• 23 Feb
    • パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響 武満、マーラー6番

      N響横浜スペシャル パーヴォ・ヤルヴィ指揮 マーラーの交響曲第6番「悲劇的」を、横浜みなとみらいホールにて。前プロは武満徹:弦楽のためのレクイエム。   2曲演奏されたのだが、休憩なしで演奏されたため、19時開演で終演は20時45分頃であった。   マーラーの6番、先日のC定期で演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第10番とともにN響欧州ツアー(2月28日〜3月8日)の曲目である。武満もロンドン公演のみ演奏される。そのようなわけで、今日明日の2日間は欧州公演の公開ゲネプロか…??   最初に演奏された武満、すでに日本のオケでは定番の曲目である。私は学生の頃から実演、録音でこの曲を聴いているけれど、今日のN響の演奏は武満演奏の極みに達しているようにすら思われる素晴らしいものであった。私が学生の頃聴いた日本のオケの弦レクの音はもっと貧弱で乾いたイメージだったのだ。16型で演奏される武満の音の芳醇さやしっとりとした官能性、実に驚嘆させられてしまう。   管楽器、打楽器奏者が加わって引き続き演奏されたマーラー6番。こちらも、オケの鳴りの良さは特筆すべきであり、弦楽器の濃密なアンサンブルや、強靱で立体感ある金管・打楽器セクション、伸びやかに歌う木管セクション全てが世界的な水準の演奏である。きっとヨーロッパの聴衆も驚くことであろう。   しかしその一方で、日本公演2回・ベルリン、ロンドン、ケルン公演計5公演の初日ということもあってだろうか、どうも強弱のメリハリがあまり感じられずのっぺりした印象があったのと、パーヴォらしくタメが全くなくすいすいと進んでいく演奏だったので、豊穣な音響に身を任せていたらあっという間に時間が過ぎ去ってしまった、というような印象だ。例えば、第4楽章のハンマーの直前など、もう少しタメを作ってくれた方が効果が倍増すると思うのだが。 演奏のメリハリは、今後回数を重ねているにつれてよくなっていくかもしれない。 あまり音楽にうねりがなく、直線的な推進力が優先するパーヴォの音楽作りの方向性からすると、おそらくマーラーの中ではこの6番は一番向いている方だろうと思う。   平日横浜公演ということもあって、客席は結構空いているが、聴衆のマナーはとてもよかった。第4楽章一番最後の静かな部分で、1階前方右側からどういうわけか足音を立てて出て行った非常識な客が一人いたのだが、どうしてあと10秒待てないのだろうか。信じられない。

      25
      4
      テーマ:
  • 21 Feb
    • ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢によるセビリアの理髪師

      オーケストラ・アンサンブル金沢 第386回定期公演フィルハーモニー・シリーズを、石川県立音楽堂コンサートホールにて。曲目はロッシーニ「セビリアの理髪師」(演奏会形式)。   指揮:マルク・ミンコフスキ 演出:イヴァン・アレクサンダー   アルマヴィーヴァ伯爵:デヴィッド・ポーティロ バルトロ:カルロ・レポーレ ロジーナ:セレーナ・マルフィ フィガロ:アンジェイ・フィロンチク バジーリオ:後藤春馬 ベルタ:小泉詠子 フィオレッロ:駒田敏章 合唱:金沢ロッシーニ特別合唱団 管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢   ミンコフスキが振るオーケストラ・アンサンブル金沢(以下、OEK)を聴きに金沢に遠征(前泊して温泉に浸かってから音楽鑑賞)。 OEKが優秀であることは前々から知ってはいたものの、今回の歌手はほとんど名前を知らなかったゆえ心配していたのだが、この歌手陣のレベルが驚くほど高く、満足度の高い公演となった。   フランス人指揮者のマルク・ミンコフスキ。古楽の分野では世界的に名前の知れた名指揮者である。私はルーヴル宮音楽隊との来日公演で彼の演奏を聴いたことがなかったわけではないが、都響への客演には行かなかった。モダンオケを振るミンコフスキにそれほど興味がなかったからだ。 しかし、昨年10月、ウィーンで彼が振るヘンデルのオペラ「アルチーナ」を観て心底感動…これは古楽器(ルーヴル宮音楽隊)の演奏だったが、長くて繰り返しが多く苦手意識を持っていたヘンデルの音楽は実はこんなにすごかったのか!と開眼させてくれたのである。それ以来ミンコフスキという指揮者に一目置くようになり、今回わざわざ金沢まで遠征した次第。   ミンコフスキの振るロッシーニ。OEKのような小編成のモダンオケを振ってオペラをやっても、やはりしなやかで優雅なアプローチだ。そして、とても心地よい快活さを持ったロッシーニ・クレッシェンドもこの上なく粋で上品である。 特にノン・ヴィブラートで演奏させているわけではなく、オケの自発性をとても大事にしているようで、オケのメンバーがとても生き生きと弾いているのが素晴らしかった。 小編成のオケは今更言うまでもないが極めて優秀で、コンミスであるアビゲイル・ヤングのもと、自発的な音楽を展開しているのが素晴らしい。   歌手はとてもレベルが高い。 アルマヴィーヴァ伯爵役デヴィッド・ポーティロ、軽めの若々しい声が心地よい。バルトロ役カルロ・レポーレの声はとても深く太く、雄弁で貫禄がある。声量も豊かで演技もとても上手だし、この日のイチオシかも。ロジーナ役のイタリア人歌手セレーナ・マルフィはとても色気がある熟した味わいの声で、舞台姿もとてもチャーミング。主役であるフィガロ役アンジェイ・フィロンチク の声は大変な美声で、フィガロには英雄的過ぎるくらい。押し出しも強くなかなかの歌手であり、今後有名になるかもしれない。 日本人歌手のレベルもとても高い。ドン・バジリオ役後藤春馬は細い身体から実に力強い声を出すし、1曲だけアリアを歌ったベルタ役小泉詠子も普通に巧いのだ。   演奏会形式ながら演技は普通にされていて、ないのはセットぐらい。いや、椅子やロジーナを拘束するためのロープ、伯爵が持つピストルぐらいはあるのだが、後は想像の世界。歌手は客席から舞台に登場したり、舞台から客席に去って行ったり、舞台後方のバルコニーあたりで歌ったりと、日本でよくある演奏会形式における演出なのだが、何回かこのオペラを観ている身としてはこのくらいで十分である。   初めて行った石川県立音楽堂、金沢駅の本当に目の前。新幹線を降りたら、5分後には客席に着けるであろう。コンサートホールはシューボックスタイプ。音響はなかなか素晴らしい。室内オケであるOEKの本拠地にふさわしく、室内オケ向けに適した1560席。   このような素晴らしい箱があり、その上小編成とは言え常設のOEKがあるとは、金沢はなんと音楽に恵まれた都市なのであろうか?あの松本市だって、箱はあるが常設オケはないのだ。 賛助会会員の団体一覧を見ると更に驚く。よくぞここまで集めた、というくらいの数多くの団体が名前を連ねているのだ。金沢発祥のアパグループなど地元の有力企業は当然として、大企業の石川県所在事業所や、鮨みつ川、料亭の浅田屋、金沢駅にあるおでんの黒百合などの銘店まで名を連ねている。OEK応援団も各界著名人が名を連ねているのは驚き。ちなみにこのオケの設立は1988年。結構前の話である。 ただ残念なことに客席の高齢化は東京以上で、したがって演奏中にノイズを発する迷惑老人の比率や迷惑度も東京以上。あと、せっかくの素晴らしいホールなのに、スケジュールを見るとがらがらなのだ。これは地方都市の素晴らしいホールに共通のことではあるのだが… しかし金沢は美味いものも多いし温泉もあるし、新幹線で東京から2時間半。いい公演があれば東京からオタクがある程度は集まることだろう。

      15
      テーマ:
  • 18 Feb
    • パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響 諏訪内が弾くシベリウスと、ショスタコーヴィチ10番

