親分ありがとう!大沢啓二さん通夜に1200人
スポーツ報知

祭壇に飾られた大沢啓二氏の遺影

弔問に訪れた長嶋茂雄氏(代表撮影)

親分との別れを惜しんだ張本勲氏

 『ロッテや日本ハムで監督を務め、7日に胆のうがんで亡くなった大沢啓二さん(享年78歳)の通夜が13日、東京・港区の増上寺光摂殿で営まれ、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督、野球評論家の張本勲氏、みのもんたら球界、芸能関係者の約1200人が別れを惜しんだ。法名は「将導院球岳日昭大居士(しょうどういんきゅうがくにっしょうだいこじ)」。愛称である「親分」の意味を「将」に込め、また由紀子夫人(77)の意向で「球」という文字が加えられた。

 「親分」の面倒見のよい性格を示すように、会場の外まで多くの関係者が焼香の列を作った。TBS系「サンデーモーニング」で共演していた張本氏は、祭壇に飾られた笑顔の遺影を見て「あれは『あっぱれ』を言った時の顔。もう1回話せるならやっぱり『喝』『あっぱれ』の話がしたい」としのんだ。

 張本氏によると、大沢さんは最後まで胆のうがんに侵されていることをなるべく周囲には漏らさなかったという。同氏が最後に都内の病院を見舞ったのは、亡くなる4日前の3日。「元気だったけど、そこから急変した。残念です。くだらない私の性格をフォローしてくれた。本物の兄貴みたいでした」と別れを惜しんでいた。

 葬儀・告別式は14日正午から同所で営まれる。』

 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(立大時代の後輩)「大学時代からプロに入ってもいつも気にしていただいて、激励されていました。とにかく野球が大好きで、寝ても起きても野球のことばかり考えておられた方でした。野球界のために頑張ってくれた大先輩がまた一人いなくなって、寂しい限りです」

 ◇主な参列者 大社啓二(日本ハム球団オーナー)、藤井純一(日本ハム球団社長)、島田利正(日本ハム球団代表)、加藤良三(日本プロ野球コミッショナー)、張本勲、黒江透修、長嶋茂雄、江夏豊、東尾修、山本浩二、衣笠祥雄、土橋正幸、梨田昌孝(日本ハム監督)、田中幸雄(日本ハム2軍打撃コーチ)、原辰徳(巨人監督)、篠塚和典(巨人打撃コーチ)、小笠原道大、高橋由伸、古城茂幸、実松一成(巨人)、みのもんた、梅宮辰夫、菅原文太、浅香光代、徳光和夫=敬称略、順不同=

いまだにニュース等、一切見ていません。無理です(号泣)



あっぱれ三唱!!大沢親分に永遠の別れ
スポーツニッポン

監督当時の日ハムの球団旗に包まれた棺が車へと運ばれる

 『7日に胆のうがんのため死去した、日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二氏(享年78)の葬儀・告別式が14日、東京都港区の増上寺光摂殿で営まれた。選手、助監督として日本シリーズで戦ったソフトバンク・王貞治球団会長ら関係者800人が参列。野球を愛し続けて逝った大沢親分をしのび、冥福を祈った。

 パ・リーグ一筋のプロ人生。弔辞に立った日本ハムの大社啓二オーナーが「ファイターズを育て愛してくれた」と感謝したように「人気のセ、実力のパ」と言われたリーグを盛り上げた。9月19日のTBS「サンデーモーニング」で“最後のあっぱれ”を出したのが4番で送りバントしたソフトバンク・小久保。王会長は「なぜ4番に?という声がある中で正しく評価してくれた。大沢さんの真骨頂。人間的な魅力が素晴らしい人で、球界には大きな損失」と惜しみ、同番組で共演してきた張本勲氏(本紙評論家)は弔辞で「来世でまた“喝”“あっぱれ”をやりましょう」と天国へ呼びかけた。

 葬儀委員長の黒江透修氏(日本プロ野球OBクラブ理事長)の音頭による「あっぱれ三唱」に送られ、愛用の帽子とサングラス、81年リーグVの球団旗などが入れられた棺が出棺。約200人のファンも「あっぱれ」と声を上げ、大沢親分に永遠の別れを告げた。』

 ▼岩本勉氏(元日本ハム)ゆっくり休んでください、そして今後もよろしくお願いします、と声をかけました。ユニホームで指導を受けたけど、キャッチボールをしたことがなかったので、一度やりたかったです。

 ◆主な参列者 日本ハム・大社啓二オーナー、島田利正球団代表、山田正雄GM、金子誠、田中賢介、黒江透修・日本プロ野球OBクラブ理事長、ソフトバンク・王貞治球団会長、張本勲、田淵幸一(ともに本紙評論家)、杉下茂、吉田義男、江夏豊、谷沢健一、江本孟紀、川藤幸三、白井一幸、光山英和、岩本勉(いずれも野球評論家)関口宏(キャスター)、江川紹子(ジャーナリスト)錦野旦(タレント)=敬称略、順不同





