親から自分がわかる愛情を受け育っても
親から自分がわからない愛情を受けて育っても
人はいろんな感情をそれぞれ持つものです。

こどもを産んで育てみると
わかることがいっぱいありますよね。

自分の見たくない部分も
見続けなければならないし
どうしょうもない自分の性格も
見せつけられるし、、。

気づくと親の二の舞していたり。

また親より自分が越えられる部分もありますし
親が凄すぎて同じにできずに責める人もいますし
いろいろね。

こどもを愛いっぱいで育てても
伝わらない時は伝わらないし。

兄弟変わらなく愛を持って接して
それぞれに受け取り方は違うものです。

だからね、そもそも
こうして欲しかった
あーして欲しかった
こうしたかった
あーしたかたとか
それも全部幻だから。

どんなことをやってもらっても
どんなことをしたとしても

自分がこれまで体験した感情は
何したって起こるんです。

親に文句言って恨んでみても
解決にはなりません。

子に文句言って怒鳴ってみても
解決にはなりません。

理想の子育てなんてないし
理想の親なんてないよ。

今あなたがやってることが
今あなたが体験してることが
あなたにぴったりな
あなたが経験するに必要な
魂がこの現世で経験を求めた理想なんです。

だから、順調なんです。
問題なんてない!想定内なんですよね
魂で考えたらね。

でも生きている私たちの意識の次元では
忘れてしまっているので
思いもよらないとか、想定外と言う。

ともかく私が言いたいのは
親を越えてください。

親への執着、ダンシャリしましょう。
子への執着、ダンシャリしましょう。

いつまでも人生の対象が
親でどうするのですか?

いつまでも人生の対象が
子でどうするんですか?

親と比較したり、ないものを見たり
無駄遣いです。

よその子と比較したり、ないものを見たり
無駄遣いです。

親の縁で生をもらった自分を大切にしながら
自分の命を生かして自分の人生やってください。


自分の欲しい愛情のカタチでも
欲しくない愛情のカタチでも
それどちらも幻なので。

愛はカタチでないから。
愛は感じるものだから。

愛は名を変えたエネルギーだからね。

そしてないものじゃないから。
常にあるから。

外にもあるし内にもあるし。
いつでもどこでも流れてるから。
ただ在るだけだから。

そして誰にも、生きとし生けるものにも
宇宙にもあるものだから。

神我常住在。
眞我常住在。