3 賢者と愚者 1 | <闇の王と黄金の魔女シリーズ>

<闇の王と黄金の魔女シリーズ>

8才の猛攻幼女ベルと、生きる意味を持たない冷静沈着美青年レメクの童話めいた異世界ファンタジー。貧困・死別など時に重い悲劇を含みます


 聖ラグナール。
 それは建国史に幾度となく書かれる、偉大なる魔女と騎士の名前である。
 二人がともにラグナールと呼ばれることから、名ではなく姓であり、また彼らが夫婦であるとする説が一般的だが、それを裏付ける文書は未だ発見されていない。
 伝説とされるほどに有名な彼らではあるが、時代が詳しい記録を奪っていた。
 彼らが活躍するのは、大陸歴六百七十年頃。群雄割拠の時代である。
 常であればたとえ戦乱の最中といえども、史実を残す者が多くいただろう。だが、この時代には常の『戦乱時』にはない異物が存在した。
 生き物としての異常性、生態系としての異常性、そしてその恐ろしさから人類の敵として認識された異物。
 『魔族』の来襲である。
 どこから現れ、どのようにして増え、なにゆえに生きとし生けるものに襲いかかるのか。
 なにもわからないままに、人々は戦った。
 これが後に「降魔大戦」と呼ばれる戦争である。
 出現地は、現ナスティア王国の北西。シャーリーヴィの森よりもさらに西に進んだ場所。そこにある巨大な大森林だ。
 今をもって尚「魔の森」と称されるその場所から、魔族は突然現れ、周囲の生き物を襲いはじめた。
「魔族がどこから生まれてきたのか。また、どのような生き物であるのか。それらすらほとんどわからない状況下で、戦争が始まったのだとされています」
 あたしを膝の上にテンツクと座らせて、レメクが低い美声でそう語る。
 書物など読んだこともなく、物語とかいうものもほとんど聞かせてもらったことのないあたしは、目をキラキラさせてその話に聞き入った。
 降魔大戦当時というと、今から軽く四百年は前のことになる。
 その頃、このあたりには国というものがまだ無かったらしい。かわりに大小さまざまな部族が点在しており、それなりに豊かに暮らしていたのだとか。
 その部族の人達というのが、剛胆というかなんというか、とにかく超猛者ばっかりだったらしい。
 で、単発の来襲は軽く撃退できたが、時折、弱い者……とりわけ、心身が健常では無い者が犠牲になった。まだ力の弱い子供や、お年寄りも同じく、ふと目を離したすきに犠牲になったらしい。
 これはいけないと危機を覚えた首領達は、周辺の他部族と連絡をとりあい、この突然の災厄に連携をとりあおうと持ちかけた。
 だが、何十もにもなる部族の頭が話し合っても、なかなか意見がまとまらない。
 それもそのはずで、狩猟関係では狩り場でももめたりした者同士なのだ。いきなり一致団結するはずもない。
 今の時代なら『同盟』と呼ぶだろうその首領達の結束も、あっという間にもろく崩れ去るだろうと当時の誰もが思っていたのだそうだ。
 だが、その偉業を成した者がいた。
 それがナスティア。クラヴィス族の美しき女傑である。
 金の髪に、煌めく瞳。輝く美貌に、明晰な頭脳。そして卓越した剣技をもっていたという超人的な彼女は、ウゴウゴ言って動かない男首領衆の尻を蹴飛ばして連合軍を作り、凄まじい勢いで魔物の群れを蹴散らしていった。
 とはいえ、ウゴウゴ男衆がまともに動かない時期もあったのだろう。快進撃に次ぐ快進撃、とはいかなかったらしい。
 そんな時、ナスティアの助けとなったのが、どこからともなくやって来た伝説の人物。古の魔法を使う魔女と、その騎士の二人組だった。
 彼らの活躍はめざましく、襲いかかる数多の群れを幾度も撃退し、その群生地では鮮やかに殲滅していったという。
 いかにナスティアが卓越した剣士であり、強力な紋章術を行使する術者であっても、一人では全てを成すことはできない。
 また、いくら自軍に人が沢山いても、上手く連携をとりあって動ける『仲間』が少なければ、やっぱり物事は上手く動かない。
 二人の偉人は、ナスティアがそれを整える時間を稼いでくれた。
