いわき中部の沿岸部。 | H i Bi no A T O

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風景写真家 高橋智裕のBLOG
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私のふるさといわき市は、日々少しずつ変化を遂げています。
いわきの中心、平といういわき駅がある地区から小名浜まで繋がる通称鹿島街道は、この数ヶ月で大型ファストフード店がオープンを前にしていたり、カラオケ店の経営が変わっていたり、賃貸アパートが増えていたりと、東京資本の店舗等が一気に進出しているように見えます。
確かにそれだけの需要があるかも知れません。
ただ、震災以降の進出ぶりは異常な程です。
これが後々まで続くのなら1田舎都市にとっては大変喜ばしいことですが、いわゆる震災特需という言葉が頭を離れません。
そんな状況の中、小名浜港は、十年後にはどんな風になっているかと、こちら(いわき)に住んでいる時よく息抜きに行っていた埠頭から観える景観の変わりようを観てしばらく考えていました。
これから大型ショッピングモールが出来、旅客用の鉄道や、高速道路の小名浜への直通という話しも出ているようです。
便利になることは良いことです。
しかし、それが元々住んでいた人たちの総意のうえに進められているかは、何度も何度も確認をしながら進めなければならないと感じます。
そして何より、この小名浜から数キロ離れた東日本大震災による津波の影響を大きく受けた地区は、この小名浜の進み具合とはかけ離れた3年を送っています。
町の発展は喜ばしいことですが、今回の震災ですべきこと、それは、街が破壊された地区の復活だと感じます。
港には、多くの釣りをする人たちの姿が戻ってきました。
沿岸部の街でも、他の地域で普通に行われているような地区ごとの小さなお祭りに多くの笑顔が戻ってきました。
しかし、今も多くの人たちが借り上げ住宅や仮設住宅での生活を強いられています。
それを復旧に携わる人だけではなく、いわき市民すべてが感じていなければならないと思います。


(沼之内地区での伝統行事獅子舞)


(豊間築港から塩屋埼灯台を望む)


(多くのサーファーが訪れている豊間海岸)


(沼之内漁港には多くの釣りを楽しむ人たちが戻っている)


(薄磯地区の基礎の無くなったままの街と塩屋埼灯台)

~小名浜港とアクアマリンパーク~












(小名浜港から夕暮れの湯ノ岳を望む)


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