【氣づき】
長年私の中で“最大の困った人”がいた。
それは母だった。

いつか母をぶっ殺してやる!
小学校高学年から中学生まで
憎んだ存在だ。
母を最初に許したのは16歳。
祖父の家に引き取られて
母と言う存在が出来上がる背景を
子供ながらに理解したからだ。

そして
次に息子を出産した23歳。

息子を帝王切開したことになって
しばらく寝たきりになった私のところに
毎日片道40分の距離を自転車に乗ってきて
子供の面倒や私の面倒文句も言わずに
世話をしてくれたときに、母の愛に触れ
それまで厳しい仕打ちに対して許せたのだ。

27歳の妊娠期、胎児から
“お母さんは、許すこと、待つことが学びだよ”
といわれたが、ほんとうにそうだ。

16才から22才の嫁に行くまで
お世話になった祖父に
毎日寝床に案内する際に
“みき、お前だけは許せよ”と言われてきた。

生みの親に捨てられて
妹は母親に連れられ離ればなれとなり
戦争でたくさん仲間をなくし
原爆では恐ろしい体験をし
信じていた国に裏切られ
戦後出世し生家を見つけ訪ねれば追い払われ
頑張って頑張ってここぞと言う時に結核になり
思うように働くことができなくなり

様々なことを許すことができなかった祖父が
孫の私に毎日のように言霊を放ったのだ。

私の人生を見直すと全ては
“許すこと待つこと”
このトレーニングだったと思う。

とはいうものの、
やはりこの“許すこと待つこと”の学びは深く
いろいろ許してきたしできるが

その中でも、“これだけは”みたいなのは
毎回出てくるわけです。

そのたんびにその課題がやってきて
とことん見せられて味合わされ
結果的には、磨かれていきます。

毎回、許す深さが深まってゆきます。

娘を妊娠中に、胎児からヒプノを教わり
様々な自分の人生の課題や
周りの人とのつながりを見た。

前世からの母との関わり
そしてその後を知った。

その前世を話していないのに
突然母がその前世の続きを話し
その後どうなったかを話し始めたのには驚いた。

今生だけではなく
生まれる前からの様々な関わりや
つながりがあると言うことも知るわけです。

今だけを見るわけではなく
そうなる縁につながる因がある。

そうして、またそこで
母を許すことになった28歳。

三男を授かった時、生まれた後
働き始めたときの31歳。

いつだって母暴言を吐く。

離婚した32歳、
四児のシングルマザーとなった33歳。

「お前は地獄に落ちる」と言われたが
これが地獄ならもう落ちるところはないなと
悟った瞬間だ。

そして、41歳。
駐車場に止めた車の中の荷物を盗まれた時
それが1番の転機だった。

一緒にいた母に
「大したもんを盗まれたわけじゃないのに」

この一言に無性に腹が立った。

人生苦しかった時の自分との対話ノート
特に胎児との胎話の記録や
様々な啓示のメモノートなど
私にとってはとても重要なものが入ったカバンを
盗まれたのがわかったとき。

お金を盗まれても
彼氏を寝とられても
借したものが返って来なくても
母の虐待も
性的虐待も
子をあきらめなくてはならなかったときも
家がなくなったときも
家族が崩壊したときも
旦那さんに家族を見捨てられたときも
父が亡くなったときも
いまの旦那様がひどい仕打ちを受けても
歯がなくなったときも

そのどの時よりも、
自分の証がなくなったとき
あれはショックだった。

だけどそれは 
5分も続かなかった。

母の一言は、腹が立ったが
その通りだったからだ。
切り変わったのだ。

ものがなくなっても
記録がなくとも
私がそこに存在している限り
私の中にあるわけだから。

この41歳の衝撃で吹っ切れたのだ。

だって生きてる! 
これがすごい❣️

やっとここから
人生を楽しめるようになったのだ。
41年もかかったのだよ。

そのあとに
子供が詐欺にあい仕送りの学費を奪われてもを
子供が40分以上のリンチにあっても
許せるようになった。

母に対して許そう
なんて思うこともなくなった。

母によって困らされることもなくなった。

なのに。
で、7年たった今年。

コロナのこともありますが
身近なことの変化で
またまた許せないことばかりが続いた。

忘れたんだよ。基本を。

人間の嫌な面もコロナのおかげで
あぶり出されて見てしまい
近しき人の『はぁ?』という行動や
自分の体調不調や、自分の中にあるもの
いろんなものを見せられた。

憤りがあふれでた。
怒りがあぶりだされた。

で思う。

私のまわりに困った人がいるならば
私のまわりの他人が変わらないとしたら
私のまわりに許せないのがあるならば

それは私が変わってないという何よりの証拠。
私が私を許せていないだけだから。

私に早く卒業して、
変わって進化しなさいと導いて、
氣づきのメッセージとして
私の前に顕して見せている映像にすぎない。

困った人がいるのではなく
私が「困った人だっんだ」という自覚。

それを出逢いで氣づかせていただく。

やっぱりあの15歳の自殺失敗したときに
救いの主の声が言った
『すべてはテキストだ』はほんとだ。

そもそも、この世に困った人間などいない。
それは私のために困ったふりを演じてくれた
とても大切な人にすぎない。

私にとって一番感謝しなければいけない。

私も無限です。あなたも無限。
いかなる限定も制限もない。
100%素晴らしい存在だ。

ようこそおいでくださいました。
どうぞ自由に過ごしてね。
今日は好きなように楽しんでくださいね。
何も心配せず後は任せなさい。

そんな王国に私たちはリアルゲームをしに
遊びに来ていたんだ。

だってこの世に
しちゃいけないことなんて
ほんとはないんだから。

私が見ているもの
あなたが見ているもの
全ては消える幻よ。

お告げもね。
幻覚、幻聴。

見たいものを見ているだけ
体験したいものを体験してるだけ

見たいものを認めたものが
認めた通りに顕れて
認めた通りに体験してるだけ。

生きているから出逢える喜び。

久しぶりに
困った人というか
アクある人を見て

人のふり見て我がふり直せ
周りまわりて我が身のためにを感じました。

見せてくださりありがとうございます。

やはり、人と出会うことで
自分がどう生きるのか
自分の生きる力を伸ばさせてもらえるこの世。

いろんな人がいて楽しいです。
みんな違って楽しいです。
アッパレ!
私もそうでしょう。

あなたは私の非常識。
私もあなたの非常識。

私に出会って、あなたが
幸か不幸か分かりませんが
吉か凶かも知りませんが
それはあなたの自由ですから。

あなたも私も、氣違いです。
あなたも私も、天才です。
あなたも私も、悪魔です。
あなたも私も、天使です。

あなたも私も、神様です。
この世界の現実の創造主。

せいぜい楽しんでください。