光圀(みつくに)
家康の孫で

徳川御三家(とくがわごさんけ)
紀伊(きい)・和歌山
尾張(おわり)・名古屋
水戸(みと)・茨城

のうちの一つ水戸(みと)家です

尾張、紀伊家
からは将軍は出ましたが
水戸家は
幕末の15代 慶喜(よしのぶ)
まで
将軍とは縁のない
御三家(ごさんけ)でした

さて、その
光圀(みつくに)が着手した
「大日本史(だいにほんし)」は

結果、
水戸学(みとがく)として
幕末の志士
尊皇論(そんのうろん)の
中心思想
となり

天皇を中心とした
国造りを
結果として
推し進めました

ざっと言うとですけど(-。-;)

次回は
陽明学(ようめいがく)のことでも

なかなか
大塩平八郎(おおしおへいはちろう)
行き着きませんw