      NHK交響楽団第1857回 定期公演 Cプログラム1日目を、NHKホールにて。 指揮:パーヴォ・ヤルヴィ ヴァイオリン:諏訪内晶子   シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47 (アンコール)バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番〜ラルゴ ショスタコーヴィチ/交響曲 第10番 ホ短調 作品93   ますます快進撃を続けるパーヴォ・ヤルヴィとN響の定期、チケットはほぼ完売(2日目は完売)。   パーヴォ・ヤルヴィ、彼が住む英国のタイムズ紙の記事に取り上げられていて、その内容が興味深い。 http://www.thetimes.co.uk/article/paavo-jaervi-theres-a-fanaticism-about-music-here-that-is-lost-in-europe-wlwmwp7mp パーヴォは、西洋でほぼ絶滅しているクラシック音楽に対する熱狂が、ここ日本では未だ息づいているということを語っている。また、多くの西洋人にとって、世界最高のオケの一つが実際に東京にあるということは未だ信じがたいことのようだ、とも語っている。 そう、我々日本のクラオタは世界でもまれに見るクラシック音楽の熱狂的理解者なのだ。事実、クラシック音楽にふさわしいハイスペックなSACDが売れているのは日本だけみたいだし、パーヴォのCDも日本で一番売れているようだ。そして、日本、中でも東京のオーケストラのレベルは世界的に見ても相当高い水準にある。我々日本のクラオタの多くは、さらにその上のオケ(ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管、…)ばかり見ているのでその贅沢さに気づいていないのであるが。   そんなわけで、我々日本のクラオタのパーヴォに対する熱狂もすごいものがある。今回も、後半のショスタコ10番が終わった後の聴衆の熱狂ぶりはすごかった。 そのショスタコ10番、昨年はジョナサン・ノット指揮東京交響楽団の欧州ツアー、ヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団の定期で聴いたばかり。そのどちらも素晴らしかったのだが、今回のN響の演奏にはさらに度肝を抜かれたと言っていいだろう。N響の個々の指揮者のアプローチに対するフレキシビリティは驚異的である。今回の演奏、まるで重戦車が突き進んで行くような重量感があり、パーヴォの鋭角的なアプローチを見事に体現していた。特に弦楽器の、密度が濃くエッジの効いた表現は特筆すべきだろう。もちろん、重量感ある金管や、多少傷はあったものの細やかなパッセージを驚くほどの機敏さを持って吹きこなした木管も見事。そして、植松氏の超クールなティンパニを筆頭に、いつもながら全く不安を感じさせない打楽器セクションの安定感はただただ驚くばかりである。 パーヴォのテンポ、1〜3楽章はかなりきびきびとした印象があったが、4楽章は意外にどっしりしていたか。しかし、昨年末都響で聴いたフルシャもそうだったのだが、素晴らしい音の向こうから聞こえてくるはずの悲壮感、といったものはあまり感じられなかった。 東西冷戦は1989年に終わったわけだが、フルシャは旧共産圏のチェコ生まれとはいえ1981年生まれだから、冷戦時代の暗い時代はあまり記憶にないだろう。一方パーヴォは1962年に旧ソ連のエストニア共和国生まれ。父親の名指揮者ネーメは旧ソ連で苦労したようだが、パーヴォは18歳で家族とともにアメリカに亡命している。 演奏解釈とそうした生い立ちが関係しているなどと言えないのは百も承知ではあるが、それでも録音で聴くムラヴィンスキー、コンドラシン、バルシャイ、スヴェトラーノフなどソ連時代の指揮者や、1938年ソ連生まれのテミルカーノフの演奏を聴いたときのあの切迫感や悲壮感がないのは事実。今や音のセールスマンと言われる1953年オセチア生まれのゲルギエフの演奏も結構悲哀を感じることができる。ちなみに昨年東響で聴いた英国人ノットの演奏は、意外なまでに悲壮感を聴くことができたのであった。 そう、パーヴォのショスタコ10番は、そういう観点で聴く限り、結構からっとしていたのであった。とはいえ、聞こえてくる音の充実度合いはすごいものがあったと言えるだろう。   前半は諏訪内晶子が弾くシベリウス。彼女のシベリウスを聴くのはもう5回目だ。CDも出ている。 14型オケをバックに巨大NHKホールであれだけの凜とした音を奏でられる彼女はやはりすごい存在である。チャイコフスキー国際コンクールで優勝して以来、常に完璧で隙のない演奏を披露してきた彼女の演奏は、よく言えば彼女のルックス同様クール・ビューティであり、あえて言えば「完璧すぎる」演奏で冷たく機械的に感じたものだ。 彼女のヴァイオリンの音は、シベリウスの音楽の張り詰めた空気感にはぴったりである。しかし、今回のシベリウスを聴くと、その「完璧すぎる」という印象がいい意味でも悪い意味でも少し後退しているような感じがする。ある程度丸くなったというか、わずかに緩くなったというか…   さてパーヴォ・ヤルヴィとN響、2月からはサントリーホールが使えないため、B定期の代わりに来週みなとみらいホールで武満の弦楽のためのレクイエム、マーラーの6番を演奏する。今回のショスタコーヴィチ10番と来週のマーラーの6番は、2月28日から3月8日までの欧州ツアー(ベルリン、ルクセンブルク、パリ、アムステルダム、ウィーン、ケルン)に持って行く曲らしいが、ヨーロッパの人たちはN響の演奏するマーラーを聴いてどう思うのだろうか??きっと、度肝を抜かれるに違いないと私などは思うのだが。ちなみにウィーン公演はなんと、東響と同じショスタコーヴィチ10番!果たしてどういう演奏になるのだろうか。現地で聴けないのが残念。   ちなみに欧州公演のソリストはジャニーヌ・ヤンセン。パーヴォが共演する女性奏者は美人ばかりだ…

      18
      テーマ:
  • 15 Feb
    • マーク・パドモア、ティル・フェルナーによるシューベルト「冬の旅」

      マーク・パドモアのテノール、ティル・フェルナーのピアノで、シューベルトの「冬の旅」を、横浜みなとみらいホール小ホールにて。   「冬の旅」というと、フィッシャー・ディースカウやハンス・ホッターなどのバス、バリトン歌手による名唱が有名だし、最近でもゲルネ、ゲルハーヘルのようなバリトン歌手が歌う曲という印象が強く、テノールで聴く機会は少ない。しかし、シューベルト自身はテノールのためにこの曲を書いており、バリトンによって歌われる版はシューベルトが書いた原曲とキーが異なっているということは知っておくべきだろう。パドモアとフェルナーはインタビューで、シューベルトが書いた原曲のキーが重要だと語っている。 例えば「鬼火」(Irrlicht)、終曲の「辻音楽師」(Der Leiermann)の調性は未完成交響曲と同じロ短調。ロ短調は当時、死の調性であり滅多に使われなかったそうだ(梅津時比古氏の解説による)。これらの曲を、原曲のロ短調で聴くのは大変に意味があることだろう。ちなみにバリトンが歌う「辻音楽師」はト短調。 テノールが歌う「冬の旅」、録音だとヘフリガー、シュライアー、ボストリッジなどがある。   そのようなわけで私がテノールでこの曲を聴いたことはあまりなくて、実演では2回目。といっても、1回目はハンス・ツェンダー編曲のオケ伴奏版というキワモノであったのだが。 久々に聴くマーク・パドモアの声、テノールとはいえ実に渋い。決して美声とは言えないし、時としてかすれ気味になる。そのような声質ゆえ、失恋の苦悩を歌った前半よりも、より歌詞内容が虚無的で深遠になっていく後半の方が凄みと深みを増していった。そう、最後の数曲の迫力はただならぬものがあり、フェルナーの端正でバランスのよいピアノがこの音楽が持つ哀しさをより引き立てる。 終曲の「辻音楽師」、フェルナーが弾く正確な空虚五度に鳥肌が立った。   それにしてもシューベルト最晩年の作品の完成度の高さには驚く。最晩年といっても31歳。信じられない。   みなとみらいの小ホール、今回初めて入ったが、かなり小さいホールで座席数440。音響は悪くない。しかし今日の会場、ノイズは結構ひどかったな…

      18
      テーマ:
  • 12 Feb
    • パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響 ペルト、トゥール、シベリウス

