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母の日

2012年05月13日 テーマ:日常
 母の日に、カーネーションを送った。

 手続きをしたのは、もう1カ月くらい前のことだ。

 いつも世話になっている宅配業者が、母の日に花を送ろうキャンペーンをやっていて、ぜひ一口、契約をお願いしますと頼み込んできたのだった。

 契約がたくさん取れると、その業者の営業成績にもつながって、みんなが幸せになるという触れ込みもあった。

 悪くない話だと思って、値段も手頃だったから、契約した。

 3000円也はもちろん、先払いだ。

 母の日にカーネーションを送ったからねと告げると、老いた母は大喜びして、その日を待ち侘びている様子だった。

 業者から母のもとにカーネーションが届いたのは、母の日の前日の夕刻だった。

 母が受け取りにサインして、厳重な梱包を解くと、でてきたカーネーションは予想していた切り花ではなく、土をつめた小さな鉢に植わったものだった。

 それが、何日も砂漠を旅してきたようにくたくたになって、しなびていた。

 カーネーションが届いたよというお礼の電話をもらって、話しているうちに、そんな事実が、だんだんわかってきたのだ。

 せっかくもらった贈り物にケチをつけるのは、母としても心苦しかったのだろう。

 それで思い出したのは、葬式の香典にかえていただくお茶や海苔には、絶品といえるような代物がひとつもないという常識だ。

 受け取った側が、にわかに文句をつけてくる可能性が低いと分かっているから、適当なものを送っておけば、もうけも増えるじゃないかという、じつに卑しい考え方だ。

 宅配便による、母の日に花を送ろうキャンペーンも、そういう種類のものだったのか。

 しなびていたらお取り替えします、などといった文言は、どこにも書いていなかった。

ここのところ多忙

2012年05月12日 テーマ:日常
 なぜかここにきて、いきなり多忙になってきた。

 ブログの更新をしている時間が、なかなかとれない。

 こういうことが、たまにあってもいいのかもしれない。

 いちおう、元気でやっていることは、やっています。

 なにもないときにはなにもないのに、集まるときには集まるものが、フリーの立場というやつなのだろう。

 あしたも多忙になりそうだ。

 いちおうのご報告。

まずは踏み出せ

2012年04月27日 テーマ:日常
 まったくの偶然だったのかもしれない。

 でも、席にすわったときは、自分でもちょっとびっくりして、これはどういうことなのだろうと、読み始めようとしていた本の表紙をしばらくひらけずにいた。

 話はきょうの夕方、帰宅ラッシュが続く東京駅の総武快速線ホームから始まる。

 東京始発の快速君津行にすわって乗っていくためには、出発の20分くらい前から、ホームに列を作って並ぶ必要があった。

 めざす内房線の姉崎駅までの所要時間は、およそ1時間だ。

 走る図書館じゃないけど、どうせ本を読んでいくのなら、立ちっぱなしより、すわらせてもらったほうがずっとらくちんだ。

 で、ホームで辛抱強く待って、始発電車にどかどかどかと乗り込んで、頭上の蛍光灯が明るく輝く座席を無事に確保した。

 立っている人はかわいそうだけど、やっぱり用意周到に並んでいた者の勝ちだ。

 いよいよ発車する直前だった。

 目の前に、杖をついたおばあちゃんが、よろよろと乗り込んできたのだった。

 気がついたときには、席を立って、どうぞと譲っていた。

 電車が動き始めていないので、寝たふりはちょっとできないタイミングだった(笑)。

 そのまま、車内を後方に向かって、どんどん歩いていった。

 発車を告げるアナウンスが響いたとき、車内のはしっこ近くで足が止まった。

 と、すぐ目の前の席にすわっている若者がふと席を立って、降りていったのである。

 ラッキー!

 まったく予想も期待もしていなかったのに、再び席を確保できたというわけだ。

 偶然とはいっても、うれしかった。

 それとも、これは偶然じゃなかったのか。

 結果を気にしていたら、何もできない。

 まずは踏み出せ、という天の啓示かもね。

かすむ

2012年04月22日 テーマ:日常
 歴史は長く、世界は広い。

 そんな時間と空間の大海の波間に浮かぶ、たったひとりのよるべない人間の存在ほど、ちっぽけでたよりないものはない。

 晴れた日に夜空を仰ぐと、無数の星がまたたいている。

 肉眼ではみえないものも合わせると、この宇宙にはいったいどれほどの数の星が存在しているのだろう。

 ざっと、1000億(銀河にある星数)の1000億(銀河の数)倍?

