おはようございます。
今日の『人生のカケラ』です。

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【運命を変える】

言葉が変われば考え方が変わる
考え方が変われば心が変わる
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば性格が変わる
性格が変われば出会いが変わる
出会いが変われば人生が変わる
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知的複眼思考法【本の紹介-141】
 
 
 
 
内容紹介

全国3万人の大学生が選んだベストティーチャーの奥義!!
逆風の時代を生き抜くには、知識を超える「何か」が必要になる。
正解を見つける力より問題点を見出す力を。
真実が見える瞬間のスリルが人生を変える!!
常識にとらわれた単眼思考を行っていては、

いつまでたっても「自分の頭で考える」ことはできない。

自分自身の視点からものごとを多角的に捉えて考え抜く

――それが知的複眼思考法だ。情報を正確に読みとる力。

ものごとの筋道を追う力。

受け取った情報をもとに自分の論理をきちんと組み立てられる力。

こうした基本的な考える力を基礎にしてこそ、

自分の頭で考えていくことができる。

全国3万人の大学生が選んだ

日本のベストティーチャーによる思考法の真髄!

 

著者について

苅谷剛彦(かりやたけひこ)
1955年、東京都に生まれる。

東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了後、

ノースウエスタン大学大学院博士課程を修了、社会学博士。

ノースウエスタン大学大学院客員講師、

放送教育開発センター助教授を経て、

東京大学大学院教育学研究科教授。
著書には『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)、

『変わるニッポンの大学』(玉川大学出版部)、

『学校って何だろう』(講談社)などがある。

 
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ココロに響いた部分は以下の通りです
 

・改めて「自分の頭で考える」ための方法を、
 できるだけ多くの人々が身につけることの重要性を痛感する。


・複眼思考とは、複数の視点を自由に行き来することで、
 ひとつの視点にとらわれない

 相対化の思考法といってもよいでしょう。


・自分の頭でまっとうに考え抜くための、
 できるかぎり具体的な手がかりを与えることを目指した本なのです。


・小学校から始まる長年の学校生活の中で、
 学生たちは教師から出された課題は

 必ず評価されるものであること、
 そうした評価は、たいていの場合、赤いペンで、
 アルファベットや数字などの記号で表現されていること、
 そして評価には必ず、
 よい評価と悪い評価とがあることを「知って」います。


・エリート校の出身者は、
 幼いときから過酷な受験競争を勝ち抜いてくる。
 そして、競争の過程で、他人を蹴落としてくる。
 したがって、友だちを作るのがうまくない


・受験教育が批判される場合に、
 決まって出てくる常套句ー「受験を勝ち抜いてきたものは、
 頭はいいかもしれないが、人間的には冷たい」とか、
 「受験競争は友人関係を撃ち壊す」といった「常識」が、
 こうした学生たちの意見に反映しているのです。


・私たちの社会は、何を得ているのか、何を失っているのか。


・競争に敗れた人たちに、
 「勝った者たちは、人間的にすぐれているわけではない」という
 「酸っぱいブドウ」の気分を味わわせる。
 こうして勝者たちを見下す見かたを広めておくことが、
 エリートに対する大衆の不満をガス抜きすることになり、
 結果的には、エリート自身の存在を安泰にしている。


・「国家の介入」という事態を、
 そのまま「権利の剥奪」と結びつけて見てしまう単眼思考に対して、
 国家のかいにゅうと報道の自由との関係を、
 緊張感関係を含めてもっと幅広くとらえ直す。
 ここにステレオタイプにとらわれない複眼思考の
 すぐれた見本を見ることができるのです。


