【今帰仁の思い出】

今回の沖縄帰省で、原点回帰につながり
やっとスタートなんだと気づかされました。
その基板となる“これまで”だったんだと。

ならば、もう体験済みだから
どんな問題も想定内だわね。

そして、さらにその道を歩むにあたり
亡き祖父たちが今まで以上の守護で
サポートしてくれるなんて
そんな心強い事は無いではないか。

いつだって思いもよらない
想定外のミラクルがやってくる人生。
“ミラクルみき”なんだもの。

心配しなくていい
案じなくていい
気にかけなくていい

導かれるままに、、。
ただ在ればいい。
私は私の楽しいを遊ぶだけ。

求めている人のところに
ただ遣わされ使われる。

そうそうそれでいい。

これまでと違うことをやろうとか
もう卒業しようとか
やめようととか
もういなくなろうとか

半年間も反抗期してました。笑

今回行く予定なかったのに
行くことになった今帰仁。
帰宅してから思い出した。

最初に妊婦さんと胎児の絆を育み
ソウルジャーニーの沖縄ツアーを
ご案内したのはちょうど7年前。

それも震災後に
“沖縄の母子から”という啓示で
胎話士養成講座を辞めて
沖縄から胎児との架け橋となる
ベビートークリーディングセラピストを
助産師さんや看護師さんから始めることにした。

そしてそのお手伝いとして
関西から同席した女性が授業を受けるうちに
「自分はもう一度、生まれる前から、
胎教からの命と向き合い子育てをやり直したい」
そう思うようになり本当に妊娠をした。

その時に宿ったいのちが生まれる直前になり
バースプランを伝えてきて
“海が見たい”“お姉ちゃんと一緒に”
そう伝えてきた。

『胎児はどこに行きたいのだろうか?』
それは沖縄だった。

“魂(いのち)が喜ぶことをする”
それを教えてくれた胎児。
“この地球は魂(いのち)が喜ぶことをする星”

私も16歳でカウンセラーとして生きる
そう決意した時、生きる喜びを夢にかかげ
喜びあうには何ができるかで生きてきた。

生きている事は体験できること。
生きているからこそ味わえる。

当たり前にできることは
自分でできるようになったのではなく
授けていただいたのだ。

できなくなっているものは
もう必要のないもの、十分なもので
それをお返しする時なのだ。

できる事はもたらされたこと。
できなくなったことはお返しするもの。

そんなことを体験できるこの地球村は
魂が喜ぶ星なんだ。

そういうことを思いながら
インターネットで検索していると
オープンしたばかりの魂喜村のサイトに
辿り着いた。

まさか、魂喜村なんて。
ワクワクしたことを覚えている。

それでその魂喜村に
胎児とママとお姉ちゃんを連れて

うちの家族、田山とソフィーとホクトと私で
一緒に行ったんだわよね。
だけど実際はナビにまだ反映されてなくて
場所がわからずじまい。

たどり着けるのかどうか悩んでいるときに
晴れている空の中に虹が現れて
その虹の光の下に向かって進むと
今帰仁の魂喜村に到着したのよ。

妊婦さんと胎児の母子の架け橋は
ここ今帰仁から始まったんだった。
虹🌈のひかりに導かれて。

今回沖縄滞在中、
まさか行くとは思ってなかった今帰仁。
今帰仁城趾のとある場所から
裾野に広がる海を見たときに思いだしました。

あそこは本来戦いの場所ではなく
生活を共にするコミュニティーの場
はぐくみあう場であり
縄文広場のような場だったことを。

今よりうんと綺麗な美ら海をみながら
チムググルが自然とみにつき
笑顔美しいちゅらさんが育っていたよ。

うみのあおさ、そらのあおさのように。
そして、海深く、また深宇宙のように
どこまでま深く広い美しいココロ。

昇る太陽のように
沈む太陽のように

穏やかな和平に満ちた日々
慈しみ楽しく
いとおかしに暮らしす母子。

その豊かな御心を手渡したくて
母子の絆を深めあい
胎児や子の声を受け取る
そんな大人達を増やすと決めたんだよ私。

だから活動してたんだよ。
そしてずっとそれをやってきたんだよ。

人生180度変わったとか
子育てが辛かったのが喜びに変わったとか
子を愛せなかったが愛おしくてたまらない
子供が本当にメッセージを持って導いてくれると
いうのがわかったとか。

たくさんの人が目覚めていったんだ。

生まれてくる子だけじゃなく
お母さんやお父さんにも
そのまたご両親にも

さらには生まれてきた子供たちにも
お母さんがミキミキさんに出会ってよかった
と言ってくださり、喜ばれてきたんだ。
ずっとやってきたじゃないか。

裕福な家だけどいつも両親が不仲で
ガミガミして怒鳴りあい怒ってばっかりの
母の友人のママさんのところに生まれてきた
赤ちゃんの相手して話したのは4歳の時だった。

豪邸に住むご両親がいつも出張やら不在が多く
育児を乳母やお手伝いさんに任せっきりの
子沢山の近所の家に笑いを届けに話しを聞きに
一日に一回会いに出かけて遊んでいたのは
6歳だった。

いまある置かれた環境下の中で
どう楽しく過ごすか
受け止め捉えるか

育った環境がそうさせたのではなく
私が決めた使命だったよね。

いつまでもずっと、一秒でも長く
その美しい眞の心を響かせあいたいよね。

7年前、妊婦のママと胎児を
沖縄に案内したときに撮った
朝日の映像が昨夜に出てきた。

あー、。
そうか。
故郷でも私が決めた仕事しないと。

充分やすみました。
6ヵ月の休暇。
バケーションを
ありがとうございました。

今帰仁城趾のとある場所から
海を見下ろして戻ってくると
門番のカラスがカーカーではなく
実際に言葉を話して伝えてきた。

オンガ、オンガ
ヘヨ、ヘヨ、と二羽で
私に向かい話している。

“恵みを受け取りなさい”と言っている。

どうやらスタートらしい。
そして用意されているらしい。
だから私は導かれるままに
行けばいいだけだ。

なんも私が決めなくていい。
必要なこと。
胎児たちが求めたことを
それを伝えれば良い。

道具として必要なものは
全て天に申請すればいい。

あとはお任せ。

これまでもそうして来た。

だけど、今回手放します。
もうウダウダはしません。

自分の未来は決まってますから。

もう1ミリたりとも、
心配しない悩まない疑わない。

それだけではなく
文句もいいません。

私が好きでやっていることだから。

なので
来月、那覇市から始まり
あちらこちらに出没して
自分のいのちを楽しみます。

好きなとこに、好きなタイミングで
遊ぶまくります。

寝る部屋&セッション部屋も
ゲットできるだろうし
いや用意されるんだ。
来てくださいと言われるな。
あちらこちらと。

今回はホテル暮らしでしたがね。

生まれる1ヵ月前に胎児に導かれ訪れた
今帰仁にあるビレッジ。

朝早くに起こされて、
胎児とママと一緒に
メディテーションを行い
その下に広がるビーチから
のぼる朝日に出逢った。

あの子は、いま7歳。
胎児時代を入れると8年経つ。

前世、一緒に生きた時がある。
私は彼女の母だった。

いったい、いつどこで?と疑問だったが
謎がとけた。
そうかこの今帰仁時代だったのか。
よし、進むぞ!

「全ては波動だよ。周波数だよ」
と胎児のソフィアに言われて22年が経つ。

女神の修行を終えて
ふるさとに戻るよ。

“ひびき”を届けて
波動修正。