今日、散髪に行く。
店に入ると、
先客が最後の仕上げを
してもらっているところであった。

ソファーで待ちながら新聞を読んでいると、
   私と同い年でしょう。
   髪は染めているのですか。

   いえ、染めていませんよ。
と、店主の声。
   いいですね。
   私なんかこんなに白くなって…。
  
   いや、お客さんは髪が多いですから
   いいではないですか。
   私なんか薄くなってきましたよ。

   いや、私も前の方が広くなってきていますよ。
と、二人の頭髪談義を聞いていて、
笑いをこらえるのが大変であった。
話を聞いていると、私と1歳違いの二人である。

   お疲れ様でした。次の方どうぞ。
と店主の声に促されて、席を立つと、
   お宅も髪が多いですね。
   色もまだ黒いですね。
と、その客が話しかけてきたようだが、
それには、応えずに椅子に座る。
   同級会で、禿げている奴に
   お前も薄くなったって
   禿げには言われたくないですな。
   ハッハハ。
と、金を払いながらその客は、しゃべっていた。

   鏡を見て、自分もゴマ塩頭になったなあ…。
と、しみじみ眺めた。
鏡に映る店主の頭を見ると、白髪が見当たらない。
でも、薄くなってきているのは、確かに感じる。

散髪を終えて外に出ると
街路樹の花ミズキの若葉が風に揺れていた。


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最近、図書館から落語のCDを借りて聴くことにしている。
今は、先代の三遊亭圓楽独演会全集(東芝EMI)を聴いている。
一昨日も聴いたのであるが、途中から眠ってしまったので、
昨夜も、風呂上り後の寝る前に「文七元結」の続きを聴いた。

圓楽師匠の話が冊子に書いてあるので、転記させてもらう。

  この噺は、うちの師匠からの直伝ではありません。うちの師匠の圓生が演っているのを、ワキで聞いていて覚えたものです。
 とはいえ、師匠から聞いた芸談が、ものすごく役に立っています。
 …略…三遊協会を起こしてから…一緒に行動しておりました。ずっと芸談を聞かせてくれたもんです。そのときの芸談が、とても参考になりました。
 …5代目圓生のものが、べらぼうによかったそうです。
  「この噺を演ると目が疲れていけねえ」
  と、その5代がいっていたっていうんですね。
  目をとことん生かして演らないと、この噺は駄目なんだというわけです。
  この噺の眼目である、吾妻橋で文七を助けるところの長兵衛の葛藤―。
  …略
  こういった長兵衛の断腸の思い、心の葛藤を全部目に凝縮させ、目で表現するんだそうです。だからくたびれます。
  「『文七元結』を演ると、ぐったりする」
 こういっていた5代目圓生は『文七元結」を何回も演らなかったと、うちの師匠はいいました。
  …略
 このように、“俺なら金をやらない”という人は、この噺を演るべきではないと思います。演者そのものが、50両の金をやることを納得しなければ、演ってはいけない話なんです。
 …略
 ついやってしまう気持ちある程度自分の心のなかにあると思い、それだからこそこの噺を演りはじめたんです。
 …略
 だいたい長兵衛のような人物を演じる場合、あくまでも自分自身がのめり込んでいくべきだ、全編自分の主観でいくべきだと私は解釈しています。したがって、自分の気持ちをそのまま噺のなかに持ち込んで演るように、私は心がけています
 
  以下略。


1983年3月31日に上野鈴本演芸場で演ったものである。
噺の世界に引き込まれて、涙が出てきた。

この圓楽の話を読んで、教師である身、大いに刺激された

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 落語を聞いてドイツの心理学者(?)の研究を思い出した。
それは、
面談で伝えられる情報の内、
言葉で伝えられることは、
その27%である、ということだ。
残りは、
声の中に含まれるもの、
表情に含まれるもの、
身振り手振りに含まれるもの
にあるというのである。

鈴木先生は、落語家の工夫を学べという。
  間
  テンポ
  声の調子
  表情
  仕草 等々
  情景を浮かばせる工夫、
  客を話の世界に引き込む工夫
を学べということだったんだな、と思う。
そして、寄席に身を置くことで
会場の雰囲気と演者の呼吸を
感覚的につかみなさいことだと
今、気付いた。

まくらを話しながら
客の望んでいることを感じとり、
話の大筋は変えないが、
長短自在に変えるとか、
時には、演目も変えるという落語家の
臨機応変な対応ぶりも学べということかな
とも思った。

落語考を書き始めて、ふっと、思い出したことある。
それは、皆読・皆書・皆話・皆綴を悲願とされた
芦田先生の教育実践を具体的に示された
鈴木先生の入門期の指導である。

どの子にも、
話の世界にとっぷりと浸からせてあげることが、
国語教育の初めである。

それには、
毎時間、教科書の絵を手掛かりにして
一つのお話を作り上げることである。
勿論、教科書全体を教材にして話を作るのである。

その根底には、 
 子どもの期待に応えることが大事であるからだ。 
 ○  学校は保育園や幼稚園と違う。
 ○  勉強をしたい。したという実感を味わいたい。
   (子どもにとって勉強したと思うのはどんなことか。)

絵を見せがら一つのお話の世界で遊ばせ、
学習の躾を少しずつ学ばせていく。
聴く態度、指示・問答への対応、待つことの大事さ等々
3週間、3か月を目途に、大事なことは
繰り返し繰り返し身に着くまで根気よく育てていく。 
 今日も頑張って勉強したなという気分にさせて帰させる。
 顔色を見ながら、疲れさせ過ぎないようにして
 勉強の楽しさ、学校生活の面白さを味あわせる。
そこで、担任の話術・話芸がものをいうのである。  

入学式の日から勉強したという気分にさせることである。
  1 大きな声で学校の名前を読ませる。
     (黒板に書いた字を見せながら、指音読)
  2 大きな声で担任の名前を読ませる。
     (名前を板書したものを見せながら、指音読)
文字を読むのではなく、言葉を読むつもりである。
文字に親しませるだけのことである。
   時間の都合で、上の片方だけでもよい。
   全体で音読、列毎の音読、全体の音読と
   声をそろえて大きな声が出ればよいのである。
褒めながら、集中力を高めさせていくのである。
   あまりうまかったので、
   家に帰って、
   今読んだことを家の人の前で聞かせなさい。
   きっと、喜んでくださるよ。
とでも話すと、張り切って返事をしてくれる。
これが、今日の落ちであり、宿題の最初である。

 入学して1か月経ったが、どうだろうか……。
子供達の学習意欲と学習習慣は……。
どの子もにも笑顔があるだろうか……。
1年生の担任ほど楽しいものはないなあ……。

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