この前自分が卒業したばかりだと思っていたら
2コ下の妹が高校を卒業していて驚いています。たかせです。
時間が過ぎ去るのは早いものですね。
私は高校卒業後、進学をしなかったので
春からは妹が大学生ということが
なんだかとても不思議な感じです。
*
私と妹は全く似ていなくて、
全部が正反対の姉妹でした。
私が出来ることは妹は出来ないし、妹の出来ることは私は出来ない。
私が好きなものは妹の好みではなく、妹の好きなものは私の好みではない。
ふたり一緒に生まれて来たら完璧だったのにねぇなんて言っては、
ダメなとこばっかりくっついて生まれて来たら完全なダメ人間だったねなんて笑っていました。
とはいえ最初から正反対だったわけではなく、
昔は結構似ていたのです。
私たちが似てない姉妹になっていったのは、私が小学3年生のとき。
妹が小学1年生のときです。
7月半ば、一学期が終わり、担任の先生から通知表が渡されました。
私の成績は、算数と体育だけがBで、あとはすべてAでした。
それまでのなかで一番良かった成績で、いちばん頑張った自覚もあって、
母の喜ぶ顔を想像して、わくわくしながら誇らしげに帰りました。
想像どおり、母は喜んでくれて、褒めてくれて、
だけどそのすぐ後に、妹が帰って来たのです。
…まぁ、みなさんの予想のとおり、
妹はオールAの成績を持って帰って来たんですよね。
しかも妹は、その後もずっとオールAを穫り続けたんです。
一つの教科のなかにある細かな評価も、全部A。
小学校時代、ずっとです。
…正しく言うと、実は一度だけ妹が算数でBをとったことがありまして。
その時妹は4年生で、当時6年生だというのに私は大人気もなく、
とても嬉しそうに、妹にBがついた理由を妹の担任に聞きにいったんですよ。
そしたら、担任の先生が言うんですよ。
「妹さんは優秀すぎるから、ここでひとつ挫折をしておかないと
後々大きな挫折をいきなり味わってしまうといけないから」って。
…それってつまり、成績的には問題なくAだったってことですよね。
今思えばそんな理由で成績つける担任もどうなんだ、って感じなのですが、
当時はもう、呆気にとられたと言いますか。
衝撃と悔しさが凄すぎて、今でも鮮明に思い出せるし、思い出すと泣けます。
そんな妹は、小学校を卒業して、中学生になり高校生になり、
多少の挫折も経験しながらも、優秀に優秀に成長していきました。
一方の私はというと。
小学3年生の時から徐々に徐々に、しかし確実に
「世の中には向き不向きがあって、向いてないことは頑張ってもしょうがない」なんて
何かを悟った気になって、向いてないと判断したものを捨てて来てしまいました。
先程、上で
「私が出来ることは妹は出来ないし、妹の出来ることは私は出来ない」
なんて言いましたが、そもそも私はほとんどが出来ないんです。
私が出来るのは、美術と国語。妹が出来るのは、それ以外。
妹は出来ないものでも平均程度に出来るけど、私が出来ないものは壊滅的に出来ない。
出来るものすら、平均よりちょっと出来るかな、程度。
私たちがまったく逆になってしまったのは、
妹は、苦手なものもあっただろうに、努力をしたのに対して、
私はその一切を放棄して、離れていってしまったから。
私はよく「自分は運と勘と周りの人の優しさで生きてる」と冗談のように言うんですが、
これは冗談でもなんでもなく、本当に運と勘でどうにか出来るものしかしてこなかった。
その他の、苦労を背負うべきことは、全部誰かに助けてもらって来てしまった。
そうして、努力を放棄して、
順調にひねくれてひねくれて育って来た私は、
妹に負い目みたいなものを感じていました。
こんなに優秀な子なのに、お姉ちゃんがこんなんなんて恥ずかしいよなぁ、みたいな。
好きなことしか、出来ることしか、してこなくて。
自分で選んで来たことだから、後悔はひとつもしてないけれど。
高校を卒業したら上京してプロの漫画家を目指すと決めた時、
周囲の人は、私を感心したり尊敬したりして。
曰く、「成功が約束されてないものに挑むのは凄い」とか。
曰く、「レールを敷かれた上を歩かないなんて勇気がある」とか。
むしろ逆だよなぁと思うんですよね。
高校を出て、目指している職業に就くために適した大学に進学する。そして就職する。
多くの人が選ぶ道ではあるから、レールを敷かれた人生だ、なんて言われたりもするけれど、
同じ人生を送る人は世界に2人といないのだし、環境や時代によっていろんなものが様変わりする。
本当に、目指した先へ辿り着けるとは言い切れない。
同じ道を先に歩いた人がいるからって、それはレールにはならない。
踏み荒らされた雪道のようだと思うんです。
先に通った人の足跡があるから通りやすいけど、
思わぬところが凍っていたりするでしょう。
「みんな出来たことだから」という、プレッシャーは重くて怖い。
レールを敷かれていたって、レールから外れずに進むほうが難しい。
私はそれを向いてないなって思ってしまったから
早々に放棄して新雪の降り積もるなかを進むことを決めたのですが、
それは単に、あたりまえとして備わっているべき努力をしなかったというだけのこと。
あたりまえとして寄せられる期待に、どれだけの努力をしてきたのだろうと思うと、
なんというか素直に、うちの妹すごいなぁって、思うわけです。
*
ひねくれ腐っていて、妹を嫌いだと思っていた時期もたぶんあるんですけど、
いろいろあって今は世界中の全てが愛しく思えるようになってしまったので、
当時どんなふうに妹を嫌いだったか、もう思い出せません。
なーんの努力もしない姉に、一方的に身勝手に嫌われて、
妹もきっと私を嫌いだったと思うのですが、
それでもあの子は私のことを、お姉ちゃんって呼ぶんですよね。
それがなんだか、ありがたくて。
だめな姉ではあるけれど、一応いつも2年長く生きてきてはいるので、
いっちょまえにお姉ちゃん面して、妹を心配に思ったりもするんです。
大体のことを努力して、なんでも出来ちゃう妹だけど、あの子は私と反対で、教科書人間だから。
教科書に書いてあることは完璧だけど、そこに書いてないことはからっきしの妹だから。
これから迎える毎日は、きっと教科書には書いてなかったことばかりだから。
そんなときには、教科書に載っていないことばかりが得意分野のお姉ちゃんを
頼りにしてくれたらなと、思います。
*
まだまだ拙い私の絵を、素直に喜んでくれてありがとう。
自慢したいなんて言ってくれて、嬉しいよ。
お姉ちゃん性格丸くなったよねなんて、笑ってくれてありがとう。
とんがってたときは迷惑かけたよね。ごめんね。
私の妹でいてくれて、ありがとう。
正反対だけど、最近ちょっと似てるところもあるよね。
ふたりとも、ちょっと大人になったのかもしれないね。
*
卒業式では、無事に答辞を読めたんだってね。
日本語は不得意だから英語で答辞を読んだ方がいいんじゃない、なんて言ってたけど、
きっと完璧に仕上げて、しっかり読んだんだろうと思います。
春からは、大学生。
大変なことも多いと思うけど、
たのしく、充実した、しあわせな毎日でありますように、祈っています。
卒業おめでとう。
おねえちゃんより。