虫歯が教えてくれたこと | 12枚の羽根の歌

12枚の羽根の歌

生きることは踊ること!

ひさびさに歯医者に行った。
恐怖を乗り越え(大げさ……とも言い切れないんだなぁ、これが)。

おとといくらいから鈍く痛み出したのは、数年前に奥歯を一本抜いたがために、じわじわ出てきてた親知らず。

奥歯を抜いたのもけっこうショックだったので(痛みがひどくて、レントゲンで見たら根が粉々になってた)、「やった~、代わりの歯が仕込まれてた!」って嬉しかった。

そしたら、出てきた親知らずはちょっと向きが変だったりしたこともあって、磨きにくく、そこから虫歯になったっぽかった。

それに気づいたときの、目の前が真っ暗になった感じといったら。
ああ、私はまた、無垢できれいだったものを、自分の至らなさでダメにしてしまった、って落ち込んだ。
ほんとは歯医者にだって行かずに、無視しちゃいたかったくらい。

でも、ここで向き合わずにいつ向き合う、と思って、
意志の力を総動員して、電話をかけたのさ。

子どもたちの係りつけで、とっても信頼できる歯医者さん。やたらに「治療」しないのです。それよりも、「なぜ虫歯になったのか?」「本質的にどうしていきたいか?」を大事にしてくれる。ホリスティックな歯医者さん。

んでいろいろ気づいた。

<気づきその①>
生老病死って、人はけっして避けて通ることができない。生まれたら人は必ず死ぬし、そこに向かっていく過程で、必ず衰えていく。

虫歯ゼロでも、人はいつか必ず死ぬ。
どんなに美しいままでいたくても、
どんなに健やかでいたくても、
どんなに老いを先延ばしにすることができたとしても、
どこからか必ず下降線が始まり、美しさも健やかさも、少しずつ失われていく。

歯がなくなっていき、
髪が薄くなり、
白髪になり、
肌がシミとシワだらけになり、
関節が痛んだり、
内臓の働きが悪くなったり、
病気持ちになったり、
目が見えなくなったり、
声がガサガサになったりする。

もしそういうことが「不幸」なのだとしたら、
人はみな、「不幸」で終わるようになっている。

般若心経の一部を思い出した。

「不生不滅 不垢不浄 不増不減」

生まれるものもなく、消え去るものもなく、
穢れもなく、清らかさもなく、
増えることもなく、減ることもない。

美しいも醜いもなく、
良いも悪いもなく、
健康も不健康もない。

すごい。一気に垂直に次元が飛び上がる出口だ。

ただ虫歯になっただけで、世界が足元から崩れ落ちるような気分を味わったんだけど、
それは、寄って立ってた世界が、「美しさ、健やかさ」を良しとする世界だったからなんだ。

美しいことも健やかであることも、確かにすばらしく良いことなんだけれど、
それだけが唯一の基準になってしまっていたら、「ただある幸せを感じられない」状態と、紙一重なんだなぁ。

よく「感謝できることを見つけるといい」とか「理由のある幸せは、はかない」って言ったりするのは、
「幸せ」に根拠があると、そのすぐ裏に「失う不幸せ」があるからなんだなぁ。

うわー。
虫歯よ。気づかせてくれてありがとう。やたらめったら「感謝」ネタを探すのは無理がある、って感じたこともあったけど、素直にそんな気持ちになったよ。

虫歯はあるけど、
ゆくゆくは、歯をまた失うかもしれないけれど、
それと引き換えにして余りあることを教えてもらった。


<気づきその②>
私は、虫歯に「なってしまった」のではなくて、せっせと餌をやって、虫歯を「育てた」んだな。
虫歯菌ちゃんが大好きな環境を作って。

命ってなんだろう、と思う。
命は大事。それなら、虫歯菌だって、命じゃないか。と、ふと感じた。

歯医者さんと一緒に、今後どうしていこうか、って考えながら、「……何だかんだいって、私は虫歯に自分で餌やって育てたんだなーと思いました」って言ったら、
先生、「うん、それもそうだけど、自分だってそこに悦びはあったと思うんだよね」っておっしゃった。

なんだか、その一言に、ガツーンとやられた。

それまで、「いっときの快楽に負けて甘いものを食べて、虫歯菌に栄養を与えてしまったダメな自分」ってイメージを持っていたんだけれど、

アタマの中に、「わーい」って喜んでる虫歯菌と、同じく「わーい」って喜んでる自分の像が浮かんで、
なんだかおかしいような切ないような、
なーんだ、われわれ、悦びを共有した仲間なんじゃん、って不思議ないとおしさを感じてしまった。


……てなことにガツンガツンと気づかされた一日でした!
ものごと、思い通りにならなくなったからこそ、学べることがある。

生きるってどういうことだろう。
老いるって。
病むって。
死ぬって。

ひとつひとつ、こうして、出会っていくんだろうなぁ。

お釈迦様だって、既存の発想からは答えが見つからないから、出家されたんだものね。

美しさも健やかさも、私にとってはやっぱり大切なことだけれど、
その向こうに、さらにもっと奥深いものがあるんだなぁ。