 いや、きっとそれ以上だろう。

 世界の人口が70億人を超えたといって驚いているが、そんな比ではない。

 ビッグバンがひとつの宇宙の始まりであると同時に、それ以前にあった宇宙の終焉だったとすると、流れている時間はそれこそ無限といってもいい。

 宇宙の広さも無限だ。

 地球の年齢46億年がかすむ。

 現生人類の歴史20万年もかすむ。

 人間の、おそらくDNAに組み込まれているだろう最高寿命120年もかすむ。

 目がかすむ。

 あ、めがね、かけてなかったか。

 きのうのは東京へいって、高校時代のバンド仲間たちとおやじバンドの練習を3時間ほど演った後、お世話になった編集者、津久井さんの「いい日旅立ち」の会へいってきた。

 あれだけたくさんの人が集まるなんて、津久井さんは人望があったんだなあ。

 おっと、過去形はまずかった。

 津久井さんは長いあいだ勤めてきた会社を辞めて、新しい人生に踏み出しただけで、この世から消えたわけじゃない。

 帰ってきたら、児童文学雑誌「飛ぶ教室」の最新号が届いていた。

 特集は「日本発! ファンタジー」だ。

 自分の名前が、5人の実力派作家たちに比べてかすみそうになりながら、並んでいる。

ぐるぐるロケハン

2012年04月08日 テーマ:日常
 ロケハン、とでもいおうか。

 初めての児童書ノンフィクションで、ざっと書き上げた原稿にそって、市原市内の主要スポットを車でまわった。

 来週はいよいよ、担当編集者さんを迎えて、本番の撮影を行う。

 なんて、それほど大そうなものでもない。

 なぜ市原市内かって?

 それはその昔、この辺りに、上総国の市原郡があったからだ。

 どちらも東京湾へと流れ込む、現在の千葉市の村田川と、市原市の養老川にはさまれた広大な地域である。

 とある歴史辞典には、こう書いてある。

 上総国府市原郡ニアリ。

 で、いってきたのは、いまだに場所が特定されていないものの、もしかしたらここかもしれないと推定されている国府候補地で、国道297号線近くの市原、郡本、能満周辺だ。

 好天の日曜日だったので、国道には花見などの行楽にやってきた車がいっぱいだった。

 国道からちょっと奥まった場所にある、小さな神社や寺をめざしたのだが、一番困ったのは、どこに車をとめたらいいのか、にわかには分からないところだ。

 その昔、大伴家持が編纂に手を貸したといわれる『万葉集』に、市原郡から太宰府へ防人として旅立った人の歌がある。

〈庭中の阿須波(あすは)の神に小柴さし吾は斎(いわ)はむ帰り来までに〉

 この阿須波神社にたどり着くために、路肩に車をハザードしながらとめて降り、歩いていって、すれちがったおばさんにきいて案内してもらったまではよかったのだが、帰り道がすっかり分からなくなってしまった。