 日になり影になり彼女を支えた二人のおかげで、ナスティアは三十もの部族をまとめることに成功し、徐々に苛烈になっていく魔族との戦いでも常に優位にたてるようになった。戦えば戦うほど指導力を増していくナスティアに、他部族も次第に心酔していったようだ。
 その状況を作るのに、かの二人がどれほどの役割を担っていたか。
 彼らがいなければ、今日のナスティア王国は無かっただろうと言われる所以である。
 戦いの後、魔物が出現していたというポイント(魔穴と呼ばれるらしい)を封印したナスティアは、救国の英雄である二人を厚く遇した。
 だが、二人はこの国に留まることも、またいかなる金銭による報酬も受け取らなかった。
 かわりに、ナスティアにこう言ったのだという。
「孤児となった者を保護してやってほしい」
 と。
 ナスティアはこれを承諾した。
 そして、王として最初にやった行事が、戦争で親を亡くした子供を保護し、孤児院を建設することだった。
 それが、聖ラグナール孤児院。
 偉大なる英雄の名を冠された、王国最古の孤児院である。

 ※ ※ ※

「最初に建設されたのは、現在の南区にある孤児院です。つまり、元祖と呼べる聖ラグナール孤児院は、あなたがいた孤児院のほうなのですよ」
 そう締めくくったレメクに、あたしは驚くやら感心するやら呆れるやら。なんとも複雑な気持ちで頷いた。
 そんなにすごい由来があの孤児院にあったとは。にわかには信じられない。
 だいたい、それにしてはずいぶんひどい所だった気がするのだが……?
「……あの孤児院が?」
 不審をにじませて問うたあたしに、レメクは真面目な顔でコックリ。
「ええ。あの孤児院が」
 そんなに風に頷かれれば、納得するしかない。レメクの言うことは正しいのだから。
「ん~。じゃあね、どうして南区にわざわざ建てたの? 位置的に中途半端じゃない? それに、二つ目を作った理由って何?」
 あたしが首を傾げると、レメクは視線を前にいるバルバロッサ卿へと流した。
 紅茶をポットから豪快に飲んでいたバルバロッサ卿は、ん? という目であたし達を見る。
 ちなみに、あたし達がいるのはクラウドール邸の前庭である。
 春にはまだ早いとはいえ、昼の日差しはそれなりに暖かい。庭には搬入前の家具達が座っているということで、それを利用しての早めのティータイムである。
 カウチに座っているのはレメクとケニード。
 レメクの膝の上に、あたし。
 バルバロッサ卿は、おっきいので一人で別の椅子にデンと座っている。
 テーブルの上の紅茶はめいめい好きな銘柄だが、あたしとレメクのお茶はメリディス健康茶だったりする。
 レメクは相変わらずお疲れモードのようだ。
「まぁ、なんつーか……昔はなぁ、今の南区三番街あたりが王都の中心だったんだよな。当時は王都もこんなにデカくなかったからなー」
「へぇ……」
 てことは、今の王都は当初よりもずっと大きいわけだ。
「ん~と、確か人が急激に増えたのが、建国十周年の頃だっけか? 人が増えれば街もデカくなる。当時の王宮ってのは、今の貴族の屋敷に毛が生えた程度のもんだったらしいから、その頃に王宮を新たに建設したらしい。で、それにあわせて教会の大神殿も建築。んでもって、ついでにそこに聖ラグナール孤児院も新築」
 あらら。
 バルバロッサ卿のレクチャーに、あたしは呆れた。
「じゃあ、当時の孤児院の人もそこに移動したの? てゆか、それだと移転っていう形になるんじゃないかしら?」
「いや、残念ながら『移転』じゃなく、『新たに孤児院を作った』んだよ。まぁ、なんつーか、孤児の数が年々すごい勢いで増えてたみたいでなぁ……孤児院が一つじゃ全然足りなかったらしいんだよな。だから新しく作った、と。作ったのは国で、これまた戦災孤児をひきとる為のものだったので、同じ聖ラグナールの名を戴いた、ってわけだ」
「?」
 バルバロッサ卿の言葉に、あたしは首を傾げる。
 戦争はとっくに終わったのに、終わってからもまだ孤児が増えるんだ?
