東京交響楽団第640回定期演奏会をサントリーホールにて。
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
ピアノ:アレクサンダー・ロマノフスキー

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
(ソリスト・アンコール)
J.S.バッハ/シロティ編:プレリュード ロ短調
チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

この3月まで東響首席客演指揮者であったウルバンスキの登場。完売ではなかったものの会場はかなり埋まっていて、ウルバンスキの人気ぶりがうかがえる。今回公演、既に首席客演指揮者のタイトルは外れているのであるが、事実上このポストとしての最終公演ということもあってか、かなり会場は熱気を帯びている。

前半のソリストはロマノフスキー。彼は2013年に東響とラフマニノフ2番、2015年にN響とラフマニノフのパガニーニ狂詩曲を演奏していて、クールで完璧なテクニックの中にほのかに漂う叙情性が素晴らしかったことを記憶している。この日のプロコフィエフ3番、予想通り極めて安定したテクニックと、きらびやかなタッチが特徴的。ウルバンスキの伴奏がいつも通りしなやかなので、あまり攻撃的でエキサイティングな印象はなく、その分叙情性が強調されていたように思われる。
アンコールで弾かれたシロティ編のバッハはとてもロマンティック。ロマノフスキーの芸風に合った音楽である。彼は7月にリサイタルでシューマンとムソルグスキーを弾く予定だが、こちらも楽しみだ。

後半はチャイコフスキー4番。オケは14-11-10-8-7とやや小さい。予想通りウルバンスキらしい流面形の音楽作りであり、角が取れて直線的なところがないので、私の好み(ムラヴィンスキーやショルティ)の演奏とはかなり方向が違う。第3楽章、第4楽章は予想以上に遅めのテンポでじっくりした作りになっていて、第4楽章はそのせいでかえってとても説得力ある音楽になっていたのも事実。
オーケストラは金管に若干の粗さが見られた。全体としても、ノットやスダーンが振ったときほどの完成度の高さはなかったように思われる。
しかし終演後の客席は大変に盛り上がっている。ウルバンスキ、34歳ながら未だに少年のような初々しさとすらりとしたスタイル。これで高い音楽性を兼ね備えているのであるから、人気が出るわけである。

彼の東響における今までの演奏のうち、一番素晴らしかったのは、最初に聴いたショスタコーヴィチの10番(2011年)、同じく7番(2014年)あたりか。あとは、ストラヴィンスキー「火の鳥」1945年版(2015年)。



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新日本フィルハーモニー交響楽団トリフォニー・シリーズ第1夜を、すみだトリフォニーホールにて。指揮は下野竜也。

三善 晃 作曲 管弦楽のための協奏曲
矢代 秋雄 作曲 ピアノ協奏曲 *
(アンコール)バッハ=ブゾーニ編曲 我、汝を呼ぶ、主イエスキリストよ
黛 敏郎 作曲 涅槃交響曲 **

ピアノ:トーマス・ヘル *
合唱:東京藝術大学合唱団 **

なんという素晴らしい選曲!
前半の2曲、私が中学生の頃よく聴いた曲である。特に三善晃の「管弦楽のための協奏曲」はなんとかっこいい曲なんだろうか!と、岩城宏之指揮N響の録音を何度も聴いたものだ。
一見、単に20世紀を代表する現代日本の作曲家の作品を3つ並べただけに見えるプログラムであるが、そこはさすがマエストロ下野。ちゃんと共通点があるのだ。三善晃は1955年~1958年、矢代秋雄は1951年~1956年、黛敏郎は1951年からわずか1年、全員パリ国立高等音楽院に留学しているのである。黛はアカデミズムに反発して1年でさっさと帰国してしまったとのこと。実際、この3人の曲を聴き比べると、三善、矢代の作品が西洋音楽の枠組みのなかで個性を発揮しているのに対して、黛の作品は全く西洋音楽の枠にとらわれない、ぶっ飛んだ発想が見受けられる。