 方向感覚に関しては、最悪の自信がある。

 同じような場所をぐるぐる、ぐるぐる。

 まったくもって、ぐるぐる横町の妖怪にとりつかれたかと思ったよ。

 車に戻れたときは、心底ほっとしました。

KYと書いて

2012年04月05日 テーマ:日常
 こういうことにかちんときて、どうにかならないものかと思うのは、年をとった証拠なのだろうか。

 風が強く吹いた日、勤め先から少し早めに家路についた電車のなかだった。

 若い男女が2人がけ用シルバーシートにすわって、手をとりあい、いちゃついている。

 男はさかんに女の髪に鼻を近づけて、犬みたいにくんくんかいでいるし、女は男の肩に首をあずけて、へらへらしている。

 まあ、ふだんなら、そんなのに目くじらをたてても仕方がないのだろうが、今回はちょっと状況が違った。

 電車が駅に着いて、車内の乗客が若干入れ替わり、いちゃつく2人の目の前にやってきたのは、80歳はゆうに越えていると思われる、杖をついたおばあちゃんだった。

 そこはシルバーシートで、いちゃついている若い2人に身体的な障害は、まずもってうかがえない。

 2人のうちのどちらか、または両方が当然席を立って、おばあちゃんに譲るものと思ったのに、そんな気配がまるでない。

 電車が動きだして、目の前の手すりにつかまりながらよろよろしているおばあちゃんをちらちらと見ながら、2人はあいかわらず、公然といちゃついているのだ。

 いきなり不愉快になって、そいつらを無言でねめつけてやった。

 次の駅で、2人は急に席を立って、そそくさと電車から降りていった。

 やっと、おばあちゃんは座れたが、なんだか後味が悪い。

 年のころ20歳から25歳くらいの男女といえば、これからの日本を根底から支えていく、頼もしい期待の星の年代のはずなのに。

 何でいつまでもガキんちょなんだよ?

 恥を知らないのか。

 お年寄りを敬えないのだろうか。

 KYと書いて、軽蔑のヤングとしよう。

何ごともやってみる

2012年04月01日 テーマ:日常
 もう、4月になってしまった。

 きのうは一日中、砂嵐と雨が吹き荒れて、この世の終わりかと思った。

 でも、朝、目をさますと、窓の外に世界はまだ健在で続いていた。

 上総国府の原稿を書いている。

 というか、きのう1日で、主要な部分はもうほとんど書き上げてしまった。

 あとは「あとがき」を残すのみだ。

 上総国府とは律令時代、上総の市原郡(いまの千葉県市原市、つまりわが家からそれほど離れていない場所)におかれていた地方の都、とでもいえばいいだろうか。

 じつはまだ、遺跡が発掘されていない。

 え? それって、もしかして……。

 はい、ノンフィクションです。

 たからしげる、の名前でノンフィクションを書くのは、初めての試みだ。

 大昔、ハレー彗星が76年ぶりに地球に接近してきたとき、鈴木茂樹というペンネームで『ハレー彗星黙示録』(大陸書房)というちょっと、いや、だいぶ眉唾もののノンフィクションを書いて、本にしたことがあった。

 父がまだ生きていて、できあがった本を手渡すと、ほう、おまえすごいな、といって喜んでくれたっけ。

 1985年の出版だから、もう4半世紀も昔のことになる。

 あまり、売れなかった。

 売れなくても、生まれて初めての単行本の出版だったから、それだけがうれしくて、売れ行きなんかぜんぜん気にならなかった。

 いまは、売れ行きが少し気になる。

 児童書の作家として、創作を書いてきたけれど、ベストセラーにはほど遠い。

 絵本も出してもらったけれど、つぎが続かない。

 で、あいつ、こんどはノンフィクションに挑戦か、といわれそうだが、そういうわけではありません。

 何ごとも、やってみるのはよいことだ。

全10巻完結

2012年03月20日 テーマ:日常
 古今東西の妖怪にまつわる、おもしろこわい超短編のオムニバス、妖怪ホテル編集委員会編著、マスリラ絵「妖怪ホテル」シリーズ(ポプラ社)の第10巻『花の妖怪ホテル』がめでたく刊行になった。

 これにて、2010年7月に同時刊行された第1巻『海の妖怪ホテル』と第2巻『山の妖怪ホテル』を含めた全10巻がすべて刊行となって、事実上シリーズが完結した。

 当初は、請われて参加した1協力作家の身だったが、第3巻『地下の妖怪ホテル』から編集委員に名を連ねさせていただいて、以後は毎回の執筆になった。

 いやあ、それにしても毎回、毎回、テーマにそって執筆陣が書いてきた原稿を1つ1つ俎上に乗せては、ああしろこうしろといった話し合い会議は、楽しかったなあ。

 妖怪ホテルの支配人、松谷みよ子さんは会議のあいだ、いつもたいてい、こっくりこっくりとうたた寝をされている時間が多かったけれど、いざというときにはぱっと目をあけて、そこはこうじゃないの、みたいに、たいへん的を射た意見を口にされるのは、この人やっぱり妖怪か? と思いそうになったことも、ときどきあったっけ。

