高橋食堂
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8品目 ニューヨークニューヨーク_食事篇

旅先でなんといっても楽しみなのが食事。しかしニューヨークだけあり世界中の料理のお店があり、食べたいものを食べたいときに食べられる。なんだそれだったら東京と変わらないじゃないか、と思うかもしれないが、そこはやはり異国。たとえ東京と同じものを食べられたとしても(しかも東京の方が口に合う)、そこには旅にふさわしい刺激がいっぱいだ。

Sushi Coshi 
アメリカへ行ったときに必ず食べるのがSUSHI(とはいってもまだ2回しか行っていないが)。ネタが変、日本の食文化をバカにしている、と評判が良くないSUSHIだが、僕は非常に好きだ。アボカドとマヨネーズといったこってりしたものを上に載せ、サラリとした酢飯でいただく。考えただけでよだれが出る。
今回行ったのは「Sushi Coshi」友人の勤める会社の向かいにあるというローカル中のローカルなお店だ。店内に入ると日本のどこの寿司屋でもありそうな墨文字の板が壁に飾られている。しかしよく見ると「東亜冷蔵庫」だの「中島魚介」だのネタはいっさい書かれていない。雰囲気モノだ。このアバウトさもSUSHI屋の楽しみの一つ。当日の板前は中国に縁のある方。もちろん日本にゆかりはないが、着こなしなどは様になっている。ネタもふつうに並べてくれるし、握りもよい。皿に絵なんかを描いてくれるが、それは中国っぽい。鳥を書いてくれたがやはり鳳凰っぽい感じだった。サービスでアボカドのカクテルをくれたが、こういうのは日本では出ない。日本の寿司に合うかは微妙だが、美味いことには変わりない。フライロールなんかにも合う。SUSHIとして楽しむならばまったくありのメニューだ。そして清算時にチップ。これも慣れない。まあ日本でもサービス料とかいってとる店があるから同じだろうけれども。

■Bobby Valentine’s Sports Gallery Cafe
日本人には千葉ロッテマリーンズで監督をしていたことで馴染み深いボビー・バレンタインさんのお店。コネチカットのスタンフォード市の駅前にある。友人によればスタンフォードは地方の金融街のような位置づけらしく、お昼にもなるとビジネスマンで店内はにぎわう。店内は大きく2フロアに分かれており、ひとつはMLB関連のグッズ(もちろんボビー関連)、もうひとつは千葉ロッテマリーンズ関連のグッズでいっぱいだ。壁には優勝したときのスポーツ新聞などがペタペタ貼られている。よく保存しておきました! ファンにとっては間違いなく飽きない空間だ。
メニューは個性的。マイナー時代から監督時代まで、ボビーが在籍していたチームの名前をもとに名づけられている。僕はもちろん千葉ロッテバーガーを注文。元気なアメリカのお姉ちゃん的なウエイトレスが進めるのでホットチリの手羽先も注文した。
友人と無駄話している間に頼んだ品は次々と出てくる。まずは昼からビールで乾杯、ホットチリの手羽先は(日本人には)辛い。だけどビールに合う。そして千葉ロッテバーガー。具材ははいろいろのっていて覚えていない(後で調べます)が非常にうまい! さすがアメリカ人、ハンバーガーに対する愛着は日本人の比ではないのだろう。ロッテリアもボビー在籍時にメニュー作ってもらえばよかったのに。高くても売れたよ。友人とバカ話している間に店内も混んできたので外へ。夏なのにネクタイしているサラリーマンは金融関係だそうだ。

■Sylvia's Restaurant
これは名店。シルビア・ウッズさんの作るソウルフードは多くの人に愛された。料理番組でレシピを紹介した腕前は多くの人に親しまれ、「Sylvia's」ブランドで食材が販売されているほど。レイチャールズからオバマ大統領までVIPがシルビアさんの料理に舌鼓を打ったという。僕が訪れたのは8月中旬。残念ながらその一月ほど前にシルビアさんは亡くなられたらしい。
現地ツアーに参加したのだが、混んでる時間でも座席はリザーブされていて大変快適だった(時間によっては1時間待ちとか!)。座って間もなくソウルフードの定番メニューが次々と運ばれてきた。コーンブレッドにフライドチキン、バーベキューリブ、カラードグリーン、マカロニチーズ、ライス・・・。魚料理もあったような、とにかく次から次へと出てきた。味は甘辛(地域によって異なるらしい)で、日本人の舌に良く合う。大満足の食事だった。