      NHK交響楽団第1856回 定期公演 Aプログラム2日目をNHKホールにて。 指揮:パーヴォ・ヤルヴィ アコーディオン:クセニア・シドロヴァ   ペルト/シルエット ― ギュスターヴ・エッフェルへのオマージュ(2009)[日本初演] トゥール/アコーディオンと管弦楽のための「プロフェシー」(2007)[日本初演] (ソリスト・アンコール)レオクーナ:マラゲーニャ   シベリウス/交響曲 第2番 ニ長調 作品43   前半は首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィの地元エストニアの作曲家の作品。   アルヴォ・ペルト(1935〜)は一時期我が国で急激に人気が出た癒やし系、すなわちヒーリング・ミュージック系の作曲家。 「シルエット」はパーヴォがパリ管の音楽監督に就任したお祝いの作品だが、その音楽はやはりとても静謐であり、祝祭的な雰囲気の音楽ではない。16型N響の弦セクションの厚みある音が素晴らしい。この曲、パーヴォは指揮棒なしで、ヒーリング系の音楽ながらとても引き締まった音である。 今日の指揮者パーヴォの父親である名指揮者ネーメ・ヤルヴィは、旧ソ連時代に禁止されていたペルトを演奏してその後アメリカに亡命したそうだ。ちなみにネーメ・ヤルヴィ、2月24、25日のベルリン・ドイツ響との演奏会を病気でキャンセルした。79歳の高齢ゆえ心配である。   続いて演奏されたトゥール(1959〜)のアコーディオン協奏曲を弾いたのは、エストニアの隣国ラトヴィアの美人アコーディオン奏者クセニア・シドロヴァ。 http://www.ksenijasidorova.com 名門ドイツ・グラモフォンレーベルから、カルメンというアルバムを出したばかりである。 トゥールのこの協奏曲、とても気に入ってしまった。ペルト同様に非常に親しみやすい音楽であるし、リズムの変化がとてもクール。もう一度聴いてみたいと思わせる音楽である。弦は8-7-6-5-4と少なめで、管楽器と打楽器が活躍する。パーヴォはこの曲、指揮棒を用いて指揮。ここでも贅肉をそぎ落とした造形が美しいと同時に、パーヴォらしいリズムの切れの良さを実感できる演奏であった。 アコーディオン、中学のときに音楽の授業で弾いた楽器だ(ビゼーの「カルメン」前奏曲を弾いたはず)。しかし中学で弾いたアコーディオンは、右手は鍵盤を弾くものの左手はジャバラを開閉するだけだったと記憶する。ところが、シロドヴァが弾くアコーディオンは、左手もジャバラの開閉だけではなくボタンを押して音を奏でている!中学のときに私が弾かされていたアコーディオンは簡易版だったようだ。どうりで簡単だったわけだ。もっとも今日の演奏、アコーディオンという楽器に対して私が持っていたイメージとは異なる音だったと思う。1月定期で聴いたアランフェス協奏曲同様、PAが使用され、奏者の前にスピーカーが配置されていた。   後半はシベリウス2番。パーヴォらしく細かい部分にまで采配が行き届いていて、どのフレーズも当たり前に演奏されることはなく、きびきびとした運びの中でフレーズが熱く歌われるのが見事!金管の輝かしい音を聴くとうれしくなる。コントラバスとチェロのピツィカートが完璧でまるで一つの楽器に聞こえる。 オケが首席指揮者パーヴォの統率によくついて行っていて、気持ちがいいくらいにオケがまとまっている。 しかし。こういうあざとい系の演奏、私は大好きなはずなのだが、感動したか?と言われると実はそうでもなかった。もっとも最近何を聴いてもあまり感動しなくなってしまっているのではあるが。シベリウス2番だと、ブロムシュテットがこのオケを振った、宗教音楽に似た祈りに満ちた演奏が忘れられない。  

      25
      4
      テーマ:
    • 東響モーツァルト・マチネ第28回

      東京交響楽団第28回モーツァルト・マチネを、ミューザ川崎シンフォニーホールにて。   指揮:尾高忠明 ピアノ:北村朋幹 モーツァルト:交響曲 第32番 ト長調 K.318 モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467 モーツァルト:交響曲 第35番 ニ長調 K.385 『ハフナー』   尾高さんが振るモーツァルト・マチネ、意外にと言っては失礼だが結構客が入っている。 尾高さんが振るモーツァルトを聴くのは、なんと今回が2回目。1回目は去年、N響を振ったときで、チック・コリアと小曽根真が2台のピアノのための協奏曲を弾いたときのこと。シンフォニーを聴くのは今回が初めてだ。 今や日本では巨匠の域に達しつつある尾高忠明、彼が演奏するモーツァルトも最近の演奏の潮流に習って、ピリオド奏法を取り入れ、音の造形が引き締まったものになっていたのは興味深い。   日本のオケが演奏するモーツァルトのレベルが高く実に安心して聴けるのは、多くの日本人音楽家が小さいときからモーツァルトに親しんでいるからではなかろうか?ベートーヴェン然り。   北村朋幹(きたむらともき)が弾く21番のコンチェルトは実にはつらつとした表情が魅力的だ。転調を多用した独特なカデンツァが聴き所。

      8
      テーマ:
  • 11 Feb
    • 新国立劇場 蝶々夫人(千秋楽)

      新国立劇場、プッチーニ「蝶々夫人」(最終日)。   指 揮:フィリップ・オーギャン 演 出:栗山民也 美 術:島 次郎   蝶々夫人:安藤赴美子 ピンカートン:リッカルド・マッシ シャープレス:甲斐栄次郎 スズキ:山下牧子 ゴロー:松浦 健 ボンゾ:島村武男 神 官:大森いちえい ヤマドリ:吉川健一 ケート:佐藤路子 合唱指揮:三澤洋史 合 唱:新国立劇場合唱団 管弦楽:東京交響楽団   プッチーニの蝶々夫人を一言で言えば、現地妻が棄てられて自殺する話、ということになろうか。それはともかく、このオペラの舞台は日本の長崎であり、蝶々さんは大村の武士の娘。登場人物の大半が日本人であり、あとの登場人物は数人のアメリカ人ということになる。 しかしながら、このオペラはあくまでもイタリア語で歌われるイタリアオペラ。歌もオーケストラも、イタリアオペラの流儀に沿っていなければならぬ、というのが私の考えだ。 その観点からすると、今日の公演は全くイタリアオペラらしくない公演だった。フランスの名匠オーギャンが振るオケは、イタリアオペラらしい切れ味、メリハリ、ドラマ性が欠けている。 そして、歌手は総じて軽めでさっぱりしている。タイトルを歌った安藤赴美子は声が軽めだし、ピンカートン役のマッシはイタリア人歌手ながら声の色気や濃さが感じられない。そのため、重要な脇役であるスズキを歌った山下牧子とシャープレス役の甲斐栄次郎が、演技のうまさもあってかえって際立っていたと言える。   しかし、このオペラを日本人の立場で見た場合、欧米人が思い描く蝶々夫人像に違和感を覚えることが多く、日本人的な視点で見れば今日の公演は演出、音楽ともしっくり受け入れられるところが多かったのも事実。 例えばジャン・ピエール・ポネル演出、カラヤン指揮ウィーン・フィル、ミレッラ・フレーニが蝶々さんを、プラシド・ドミンゴがピンカートンを歌う映像があるが、これを観て違和感を覚えない日本人はいないであろう。信じられないくらい厚塗りの蝶々夫人。蝶々さんは15歳なのに…どこの国の人間だかわからない、意味不明の登場をする叔父のボンゾ。しかしこれが、欧米人が観た日本なのかもしれない。ポネル演出に限らず、海外の蝶々夫人の演出は日本人が観たとき違和感を感じるものが多いのだ。 その点、すでに新国立劇場にて6回目となる栗山民也演出の蝶々夫人は、欧米人の視点による日本のイメージが全く排除されているわけではないにせよ、我々日本人が観ても割とすんなりと受け入れられる演出になっている。シンプルでシックな舞台装置に、違和感なく受け入れられる衣装。イタリアオペラらしからぬ軽めの音楽も、その演出の方向性には合っていたと言っていいかもしれない。   土曜日公演ということもあって客席はほぼ満席。しかし、歌手に対する喝采は千秋楽にもかかわらず、新国立劇場の公演のなかでもかなり控えめ…