1曲目の三善作品。この日の演奏はややリズムが硬くキレが甘いのと、音が団子になって旋律線が不明瞭なところがあったが、実演をこうして聴けただけでもありがたいところ。ブーレーズに通じるような、色彩的なオーケストレーションが魅力だ。
矢代作品もややリズムの硬さがあるが、ここではトーマス・ヘルのピアノがあまりに精緻なことに驚き。ヘル、3日にトッパンホールでリゲティのエチュード全曲を弾くことになっている。この曲、ちょっと聴くとフランス近代作曲家のピアノ協奏曲のように聞こえないこともない。アンコールはリゲティかと思いきや、ブゾーニ編のロマンティックなバッハ。

後半に演奏された涅槃交響曲、こちらは現代日本作品の中では比較的演奏回数に恵まれている作品である。鐘の音を音響的に分析し、それをオケと合唱で表したという前代未聞の試み。
バンダが1階中央通路の左右に配置されてステレオ効果が抜群。下野氏の演奏は2009年に読響で聴いて以来2度目であるが、前回同様、やや硬さが感じられ、最終楽章の高揚感がもう一つである。この曲では、小節線が感じられないような悠久な音世界が描かれているのであるが、下野の指揮は拍があまりにはっきり感じられてしまうため、硬く聞こえるのだ。
実演で素晴らしかったのは、2003年に岩城宏之指揮東京フィルで聴いた演奏と、2012年に広上淳一指揮東京フィルで聴いた演奏。
オケは前半・後半とも14型。

このようなプログラムの割には結構客は入っていたように見受けられた(少なくとも1階は)。そして、観客の反応もよかったと思う。


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NHK交響楽団第1837回 定期公演 Bプログラム2日目を、サントリーホールにて。指揮はネーメ・ヤルヴィ。

シューベルト/交響曲 第7番 ロ短調 D.759「未完成」
プロコフィエフ/交響曲 第6番 変ホ短調 作品111

最近日本の楽壇にはヤルヴィという指揮者が3人頻繁に登場しているが、今回のネーメはN響首席指揮者パーヴォ、先日都響定期に登場したクリスチャンの父親であるベテラン指揮者。
この日のプログラム、なんと7時開演、8時半前に終わってしまうという短いものだった。

16型という、シューベルトには比較的大きめな編成のオケで演奏される未完成交響曲、オーソドックスな演奏を予想していたら、これがかなり速めのテンポで、すべての音が極めて抑制されていることに驚いた。第1楽章の、オーボエとクラリネットのユニゾンもかすかに聞こえるような音量。あまりに美しいチェロによる第2主題も、朗々と歌われることなくかなり音量を落としている。徹底して抑制された表現は、各旋律の美しさをかえって際立たせていて、これは予想以上の演奏。第2楽章は突然睡魔に襲われ記憶が曖昧であるが、どちらかというとほんわり系のイメージがあるネーメ・ヤルヴィの演奏が、全曲23分程度とかなり速めで颯爽としていたのは意外であった。

後半のプロコフィエフ6番、なじみが薄いな、と思っていたのだが、実際聴いてみるとかなり耳に馴染んだ音楽である。とはいえ、実演では2008年にゲルギエフ/ロンドン響でプロコフィエフの交響曲全曲チクルスをやったときぐらいしか聴いたことはない。
この6番、超有名な5番の後でやや影が薄いが、ロシア的旋律が満載で、暗さの中にも快活な表情があるのはいかにもプロコフィエフだ。
オケ、こういう曲でも非常にまろやかな音を出すようになったのは最近のことであろうか。普段やらない曲でもこれだけの水準を保てるのはさすがである。

それにしても、毎回のことながらN響B定期の客席のマナーは悪い。あちこちからノイズが聞こえるのは何とかならないものか…

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ウィーン・フォルクスオーパー来日公演を、東京文化会館にて。演目はヨハン・シュトラウス「こうもり」。

