プロレス中心に活動していた俺。

そんな時、ゴング(格闘技雑誌)さんから取材の依頼が舞い込んだ。

なんでも、ドリームの試合を見た後に 各試合事に高坂さんや菊田さんらと内容を斬る…といった内容だった。

その取材の話は10年以上のおつきあいをさせて頂いたてるゴングの編集部の方から直接依頼が来た。 なんでもどこに電話してよいのか分からなかったため 所属会社に電話されなかったそうだ。 一応所属して何年か経っているのに 俺がどこに所属してるかをちゃんとリリースしていない会社がハッキリ言って悪い。(元空手講師はリリースをしたとほざいていたが結果論で言えばリリースされていない)
俺は勿論OKをその場で出した。
しかし取材が終わり雑誌が出た時に気付いたのだが俺はこの事を会社に知らせていなかった。

この頃の会社は経費削減経費削減で大変な状態。母体の会社からはハッキリ言って 「無駄」 と言われていたらしい。
俺は将来的な事を考え この頃から次に行くところを探さなければならない。と確信していた。(遅いって?) まぁこの頃担当してくださっていたマネージャーの方は良くやってくださっていたし、色々深い話もしたりした。心が唯一許せて話せる方だった。
しかし自分の人生は自分で切り開いていくものだ。背に腹は代えられない。
雑誌が出ると担当マネージャーの方から電話かあり、
「社長がなんか言ってるよー なんで会社に知らせないんだ。って 」

いや来たか。と思った。
向こうは試合が取れない“後ろめたさ”もあったに違いないし 俺を責める口実ができる。

社長に会いに会社に行くとやはり予想したとおりだった。

「高瀬 どういう事?なんで報告しないの?」

俺は報告をしなかった自体は自体に非があると思っていた。 責められても仕方ない事だ。

しかし 俺は内心頭にきていた。

試合を取るどころか いい加減な采配のせいで試合がなくなったり、知らないところで勝手にオファーが断られていたり。そもそも 会社に入る前や後の ヒーローズに出れるとか、個人用にアパートを用意するとか格闘技の学校を作るだとか その他沢山の“口だけ”が俺を
「こんくらいでグダグダ抜かすんじゃねぇ!てめぇらのいい加減さと比べてみろ!どアホ!」
という攻撃的な気持ちにさせていた。

まあ人が良い人なんで俺も言い返せなかったけどね(笑) っていうか俺も人がいいな完全に(笑)。
社長は 初めはヒーローズ側に色々な理由をつけられてきたのだが しまいには ヒーローズ側の某人間に
「高瀬君は使う気はない」という事を言われたと言っていた。

こっちからしたら
「だったら最初っから言うんじゃねぇよ!」
だ。
Jロックの社長の好意を流しこの会社に来て約3年。 ヒーローズどころか試合すら決まらない。あったのはオーストラリアで利用された事とヒーローズの前座試合だけだ。
もう 一体何なんだ!? 「まだ若い」と言われる年を結果的に言えば 無駄に過ごした事になったんだ、と当時は本当に本当に頭に来た。

最初にあの嘘つきの岡山弁の男から始まり、元空手講師には散々ムチャクチャやられ、最終的には何が残ったんだ?と自問自答を繰り返すハメになった。
母体の会長は社長の頼りなさを噂で聞いたらしく、社長を代えようかな…と考えた事もあったらしい。
これじゃあ単なる飼い殺しじゃねぇか!
と当時俺は思った。 上井さんも
「高瀬さん飼い殺しやねぇ」 と第三者から見てもそう感じるくらいなんだから。

でも実際にはヒーローズに出る事を妨害していた奴がいたのだ。それは後ほど書くが。

そんなこんなで失意のどん底にいた俺に また神様からの “救いの手”が舞い降りるのだった。

続く