      14
      テーマ:
  • 10 Feb
    • 明日を担う音楽家たち2017 〜文化庁在外研修の成果〜

      明日を担う音楽家たち2017 〜文化庁在外研修の成果〜 を、東京オペラシティコンサートホールにて。 [出演] 川田修一(Tp)、宮西 純(Tu)、大野若菜(Va)、上村文乃(Vc)、入江一雄(Pf)、大井剛史(Cond)、新日本フィルハーモニー交響楽団 [曲目] ・テレマン:トランペット協奏曲ニ長調 ・ヴォーン・ウィリアムズ:チューバ協奏曲 ・バルトーク:ヴィオラ協奏曲 ・チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 ・  プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番変ニ長調   まさしく明日を担う超一流の若手演奏家たち。今日演奏した若手5名、いずれも驚くほどの技術水準を持つ演奏家たちで、こうした方々が育っているのは実にうれしいことである。 しかしその一方で…心を揺さぶられるような感銘を受けたかというと、そこまでではなかった。よく日本人音楽家は個性がないとか無機質だとか言われるが、この日の演奏を聴いて、そうした批判ももっともだと思ってしまったのだ。まあ、そもそも曲目がそれほどメジャーではないのだが(特に前半。後半はそれなりの名曲か)。 とはいえまだみなさん非常に若いので、これからの研鑽でカバーしていけばいいことである。   この日最大の目的は、3番目に演奏したヴィオラの大野若菜さん。ペルチャッハのブラームスコンクール優勝、ハンス・アイスラー音大在学中、そしてベルリン・フィル・カラヤン・アカデミー生で、昨年のベルリン・フィル来日公演のベートーヴェンチクルスにはほぼすべて乗っていた。ベルリン・フィルのデジタルコンサートホールにも結構登場している。 彼女の演奏、正直言って他の若手演奏家と比較すると頭一つも二つも抜きんでている。彼女のデビュー直後のリサイタルの演奏は実演で聴いているが、それと比べると明らかに音の深みが増して、演奏自体が相当熱く、表現は濃厚になっている。さらに興味深いことに彼女の弾く音が、師匠でありベルリン・フィル首席ヴィオラ奏者であるアミハイ・グロスや清水直子に似て、表面がきっちりと磨き上げられた芯のある音になってきているのが興味深い。あとはより一層の自己表現の深さと、はっちゃけた解放感があれば相当なところまで上り詰めるであろう。   オケは大井剛史指揮新日本フィル。エキストラが多いしやっつけ仕事のように感じられるところもあったが、演奏はいつもながら丁寧である。 東京オペラシティは意外なくらい人が入っていて盛況。しかし、サントリーホールが閉鎖されていると、本当に行く演奏会が減る…  

      16
      2
      テーマ:
  • 05 Feb
    • 鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」

      鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」を、東京オペラシティコンサートホールにて。   ソプラノ:アン=ヘレン・モーエン アルト:ロクサーナ・コンスタンティネスク テノール:ジェイムズ・ギルクリスト バス:ベンジャミン・ベヴァン     バッハ・コレギウム・ジャパンがベートーヴェンを演奏するのはなんと初めてのことらしいのだが、これはなかなかの名演であった!   ピリオド楽器によるベートーヴェンのミサ・ソレムニスというと、コアなファンであればアーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンによる2015年の録音が真っ先に思い浮かぶであろう。これはアーノンクール最後の録音であるが、このコンビがこの曲を演奏したのはなんと初めてだったようだ。 それ以外のピリオド楽器による演奏だとヘレヴェッヘ、ガーディナーの録音があるようだが、私は聴いたことがない。逆に言うと、ピリオド楽器によるCDはそのくらいしかなく、まして実演で聴ける機会などほとんどないのである。そのようなわけで、今回の演奏会は極めて貴重。この演奏はCD化されるようで、会場ではCD化のための寄付を募るチラシが配られていた。   さて、実際にピリオド楽器でベートーヴェン最晩年の傑作を聴くと、どういう印象になるのか。これが、実演で聴いてみても全く違和感がないというのが私の感想である。もっともそれは、私がモダン楽器によるベートーヴェン演奏のなかでも、ピリオド奏法を取り入れた演奏を好んで聴いている故なのかもしれない(ノリントン、パーヴォ・ヤルヴィなど)。 昔はこの曲をバーンスタイン、カラヤン、ショルティ、さらに古くはクレンペラーなどの巨匠の演奏でよく聴いていたわけであるが、そうした巨匠たちの、後期ロマン派に通じるロマンティックで壮大な演奏とはいうまでもなくまるで方向性の異なる演奏である。しかし、ベートーヴェンの音楽は、演奏スタイルに左右されることなく素晴らしく心に響くのである。 やや低めのピッチ(たぶん)とノン・ヴィブラート、演奏が難しいであろう管楽器の鮮烈な響き。かえって新しく聞こえるのはとても不思議である。 4人の独唱者のレベルが非常に高い。私は特にテノールのギルクリストの伸びやかな声が非常に気に入ってしまった。いかにも英国人テナーらしい生き生きと表情豊かな若々しい声、実はノリントン指揮N響で素晴らしいブリテンを聴いたことがあったのだ。余談だがこの人は医者だそうだ。   合唱も驚くほど見事だ。特に高い音を正確な音程でダイレクトに発声できるのがすごい。   それにしても、ベートーヴェンはミサ曲になんと高揚感あふれる音楽を付けたのだろうか。ミサ曲という感じが全くしないぐらいに、ハイテンションで華やかな音楽が連続しているのだろうか。とはいえ、ベネディクトゥスにおけるヴァイオリン・ソロを聴くといつも胸が熱くなる。

      27
      テーマ:
  • 03 Feb
    • カンブルラン指揮読売日響 メシアン:彼方の閃光

      読売日本交響楽団第566回定期演奏会を、サントリーホールにて。 指揮:シルヴァン・カンブルラン   メシアン:彼方の閃光 (Eclairs sur l'Au-Dela...)   日本のオケは今や相当巧くなったとはいえ、海外の一流オケに比べてしまうとまだまだ発展の余地がある。にもかかわらず私が日本のオケの定期に通う理由は、こういう曲、すなわちメシアンの最晩年の渋い管弦楽曲のようなマニアックな曲を取り上げてくれるからだ。かつてサイモン・ラトルが指摘していたように、日本に来る外来オケの演目は50くらいしかないのである。 メシアン最晩年の、渋い管弦楽曲。こういう曲をやってくれるのは本当にありがたいことだ。来日オーケストラがこのような曲を演奏するケースはほとんどない。 とはいえ、日本のオケの実演ですら、この曲を聴くのは初めて。同じメシアンでも、トゥーランガリーラ交響曲はしょっちゅうやっていると思うのだが。録音ではラトル指揮ベルリン・フィル、メッツマッハー指揮ウィーン・フィルの演奏がある。 全11曲からなる「彼方の閃光」はニューヨーク・フィル創立150周年委嘱作品で、メシアン最晩年の作。初演は1992年10月、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルによる演奏であったが、このときすでにメシアンは他界していた。 比較的初期のトゥーランガリーラ交響曲(1946)の、あの強烈な光と色彩に満ちたあまりに鮮やかな音楽に比べると、最晩年のこの作品は晦渋な部分が多く、メシアンの音楽の特長である色彩感は後退していて、むしろモノトーンの手触りがある曲だ。特に第6楽章あたりは晦渋の極みで、メシアンの音楽にしては正直つらく感じるところもあった。 フルート奏者だけで10名、クラリネット奏者だけで9名…というように、鳥の声を模した木管群は相当な人数。ほとんど木管だけで演奏される部分、ほとんど金管だけの部分、そして弦だけの部分(その多くの場面は、コントラバスがお休みなのだ)と、大編成オケながらなんとももったいない使い方…晩年のメシアンの達観がそこに見て取れる、とでも言おうか。   この長大かつ難解な音楽を見事に演奏しきったカンブルランと読響、素晴らしかった。音色の濃さや官能性は、事前に聴いていったメッツマッハー指揮ウィーン・フィルの演奏に比べるとさすがに一歩譲るのだが、精緻でダイナミック、そして機敏な演奏であった。   このような渋い曲であるにもかかわらず、会場に結構人が入っていたから不思議である。もっとも途中で出て行く人も少しいたが。   というわけで、私にとってのサントリーホール改修工事前のコンサートはこれで終わり。この素晴らしいホールとも半年間さようなら、である。

