ジョウビタキ | SF好きのアートナビゲーターが書く短編小説

ジョウビタキ




S駅からバスに乗り、O薬科大学へは20分程で到着する。朝の授業前に大学の正門近くに着くバスからは、たくさんの学生が降りてくる。
大学の朝の風景としては、ごくありふれた風景だが、O薬科大学の風景は少し違う。バスから降りる学生みんなが、「おはよう」とバス停の横にある桜の木に向かって声を掛けるのだ。

春になって、新しくO薬科大学に入学した新入生達も、冬の季節になると、先輩を見習い必ずその木に「おはよう」と声を掛けるようになる。今年から新入生になった可奈もそうすることが、O薬科大学の学生になったことを実感できてうれしかった。

正確には桜の木にではなく、その木にとまっている「ジョウビタキ」と言う名前の小鳥に「おはよう」と言うのだが、可奈はなぜみんながそうするのかはわからなかった。

「ジョウビタキ」はスズメによく似た胸の赤い鳥で冬の間中国モンゴルやシベリアから日本に越冬のため飛来する鳥で可愛く甲高い声で鳴く。

「ねえ、どうしてみんなあの鳥におはようって声をかけるのかしら」可奈は、高校からの同級生で仲の良い優子に、入学以来疑問に思っていたことを思いきって聞いてみた。

「うーん、私も詳しいことは知らないんだけど、十数年前にあの鳥と、この大学の生徒だった女の子との間に物語があったんだって」

「そうなの、物語ね・・・」可奈は冬の葉が落ちた桜の木にとまり、首を傾げながらバスから出てくる学生を見続けるジョウビタキを不思議そうに眺めながら校舎へと急いだ。

「母さん、今日はあの可愛い鳥さんは来ないのかしら」まゆみは、寝ているベッドの横にある窓から見える桜の木をみて寂しそうに母親にたずねた。

「そうね、今日は違う木に行ってるのかしらね」母親は、お見舞いにもらったガーベラのアレンジメントをテーブルに置いてまゆみに言った。

「まゆみ、昨日もらったお薬はきちんと飲んでるの。薬学生なんだから決まった薬を飲まないとだめよ」

まゆみは入学後の健康診断で、慢性骨髄性白血病だとわかった。
O薬科大学の姉妹校の医科大学付属病院に入院したまゆみの落ち込みは大きく、しくしく泣いては母親を困らせていた。

まゆみが変わったのは、まゆみの寝るベッドから見える桜の木に、可愛い小鳥がとまるようになってからだった。毎朝、来てはまゆみを興味深そうに眺めては、何かを話しかけるかのように鳴くのだった。

「冬になって、あの子が来て、あの桜の木にとまって私をずっと見て、可愛い声で鳴くのよ、もう、私の手にも乗るようにもなったわ、お母さん」

「そうなの、よかったわね。そうそう、昨日、回診に来ていただいた先生がおっしゃっていたけど、あの小鳥はジョウビタキっていう名前だそうよ。冬に来て春になると中国の方に帰るんですって」
母親は、まゆみが小鳥のおかげで笑顔が出るようになって嬉しかった。

「春になると、帰っちゃうんだ、小鳥ちゃん。それまでに私、元気になって退院できるかな」

「大丈夫よ、元気になるよ」母親は、まゆみの髪を優しく髪をといて元気づけた。そして、櫛についた髪の毛をまゆみに気づかれないようにそっと自分のバックに入れた。

「あら、小鳥ちゃんが来たわ」まゆみはうれしくて声を弾ませた」

ジョウビタキは、少しも警戒をせず、まゆみの胸元にとまった。じっと、まゆみの顔を眺めては満足そうに、まゆみに話しかけるかのように鳴くのだった。

「よし、よし、朝ご飯だよ」ジョウビタキは、いつものようにまゆみの手の平にある小さなパンをついばんだ。

「一杯、食べるんだよ」最近では、まゆみの手からもパンをついばむほどになっていた。お腹が一杯になったのか、ジョウビタキはまゆみの回りを飛び回り、最後にお礼をするかのように二度三度おじぎをしてからさよならをした。

そんなまゆみとジョウビタキとの関係がつづいた。症状がゆっくり進む慢性骨髄性白血病ではあったか、確実にまゆみの体を蝕んでいた、体力も落ち痩せ細ってきたまゆみを元気づけるかのように、ジョウビタキは今まで以上にまゆみの体に摺より、じっとまゆみの顔を眺めては精一杯の声で鳴くのだった。