「戦時中の怪我が元で亡くなる人、というのも珍しくはありませんからね」
 目をパチクリさせていたあたしに、レメクがどこか静かな眼差しで言う。
「戦争というのは、終わればそれで全てが『おしまい』になるものではありません。後々まで、深刻な傷跡を残すのですよ」
「傷跡……?」
 あたしの疑問にピンポイントで答えてくれながら、レメクはどこか憂鬱そうな顔になる。
「当時の詳しい記録がほとんどありませんから、少ない資料を寄り合わせての推測になりますが……おそらく、降魔大戦での死者数および大戦が原因で心身に異常をきたし、通常よりも早くお亡くなりになった方というのは、当時の全民族の半数以上にのぼるでしょう」
「そ、そんなに……?」
「ええ。少なく見積もっても、半数は堅いとみられています。文献が残っていれば、もっと詳しいこともわかったのでしょうが……」
 なんだかとても残念そうだ。
 ふぅん、と相づちを打ったあたしの横で、ケニードがちょっと遠い目になる。
「戦いに赴くのは、成人した男女だからね。彼等ないし彼女等が亡くなれば、当然残された子供は路頭に迷う。国が保護しなかったら、今頃どうなっていたか……」
「そういう意味で英雄様は名前の前に「聖」の字を入れられるんだよな。教会が正式に聖人と認めた最初の一組だ」
「その聖人様のお名前を戴いたのに、うちの孤児院はあんなんだったわけだ」
 あたしの声に、大人三人はそろって苦笑顔になる。
「賢者はなかなか生まれませんが、愚者はいつの時代にもいるものですからね」
「なんなら、全部終わってから好きなだけ真相を聞かせてやるぜ。聞いてて楽しいもんじゃないだろうがな」
「むしろいつの時代から腐敗していったのか、記録書をチェックしたいですよね。クラウドール卿。なんとか入手できませんか?」
「院の記録書ですか……拠点に乗り込めばなんとかできますが、今の段階では、燃やされないように祈るしかできませんね」
「ということは、まだ院の中に保管されてるんですね?」
「ええ。院長の部屋からのみ通じている隠し部屋の隠し金庫、三つあるうちの一番左側の黒い金庫に保管されています。鍵は暗号タイプで、最初が119119。次が110110です」
「……どうやって調べたんです、それ」
 スラスラと言われた情報に、ケニードが呆気にとられた顔で呟く。
 レメクは苦笑して「秘密です」と答えた。
「ちなみに、院長の部屋と、その隠し部屋への通路はわかってるんですか?」
「もちろんです」
 ……もちろんなんだ。
 だが、今度もその情報を教えてはくれなかった。
 ただ苦笑して、期待に目をキラキラさせているケニードを見る。
「文書は、彼らを捕まえてから押収しないといけません。盗んでしまっては、後々面倒になりますから」
 途端、ケニードががっかりした顔になった。
 どうやらこっそり盗んでしまおうと思っていたらしい。
 ……それも犯罪じゃないのかなぁ?
