのは今回が初めてである。こんないいヴァイオリニストだったっけ?
非常に安定した技術で音程も正確、太めの音で雄弁に語る音楽である。そのうえで華やかさも兼ね備えているのだ。私が以前聴いたときとは別人のように成長しているのがはっきりとわかる演奏だった。
この曲でもオケの音は結構渋く重めだ。
演奏が終わったあと、ハーピストが登場してその時点で予想できたのだが、アンコールはオケ伴付のタイスの瞑想曲だった。

後半は展覧会の絵。ラヴェル編曲なのだが、耳にしたことのない音が結構あって驚いた。あとで知ったのだが、ラヴェル編曲にさらにスラットキンが手を加えているとのこと。ムソルグスキーのピアノ原曲に対して、ラヴェルが改変したりカットしたりした部分を復元したうえで、ラヴェルのオーケストレーションをできるだけ活かしたということだ。このため、ビイドロ~リモージュの市場あたりの音楽は普段聴いているものとだいぶ違って聞こえた。

前半ドイツものだったからオケの音が重めに聞こえたのかと思ったのだが、後半のラヴェルのオーケストレーションを聴いても、我々日本人がフランスのオケからイメージする明るく繊細な音は聞こえてこなかった。むしろヴェールを被ったようなくぐもった音。これは意外であった。パリ管の都会的洗練とも、トゥールーズの土臭いまでの力強さとも違う。録音で聴く場合はともかく、フランスのオケを実際に聴くとこういうものなのかもしれない。フランスの粋で垢抜けた音は、フランスのオケよりもむしろカナダのモントリオール響の方が得意かもしれない。
冒頭のトランペットの音も、輝かしいというまでの華やかさはなくて、かなり渋めの音である。それにしても、日本のオケと違ってこういう場面ではらはらすることがないのはさすがだ。「キエフの大門」における金管のハーモニーが実にまろやかで、少し奥に引っ込んだような音がするのはとても不思議。一方「卵の殻をつけた雛の踊り」の木管はキレがなく少々危なっかしい。

アンコールはスラットキンの英語の説明で、2曲続けて演奏されたのだが、オッフェンバックのホフマンの舟歌と、やはりオッフェンバックの「天国と地獄」フレンチ・カンカンのアメリカン・バージョン。後者はスラットキンの編曲。実に面白い。

ちなみにこのオケ、コンサート・ミストレスであるジェニファー・ギルバート(今日は出演せず)は、ニューヨーク・フィル音楽監督であるアラン・ギルバートの妹。そして、ティンパニ奏者ブノワ・カンブルランは、シュトゥットガルト歌劇場音楽総監督・読響音楽監督シルヴァン・カンブルランの弟だそうだ。今日出演していたかどうか私にはわからないのだが。