演出: ハインツ・ツェドニク
舞台装置: パンテリス・デッシラス
合唱指揮: トーマス・ベトヒャー
アイゼンシュタイン: イェルク・シュナイダー
ロザリンデ: メルバ・ラモス
アデーレ: ベアーテ・リッター
イーダ: マルティナ・ドラーク
ファルケ博士: マルコ・ディ・サピア
オルロフスキー公爵: アンゲリカ・キルヒシュラーガー
アルフレート: ライナー・トロスト
イワン: ハインツ・フィツカ
フランク: クルト・シュライプマイヤー
ブリント博士: ボリス・エダー
フロッシュ: ロベルト・マイヤー

ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団、ウィーン・フォルクスオーパー合唱団、
ウィーン国立バレエ団

私は基本的にオペレッタを観ないが、この「こうもり」は別。クラオタの間では、「こうもり」はオペレッタのなかでは別格とされている。同じウィーンでも、フォルクスオーパーより「格上」のシュターツオーパーが唯一取り上げるオペレッタであり(しかも年末年始のみ)、オペレッタを振らない大指揮者でも、この曲だけは振ったりするのである。そして、私の世代のクラオタにとって、この曲はカルロス・クライバーの名演で決まりなのだ。私は残念ながらクライバーの実演を聴けなかったが、ドイツ・グラモフォンから出ている録音や、二種の映像(特にバイエルン国立歌劇場の映像は最高である)では、クライバーらしい鮮血がほとばしるような鋭さとウィーン情緒あふれる美しさが共存していて、何度聴いてもしびれる。

今日の公演、演出は名歌手ハインツ・ツェドニク。2012年のフォルクスオーパー来日公演も、新国立劇場における「こうもり」も彼の演出ゆえ、もう何度観たことかわからないぐらい観ている舞台だ。しかし、同じストーリー、同じ舞台、同じギャグにもかかわらず、何度観ても笑ってしまう。第3幕でフロッシュがアルフレートに「お前どこの歌劇場で歌っているんだ?」と聞くくだりは、フォルクスオーパーでも新国立劇場でも同じ。

歌手で知っているのは、オルロフスキー役の名歌手キルヒシュラーガーと、アルフレート役のライナー・トロストのみで、あとは聞いたことのない名前だ。
アデーレ役は当初アニヤ=ニーナ・バーマンの予定だったが、交通事故でベアーテ・リッターに変更。リッターは2012年のフォルクスオーパー来日公演でも同役を歌ったが、そのときも今日も、全ての歌手のなかで彼女の歌がベストである。抜群の安定感とよく通る声。
キルヒシュラーガーがオルロフスキーを演ずるとは思わなかったが、やはり彼女の演技はこういう役でも品が感じられる。しかし歌に関しては、オルロフスキーに合っているかどうかは疑問。私にとって一番のオルロフスキーは、シュターツオーパーで観たときのガブリエーレ・ジーマだったが、彼女はつい先日若くして亡くなってしまった…
アルフレート役はトロスト。かつて大活躍した名歌手ながら、正直盛りは過ぎているだろう。この役としては、もう少し明るく伸びやかな声が欲しかった。
性格的に素晴らしいと思ったのはアイゼンシュタインとフロッシュ。もっとも、フロッシュはそれなりの役者がやれば確実に受けるが、今日のポイントは演じたマイヤーがこのフォルクスオーパーの総裁であるということ。前述の「お前どこの歌劇場で歌っているんだ?」というくだりのギャグが実に冴えるが、観ていない方もいるだろうからこの辺にしておく。マイヤーは前回来日時もフロッシュを演じた。
ロザリンデ役ラモスはもう少し声が全声域にわたりまんべんなく出るといいのだが。