 議事進行役はいつも、いぶし銀の風格を備えた民話界の大家、藤かおるさんだった。

 自分の意見も述べながら、各種意見の飛び交う交通整理は、大変だっただろうな。

 ほかに、民話の権威・水谷章三さん、日中児童文学美術交流センター理事の森下真理さん、バルカン諸国の民話に造詣の深い八百板洋子さんと、全員がぼくより年上で、居心地がすこぶるよかった。

 協力してくださった書き手は阿部淳子、ネウストローエヴァ・ナターリヤ、金野博、しまなぎさ、しらみずさだこ、中島信子、高木あきこ、藤田のぼる、森田千恵子、やえがしなおこ、の各氏。

 編集を担当してくれたポプラ社の村地春子さんを含めて、最高の人たちばかりだった。

ヘルプ

2012年03月03日 テーマ:日常
 3月になっちまった。

 きょうはもう雛祭りだよ。

 そろそろ冬物のオーバーやズボン、コートなどを洗濯に出して、本やCDの整理整頓を行い、仕事部屋を春向きに改めたい。

 確定申告も、あれやこれやでずいぶん書き直しをしたけれど、やっと終わったし。

 ふだんの日は、バスと電車で片道1時間40分ほどかけて通勤しているから、行って帰ってくるだけでくたくただ。

 夜は、昔みたいに創作に励む、なんてまねがぜんぜん出来なくなってきた。

 やっぱり読書だよね。

 最近読んで、夢中になったのは、キャスリン・ストケット著、栗原百代訳『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(集英社文庫、上下)だろう。

 1960年代の米国、ミシシッピ州のジャクソンという人種差別の激しい町を舞台にしたヘルプ(黒人の家政婦)を巡る物語だ。

 全米でミリオンセラーとなり、映画化もされて、このほどメイド役を演じたオクタヴィア・スペンサーがアカデミー賞の助演女優賞を獲得したっけ。

 読み始めたら止まらないおもしろさで、確実におすすめの1冊。

 あとがきによると、著者のストケットさんは本書を書き上げて出版に持ち込むまでに5年もかかり、その間に、何と60もの出版社に持ち込みを断られたという。

 60回の拒絶だよ。

 2回や3回、いや5回や6回の「ちょっと企画が通らなくて、ごめんなさい」とは桁が違うよ。

 それで原稿を何度も何度も推敲し、書き直して、磨き上げたんだろうな。

 ことさらおかしくない場面でも、その独特の形容や表現で、ぷっと吹き出してしまう、ユーモア感覚もたっぷりだ。

 大好きな作家が、またひとり増えたぞ。

上総国分寺

2012年02月18日 テーマ:日常
 朝からよく晴れていたので、カメラをもってひとりで車を走らせた。

 まずは、JR五井駅東口へ向かう。

 平安時代に『更級日記』を書いた菅原孝標女の編笠姿のモニュメントを、ちょっと逆光だったけれど撮影した。

 ここを起点に、市原市内を東へのびる道路は『更級日記』にちなんで平成元年以来、更級通りと名付けられている。

 菅原孝標女は13歳のころ、それまで4年にわたって上総国司を務めていた父親が任を終えたため、一族郎党で京へ帰る長旅に同行し、そのときの体験を『更級日記』の冒頭に少女時代の思い出として書いている。

 物語に夢中な少女だったらしい。

 いまもってその正確な位置がわかっていない上総国府(上総国の政庁)は、現在の市原市内にあったことは確かなのだが、いったいどこにあったのだろう。

 つぎに向かったのは、上総国分寺跡だ。

 かつては地上60メートルという、奈良・東大寺の五重塔の2倍の高さを誇った七重塔の大伽藍がそびえたっていたというが、いまはひたすらだだっ広い草地になっている。

 カメラ片手に、身を寒風にさらしながら、ひたすら歩いた。

 人影がほとんどない。

 さらに、市役所をはさんだ向こう側にある上総国分尼寺跡へ車を走らせた。

 かつての金堂院南正面にあった中門と、ぐるっと四角く囲ってある回廊が、みごとに復元されていた。

 休日だというのに見物客は皆無といってもいいくらいで、掃除のおばさんがリヤカーに商売道具を積んでのんびりと押していた。

「こんにちは」

 声をかけると、おばさんはうれしそうに立ち止まって、話し始めた。

 天気から始まって、仕事、景気、健康、家庭、政治……と、独白はいつまでも続いた。

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