      18
      テーマ:
  • 31 Jan
    • 下野/N響 マルティヌー、フサ、ブラームス

      NHK交響楽団第1855回 定期公演 Aプログラム2日目を、NHKホールにて。   指揮:下野竜也 ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ   マルティヌー/リディツェへの追悼(1943) フサ/プラハ1968年のための音楽(管弦楽版╱1969) ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 (ソリスト・アンコール)イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番〜第4楽章   下野竜也らしい、凝ったプログラムである。前半はチェコの悲劇にちなんだ音楽。2曲とも、作曲者は国外にいて故国を思って作曲した音楽という共通点がある。しかし後半のブラームスはどういうつながりがあるのか、正直よくわからないのであるが…   このプログラム、前半が圧倒的によかった。 最初に演奏された「リディツェへの追悼」、2014年にヘンヒェン指揮読響で聴いたことがある。そのとき、この衝撃的な歴史上の事実に驚愕したことを覚えている。ナチスの親衛隊長ラインハルト・ハイドリヒを暗殺した部隊をかくまったというかどでヒトラーの怒りを買い、村民全員が虐殺されたうえに街を焼き尽くされ、地図上から消し去られてしまったリディツェという村を追悼した音楽である。 ちなみにこのリディツェの悲劇は「ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語」(ルパート・バトラー著、原書房)に詳しい(P166〜)。暗殺されたハイドリヒの父親は音楽学校の創設者で、彼自身ヴァイオリンを弾いたという。そういう人物が、ユダヤ人絶滅作戦を指揮したという事実。なぜ極めて優秀なドイツ人が国家的犯罪を犯してしまったのか。つくづく考えさせられる。 当時ナチを逃れアメリカに亡命していたマルティヌーが書いたこの音楽はまさしく追悼音楽で、怒りを抑えた、ただただ悲しい音楽。N響の弦の慈しむような響きが心の奥にしみいってくる。   2曲目のカレル・フサは昨年12月15日に他界したチェコ生まれのアメリカの作曲家。この曲は、フサがプラハの春事件に触発されて書いた音楽で、もとは吹奏楽曲だ。 1968年、「人間の顔をした社会主義」を標榜した「プラハの春」はワルシャワ条約機構軍によって阻止された。当時のチェコスロヴァキア首相ドゥプチェクは失脚し、営林署の一職員にまで格下げされたのだ(その後復権)。 学生のころ、この事件の映画(BBC制作だったか?)をテレビで見たが、ブレジネフ書記長が本物そっくりだったことをよく覚えている。まあ、どうでもいいが。さらにどうでもいいが、この事件を背景にした恋愛小説「プラハの春」もとても面白くてお勧め。著者の春江一也は1968年当時プラハにいた外交官だった。 音楽自体は12音技法が用いられていて、決してとっつきやすい音楽ではないし、晦渋である。にもかかわらず、この曲は非常に我々の心を打つ。自由が蹂躙されたことに対する怒りが曲の後半に向けて増幅し、最後にフス教徒の賛歌がユニゾンで高らかに奏される。スメタナが「わが祖国」で用いたあの旋律が最後に繰り返されるのは、チェコの人々の誇りを表しているようである。 N響がなんと熱く、フレキシブルに反応することか。感動的なエンディングに、聴衆の喝采もすごかった。下野さんはフサの楽譜を手にとって、作曲者への敬意を示していた。   後半はハンガリーのヴァイオリニスト、バラーティが弾くブラームス。彼の弾く音楽は美音であり、コクがあって押し出しが強いのが特長。細かいところでは不正確なところもなくはないのだが。アンコールで弾いたイザイがまたすごかった。 前半16型、後半14型。  

      19
      テーマ:
  • 29 Jan
    • 新国立劇場 カルメン(28日)

      新国立劇場オペラパレスにて、ビゼー「カルメン」(28日)。   指揮:イヴ・アベル 演出:鵜山 仁   カルメン:エレーナ・マクシモワ ドン・ホセ:マッシモ・ジョルダーノ エスカミーリョ:ガボール・ブレッツ ミカエラ:砂川涼子 スニガ:妻屋秀和 モラレス:星野 淳 ダンカイロ:北川辰彦 レメンダード:村上公太 フラスキータ:日比野 幸 メルセデス:金子美香 合唱指揮:三澤洋史 合 唱:新国立劇場合唱団 児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団 ダンサー:新国立劇場バレエ団 管弦楽:東京交響楽団   2007年のプルミエ以来、2010年、2014年と上演されてきた鵜山仁演出によるカルメンも今回で4回目。きわめてオーソドックスで美しい舞台で、何ら奇をてらったところがないが、いかにも日本人の視点で見たスペインの街の情景、といった感がある。ただ、この演出もそろそろ飽きてきたなというのが正直なところか。   歌手はこの劇場らしい安定した水準を保っている。タイトル役マクシモワ、特段のパンチは感じられないのだが、第3幕でドン・ホセと対峙して声を張るところはかなりの迫力だった。ドン・ホセ役のジョルダーノは美声でなかなか聴き応えあるが、この役としてはほんの少しだけ重いかもしれない。彼は2002年に新国立劇場「椿姫」でアルフレードを歌っていたようだから、それもそのはず。以前ザルツブルクで「フィガロの結婚」の庭師アントニオで出ていたのを聴いたことがあるエスカミーリョ役ブレッツは可もなく不可もなくというところか。ただ、このエスカミーリョ役は実演で聴いていいと思ったことはほとんどないのであるが。一番よかったのは、役得ではあるがミカエラ役の砂川涼子。なんと彼女は2002年の新国立劇場「カルメン」でもミカエラを歌っていた。そのようなわけで、ドン・ホセ同様この役としてはやや声が熟してきているが、第3幕のアリアは心にしみいる名唱であった。 そして付け加えなければならないのが、見せ場である第2幕の五重唱(カルメン、フラスキータ、メルセデス、ダンカイロ、レメンダード)。このアンサンブルはとても見事で、オケともきちんと合っていて気持ちいい。   この日の私の座席は1階前方のかなり右寄りだったため、オケのバランスについてはあまりコメントできない。実際、前奏曲では弦の旋律がまるで聞こえなかったのだ。しかし28日はすでに4公演目ということもあってか、かなりこなれた表現を聴くことができたように思う。合唱はいつもながら洗練されて艶があり美しい。

      24
      テーマ:
  • 26 Jan
    • ベルリン・フィル八重奏団

      ベルリン・フィル八重奏団を杉並公会堂にて。   ニールセン:軽快なセレナード (Cl. Fg. Hrn. Vc. Cb.) ドヴォルザーク(シェーファー編):5つのバガテル Op. 47(八重奏版) シューベルト:八重奏曲 D.803   樫本大進 (第1ヴァイオリン) ロマーノ・トマシーニ (第2ヴァイオリン) アミハイ・グロス (ヴィオラ) クリストフ・イゲルブリンク (チェロ) エスコ・ライネ (コントラバス) ヴェンツェル・フックス (クラリネット) シュテファン・ドール (ホルン) モル・ビロン (ファゴット)   ベルリン・フィルの超名手たちによる八重奏団を聴きに荻窪へ。 この八重奏団のメンバーの出身国は日本、イタリア、イスラエル、ドイツ、フィンランド、オーストリアと多岐にわたる。今回のたった8人を見てもそうなのだから、ベルリン・フィルがドイツを代表するオケであると同時に、実に国際色豊かなオケであることがよくわかる。 そのようなわけであるから、当然ながら奏でられる音は洗練され普遍的なものとなるのだが、それでもベルリン・フィルの鋼鉄のように強靱で、密度が濃く高解像度を誇る音が脈々と受け継がれているのはさすがと言うほかなかろう。   今日の演奏も、ミニ・ベルリン・フィルとでもいうべき隙のない鉄壁のアンサンブルを聴くことができたが、100人のフル・オーケストラであれだけのアンサンブルが実現できる彼らであるから、8人でそれができるのは当然と言えば当然。指揮者などいなくても、テンポ設定といい音の強弱といい、なんであそこまでぴったりできてしまうのか不思議である。   前半のニールセン、ドヴォルザークは実に愛すべき作品。民族主義的なドヴォルザークの音楽も、彼らの手にかかると非常に垢抜けて洗練された癒やしの音楽になるから不思議だ。 後半はシューベルトの八重奏曲。ベートーヴェンの七重奏曲と並んでウィーンの香り高いこの曲は、ウィーン室内合奏団のようなウィーン・フィルの名手たちの濃厚で馥郁たる演奏が最もしっくりくるのだが、ベルリン・フィルの名手たちによるしなやかで洗練を極めた演奏もやはり本当に素晴らしい!まあ、彼らであればこのくらいの演奏は当たり前にできるだろうけれど…   それにしても、荻窪駅から杉並公会堂への道のりの寒いこと…

