自主的なゼミが始まった。

 先週は2回目。

 ゼミを終えると、参加する学生たちの対話ノートが届けられた。

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 そこには、他者との対話や自己との内的対話を通し、気づき、考え、書き留めておきたいことが書かれている。

 ぼくは言った。

「学び合いの中で、ゼミの仲間たちに語った内容を、また仲間の声を聴き、刺激された思いを、忘れずに書いておくといいよ。それは、教育・子ども・教師を生きることへの思考を深めることになるからね」

 ぼくは、届けられたノートを読みながら、ぼく自身の考えや気づきを書く。

 それは、答えではない。呼応する対話といってよい。

 こうした学びを1年間続けていきたいと思っている。

 ゼミに参加した学生たちに、この課題は課している。

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 そんな中から、ちょっとだけいくつかの文章を拾わせてもらうと…。

〇…新しい教職支援センターの中にはいる。先着女子2人。一番のりがとられた!悔しい(笑)。ははは!(この笑いはぼくの書き込み)

  先生は、話を引き出すのが上手だなあと思いながら、皆もたくさんの物語を持っているし、はやくいろいろ話をしてみたい…。(O君)

  ⇒O君。君のこのノートの書き方いいな。こんなタッチで学級のできごとを文章に綴ってお便りにすると、すてきな学級通信になるよ…。

〇…山崎先生の本は、ゼミでも言いましたが、1文字1文字が、これまでの先生の流してきた『涙の数』だと思うのです。きっと、私たちには想像もできない場面にも真剣に取り組んできたんだと思いますし、苦労した分、私たちが味わったことのない喜びを感じてきたのだと思います。その喜びが苦労を上回るからこそ、教育というものが大好きでいられるのだと思います。…。(Kさん)

  ⇒ゼミの中でKさんがこの言葉を言ったとき、ぼくはドキリとして、思わず声をあげた。

「そうなんだ。ぼくの本に書かれた文章の一つ一つには、Kさんが言ってくれたように、たくさんのドラマがあり、『涙の数』が隠されていて、またその分『喜び』もつまっているんだよ」 

〇…私は読書が嫌いですが、この本を読んで、涙があふれてきました。先生のあたたかな子どもを見る目に憧れます。(Aさん)

  ⇒こんな書き方で、対話ノートをはじめたAさん。Aさんの言葉の中には次のような言葉もある。

 ≪「自分の喜び」を人は誰か安心できる人、信頼できる人に伝えたいと思うはずです。私は人に聞いてもらえると、話していることが気持ちよくなってきます。その相手が、クラスのみんなだったら、きっとクラスは安心できる居場所になると思います。「聞く」ことを大切にできるクラスをつくりたいです…≫

  すてきな言葉だ。ぼくがもっとも大切にしている『聴く』ということについて、ぼくが説明をしないのに、その持つ意味を鋭く感じ取っている。

〇…「人はみんな、自己の存在を肯定し、受けとめ愛してくれる仲間や人々の中で、その人々の期待に応えて、新しい自分づくりをはじめるのではないでしょうか」―この一文がとても好きです。期待されてる時には苦しいけれど、されないと悲しいです。…(Sさん)

  ⇒これも対話ノートの一文。ぼくの本を読みながら、刺激された言葉に触れいる。

  こうしたことを続ける中で、すこしずつSさんもまた、新たな自分と出会うのだと思っている。

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 4月22日の『折々のことば』(鷲田清一)は、このゼミについて、ロラン・バルトの言葉を紹介しながら触れている。

≪ゼミナールは、私にとって、(軽い)錯乱の対象であって……この対象に惚れ込んでいる≫

 そして、短い鷲田の一文にはこんな言葉も…

「ゼミナールはラテン語の「種」に由来する。ゼミナールは種が蒔かれる場所、教師も学生もなくそれぞれに弾ける場所なのだ。そこでは確定した何かが伝授されるのではなく、解らしきものはみな宙吊りにされる。

 足場を崩され、めまいに襲われる。そしてそういう交感が何にも代えがたい悦びとなる。」

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 ぼくもまた、ゼミの開始にあたって参加の意志を伝えてきた学生たちにいった。

「この学びの広場・自主的なゼミは、小学校の教師になる人を対象にしています。しかし、試験に受かるための対策や学習をする場ではありません。今日の子どもをとらえる目、教育・学校について、また授業の豊かさについて深く考えること、そして、教師人生を生きる上で、かけがえのない基盤となるような、立ち戻ることのできるような学びを進めることです。そのことに納得したら、いらっしゃい」

 と語っている。

 今年が最後のゼミ生となるが、彼や彼女たちが、一粒一粒の「かけがえのない“種”」となり、教師となって子どもたちと出会い、ゆたかに弾けることを楽しみにしている。