「盗まれた文書は、公式の情報として扱うことはできません。『盗まれた』『改竄された』『これは陰謀だ』などの言い訳を相手に用意させることになりますから、下手なことはしないように」
「……はい」
 しょんぼりと肩を落とすケニード。しょげた我が同士殿に、あたしはテーブルの上の林檎を差し出した。
 ケニードがちょっと笑って受け取る。
「一応、知り合いに見張りを頼んでいます。異常があれば彼らから連絡がくるでしょう。今のところ全て順調に進んでいますから、数日後にはあなたに複写を頼むことになると思います」
「任せてください!」
 即座に復活し、ドンと胸を叩くケニード。
 あたしは目をパチクリさせる。
「あれ? ケニードは保護管なのに、手伝えるんだ?」
「ええ。この一件は私が指揮をとっていますから。私の権限が及ぶ範囲内でしたら、どんな無茶でも通せますよ」
 ……なんか今、さらっとすごいこと言ったよ、この人。
 あっけにとられたあたしの視線を受けて、レメクが苦笑する。
「正直な話、今回の件に関しては上層部はほとんど信用できません。あまりにも利害関係が複雑で、いちいち詳しく安全を確保していては時間がかかりすぎるからです。閣下や陛下や猊下は信用できますが、あの方々はあの方々で大変な状況ですからね」
 「?」の顔のあたしに、バルバロッサ卿が肩をすくめてみせた。
「王宮の官吏に関しては、宰相の仕事。教会の神官に関しては、教皇の仕事。それらに対し一括して責任をもつのは王の仕事。今から先のことを見越して細かい計画や人事等を練っておかないと、始まってからじゃ遅いからな」
「一斉捜査、一斉検挙、一斉粛正。一気に進めるから途中で『待った! 今考え中!!』なんて言ってられないんだよね。だから、始まったら終わりまで一息に推し進められるよう、あらゆる事態を想定して計画を詰めていかないといけないんだよ」
 二人の説明に、あたしは「はぇ~」と情けない声をあげた。
 なんとなく言ってることはわかるのだが、細かい事情とかは、悲しいかな、さっぱりわからない。
「犯罪というのは、その犯人を裁いて終わり、では無いのですよ」
 あたしの頭を撫でてから、レメクは軽く嘆息をつくように言葉をこぼす。
「裁く前に調査をし、証拠を集め、身柄を確保するのはもちろんですが、その犯罪がどうして起きたのか、どのようにして始まったのか、そしてどうすれば次に同じことが起こらないようになるのか、考えなくてはいけません」
「犯人を裁くのはその後?」
「ええ。一番最後です。犯人というのは、その犯罪に対する実行者であり、そして、次の『誰か』に対する見せしめでもありますから」
 見せしめ。
 その言葉に、あたしは背筋が寒くなる思いがした。
 あたしはレメクを見る。
 この優しい人が、それをするのだろうか?
「こんなことをすれば、こういう末路を辿る。それはある意味、次の犯罪への抑止力になります。……ただ、これは諸刃の剣です」
 体を小さくしているあたしの背を撫でながら、低い美声が語る。
「罪に対しては、どのような些細なものであれ、相応の罰というものが無くてはなりません。人は容易に犯罪に走ります。なぜなら、今の世界には未だ道徳というものが浸透していないからです。そんな中、『罪を犯しても罰せられない』という状況ができてしまうと、恐ろしいほどの陰惨な悲劇が繰り返されます。それを未然に止めるためにも、罰は必要なのです」
 けれど、それは多すぎてはいけない。
 そして、少なすぎてもいけない。
 厳しすぎてもいけない。
 かといって、甘すぎてもいけない。
「多すぎれば表だっての犯罪は減っても、水面下での陰惨な犯罪が増えます。少なすぎれば、ぎりぎりの範囲を狙っての犯罪が増えます。また、厳しすぎれば反発を招き、甘すぎれば増長を招きます。罪に対しての罰は、常に適度に、そして必ず相応のものでなければなりません」
 そ、それって、ものすごく調整が大変なんじゃ……?
 あたしは唖然としてレメクを見上げた。
 下街に暮らす人間にも、地区によって掟のようなものがある。一族に掟があるように、限られた範囲の生活区域に掟があるように、国にとっても掟がある。
 それが法律。
 けどその法律が、そんなに細かい考えをもって作られていただなんて、今まで思ったこともなかったわ!
「裁判って、すっごい大変なものなのね」
「ええ。裁かれる罪によって、人が相応の罰を受けるのです。適当にするわけにはいきませんよ」
 いやまぁ、そうなんだけど……
 あたしはややも遠い目になってしょんぼりする。
 正直、お話が高い位置にありすぎて、ついていけないのです、はい。
 しゅんとしたあたしに、レメクが労るように背を撫でてくれた。
「そのあたりの詳しいことは、これから徐々に教えていきますよ。この国で生きる以上、知っておいたほうがいいですから。知識は力です。あなたはか弱い女性ですから、知っておいたほうがいいでしょう。自分自身を守るために」
 暖かい声に、あたしは丸まっていた背をシャキッと伸ばす。
 がんばれあたし!
 がんばれあたし!!
 せっかくの好意! 受け取らずして何が恋する乙女であるか!!
 気合いを入れ直したあたしに、ちょっと満足そうにレメクが頷く。
 そしてレクチャーが再開された。