      19
      テーマ:
  • 25 Jan
    • キット・アームストロング ピアノ・リサイタル

      キット・アームストロングのピアノ・リサイタル(浜離宮朝日ホール)。   バード:プレリュード、パヴァーヌ、ガイヤルド(“パーセニア”より) バード:ファンシー(“私のネヴェル夫人のヴァージナル曲集”より) モーツァルト:幻想曲とフーガ ハ長調 K. 394 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 K. 576 リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 リスト:巡礼の年 第3年より「エステ荘の噴水」 (アンコール) バッハ :プレリュードとフーガ第13番 トーマス・プレストン:ラ・ミ・レ   1992年ロサンゼルス生まれの天才ピアニスト、キット・アームストロング。パリ大学で数学を修め、ピアニストであると同時に作曲家でもある。2015年2月には秋山/東響と共演しブリテンの協奏曲を弾き、昨年11月のティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン来日公演では、キャンセルとなったイェフィム・ブロンフマンの代役としてティーレマンに抜擢されてベートーヴェンを弾いた。   さて今回のリサイタルだが、使用ピアノはベーゼンドルファー。そのようなわけで、日本のコンサートで聴くピアノで9割以上を占めているであろうスタインウェイとは全く別の手触りの音楽が展開された。   冒頭はアームストロングが好んで演奏するウィリアム・バードが2曲。なかなか実演で(しかもピアノで)聴く機会が少ない作曲家である。ベーゼンドルファーの深い音で聴くバードは憂いを帯びていてかつ典雅で麗しい音楽だ。16世紀の音楽が現代人である我々の心に深く訴えてくることに驚嘆してしまう。   続くモーツァルトも、普段聴く軽やかなタッチのモーツァルトとは別物。ベーゼンドルファー使用だからというのも大きいだろうが、幻想曲とフーガ ハ長調などはもうバッハの深遠に近い崇高な音楽になっている。これはモーツァルトなのか?もう1曲のモーツァルト最後のソナタ。晩年のモーツァルトの、長調にもかかわらずなぜか翳りを持った表情がなんとも言えずもの悲しい。 シュターツカペレ・ドレスデンと共演してベートーヴェンを弾いたときのアームストロングの演奏は、ティーレマンの濃厚かつ重厚なアプローチに比べるとやや軽めに聞こえたのであるが、それは彼の身体があまり大きくないこともあったかもしれない。あのときの演奏はスタインウェイの洗練された音だったがゆえにさらにそう感じた部分もあろう。今回のソロはまた印象が全く異なる。モーツァルトでこれだけ濃厚な音楽を作り上げることができるというのは相当ユニークなピアニストだと言っていいだろう。   後半はリスト。何度も実演で聴いているロ短調ソナタはいうまでもない超難曲。その多くは、圧倒的な技巧を駆使してヴィルトゥオーシティにあふれた快感を覚える演奏なのであるが、アームストロングの弾くロ短調ソナタは全く方向性が違う。 彼を発掘した大ピアニスト、アルフレート・ブレンデルのリスト演奏と同様に、テクニックをひけらかすところが全くない、内省的な演奏なのである。そして、まるでピエール・ブーレーズ指揮によるオーケストラ演奏のように、明晰でひとつひとつの音が存在感を主張しているのだ。非常に知的に構成され、考え抜かれたあげくに到達した極みの演奏であると思われ私は驚嘆してしまったのだが、前述のヴィルトゥーシティを求める方にはやや不満足な演奏だったかもしれない。大好きなエステ荘の噴水も、写実的というよりは心象風景を表している音楽であった。 いずれにしても、ベーゼンドルファーでリストを聴く経験はあまりないかもしれない。   アンコールはバッハと、16世紀の作曲家プレストンの曲。16世紀に書かれた音楽にしてはとても斬新に聞こえるのだが。

      18
      テーマ:
  • 22 Jan
    • 飯森/東響 シェエラザード、アレクサンドル・ネフスキー

      東京交響楽団東京オペラシティシリーズ 第95回。指揮:飯森範親合唱:東響コーラスメゾ・ソプラノ:エレーナ・オコリシェヴァ リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35プロコフィエフ:カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」作品78 ロシアもので、そこそこ長い曲が前半と後半に配置された重量級プロながら、多くのクラオタがインキネン/日フィルのブルックナー8番に行ってしまったと思われ、客席の入りはまずまず。 前半のシェエラザード、言うまでもなく個々の奏者の名人芸が試される曲であるが、その点東響の奏者たちの技術はたいしたものである。コンサートマスターのニキティン氏を始め、管楽器奏者たちのソロも、第3楽章の美しい歌を朗々と歌うチェロパートを始めつややかな弦セクションも素晴らしい。にもかかわらず、全体としてこの音楽が持つ濃厚な色彩があまり感じられないのは日本のオケの特質なのだろうか?なんというか、色が淡いのだ。よく言えば水彩画を見ているようであるが、「華麗なる音楽絵巻」というこの曲のイメージからするとちょっと淡泊な感は否めず。私はソヒエフ/トゥールーズ・キャピトル国立管による濃厚な色合いの超名演が忘れられずにいて、それと比較してしまうとどの演奏も色褪せて聞こえるのだが…休憩中に聞いたのだが、なんとこの曲の途中で4台のティンパニのうち1つの皮が破れてしまったそうだ。恥ずかしいことに私は聴いていて全く気がつかなかったのだが、ティンパニ奏者の新澤氏はなんと残りの3台でなんとかしたそうなのである。かっこよすぎる!やはりプロはすごい…後半は、休憩中に隣の新国立劇場からティンパニを持ってきたそうだ。 後半は東響コーラスが入ってのプロコフィエフ。エイゼンシテインの映画に付けられた映画音楽をカンタータに編み直した作品で、その曲名はよく知っているが実演で聴く機会はまれで、私はデュトワ/N響、東京混声合唱団による演奏しか聴いたことがない。やはり、合唱もメゾ・ソプラノもロシア語だし、日本で上演するにはなかなかハードルが高いのだろうか。録音だとやっぱりテミルカーノフとゲルギエフのものがある。こういう音楽、実演だとやはり非常に聴き応えがある。プロコフィエフが映画に付けた音楽が現代の映画音楽よりも濃厚に感じられるのは、やはり当時の映画の画面から得られる情報と、現代の映画の画面から得られる情報を比較したとき、当時の情報量の方が圧倒的に貧弱で、それを音楽で補う必要があったからなのではなかろうか。そして、ロシアの団体がこの音楽を演奏するよりも、日本のオケと優秀な合唱団が演奏した方が、アクの強さがなく洗練された印象がある。合唱は4声のバランスが非常によく、男声がうるさすぎないのがよい。 オケは前半後半とも14型。オペラシティではちょうどいい大きさか。 