・複眼思考は、ステレオタイプに流されずに自分の頭で考える、
 すなわち、自由に考える市民のための思考法でもあるのです。


・気がかりなのは、問題が与えられた場合にも、
 学生たちは、どこかに正解がある、
 と思っているふしがあることです。


・知識をどのように使っていけば、
 自分の頭です考えることにつなげていけるのか、
 それが、しだいにわかるようになっていったのです。


・批判的な読書とはどういうものか。
 批判的な視点から本を読むことで、
 自分の頭で考えるための視点をどうやって作り出していくのか。


・なぜ大人たちは、若者が本を読まなくなったことを嘆くのか。
 そう考えると、本を読まなくなったことで喪われた、
 何か大切なものがあるとあう「前提」が、
 こうした判断には含まれてあることがわかるでしょう。


・本でなければ得られないものは何か。
 それは、知識の獲得の過程を通じて、
 じっくり考える機会を得ることにある
 ―つまり、考える力を養うための情報や知識との格闘の時間を
 与えてくれるということだと私は思います。


・活字メディアの場合、読み手が自分のペースで、
 文章を行ったり来たりしながら、
 「行間を読んだり」「論の進め方をたどったり」
 することができるのです。言い替えれば、
 他のメディアに比べて、

 時間のかけかたが自由であるということです。


・活字メディアを相手にすることで、
 他のメディア相手ではできない、
 「行間」に目を向けることや、
 論の進め方をじっくりとらえることも可能になるのです。


・一言でいえば、書き手の言い分を鵜呑みにしない読書のすすめ。
 つまり、批判的な読書を通じて、ものごとに疑問を感じること、
 ものごとを簡単に納得しないこと、「常識」に飲み込まれないこと、
 すなわち、自分で考えるという姿勢ができてくるのです。


・著者は必ずある程度読者を想定しています。
 誰に向かって書いているのかを探ることで、

 変な誤解も避けられるでしょう。


・ある銀行の調査結果を紹介するかたちを借りて、
 受験教育の低年齢化に警鐘を鳴らそうという
 暗黙の意図が前提になっていると考えられるのです。


・調査の主眼は、
 顧客である家庭が支出している教育費の額を知ることであり、
 どれだけの子どもが塾に行っているのかが
 主な目的ではないと考えられるのです。


・「〇〇の調査によれば」といった書き出しで、
 さまざまな統計が紹介され、それを根拠にいろいろな主張が、
 明確に、あるいは暗黙に行われる。
 数字を注意深く読むことは、
 現代人にとって大切な技術のひとつになっている。


・これらの批判が非難ではなく、
 建設的な批判となるかどうか。そこがポイントです。


・問題点を探し出すことで止まってしまっては、
 「批判的読書」は思考力を鍛える半分までの仕事しかできません。
 考える力をつけるためには、もう一歩進んで、
 「代案を出す」ところまで行く必要があるのです。


・表現しようとすること自体が、
 「考える」ことのたいへん重要な部分を担っています。


・自分自身が賛成か反対かとは別に、
 相手の立場に立って考えるということが、
 複眼思考を身につけるうえでは大切なトレーニングとなるのです。
 なぜなら、
 自分だけの視点でものを見ていたのでは見えない部分が、
 他の立場に強制的に立たされることで、
 はっきり見えてくることがあるからです。


・その反論をできるかぎり文章にして書いてみてください。
 書くことを実践することでしか、
 批判的な思考力は育たないからです。


・このように女性を引き合いに出して、
 若い男性を批判するという見かた自体には、
 男性中心的な前提が含まれています。
 女性の立場に立てば、その前提に対して反論ができるでしょう。


・「今の日本では、
 男は責任ばかり負わされて何もいいことがない」という主張は、
 一見もっともらしそうですが、
 責任ある立場につきたくてもつけない女性たちがいることを
 隠してしまうメッセージといえるでしょう。


・そうした反論を、できるだけ文章にしてみること。
 文書にしようとらするだけで、
 頭のはたらかせかたがずいぶん違ってきます。


・まずはものごとに疑問を感じること、
 「ちょっと変だな」と疑いを持つことが、
 考えることの出発点になるのです。


・問いの表現のしかた次第で、
 考える道筋が出てきたり、出てこなかったりするのです。


・モトローラ社では、
 社員たちは「六つのなぜ?」を問えと言われている。
 何か製品に問題があることが発見されたとき、
 「なぜ……か?」という問いを、
 最低でも六回は繰り返せというのだ。


