3 幸せの形
ベルは意気揚々と街を歩いていた。
抱えた大きな麻袋のせいで、前は非常に見えにくい。だが、とりあえず隣に大好きな人がいるかぎり、自分の行く先は安心だった。匂いを辿れば、ちゃんと同じ場所にたどり着ける。
その大好きな相手は、自分の倍以上ある麻袋を二つも抱えて歩いていた。中に入っているのは肉や野菜で、朝市で買い込んだ品である。
「ねぇ、おじ様?」
見えない視界にえっちらおっちら歩いていたベルは、興味津々で尋ねた。
「お屋敷の中に畑があるって言ってたのに、どうして朝市で買い物をするの?」
ベル自身未だその目で見てはいないが、クラウドール邸の屋敷には大きな畑や放牧地があるらしい。野菜や肉の類もそこで手に入るらしいのだが、なぜか今日、レメクは朝市に向かっていた。
「作っていない野菜もありますし、なにより香辛料の類が足りません。それに、肉をそんなに毎日食べていては、うちの羊や山羊や牛達はすぐにいなくなってしまいますからね」
ベルは首を傾げた。彼女の食卓には、毎日のように肉が並んでいたのだ。
そうして目を丸くしたのは、おそらくその意味に気づいたからだろう。彼女は非常に頭の回転が速かった。
「あの……おじ様、あたし、そんなに贅沢しないから……」
おずおずと言ってくる少女に、レメクは思わず口元をほころばせる。
「あなたは、私に対して遠慮する必要はないんですよ。あなたはまだ子供であり、私は大人なのですから」
「……でも」
「私の保護下にある以上、あなたは私の……そうですね、言うなれば家族です。家族である以上、遠慮は不要ということです」
家族、という単語にベルは顔を輝かせた。目がきらきらと輝いている。
「あたし、いい奥さんになるからね!」
「……一応、今は子供でいてください」
「いい奥さんになるんだから!」
「…………」
レメクはそっと視線を外した。
(……どうしましょうか……)
ちょっぴり顔が不安に曇る。
「とりあえず、その話は後々に置いておいて」
「あ。猫」
「話は聞きなさい。流してもいいですが……と、おや」
ベルの声に視線を同じ場所に向けたレメクは、塀の上にちょこんと座る赤茶色のネコを見つけて目を見開いた。
「モンプチではないですか」
「……モンプチ?」
ベルが首を傾げる。茶虎の猫は「にゃあ」と声を上げた。
「義父がもう着いたんですか」
猫は「るるぅ」と喉を鳴らす。レメクは真面目な顔で頷いた。
「ありがとうございます。後でお礼を持って行きましょう。ひとまず先を急ぎますので」
言うや否や麻袋から買ったばかりの魚を取り出す。やや大きめのそれを差し出すと、赤茶色の猫は目を煌めかせてそれを口に銜えた。そうしてとっとと走り出す。
「…………」
ベルはそれをじーっと見守った。レメクはそんな彼女を見下ろし、大まじめな顔で言う。
「実は今日、義父が来ることになっているんです。……その前に食事の準備を整えておきたかったのですが、仕方がありませんね。とりあえず、急いで戻りましょう」
そう言って歩き出す相手の姿を追いながら、ベルは先程の赤茶色の猫を思い出していた。 どこかで見た猫だと思う。何度か見たことがある気がする。
「……おじ様」
ベルはそっと声をかけた。レメクは振り返らずに「なんです?」と問い返す。
「猫とお話できるの?」
「? できないんですか?」
レメクは不思議そうな顔で振り返った。ベルは首を横に振る。
「ううん。たまにしてる」
レメクは同意の意味で頷いた。
その様子にベルは少しだけ眉を下げる。彼女は知っているのだが、彼は知らないのかもしれない。
なぜなら、そんなことができるのは今まで彼女ぐらいであり、孤児院の誰も、猫や犬と会話をすることはできなかったのだ。
(……レメクはできるんだ……)
ベルはちょっと口元をほころばせる。
なぜかは知らないが、とてもとても嬉しかった。
※ ※ ※
「や。お帰りなさい、二人とも」
屋敷に帰ると、なぜかエプロン姿の男が出迎えてきた。
凄まじい美貌の男だった。おそらく相対した誰もが目を剥き、半数以上がその場で昏倒すること間違いなしな美貌である。あまりの美しさに、直視しつづけることすらできないほどだ。
だが、そういった本来の反応とは違う反応を返すのが、今相対している二人である。
「お義父さん……またですか……」
「わぁ、ポテトさん。そのエプロン可愛い!」
ふりふりレースのエプロンに、レメクのほうはげんなりと項垂れ、ベルのほうは目を輝かせた。
ふふふふふ、とポテトは笑う。