指揮はアルフレッド・エシュヴェ。新国立劇場でも「こうもり」を振っているからおなじみの指揮者だが、今日の指揮はやや重めでリズムのキレがいまひとつ。
オケの音は実に素朴。こういう音を聴くと、かつてのハプスブルク帝国の首都ウィーンが「大いなる田舎」であることがよくわかる。シュターツオーパーでこのオペレッタをやると、ぐっと洗練されて抑制された美しさがあるのだが、フォルクスオーパーはいい意味でとても庶民的な風合い。アンサンブルもちょっと緩いのがまたいい。

こうもりの公演初日であるが、客席はかなりの空席がある。私は5階Lサイドの安席だったが、そこから見る限り、3階Rサイドはほとんど人がいないくらいだった。




東京都交響楽団第807回 定期演奏会Bシリーズをサントリーホールにて。
指揮/クリスチャン・ヤルヴィ

ペルト :フラトレス~弦楽オーケストラとパーカッションのための(1977/91)
ペルト:交響曲第3番(1971)
ライヒ :デュエット~2つの独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための(1993)
ライヒ:フォー・セクションズ(1987)(日本初演)

今や日本にいても一年中ヤルヴィという指揮者の名前を聞いているような気がするが、都響では今週来週クリスチャン・ヤルヴィが、N響では今週来週とネーメ・ヤルヴィが指揮し、秋にはパーヴォ・ヤルヴィが来日する。
オタクの人はご存じの通り、父ネーメはエストニア出身、息子二人はエストニアに生まれアメリカで教育を受けている。今世界的な名声を博しているのは兄のパーヴォであり、既に父親を抜いたと言ってよいであろう。クリスチャンもそれなりに活躍しているけれど、やはり兄が凄すぎる。しかしクリスチャン、頭髪の量は豊富で父や兄を圧倒的に上回るか…

今日の前半のプログラムはエストニアの作曲家、ペルトの作品、後半のプログラムはアメリカの作曲家、ライヒの作品ということで、前半でクリスチャン・ヤルヴィのルーツの音楽を、後半で彼の育った地の音楽を聴くことができたという次第。

前半はペルトの作品2つ。と言っても、有名な1曲目「フラトレス」と、2曲目の交響曲第3番ではだいぶ印象が異なる。交響曲はやはり交響曲らしい作りになっているが、フラトレスは宗教音楽の肌触りを持っている。いずれも都響が素晴らしくいい雰囲気を醸し出している。
後半はミニマル・ミュージックの旗手、ライヒの作品。前からなぜアメリカ人なのにドイツ読みで「ライヒ」と呼ぶのか不思議だったが、やはりこれは(ピーター・サーキンをゼルキンと読むのと同様)日本での呼び方らしく、米国では「ライシュ」と読むケースが多いらしい(ウィキ情報)。ライヒはドイツ系ユダヤ人家系だそうだ。
後半1曲目、2台のヴァイオリンと、複数のヴィオラ、チェロ、コントラバスのための作品であるが、弦楽器だけでこれだけきらびやかで多彩な音色が出せるというのは何とも不思議。クリスチャン・ヤルヴィの踊るような指揮振りがなんともかっこいい。
最後の曲はフォー・セクションズ。マイケル・ティルソン・トーマスがライヒに、管弦楽のための協奏曲を書いてくれないかと依頼したことから生まれた作品だそうだ。
指揮台の両サイドにピアノが客席に背を向けて配置され、ピアニスト2名は、ピアノの上に置かれたシンセサイザーを持ち替えて演奏する。そして指揮台のすぐ前には打楽器群が配置されるといった形。
かつてのライヒの音楽、ひたすら同一音型を反復していて聞きやすい反面、なんぼなんでも単調では?と思われるところがあったが、この曲は意外に変化に富んでいて細やかなニュアンスが感じ取れる。第4楽章はライヒ節全開の疾走するかっこよさと爽快感、そして絶妙な色彩バランスが感じられ、最高!
しかし、都響はやはりとても巧い。ベルリン・フィルは死ぬほど巧いが、決して日本のオケがダメということはない。