喋る言葉、言い回し、

単語には

使われているうちに

何らかの色を持ちだします

 

たとえば

いわゆる放送禁止用語

「めくら」「おし」「つんぼ」

漢字で

「盲」「唖」「聾」と書かれます

 

どうしても文章などで

読まざるを得ないときは

音読み(おんよみ)で

「盲」は「もう」

「唖」は「あ」

「聾」は「ろう」

として読まれることも多々あります

 

僕から言わすと

これは後付けのすり込みで

言葉の抹殺にも近いものだと思っていますが

 

しかし

今ではたいがいの人は

公(おおやけ)の場では

「めくら」「おし」「つんぼ」

などの言葉は、使っていません

 

以上は極端な例ですが

 

もう一つ例を挙げると

たとえば

「努力(どりょく)」

「根性(こんじょう)」などの言葉は

泥臭く

前世紀の言葉のように扱われてることが

多い言葉です

 

いまどき

「根性」などという言葉は

スポーツ指導者からでも

滅多に聞くことはありません


もともと

「根性」と言う言葉は

仏語(ぶつご)

仏(ほとけ)の言葉で

 

教えを受ける者としての性質や

資質のことをあらわすだけで

ほかに意味は無かったそうです

 

それがじょじょに使われ方が代わり

「盗人根性」「根性悪(わる)」などとして用いられるようになり

「悪い根性をたたき直す」意味で

スポーツでも使われるようになったそうです

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また

「唖(おし)」という言葉も

日本書紀より使われてた

古い言葉で

天智天皇の御子(みこ)

「建皇子(たけるのみこ)」

の事を書かれた一節に

「建皇子と、、唖(オフシ)にして語(まことと)ふこと能はず」

言葉が喋れなかったと

とあります

 

これもまた僕が言う

「言葉に色が付く」と言う

状況の一つです

 

言葉を大事にするのも

後世の人間の勤めと思うのですが

 

色の付いた言葉

言い回しは

消えていったり

廃(すた)れたりするのは

人の世の常ではあるのでしょう

 

 

現代は

その過渡期で

めまぐるしいくらいに

変わっている時期では無かろうかと

夜中に電子書籍を読んでいて

ふと思うことでした