早朝、目が覚めてトイレにいきました。
洗面所で手を洗おうとしたら、目の前の鏡の横の暗がりから体長1センチくらいの紙魚(シミ)が現れました。
銀色の身をくねらせるようにして、どこか慌てている様子です。
それまで真っ暗だった洗面所にいきなり明かりがついたのと、人間がやってきた気配を感じ取ったのでしょう。
気持ちが悪いから潰してやれ、と思ってティッシュを1枚手に取りました。
そこでふと、こんな思いがよぎりました。
紙魚のやつ、自分が殺されるかもしれないという身の危険を感じ取っているようだ。
こんなに小さな体のどこに、そうした危険を察知する能力が潜んでいるんだろう?
一瞬、そいつは動きを止めて、これからどこの暗がりに身を隠そうかと思案しているように見えました。
やるなら、いまが絶好のチャンスです。
でも、手が動きません。
こいつを殺したら、たちまち死んで動かなくなるでしょう。
小さな命が消えて、それまで生きていたものが、ただの死骸に姿を変えてしまいます。
害虫を憐れんで、仏陀のような気持ちでそう思ったわけではありません。
命の不思議に身が固まった、とでも言えばいいでしょうか。
今、あれこれ感じたり思ったりして、こいつの体を動かしている命の原動力は、いったいどこからもたらされているのでしょうか?
人間を宇宙船に乗せて月まで飛ばすことのできる科学力を持った現代人でさえ、命あるものを作り上げることはできません。
どんなに単純な構造の生命体でも、一度殺したら二度と再生することはできません。
このミステリアスな命って何だろう?
そんな思いに囚われているうちに、紙魚のやつはとっくにいなくなっていました。