なぜ『国語』を学ぶのであろうか


小学生・中学生たちはよく言う


『日本語しゃべれるから勉強せんでええやん』と


私も子ども頃は全く同じことを考えていた


日本でいるのに『国語』を勉強する意味が分からないと


けれども今ならしっかり子どもたちに伝えられる


それは


『自分の言いたい全てのことを相手に100%伝えるため』


そして


『相手の伝えたい全てのことを自分が100%理解するため』


だと


例えば


一言で『青』と言ったとしても


『青』・『群青』・『空色』・『水色』・『藍色』・・・


など


『青』と言っても色んな種類の『青』があるのだ


口頭で相手に色を伝えるとする


こんな時にたくさんの知識のある人が伝える場合と


ほとんど知識のない人が伝える場合では


聞いている者が頭の中でイメージする色は全く異なるのである


ちなみに『青』だけでも調べてみると


62種類も存在しているのである


結局は自分の頭の中にあるものを


全て相手に伝えることはなかなか難しい


だからこそ如何に100%に近づけるために


色々な知識を身に付け


様々な言い回しを知り


たくさんの知識を体得するからこそ


自分の頭の中のものを相手に詳細に


伝えることができるようになるのである


私の師匠の一人である


喜多川泰さんがCDの中で仰っていたことである


江戸時代に


町人の贅沢を禁止するために出された


『奢侈禁止令(しゃしきんしれい)』が発端で


着物の色を茶色・鼠色に限定したようである


その時町人は工夫を凝らして


茶系・鼠色系の染料のバリエーションを増やし


たくさんの種類の色をがあるということを指して


『四十八茶百鼠』と呼んでいたとのことだ


江戸時代の制約された環境の中から生み出された


町人の工夫によるものである


翻って現代で考えてみると


制約など江戸時代に比べればほとんどなくなったに等しい


『自由』がゆえに工夫もなく


たくさんのモノに囲まれて


毎日暮らしているのではないだろうか


私は多少の制約された環境で


過ごすことこそ重要だと考えている


その制約の中からこそ


自分のアイデアを絞り出して


新しいモノを生み出すきっかけを作りだすのである


そのためにも


自分の能力を高めるために時間を費やすべきだ


本をたくさん読んで


多くの知識やプロの言い回しを勉強するのだ


小説を読んだ時に


自分の頭の中の描写がどうなのか考えてみることだ


きっと小説家の書く文章を丁寧に読めば


その時の登場人物の顔の表情や


周りの環境が


写真のように鮮明に頭の中に思い描けるはずだ


そして登場人物の感情と行動の変化を


敏感に読む練習をするのだ


なぜこの行動をこの人物は取ったのか


人の心を読む訓練を小説は担っているはずだ


説明文・論説文からは著者の伝えたいことを読み取り


著者の専門知識を増やしていくのだ


もちろんたくさんの漢字・熟語もである


古典・漢文からは昔の人の心の機微を


現代語とは違う観点から読み込む練習だ


こう考えてくれば


一言で『国語』を学ぶと言っても


実は沢山の要素が混ざっているのである


こんなことを意識して『国語』を学べば


もっと楽しく自分の成長のために


取り組むことができるのではないだろうか


偉そうに書いている私も


つい最近意識をし始めた所である

 

もっと自分を表現できるようにするためにも

 

さぁみんなで


もっと『国語』の勉強をしようではないか!