Black Stone
友人の家の近くにあるステーキ屋。こちらもローカル中のローカルな店だ。2回目の挑戦。 今回はリベンジの入店だ。 地元の人によれば、マンハッタンの店と同じくらいの腕前ということらしいが、前回はニューヨークシティマラソン走った直後で、食べきることのできず敗退。悔しい思いをした。だいたい量が多い。1キロくらいあるんじゃないか。
頼んだのは日本では見られないような肉厚のステーキと赤ワイン。焼き方は良く分からないので友人夫婦と一緒のミディアムレアで。オーナーが「お前のチョイスは素晴らしいよ」など心にもないことを言ってくるが、ここは君の店だ。何を選んでもベストになるようにメニューを考えているのは君だ。しばらくして3~4センチはありそうな厚さの肉が運ばれてくる。俺の足裏(28.5センチ)よりでかいんじゃないか? 
そんな分厚いのにナイフは簡単に入り、切りやすい。味も最高。お店で焼くときにかけている塩コショーだけで十分な美味さだ。きっと肉自体がうまいんだろうな。柔らかいが柔らかすぎず、舌にのせるだけでつばがどんどんでてくるような美味しさ。身体が早く飲み込みたがってしまう。量が多いが、全部食べられる。まあこれ以上は入らないけど。日本だったら、ステーキにご飯とかないと満足できないけれど、肉一枚とサラダで十分だ。美味かった。
もちろんアメリカ人たちはこの肉にプラスしてなんかを食べている。そりゃ身体もでかくなる。

■たくさんあるぞ!カフェ
一番多く通ったのが街のいたるところにあるカフェ。特筆すべき点はないが、別に不味くもない。適当に並んでいるとオーダーを聞かれる。これとこれだ注文すると名前を聞かれる。ファストフード店みたいに番号札はないし、ましてや覚えていたりもしない(客が次から次へと注文するので覚えるのも無理だろう)。出来上がったら呼んでくれるのだ。僕の発音が悪いのか、何度いってもチロとかイカとか呼ばれた。耳が英語に慣れない間は精神集中して聞いていなくてはならない。そうしないとオーダーテーブルの上にいつまでたっても置かれたまんまだ。

7品目 ニューヨークニューヨーク_出国篇

二年ぶりの海外旅行は前回と同じコネチカットーニューヨークとなった。前回はニューヨークシティマラソンへの参加が最大の目的だったので観光などはあまりできなかった。今回はMLB観戦をはじめ、思う存分ニューヨークを楽しもうと思った。

■準備
そうは言うものの、今回は準備がはかどらなかった。せっかくのニューヨーク、MLB観戦ならやはり黒田の当番日でしょうと調べるとちょうどお盆の週にヤンキースタジアムで試合が。しかし7月になってお盆時期の飛行機を探してもほとんどが20万後半から。某旅行代理店に航空券の相談をしたが、27万が最安値とのこと。しかし自宅に戻って調べたら20万ちょっとで手配できたので旅行代理店の件はソッコーキャンセル。航空券だけだと熱心に手配してくれないね。
黒田の登坂日をにらみながらスケジュールを練る。そうは言っても10日前くらいにならないと登坂予想が出ないので、やりたいことを並べるだけで動きようがなかった。登坂予想が出てから急いで手配したが、ヤンキースタジアムツアー(日本語)は日程が合わなく断念。次に行く機会があれば。
結局ホテルを取っただけで各種準備は遅れに遅れ、出発当日もまだパッキングしていた。緊張感ないね、これがいろいろハプニングの原因に。反省。