「ご主人様がプレゼントしてくださいましてね。すごく嬉しそうな顔で着ろと言ったくせに、きちんと着用したらすごく残念そうな顔になるんですよ。なんでしょうかねぇ、あの反応は」
しかし、それを語る彼の笑顔は素晴らしい。計り知れないほどに嬉しそうだ。
「……着るのを拒否する姿を見たかったのではありませんかね……?」
普通、男がふりふりレースのエプロンなど好んで身につけるはずがない。おそらくアウグスタはポテトが嫌がる顔を見たかったのだろう。それか、怒る顔か。……しかし、彼女の企みはあっさりと潰えてしまったのだ。
「この程度のものを着こなせなくてどうしますか。家事は男の嗜みですよ」
「……いえ、もう何も申しませんが……」
この義父に育てられた自分は、もしかして人として何か違う常識をもってしまったのでは無いだろうか。少し心配になったレメクだったが、ポテトの次に義父となったステファン老も似たような教育方針だったのだ。ならば、これが世間一般で間違いないのだろうと思いなおした。
彼は知らない。
その二人がちょっと世間とは違っていることに。
そんな彼の横で鼻をヒクヒク動かしていた少女は、目を瞑ってうっとりと呟いた。
「良い匂い……」
彼女のお腹が「きぅるるる」と鳴き始める。先程食べた『朝食』はすでにそこには無いようだ。……どんな消化速度だろうかと思いつつ、レメクも軽く匂いを嗅ぐ。
「ずいぶんと手の込んだ料理ですね。カボチャのスープと海鮮サラダとローストビーフと鶏の香草焼きですか」
「……なぜ一嗅ぎでわかるんですか……」
なぜ分からないんですか? と言いたげな目で見返されて、ポテトは呆れた顔になった。意見を求めるようにして小さな少女の方に視線を向けるが、こちらからも同じ「わからないの?」と言いたげな目でこちらを見ている。
(嗚呼……似たもの夫婦……)
ポテトはしみじみと降参した。
「まあ、とりあえず、玄関先で話をするのもなんですから。とりあえず中に入って食事にしませんか? というか、まずは挨拶ですか」
ベルとレメクからそれぞれ荷物を受け取って、ポテトは穏やかに笑う。
「お帰りなさい、レンさん、お嬢さん」
レメクはどこか面はゆそうに目を細め、ベルは顔を輝かせて声を揃えた。
「「ただいまです」」
レメクの購入した食材は全て貯蔵庫行きとなったが、かわりに貯蔵庫にあった食材はあらかた消えていた。
もともと残り少なくなっていた所にポテトという料理人がやって来たため、残っていた食材もほぼ使いつくされてしまったのだ。
「美味しいぃいッ!」
舌鼓をうつ少女を時折見守りながら、二人はそろって台所で買ってきたばかりの食材を捌き始める。大きな肉の塊を処理しやすいように手早く捌いて、ポテトはくすくすと笑った。
「それで、そのお店の方に謝りに行ったわけですか」
「罪から逃げては前に進めません。せめて償える類の罪であるのならば、今できる時に償うべきですから」
償えない罪を抱える男二人は、そろって視線を下に落とした。
野菜室に買ったばかりの青菜を入れたレメクは、視線を下に落としたまま、嘆息をついて言葉を続ける。
「けれど、店主もなかなかの人物でしたよ。あの悪環境の子供達が、それでも飢え死にするのを免れたのは、きっとああいった人物が影ながら守ってくれたからでしょうね」
店主達は「自分達は何もしていない」と言ったが、そうでは無いとレメクは思っていた。
もし、彼等がかの孤児院の院長達のように、自分の利益だけしか見ていなかったら。そうしたら、盗みをはたらいた子供達は、きっと悲惨なことになっていた
だろう。飢えて体のやせ細った子供達は、それほど足が速くは無い。それに、大人達が本気になり、彼等を捕まえようとすればそれはそんなに難しいことでは無
いのだ。盗んだその日でなくても、力無く座っている時にでも見つけて報復すれば良いのだから。
店主達は、そういった恐ろしい行為を一切しなかった。可哀想だが何もできない、と言う言葉の裏側で、それでも、少しだけでも目こぼしをして、彼等の生きるのを助けてくれたのである。
それが優しさでなくて何だろうか。
思いやりでなくて、何だというのだろうか。
「……不思議な気分になりましたよ。この国には、そうやって、弱い子等を守ってくれる人達がいるのだと思うと」
レメクの声に、ポテトは目を細めた。
彼は気づいていない。それが感動だということに。
長い年月を感情を排して過ごしてきた彼だったから、その心の動きが何という感情なのか、なかなか気づけないのだ。
「良い人達で良かったですね」
「ええ」
頷くその顔は穏やかに微笑