$Ardent Obsession II


 映画に「緊縛指導」のクレジットが始めて現れたのは、既に紹介した1968年(昭和43年)の石井輝男監督作品『徳川女刑罰史』(東映)であろう。「緊縛指導辻村隆」である。

 辻村氏は続いて、1969年(昭和44年)の、(同じく石井輝男監督)『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』、『徳川いれずみ師 責め地獄』でも「緊縛指導」をおこなっている。1968年(昭和43年)には、『徳川女刑罰史』の宣伝のために11PM他のTV番組に出演している。サングラスをかけていたとはいえ、「私はSMをやっております」とTVの前で公に宣言するのであるから、相当の覚悟であったものと思われる。

 TVと言えば、団鬼六も1969年(昭和44年)秋の関西テレビ「ナイトショー」に出演している。SMショーで当時有名だったローズ秋山夫妻もこの頃、辻村氏と11PMに出演している。1968年(昭和43年)頃から、一般映画、テレビを通じて、SMが広く社会一般の人々に知れわたっていくのがわかる。

 辻村氏はその後、1971年(昭和46年)に中島貞夫監督の『性倒錯の世界』で、奇譚クラブの人気モデルであった、谷山久美子渡部好美らと共に出演する。こちらは緊縛指導ではなく「緊縛披露」である。「緊縛指導師」として活躍したのは1968-69年の2年間のみのようである。

 辻村氏といえば、奇譚クラブに1964年(昭和39年)から連載していた『カメラハント』が有名である。毎月、いろいろな女性を口説き、縛って写真におさめるといったドキュメントタイプの連載である。『カメラハント』の連載とほぼ同期間、『サロン我楽記』と題した小エッセイが奇譚クラブに連載されており、当時のSMに関する情報を得る貴重なソースとなっている。その『サロン我楽記』の1971年(昭和46年)1月号に興味深い記述がある。


 「(1970年の)10月下旬、大映撮影所から電話がかかる。映画の緊縛指導に一つご協力願いたいというので、内容の分からぬ侭出掛けてみたら、大映も協力する方で、映画は、独立プロの作品『沈黙』である。例の岩下志麻の旦那の篠田監督作品で、原作は遠藤周作。」「外人宣教師や切支丹の信者などが捕吏に捕らえられる際の、早縄の掛け方であった。捕縄の術は、古来、縄の伝極意を始め、種々紹介されているが、肝心の個所はいずれも口伝であって、図解からでは実際問題となると理解しにくい面も多々ある。」「急遽あれこれと思い出しながら、兎も角、映画にとっても可笑しくない、早縄の方法を二,三公開して、捕吏になる俳優さん方に披露したのであった。」「私も至極大真面目で二日間協力し、一行は十月三十日、長崎へとロケに出発した。」

 私は「映画における緊縛指導」などとたいそうな題名で雑文を書いているわりには、映画にそれほど詳しくないとんでもない輩である。しかし、それでも篠田正浩の名前は知っている。というか、映画には詳しく無い私だが、武満徹という作曲家に関しては、多少は自慢できるのめり込み方をしてきており、この武満徹との関係で篠田正浩をよく知っている。武満との相性の良い監督なのである。中でも、『心中天網島』(ATG, 1969)、『鑓の権三』(表現社, 1986)などは、映画は勿論のこと、映画音楽作品としても武満作品の中で、レベルの高いものである。

 『沈黙』は1971年に公開されカンヌ映画祭に出品された作品だ。『沈黙』の音楽も武満徹で、既にその作品はCDに耳にしていた。「SILENCE」にふさわしい、寡黙で真摯な音楽作品である。

 これは是非とも『沈黙』を観なくては、とDVDを探した。国内盤は中古版が高すぎるので、英国版DVDを手に入れる。江戸初期の長崎でのキリシタン弾圧の物語である。武満に加え、美術が粟津潔、撮影宮川一夫と豪華スタッフである。主役は外人の知らない人だが、脇役の岡田英次、殿山泰司、戸浦六宏がいい味を出している(話はそれるが、この戸浦六宏の息子さんは作家・AV監督の東良美季氏で、サムビデオから監修:団鬼六、緊縛指導:渡縛人、俳優:水島麗子 、速水健二からなる『夢どれII ~真夜中の性宴~』を1987年に制作している)。

 神とは何か、宗教的救済とは何かについて、真正面からド真ん中に直球を投げ込むような作品で、観た後数日経っても、思い出すと目がウルウルしてしまう、上質の映画である。武満=篠田コンビの本領発揮というところである。

 緊縛指導に辻村隆の名前があるかな、と注意していたが、出てこなかった。

 実は、上述の1月号の『サロン我楽記』だが、さらにその続編が2月号に載っている。

 「『沈黙』が資金繰りがつかず製作中止になってしまった」「大いに緊縛指導で協力するつもりであったのに、全ては水の泡となって残念この上もない」「岩下志麻さんらと相まみえる機会も遂になくしてしまった」

 ことの詳細は分からないが、1月号で「大映も協力」とある。大映は1971年に日活と別れたり組んだりで大変な時期であったのは確かなので、これに巻き込まれて一時頓挫したのかもしれない。実際の「沈黙」の配給は東宝で、協力が大映京都撮影所とある。また、辻村の説明では俳優が「仲代達矢、戸浦六宏他」となっているが、公開された映画では、仲代達矢に相当すると思われる役は丹波哲郎が演じている。何らかの変更があったことを伺わせる。

 公開された『沈黙』の捕縄や拷問シーンに、どれほど辻村の影響があるのかはわからないが、辻村が篠田監督と長時間にわたって縄に関して意見交換したことは事実であろう。歴史には残らないかもしれないが、映画における緊縛指導、辻村隆氏の追加情報である。


 1964年(昭和39年)からはじまった『カメラハント』も1973年(昭和48年)3月号で連載は終了する。辻村氏は、その後、糖尿病の悪化もありあまり表舞台には出なくなってしまう。1975年(昭和50年)、3月号をもって奇譚クラブはその30年近くの役目を終える。