■空港、機上の人へ
飛行機は羽田―インチョン―JFKの大韓航空。朝6時出発なので公共交通機関の始発は間に合わない。前日21時ぐらいについて、平和島温泉か大江戸温泉の深夜パック(早朝送迎付!)でも行って汗を流してからチェックイン→出発しようと考えていたが、どうも事前予約が必要だったようだ。eチケットやESTAをプリントアウトしていなかったので、プリントアウト先を探したり、いろいろ説明している間に22時半も過ぎてしまった。今から温泉にいったり、早朝便の交渉をするのも面倒くさいので羽田で仮眠。こんなところでもう緊張感のなさからくるミスがでてきている。今回は始終準備不足だった。
ぐっすり眠ってしまうと飛行機の中で眠れなくなってしまうので、3時間ほどで起きて、真夜中の羽田を散歩した。多くの人が出入国に急ぐ祭りのような時間とは異なりとても静か。ほとんどの人がベンチで眠っている。僕のように飛行機で眠ることを考えている人たちは喫茶店で本を読んだり、展望台で写真を撮ったりして時間が過ぎるのをひたすら待つ。ある意味贅沢な空間だ。
6時過ぎに離陸。まずはインチョンへ。飛行機の窓から雲海の中の小島のように、北アルプスなどの山々が浮かんでいるのが見える。2時間ほどでインチョン到着。さてメールを確認しようとするとバッテリーが切れている!しかも充電器は飛行機の倉庫の中だ。JFKで荷物を引き取らない限り充電は不可能。あっちに着いて故障していたとかないよな。大丈夫かいな、Tと合流できるんだろうか。本当に間の抜けまくった出発だ。

■JFK
唯一しっかり計画していた時差ぼけ解消のための飛行機内睡眠はうまくいった。大韓航空は行きも帰りも午前中着。飛行機の中でグッスリ眠れば時差ぼけによる体調不良は極量避けられる。海外旅行の到着は朝か夜に限る。食事もいろいろ試したが、韓国料理よりも普通の機内食のほうが身体に合った。食事以外の時間は10時間以上眠って村上春樹の小説を読んだ。予定より30分程度遅れてJFKに到着。2年ぶりのニューヨーク、体調は万全だ。しかし到着便が重なったのと職員が昼休みかなんかで少なかったため、税関を通るのに70分以上かかった。いくらなんでもかかりすぎだ。そして携帯電話を充電。充電し始めてすぐに着信が入った。Tからだ。3時間以上待っていたらしい。謝ってすぐそっち行くと伝える。その時、同じ便に乗っていた留学生が、送迎に来てもらう予定の自動車が、飛行機が遅れたので帰ってしまったと言ってきた。初めてのアメリカであまり英語は得意でないという。僕も当然しゃべれないのでとりあえずTのところに行って、ホームステイ先の家族に事情を伝えてもらった。事情を伝えたのであとはタクシーで行けばなんとかなるでしょう、と別れた。
しかしTがいてホント助かった。Tに重ね重ね礼を言ってTの家、コネチカットへ

6品目 白峰三山縦走-2日目_農鳥小屋から広河原まで

■0714 農鳥小屋の夜
夕食をとったのが5時過ぎ。その後コタツで横になっていたらうとうとしてそのまま眠ってしまった。寒気はなかったが頭が痛かった、疲れか高山病か。ふと目を覚ます。時計は12時を指している。風の音が激しい。そんな時に限り尿意はやってくる。最初は我慢していたが明け方までもつわけもなく、ヘッドライトを取り出して小屋の外へ。明かりの先はガスで真っ白。風は身体が浮きそうなほど。テント客は大変だったのでは。用を足すだけでも大変だった。
眠ったり眠らなかったりぼんやりしていたら、4時半くらいに農鳥小屋のおじさんが食事出来たから来いという。ご飯になめこ汁、漬物と生卵、のりと質素なものだが、温かいご飯だけでもありがたい。下山に備えご飯を2杯、なめこ汁を1杯おかわりする。同宿のベテランが「この卵はいつ荷揚げされたものだろう」とブラックジョークをとばす。古すぎないことを祈るのみだ。

