謎の解明 | ニート親父の副業日記

謎の解明

前回の続きでごわす。


二つの自由軒のミステリーを調べました。。。

自由軒    :株式会社自由軒(大阪市阿倍野区)飲食業 創業明治43年

せんば自由軒:株式会社自由軒(大阪市中央区)  飲食業 創業明治43年


おかしいなーー??登記場所が違うだけで、おんなじやん???

そこで、昔のことを調べました。。。


自由軒の歴史は、食堂店主であった吉田忠次郎の、その弟である吉田四一とその妻たねが、明治43年に大阪の千日前に創業した飲食店が始まりです。

吉田四一はカレーの研究を極め、名物カレー(今の原型)を創作しました。

(リッパリッパ)

やがて戦争が激しくなり食べるのにも困る時代を経ましたが、終戦後、吉田四一の子供である次男吉田四郎と五男吉田憲治が再興を計りました。(ワッサワッサ)

四郎と憲治の努力により名物カレーは大阪の味として親しまれるようになりました。(ヨカッタヨカッタ)

その後、昭和45年に大阪の船場に支店を出し、吉田憲治が責任者になりました。(ソウカソウカ)

とまあ、ここまではいいのですが、( ここからは推測です・・・。)


やがて、憲治はこう考えるようになりました。。


   ・・・自由軒の味を全国にも広めたい・・・


そこで、千日前の四郎に相談しました。


四郎は言下に言いました。

”いかん!名物カレーの味は千日前の店の鍋の中でしか作れん。味を守れる保証がない限りそれは無理だ!”


憲治は反論しました。

”多くの人に自由軒の味をたのしんでもらうのがわれわれの務めではないか!!”


四郎は反論しました

”門外不出の秘伝の味が再現できるわけがない。自由軒のやりかたは守らねばならぬ!!!”


憲治:その殻をやぶってこそ自由軒の発展があるのではないのか。!!!!


四郎;ひたすら伝統を守ってこそ自由軒の真の値打ちがあるのだ。!!!!


憲治:もっと近代化せねば時代に遅れる!!!!!!


四郎:味の質が変われば、自由軒の名が廃る。!!!!!!


憲治:やればできる!!!!!!!!!!!

四郎:よのなかあまくはない! !!!!!!!!


憲治:%#$&|%クソ%%%%%!(`×´)

四郎:&\=%#ボケ$*$&$#!(゙ `-´)/

憲治:%$$*&デブ?%&&`@!\(*`∧´)/

四郎:$$0\@ブタ%`#@¥ヾ(。`Д´。)ノ

憲治:%$%シネ$%$%@#!(◎`ε´◎ )


四郎:ええい、できるものならやってみろ!! パンチ!

憲治:ええい、もうかってにやるわい!!    パンチ!


と、いうやりとりがあったかはどうかはわかりませんが・・・?


これに近い激論があったことは想像に難くないところでしょうか。

(チガッテタラスイマセン)


現在はレトルトの通販や全国フランチャイズ展開を計るのが、

  ○せんば自由軒:社長吉田彰宏氏(憲治の子供)

そして、本家の伝統を完全な形で守っているのが、

  ○自由軒:社長吉田尚弘氏(四郎の孫)

とのことのようです。


えーと、彰宏氏から見ると、尚弘氏は従兄弟の子供に当たりますか。。


今は、絶縁状態のようですが、どちらもかんばってほしいですね。

(一澤帆布のように裁判沙汰にはなりませんように・・・)



さてさて、骨肉のバトルミステリーが解決したところで。。・・・


最後にここで「楽天ランキング1位」のお買い物でもお楽しみください。。。


今日も、ご覧いただき誠にありがとうございました(笑)