なんと、5年ぶりくらいにmixiに復帰してみました。わずか半日くらいでマイミク1000人超えました。すげえな。mixi。侮りがたし。

という、今日この頃なんですが、

100年超の長寿企業2万1000社 “最高齢”は1431歳の金剛組

てな記事を見つけました。
でも、別に長生きしている企業の文化的あるいは歴史伝統的な価値を否定するつもりはありません。それはそれでいいことだと思うのですが、企業としてみた場合に実際のところ長続きすること自体そんなにいいものなのだろうかなあ?と思うのです。

長続きする方法は、本業を適度に守ること、だけど本業が儲からなくなりそうだったら、本業を活かして時代にあった新しい事業に引き継ぐこと等など色々なノウハウがあるんですけど、企業そのものが長生きして、社会的に意義があるのか?あるいは、株主や従業員にとって意義があるのだろうか?と思うわけです。

たしかに、ずっと同じ会社で同じ仕事を定年まで続けたいという場合には長生きすることは大事だと思うのですが、その場合成長のチャンスを失うわけで、株主とかは本来得られるはずだったキャピタルゲインや配当所得を失うことになるわけです。また、安定した仕事を望む社員ばかりが残ってしまい、新しいことを考える人が相対的に社内に少なくなってしまいそうです。ただ、こういった会社には長年のお得意さんや会員組織のようなものがあるケースが多いでしょう。

社会的意義はどうでしょうか?伝統文化を引き継ぐという意味では確かに重要性はあるかもしれません。しかし、企業そのものが長生きしなくともその文化の担い手が残ればいいわけですから、任意団体やNPOのような形でもいいかもしれないし、むしろその方が営利目的でないし、株主などの利益要求も受けないのでいいのかもしれません。

株主という元々利益を求めてしまう存在が不可欠な株式会社には、長生きは必要ない気がするんです。むしろ、有限責任の良さを活かしてリスクを取って攻めていくための仕掛けなんだと思うんですよねぇ。

なんだか、会社を経営していた頃から、「長続きする会社」を持ち上げる傾向に疑問を持っていたんですよねぇ。しかも必要以上に株主・オーナーを軽視するわりには資金調達という金目的だけには資本市場を利用するという。だったら、NPO法人にでもなったほうがいいのでは?なんて思ってしまうんです。例えばTV局とか。

株式会社は、そもそも東インド会社の時からリスクの大きい香辛料貿易船事業なんかの為につくられた仕組みなんだから。長生きとかに向いてないと思うんですよねぇ。

どうでしょうかね?

ところで、一昨日書いた電気自動車エリーカの開発者清水先生の著書です。

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あのエリーカの加速感は凄いものでした。