      17
      テーマ:
  • 19 Jan
    • ロペス・コボス指揮N響 オール・レスピーギ

      NHK交響楽団第1854回 定期公演 Bプログラム1日目(サントリーホール)。 指揮:ヘスス・ロペス・コボスヴァイオリン*:アルベナ・ダナイローヴァ レスピーギ/グレゴリオ風の協奏曲*(アンコール)バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ラルゴレスピーギ/教会のステンドグラスレスピーギ/交響詩「ローマの祭り」 今回はオール・レスピーギ・プログラム。イタリアの作曲家、レスピーギ(1879~1936)の代表作といえば「ローマの泉」「ローマの松」「ローマの祭り」の、いわゆるローマ3部作。この3部作以外だと、私が知っているのは「リュートのための古風な舞曲とアリア」「鳥」そしてヴァイオリン・ソナタくらいのものだ。この時代のイタリア人なのにオペラを書いていないのか?と思ったら、そんなことはなくてオペラもそこそこは書いているのである。いやそれどころか、彼は管弦楽曲、協奏曲、合唱曲など多くの分野でかなりの数の曲を書いているのだ。今日演奏された3曲を聴いて痛感したのは、やはりレスピーギはローマ3部作が圧倒的な最高傑作である、ということ。ローマ3部作は通俗名曲の部類ながら、細かい部分の作り込みが心憎いほど見事だし、和声進行も聴き応えがある曲で、一度聴くとしばらくその音楽が頭のなかを巡り続けるほどのインパクトがある。「教会のステンドグラス」は家にあったアシュケナージ指揮オランダ放送フィルのCDで予習したときそれほどの曲だと思わなかったが、実演で聴いてもその印象はあまり変わらなかった。オルガンが登場し、派手なところはあるのだが…前半に演奏された「グレゴリオ風の協奏曲」を聴いても同じような印象。美しい旋律が連綿と続く佳曲ではあるが、起伏に乏しく確実に眠気に襲われる作品である。ウィーン・フィルのコンサート・ミストレスであるダナイローヴァが弾くソロは、わずかに音程の甘さを感じないわけではなかったが、ウィーンのコンミスらしく温かく柔らかな音であった。 指揮は76歳のスペイン人の巨匠、ヘスス・ロペス・コボス。この人の名前が有名なのは、ベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督だったことが大きいだろう。同オペラ来日公演の際、日本初のワーグナー「指環」通し上演をしたのもこの人だし、昨年二期会「トリスタンとイゾルデ」を振ったのもコボス。それ以外だと、かつてテラーク・レーベルから出ていたシンシナティ交響楽団とのマーラーの録音が有名だろうか。ロペス・コボスはシンシナティの音楽監督を長く務めていたのだ。そういう経歴やレパートリーからか、コボスはスペイン人でありながらラテン系の血がたぎるイメージからはほど遠い指揮者だ。実際、今日のレスピーギも全く派手に鳴らしまくることがなく実直で手堅いアプローチ。そういえば、見かけもラテン系というよりドイツ人っぽいかも。先週のN響C定期を振った、やはりスペイン人指揮者であるファンホ・メナの方が、ずっとラテン系気質が感じられる。ローマの祭りなど、ラテン系の熱血指揮者たち(たとえばエンリケ・バティスや、英国人ではあるがアントニオ・パッパーノなど)の切れ味鋭いアプローチとは対極にある、まるでドイツもののようにどっしりと構えた重厚な響きの演奏だったのである。 N響、いつもながら指揮者の個性に機敏に反応した音を奏でるのはさすがだ。先週メナが指揮したときとは全く音の系統が違う。バンダのトランペットは実に見事。というわけで、サントリーホール改修工事前のN響B定期は今回で終了。

      15
      2
      テーマ:
  • 18 Jan
    • 小菅優、秋山和慶/東響 メシアン、矢代秋雄、フローラン・シュミット

      東京交響楽団第648回 定期演奏会をサントリーホールにて。指揮:秋山和慶ピアノ:小菅優 メシアン:交響的瞑想「忘れられた捧げ物」矢代秋雄:ピアノ協奏曲(アンコール)メシアン:前奏曲集〜1.鳩フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」作品50 なんというマニアックで渋いプログラムであろう!一見して20世紀音楽だというのはわかるが、このプログラムに載っている3人の作曲家にはつながりがある。矢代秋雄がパリ音楽院に留学したときに教鞭を執っていたのがオリヴィエ・メシアンで、矢代もその授業に参加していた。そして、矢代の卒業作品である弦楽四重奏曲を認めた数少ない審査員の一人が、フローラン・シュミットということだ。なんともマニアックな関連性。 冒頭のメシアン作品、比較的実演でも聴く機会が多いである。この日の演奏、静の部分における弦の細やかな響きと動の部分におけるエネルギーの放出との対比が見事。 続く矢代秋雄の協奏曲、ソロを弾いた小菅優がいつもながらあまりに見事!昨年、新日本フィルの定期で下野竜也指揮でもこの曲を聴いたが、トーマス・ヘルのソロが非常に精緻だったことを覚えている。しかし、この日の小菅の演奏はその上を行くであろう。フランス仕込みの時代の先端を行く洗練に加えて、この音楽の根底にある日本人としての矜持が感じられるのだ。かねてから感じていることだが、小菅どのような作曲家の曲を演奏する場合でも、表面的な解釈にとどまらず音楽の本質をえぐり出すという点で、他の日本人ピアニストから別格の存在である。ちなみにこの曲は昨年亡くなった中村紘子が初演、私は学生の頃彼女の録音でよくこの曲を聴いたものである。アンコールで演奏されたメシアンがまた秀逸。小菅優がメシアンを弾くとは思わなかった。ぜひ20のまなざしあたりを弾いてもらいたいものだ。 後半はフローラン・シュミット「サロメの悲劇」。この曲の存在は学生時代から知ってはいた。EMIレーベルにマルティノンのLPがあったからだ。しかし曲を聴いたことは実はなくて、実演でももちろん初めてである。同じシュミットでもオーストリア人のフランツ・シュミットは交響曲や歌劇「ノートルダム」などが有名だが、フランス人のフローラン・シュミットはこの「サロメの悲劇」以外ほぼ知られていない。しかしこの曲、大変に素晴らしい!気に入ってしまった。題材はR・シュトラウスの「サロメ」と同じであるが、受ける印象はまるで違って華やかで粋な音楽である。小澤が病気がちになってしまった今日、5つ下で同じ齋藤秀雄門下生である秋山の存在意義はますます増していると言えよう。彼がこの曲を振ったことがあるのかどうか知らないが、実に器用にこなしてしまうからすごい。オケの洗練された響きがこの曲にマッチしている。最上氏が吹くイングリッシュ・ホルンの濃く太い音が実に見事。

      16
      テーマ:
  • 15 Jan
    • ファンホ・メナ/N響 ファリャ、ロドリーゴ、ドビュッシー

      NHK交響楽団第1853回 定期公演 Cプログラム2日目(NHKホール)。指揮:ファンホ・メナギター*:カニサレスファリャ/歌劇「はかない人生」─ 間奏曲とスペイン舞曲ロドリーゴ/アランフェス協奏曲*(アンコール)カニサレス:時への憧れドビュッシー/「映像」─「イベリア」ファリャ/バレエ組曲「三角帽子」第1部、第2部 N響新年最初の演奏会はスペインがテーマの名曲プロ。指揮者もソリストもスペイン人だ。しかしファリャもロドリーゴもフランスで音楽を学んでいるから、聞こえる音色は意外にフランス的でもある。 指揮はファンホ・メナ。昨年5月、ベルリン・フィル定期にこの指揮者がデビューしたときの演奏は、ベルリンフィル・デジタルコンサートホールで観ることができる。この日のN響の演奏を聴く限り、非常に輪郭がはっきりした明快な音楽を作る人であるという印象を受けた。その音楽の方向性はファリャの音楽にはきわめてマッチしていて、旋律をくっきりと浮き彫りにし、リズムの変化がスムーズで聴いていてとても気持ちがいい。そのようなアプローチゆえか、ドビュッシーさえもスペイン音楽のように聞こえてしまったのが面白いというか…第3曲「祭りの朝」は特に明快な切り口の演奏で、ドビュッシーのもやもやした感じがなく、繊細な味わいもやや欠落したように聞こえた。ちなみにメナ、協奏曲以外は全て暗譜での指揮。 前半2曲目に演奏されたアランフェス協奏曲を弾いたのはカニサレス。パコ・デ・ルシアのセカンドギタリストを務めた、もともとフラメンコ系の奏者だけあってか、この曲に込める情感がクラシック音楽系のギタリストとは全く異なるのが面白い。私が愛聴しているジョン・ウィリアムズの演奏が楷書なら、カニサレスの演奏は草書。実に哀愁が漂うしみじみした演奏。オケは12型に縮小(他の曲は16型)、ギターは当然ながらPA使用。アンコールはカニサレスの自作のアルバムからの1曲だった。 オケ、冒頭のファリャの弦楽器の音が驚くほどつややかだったのが印象的。NHKホールで聴いているとは思えないほど深くしっとりした音がしたのには驚いた。