■0715 農鳥小屋から北岳まで
食事をとった後、農鳥小屋のおじさんが天候は良くなるとしきりに言う(おじさんの予報はかなりあたるらしい)。荷物を準備して5時半に出発した。ベテラン登山者たちは4人で奈良田へ向かうらしい。沢の水量が増していますが気をつけてくださいと伝え、別れる。ひどいもやとガスで10mも歩けばベテラン達も小屋もすっかり見えなくなってしまった。
なにも見えない。数メートル先の黄ペンキ印がかすかに確認できるだけだ。間ノ岳への入口さえ見つからず、小屋へ戻ろうかと思った。10分ほど探してようやく見つかる。前が見えないからといって、踏み跡ばかりチェックして進むと、大概行き止まりに当たる。しかも行き止まりは(晴天だったら!)見晴らしの良い高台なので危ない。
襲う風がさらに強くなる。3000mを超える幅の広い稜線では、岩も木も、身を隠すものがなにもない。耐風姿勢をとらなければバランスを崩し後ろに転げ落ちそうだ。雨も降ってきた。視界不明瞭、さらにはジグの連続で方向感覚もずれてくる。マメにコンパスで方角を確認しながら慎重に進んだ。すれ違った人はペアと単独で7~8人くらい。こんなコンディションの中よく歩くなあと感心する。まあ向こうから見たら僕も変な人だろう。道の状況を教えていただいたが、的確で大変助かった。間ノ岳山頂手前の雪山は真っ直ぐ進めば大丈夫、という情報がなかったら雪山を見たとき途方にくれていただろう。雪山を避けようとして怪我したかもしれない。
雪山を登りきると人がたくさん見えた。間ノ岳山頂だ! そのままスルスルと移動して雪山を通過、山頂に到達した。雪の壁のようなところから人がやってきたので、多くの人がビックリしていたようだった。なんか心地よい不思議な感覚だ。
頂上で写真を撮り、ガスでなにも見えないので、すぐに北岳へ。間ノ岳からは登山者が連なっているので道を外すこともない。油断による怪我だけに注意しながら先を急ぐ。気になるようなアップダウンもなく、中白根岳を通過し北岳山荘到着。快晴の日だったら最高の空中散歩を楽しめたはずだ。つくづくこの天気がうらめしい。農鳥小屋のおじさん、今日は予報が外れたよ。
北岳山荘で荷物を整理したあと北岳へ。こんだけ寒いと水分もあまり減らない。山荘で買うこともなかった。稜線と巻き道があるが、迷わず稜線へ。しかし飛ばされそうな風にすぐ後悔。戻るのもしんどいので巻き道で花を楽しみながらいけば良かったなどとブツブツいいながら進む。しばらく進むとランナーズハイのような状況になり、一気に登れるようになった。単に風が弱くなっただけかもしれないが、ガツガツ登れる。四肢を駆使して登りきったところに、多くの登山者がいた。なにも見えないが北岳山頂の看板がある。どうやら山頂についたようだ。

■0715 北岳から広河原まで
山頂にいる多くの登山者はみな満足そうな顔をしていた。僕も日本第二の頂につけて大変嬉しい。充実感でいっぱいだ。かえすがえす眺望がゼロなことだけが悔しい。どこを向いても雲のなか。仕方ないので山頂看板と記念写真を撮って肩の小屋方面から下山開始。
ガスの中なので行き来する登山者とペンキマークだけを頼りに進むとまもなく到着。このあたりにくると緊張もゆるんでくる。いかんいかん。さくさくと進み小太郎尾根分岐のあたりから、どうやら雲の下に出てきたようで、視界がはっきりしてきた(しかしすぐ上は雲で覆われている)。このあたりからはほとんどの登山者は半袖だ。しかし僕は脱ぐのに手ごろな箇所がないのと、早いバスに間に合いたいとの思いもあり、稜線仕様の雨具のまま下山する。2回ほど足を滑らした。1回は登山路から外れそうになり危なかった。下山時は、気は逸るが脚力は消耗している。気をつけなければ。草すべりから下るか大樺沢から下るか迷う。農鳥小屋のおじさんの予報もあったので、雲が抜けて北岳バットレスを見られたらと思い、大樺沢の方へ向かったが雲は消えることなく、見られなかった。
大樺沢分岐から広河原までは川沿いを淡々と下る感じだが、長かった。それはそうだ、いくらふもとに近いといってもまだ蛭ヶ岳より高い位置にいるのだから。こけることに注意して慎重に歩みを進める。さすが南アルプスとうなるほどの水量も目の当たりにしながら(登山路にあふれ出ている箇所もあった!)進む。1時間くらいか、いい加減飽きたところで広河原山荘の屋根が見えた。無事に下山できて満足感でいっぱいだ。しかし運がいいのか悪いのか、20分ほどで甲府行きのバスが出るという。着替えもせずにチケットを買って甲府行きのバスの乗り込んだ。
楽しい縦走だった。