関口宏が弔辞「悔しい残念」
デイリースポーツ

 『日本ハム監督などを務め、7日に胆のうがんのため78歳で死去した大沢啓二(本名=昭)氏の葬儀・告別式が14日、東京・港区の増上寺光摂殿で営まれた。
  ◇  ◇
 大沢氏が11年間レギュラー出演していたTBS系「サンデーモーニング」の司会者・関口宏(67)は「元気なお姿を見られないと思うと、悔しいし残念でなりません。野球はもちろん、いろんなスポーツ、世の中のありさまに、天から『喝』『あっぱれ』と声を送って下さい」と弔辞を読み上げた。

 またレギュラー出演者で野球解説者・張本勲氏(70)との衝突が原因で6月に同番組を降板したジャーナリストの江川紹子氏(52)も“ニアミス”参列。斎場では張本氏と関口氏が並んで座る席からは離れた場所で、最後のお別れをしていた。』





沖縄からも大沢氏に感謝
デイリースポーツ

 『日本ハム監督などを務め、7日に胆のうがんのため78歳で死去した大沢啓二(本名=昭)氏の葬儀・告別式が14日、東京・港区の増上寺光摂殿で営まれた。
  ◇  ◇
 大沢さんは日本ハム監督時代にプロ野球初の沖縄キャンプを行い、現在多くの球団が沖縄キャンプを行う足場を築いた。葬儀には日本ハムがキャンプを行う名護市の稲嶺進市長も参列。仲井真弘多県知事からも「沖縄が国内屈指のキャンプ地となったのは、あなたのご英断のたまものです。県民はあなたの笑顔を忘れません」と弔電が届いた。』





長嶋氏、大沢親分の祭壇前で立ち尽くす
サンケイスポーツ

 『7日に胆のうがんのため死去した、プロ野球元日本ハム監督の大沢啓二(おおさわ・けいじ、本名昭=あきら、享年78)氏の通夜が13日、東京・港区の増上寺光摂殿(こうしょうでん)でしめやかに営まれた。日曜朝のTBS系番組で共演していた張本勲氏(70)、立大の後輩の長嶋茂雄・巨人終身名誉監督(74)、日本ハム・梨田昌孝監督(57)ら約1200人が別れを惜しんだ。葬儀・告別式は14日正午から同所で営まれる。 

 立大の2年後輩にあたる長嶋氏は焼香した後、祭壇の前で10秒以上もじっと立ちつくした。大沢氏から所属の南海に誘われながらも巨人に入団した経緯がありながら、水に流して親しく接してくれたという。「大学時代からいつも気にしていただいて、激励されていました。野球界発展のためにがんばってくれた大先輩が、またひとりいなくなって寂しいかぎりです」とコメントした。』





親分通夜に1200人遺影にはあっぱれの写真
日刊スポーツ

通夜が行われた大沢啓二氏の祭壇

 『天国でも「親分」で-。7日に、胆のうがんで急逝した元日本ハム監督の大沢啓二氏(享年78)の通夜が13日、東京・港区の増上寺で営まれた。親交が深かった巨人長嶋茂雄終身名誉監督(74)張本勲氏(70)ら球界関係者を中心に約1200人が参列し、故人との別れを惜しんだ。戒名は「將導院球岳日昭大居士(しょうどういんきゅうがくにっしょうだいこじ)」。親しまれた「親分」の愛称を意味する「將」の1字を入れて名付け、最後まで強烈な個性を示し天国へと旅立った。告別式は14日、正午から同所で行われる。

 豪快に、しっかりと歩んできた大沢氏の人生を証明するように、愛情いっぱいのお別れだった。訪れた1200人の参列者は会場に入り切ることができずに、長蛇の列は最長で約100メートルにもなった。近くにそびえ立つ東京タワーにライトアップされた増上寺が、悲しみに包まれた。約1万本の花で飾られ、丸く縁取られた祭壇の中央には、和服姿でほほ笑む遺影が飾られた。立大野球部の後輩でもある長嶋終身名誉監督は左手を合わせ、神妙に約7秒間、目を閉じて悼んだ。

 突然の死去から6日後。参列者は、ようやく悲しい現実を直視することになった。TBS「サンデーモーニング」で共演してきた張本氏は「今でもご飯に行こう、と誘われそう。遅かれ早かれ私も向こうにいく。その時はまた掛け合いをしたい」と、打ちひしがれた。闘病中の10月3日にお見舞い。完治が厳しいと担当医から知らされていたが、大沢氏は最後まで弱音を吐かなかったという。