・科学的な思考には、
 原因と結果の関係を確定するための三つの原則があるといいます。
 1.原因は結果よりも時間的に
  先行していなければならない(原因の時間的先行)
 2.原因とみなされている現象も、
  結果と見なされている現象も、
  ともに変化しているのが確認できている(共変関係)
 3.原因以外に重要と思われる
  他の原因が影響していない(他の条件の同一性)


・このうち、因果関係を考える複眼思考にとって重要なのは、
 三番目の原則(他の条件の同一性)です。
 なぜなら、「これぞ原因に違いない」と思っていることでも、
 実はそれほど大きな影響力を持たない場合もあり、
 気づいていない他の原因によって
 結果が引き起こされていることも少なくないからです。


・新しい概念は、
 それまで暗やみの中で見えなかったことがらに光をあてて、
 その存在を示すサーチライトだというわけです。


・「バブル崩壊」ということばを、禁止語にしてみると、
 本当にいいたいことを、
 何となく雰囲気で伝わっていることの違いが見えてくるはずだ。


・現代の学校に限定されず、
 所属する集団が同じような特徴を持つ場合には、
 異質なものが排除される可能性が高くなることがありそうだ、
 というように、
 種類の違うケースを含めて考えていくことができるようになるのです。


・複眼的にものごとをとらえるとは、
 問いの展開のしかたに工夫を凝らすことだと考えています。


・やる気の有無というかたちで見えたことがらは、
 実際には個人の内部に完結して存在するような特性ではなく、
 周りの環境とのやり取り(すなわち、関係)のありかたを、
 外側から見て「やる気の有無」というように
 見ていたことがわかるでしょう。


・その製品の魅力とはそれを手に取る顧客と
 製品との間の関係の中で決まるものです。


・同じような行動や事件であっても、
 どのような視点からそれを問題にするのかによって、
 問題としての見えかた、問題の論じかた、
 さらには、問題のどこに目を向けるのかも違ってきます。


・問うこと自体を問う


・ある問題(成績による序列化や学歴差別)が脚光を浴びることで、
 その問題に関連あるものの、
 その問題の陰になって目立たなくなってしまう問題
 (出身による教育を受けの不平等)もあるのです。


・逸脱という問題は、個人の側の問題にとどまらず、
 それを社会がどのように見なしているのかに

 かかわる問題なのである。


・自分の頭で考えることは、
 けっして簡単なことではありません。
 自分なりに考えているつもりでも、
 ひとつのことにとらわれ過ぎて、
 なかなかそこから抜け出せないこともあります。
 そういうときにこそ、
 メタの視点に立つことが有効になるのです。

 
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今回はスイスイ読むことができました。
 

複眼思考は、

常にどやさん(山田一夫さん)も仰っていることでもあり、
また、私自身ももっと身につけなければいけない
モノの考え方だと思います。

 

本の内容は、

どうしても著者のバイアスが掛かってしまっています。
 

それは、人が書いている以上、
避けて通ることのできないことです。

 

そのような前提を意識しているだけで、
書いている内容を鵜呑みにしないようになると思います。

 

複眼思考の練習台としては、

テレビ・新聞が使えるのではないでしょうか。
 

テレビ・新聞は、

それこそ各会社での主張は丸っきり異なります。
 

だからこそ、それを承知の上で情報を得なければ
本当に偏った情報しか手に入れることができません。
 

しかし、それを少しずつ国民も
気付き始めているのではないかと思います。

 

私自身これからも、

強く意識して複眼思考をしていきたいと思います。

 

今回そのような意識に向けて頂いた、
著者の刈谷剛彦さんには感謝です。

 

また、いつもながらに、

素晴らしい機会を頂いた
どやさんにも感謝です。

 

いつもありがとうございます!

 

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