      21
      テーマ:
  • 09 Jan
    • 吉野直子 ハープリサイタル

      音楽ファンの皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 新年の聴き初めは、吉野直子のハープ・リサイタル(サントリーホールブルーローズ)。 ブリテン: ハープのための組曲 op. 83クシェネク: ハープのためのソナタヒンデミット: ハープのためのソナタサルツェード: 古代様式の主題による変奏曲 シンティレーション「煌めき」                バラード(アンコール)サルツェード:つむじ風 ハープを伴う室内楽の演奏会に行ったことは結構あるが、ハープのリサイタルというのは意外なことに一度も行ったことがなかったような気がする。今回、前半ではブリテン、クシェネク、ヒンデミットという20世紀の著名作曲家(クシェネクは著名とは言えないかもしれないが)が書いたハープのためのオリジナル作品、後半はハーピストであったサルツェードの作品が演奏された。正直、前半の著名作曲家の作品の方を期待していたのであるが、実際には後半のサルツェード作品の方が、ハープという楽器の特性が最大限に発揮されていてずっと聴き応えがあった。 カルロス・サルツェード(1885〜1961)はバスク系フランス人のハーピストで、トスカニーニの招きで渡米しメトロポリタン歌劇場の首席ハーピストとなった人物だそうだ。私はハープという楽器のことをよく知らないのであるが、これほどまで多彩な音色が出せるとは!全く違う音色の音が、同時に別々の旋律を奏でるのには驚き。演奏された曲はどれも大変な技巧を要求される曲に違いないが、吉野さんの演奏を聴いていてもそれほど大変さを感じない。しかも(前半の曲も含めて)全て暗譜なのだ。まあ、ピアニストも普通完全暗譜ではあるが。残念ながら私の席からはペダリングが全く見えなかったのだが、ペダルの操作も相当なテクニックであったことだろう。 後半のサルツェードに比べると、前半に演奏された著名作曲家のオリジナル作品は聴感上地味なところがあり、正月ボケもあってちょっと眠くなってしまった…せっかくなのできちんと予習していくべきだった。著名な作曲家によるハープ・ソロのオリジナル作品は少ないのでこういう機会は貴重なはず。その中では、ヒンデミットの作品が非常に開放的な明るさに満ちた音楽で、あまりドイツ人の作品という感じがしないのが不思議。クシェネク作品は12音技法も登場するが、ハープという楽器で演奏されると尖ったところがなくなるから面白い。

      23
      テーマ:
  • 29 Dec
    • 2016年のベスト・コンサート

      ここ数年さぼっていたが、今年は音楽の友、モーストリークラシック同様に2016年のベストコンサートをあげてみたい。ただし、ベスト5となると選別が厳しいのでベスト10で。言うまでもないが私はただの一クラオタであり、以下の順位付けは当然ながら独断と偏見に満ちている。よって、公正な判断は評論家の先生方にお任せしたい。また、私の嗜好が主としてオーケストラやオペラであり、そのため室内楽やピアノの演奏会に行った回数自体が少ないこと、好きな作曲家が独墺系に極端に偏っていることも念のためにお伝えしておきます。 (2016年のコンサート・ベスト10)①   11/20 サントリーホール ワーグナー:ラインの黄金 (ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン)…現代最高のワーグナーを東京で聴けるとは!オケの鳴りっぷり、歌手のレベル、他を圧倒的に引き離している。②   4/10 東京文化会館 ワーグナー:ジークフリート(ヤノフスキ/NHK交響楽団)…N響が名匠のリードで驚きの演奏。タイトルを歌ったシャーガーが圧倒的。③   5/15 サントリーホール ベートーヴェン:交響曲第9番(ラトル/ベルリン・フィル)…ラトルならではの説得力ある解釈と、驚くべき熱演で忘れられない第九。④   7/16 サントリーホール ブルックナー:交響曲第8番(ノット/東京交響楽団)…前任のスダーンから引き継がれたこの音楽に対する真摯な姿勢と驚くべき完成度は、アプローチが異なるノット監督のもとでも健在!⑤   10/30 東京文化会館 R・シュトラウス:ナクソス島のアリアドネ(ヤノフスキ/ウィーン国立歌劇場)…名匠のもと奏でられる緊密なアンサンブルとウィーンならではの馥郁たる響き。歌手も最高!⑥   2/14 サントリーホール ブルックナー:交響曲第5番(バレンボイム/シュターツカペレ・ドレスデン)…倍管による壮大なスケールで、巨匠がこの曲をいかに愛しているかがよくわかる超名演。⑦   10/23 ウィーン国立歌劇場 ヘンデル:アルチーナ(ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊)…主不在のウィーンで聴いたヘンデル、完成度の高さとあまりの美しさに感激!ヘンデルを完全に見直した。歌手陣も秀逸。⑧   11/4 東京オペラシティコンサートホール ブルックナー:交響曲第7番他(ブロムシュテット/バンベルク交響楽団)…ブロムシュテットのブルックナーはやはり自然で神々しい。オケの重く密度の濃い響きがとてもよい。⑨   12/5 東京オペラシティコンサートホール シューマン:交響曲第3番他(パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン)…このコンビの相性の良さと、オケの驚くべき自発性に驚嘆。パーヴォはこのオケを振っているときが一番!⑩   4/2 ウィーン楽友協会大ホール マーラー:大地の歌他(K・ペトレンコ/ウィーン・フィル)…ペトレンコの音楽の切れの良さと、楽友協会で聴くマーラーの官能的な響きにノックアウト。 以上、①が突出しているが、②以降の順位はあまり意味がないかもしれない。こうしてみると全部独墺系音楽であり、我ながら呆れる。なかでもブルックナーがベスト10のうちに3公演もあるが、私はブルヲタではない。ちなみに高原英理著「不機嫌な姫とブルックナー団」は全てのブルヲタと、コンサート通いをするクラヲタが読むべき小説である。とても面白い。このほかにも印象的な演奏会はもちろんあって、ディオティマ弦楽四重奏団のシェーンベルクとブーレーズの連続演奏会、ユジャ・ワンのリサイタルや、ヒラリー・ハーンのリサイタルで聴いたバッハは忘れることができないであろう。 次に、2016年1年間の個人データをご参考までに記しておく。 ・2016年に行った演奏回数:172回(ラ・フォル・ジュルネ9公演を含む) ・  聴いたオケベスト5① 東京交響楽団27回② NHK交響楽団20回③ 東京都交響楽団13回④ シュターツカペレ・ベルリン 9回⑤ 読売日本交響楽団 8回⑤ 東京フィルハーモニー交響楽団 8回以上。我ながら非常に偏っている。ベルリン・フィルはこれに続く7回で、個人的にはベルリン・フィルを1年間でこんなに聴いたのは初めて。なおウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場管を同一オケとすると8公演となる。 ・  聴いた指揮者ベスト5① ジョナサン・ノット 12回② ダニエル・バレンボイム 9回③ パーヴォ・ヤルヴィ 8回④ サイモン・ラトル 6回④ ダニエル・ハーディング 6回以上。エリアフ・インバル5回がこれに続く。やはり偏っている。バレンボイム(とシュターツカペレ・ベルリン)が9回と多いのは、2月のブルックナー全曲チクルスの多くの公演と、10月下旬にベルリンでオペラ2公演を聴いたから。聴く音楽は独墺系が多いが、聴いた回数ベスト5指揮者に英国系(ノット、ラトル、ハーディング)が多く独墺系指揮者がいない不思議。 ・  聴いたコンサートホールベスト5①      サントリーホール 67回②      東京文化会館大ホール 16回③      ミューザ川崎シンフォニーホール 11回③      NHKホール 11回⑤      東京オペラシティコンサートホール 10回どうでもいいがこれはほぼ予想通り。好きでもないNHKホールがベスト5入りしたのは、N響定期があるゆえ。大好きなミューザ川崎が意外に少ないのは公演数が少ないゆえ。 ということでこうして統計を取ると自分の異常性に気づく。来年こそは回数を減らして行きたい。来年もよろしくお願いします。

      44
      テーマ:

プロフィール

Gustav

性別:
男性
お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
こんにちは。クラシック音楽を聴いているときが一番幸せです。N響ABC会員、東響賛助会員です。ついでに...

続きを見る >

読者になる

AD

カレンダー

1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

ランキング

総合ランキング
18190 位
総合月間
16669 位
音楽
199 位

ランキングトップへ

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。