ジョウビタキがやって来た冬はその姿をひとつひとつ消してゆき、主役が交代するように、そっと春の気配の後ろへと下がり始めた頃、まゆみの様態は悪くなり食事もあまり取れなくなっていた。

「先生、この子を生かせて下さい。私の命をあげますから、後生ですから、この子を、この子を、」

「精一杯の治療をしてゆきましょう。まゆみさんも、辛い放射線治療を泣き言もいわす耐えてこられました。できる限りの治療はさせていただきます、大丈夫です、お母さん。」

「この子は、小さい頃から病気がちで、だから、病気の子供を助けてあげれる薬剤師になるのが夢だったんです。難病を治す薬をつくるんだって、いつも私に」それ以上は言葉にならず母親は泣き崩れた。

まゆみは、痛みどめの麻酔が効いており眠っていた。先生がまゆみの様態を診て、隣の病室に回診に行った後、しばらくして、まゆみが目を覚ました。

「お母さん、私、夢を見ていたの。私ね鳥になって大空を飛んで、遠い国に行ってるの、いつも来る小鳥ちゃんが横に一緒に飛んでるの。本当に飛んでるようだったわ、不思議ね」まゆみはそう言っ、て窓から差し込む暖かい日差しを受けながら遠くを見つめた。

病室から見える桜の木には、この春の訪れを待ちわびるかのように、小さなピンク色の可愛いつぼみが芽を出しかけていた。
ジョウビタキは春の訪れと共に中国大陸に旅立つ、それは、同時に、まゆみとのお別れが来たこととなる。

ジョウビタキは、旅立つ決心を決めたのか、まゆみにお別れのためにいつものように、まゆみの元にやって来た。ベッドに眠るまゆみはいなかった。ジョウビタキは病室を飛び回りまゆみを探し続けた、しかし、まゆみのいない真っ白なシーツが掛けられたベッドは、暖かさを保ってはいなかった。もう、笑いながら手からパンを食べさせてくれるまゆみはいなかった。

桜の花が咲く前に、まゆみは旅立った。そして、ジョウビタキもまゆみに最後のお別れをできずに中国に旅立っていった。

この、まゆみとジョウビタキとの話は、悲しみをもってO薬科大学の学生たちに伝わった。

まゆみが亡くなってから翌年、冬の寒い日、バスから降りて大学の学舎に向かおうとしていた女学生が、まだ葉っぱのない桜の木にとまるジョウビタキに気がついた。

「あら、昨日もあの小鳥ちゃんあの桜の木にとまって、私たちを見ては可愛い声で鳴いていたわ。誰かを探してるように、バスから全員が降りるまで、ずっと、ずっとこっちを見て、桜の木にとまっているのよ」このことは、まゆみを身近に思っていた学生達の口から口へと、すぐに学生たちに広まった。

そして、あの、まゆみが愛したジョウビタキだと皆が思うことに時間はかからなかった。学生達は自然とジョウビタキにおはようと声を掛けるようになっていった。夢を叶えられなかったまゆみを思いみだを浮かべる者さえいた。

時が過ぎるのは早く、まゆみと同窓の学生達も卒業していった。十数年の月日は人の記憶を消し去るには十分の時間だった。次第にまゆみとジョウビタキの物語は忘れられていった。

ただ、不思議と毎年やって来ては、この桜の木にとまり学生達を見続ける、ジョウビタキに、「おはよう」とあいさつすることだけが卒業生たちから、新入生に伝えられていたのだった。

数十年たった、今、O薬科大学の新入生となった可奈は、春が来てジョウビタキが中国へと旅立ったあと、この物語のことを仲の良い同級生の優子から教えてもらった。薬剤師になるという夢を持って入学した可奈は、まゆみのことを切なく思うのだった。

春になって、ジョウビタキが去った桜の木は満開になった。まゆみは満開の桜を見たかっただろうなと可奈は思い、彼女の分まで頑張ろうと思った。

そして、来年も、次の年も、ジョウビタキが、この桜の木にとまり私たち薬学生を見ていてくれますようにと、満開の桜の木を見て願った。数枚の桜の花びらが、学舎へ急ぐ学生達の後を追うようにいつまでも舞い続けた。

終わり