 万人に愛された人間性は戒名に込められた。「將導院球岳日昭大居士」。その先頭の「將」は遺族の意向もあり大将、将軍など「親分」を意味するような1字を加えた。他には野球から取った「球」など、大沢氏の生きざまを象徴するように名付けた。張本氏が「大沢さんの代役は誰にも務まらない」と悲しみにくれた。そんな激動と情熱の人生が、戒名に刻まれた。

 日本ハムOBだけではなく、巨人小笠原、高橋らも駆けつけた。日本ハム監督時代にともに戦った江夏豊氏は「グラウンド上では監督だったが、離れれば親子みたいだった」と、しみじみと回想した。遺影の前でたたずみ、別れを惜しむかのように、最後に会場を後にした。遺影には晴れ晴れした表情の1カットが選ばれた。張本氏は「あれは『あっぱれ』と言っている時の顔なんだよ」と名残惜しんだ。不世出の親分は注いだ以上の愛情に包まれ、天国へ送り出された。』





大沢親分さらば「あっぱれ!」来世でも…
サンケイスポーツ

 『大沢親分に「あっぱれ」でお別れ-。7日に胆のうがんのため死去したプロ野球日本ハム元監督の大沢啓二氏(おおさわ・けいじ、本名昭=あきら、享年78)の葬儀・告別式が14日、東京・港区の増上寺光摂殿(こうしょうでん)でしめやかに営まれた。ソフトバンク・王貞治球団会長(70)ら800人が参列。日曜朝のTBS系番組で共演していた張本勲氏(70)が弔辞を読み上げた。

 「あっぱれ! あっぱれ! あっぱれ!」

 告別式の最後に全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の理事長として葬儀委員長を務めた黒江透修氏(71)が「最後は“あっぱれ三唱”で送り出しましょう」と音頭をとると、参列者が声を震わせながら故人の名文句を叫んだ。

 誰からも愛された“大沢親分”らしい、温かいお別れだった。約800人の参列者は会場に入りきらず、焼香の際には長蛇の列ができた。ファン200人は会場脇に設けられた一般用の焼香台でお別れし、出棺の際にはすすり泣きが聞こえた。

 棺の中には、愛用品に加え、大沢氏が病床で最後まで握りしめていた硬球や1985年に発売したレコード「頑固親父の目に涙」のカラオケ版カセットテープ、「あっぱれ!」「喝!」と書かれたうちわと扇子、天国でもサインができるようにと筆ペンも納められた。その後、棺は日本ハム監督としてリーグ優勝を飾った1981年当時の球団旗に包まれた。

 日曜朝のTBS系「サンデーモーニング」で大沢氏と11年間、ご意見番コンビを組んできた張本氏は、目を潤ませて弔辞を読み上げた。

 「人によれば、来世があると聞きます。また『喝!』『あっぱれ!』をやりましょう。78年間、野球一筋に生きてこられた大沢さんに『あっぱれ!』です」

 “大沢親分”は、天国からも球界を叱咤激励し続ける。』

張本氏・弔辞全文

 『大沢さん、悲しい、悔しい。残念でなりません。呆然としています。テレビでご一緒して11年間、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 振り返れば昭和34(1959)年、51年前。私が新人のころ、駒沢球場の外野あたりで『お前が張本か、頑張れよ』と、同じ外野手の大先輩から声をかけていただきました。

 以来、半世紀。ご交際いただき、お世話になりました。大沢さん、人生を目いっぱい生きてこられた。どうか安らかに、ごゆっくりお休みください。

 人によれば、来世があると聞きます。いずれ早いか遅いか、私どももそこに参ります。また「喝!」「あっぱれ!」をやりましょう。78年間、野球一筋に生きてこられた大沢さんに「あっぱれ!」です。』





パCS試合前に大沢親分しのび両チーム黙とう
サンケイスポーツ

試合前、故・大沢啓二氏へ黙祷を行う西武ベンチ

 『パ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ(3試合制)の西武-ロッテは9日、西武ドームで開幕し、胆のうがんのため7日死去した元日本ハム監督の大沢啓二氏をしのび、試合前に黙とうがささげられた。大型スクリーンには生前の様子が映し出され、両チームの選手がベンチ前に整列。プロ野球の発展に大きく貢献した故人の冥福を祈った。』

拾い損ねていたネタ。理由は推して知るべし(爆) 鷹基も同所で黙祷させて頂きました。

£ism ちび俺様徒然草-人気ブログランキングバナー1
にほんブログ村 野球ブログへ  にほんブログ村 野球ブログ 埼玉西武ライオンズへ

アップ ランキング参加中 アップ
よろこび クリックで応援よろしくお願いします よろこび

★NOTICE★
★コメントは承認制です★
★記事に関係ないコメントは表示されません★