3月18日、地震から1週間が経ち、募金に対して思うこと | TAKASHI BLOG

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地震が発生してからもう1週間経ちました。

かなり長い時間を過ごした気がする。
個人的には、あっという間のような、
果てない時間を泳いできた感じがする。



その中で時間が経つにつれ、あれ?と思ってきたことがある。




それは「募金」ついて。




災害発生から1週間経ち、
世の中は芸能人、企業の募金合戦のような感じになってきている。



最初にとある有名人が募金を募れば、はたまた芸能人も募る。
さらに拍車をかけたように企業も自身のサイトで募金を募る。
はたまた海外の有名人も日本のために募金を…という風になっている。



ここまで募金が集まれば、
(極端な言い方だが)復興の時間をかなり短縮できるような気さえする。



しかし、しかしだ。


気味が悪い。
この募金合戦。


しかも、しかもだ。



額が大きすぎて、怖すぎる。
芸能人は万単位…数十万単位。
果ては百万単位で寄付するという人も現れてきている。
中には東北出身の人がいて、思い入れが強いのか、巨額を寄付する人もいる。

もちろん、企業としては、金額を好評することで
株主や社会への示しだったり、
いろんな事情があるかもしれない。



もちろん、募金は悪いことではない。
確かに募金されたお金は恵まれない人達のために使われ(今回は災害に遭われた人達に)、
強力な手助けになることは間違いない。


しかし、芸能人に関しては額を公表する必要があるのか?という気がした。
ただ募金した。という事実のみでもいい気がするのだが、
多くの芸能人はいくら募金した、ということを言っているのはなぜだろうか?



そして、(特に)芸能人の方々、そこまでの額を募金をしたいのですか?



善意で行うはずの募金が、
いつの間にか募金をしなくちゃいけない空気になって、蔓延している。
前にも書いたが、善意の強制は善意ではないはずだ。




募金をした人の中でも、
少額の募金をした人は申し訳ない…というような人まで出てきている。


まるでオークションのように額が釣り上がっていくような雰囲気。





確かに今はこの国、日本の危機だ。未曽有のことである。
地震、津波、原発、寒さ、空腹…など被害に合われた方々は
様々な被害や大変なことと戦って、耐え忍んでいる。



だが、1年後も同じスタンスでいられますか?
1年後もこの状況が続いていた場合、同じく募金をしますか?



募金は「救済」の手段の1つだ。



救済とは一時的では何の意味もない。
特に今回のような場合、継続しないと意味が無いはずだ。



今、手元にあるお金を募金しただけで終わっていませんか?

募金したことで自分の善意を満たしていないだろうか。



想像してほしい。


被災に遭われた方々は
今は一時的に救われても、
これから何も無いところからまたスタートして、
生き続けていくのだ。


そのためには一時的な手を差し伸べただけでは足りないはずなのだ。

災害によって胸に傷を負い、中には大切な人と別れをした人もいる。


完治とはいかなくても、
前と同じような生活に戻るには
たくさんの時間がかかるのだ。




本当に救済、復興を願っている人がいるのであれば、
その胸にある善意を今回の募金だけで終わらせてほしくない。
ずっととは言わない。少しでも長く想い続けていてほしい、と思う。



芸能人の方々もどうかその思いをイメージアップや
周りの空気を読んでやったこと、という風にしてほしくない。

もし、そういうことでされたのであれば、非常に残念だ。



自分も数日前に募金をした。
募金をするということは、希望を見出して欲しい、
少しでも助かってほしいという思いのもとに行うものだろう。


未来へ希望のバトンを渡し続けなくちゃいけない。
募金は一時的に加熱したような雰囲気でするようなものではないはずだ。