1 最初の布石 2 | <闇の王と黄金の魔女シリーズ>

<闇の王と黄金の魔女シリーズ>

8才の猛攻幼女ベルと、生きる意味を持たない冷静沈着美青年レメクの童話めいた異世界ファンタジー。貧困・死別など時に重い悲劇を含みます

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 元気な体は、よい食事とよい睡眠と、そして適度な運動から。
 あたしを元気にするために、レメクはできるだけそれらの環境を整えてくれた。
 美味しい料理はたっぷりと食べられるし、ゆっくりと体を休めれるよう、寝心地抜群の寝台も貨してくれる。
 労働を強いられることは無く、むしろちゃんと体が元気になるまで動くなと釘をさされるほど。
 そんな過保護な母親のように世話をやいてくれていた彼は、今、ものすごく忙しいらしく、朝早くから夜遅くまで家を留守にしていた。
 ケニードとあたしが仲良しになって、彼がかわりに世話をやいてくれるから、安心して出かけれれるようになったのだろう。
 あたしが脱走をしなくなったのも、大きな理由であるらしい。
 彼は今、本当にとても忙しいのだ。
「昨日、教会の内部に動きがあったよ。たぶん、例の孤児院関連だろうね」
 毎日来てくれるケニードは、御飯を食べながらそんな風に最新レメク情報をあたしに教えてくれる。
「悪い噂の絶えなかった神官が二人、処罰された。神官が裁かれるなんて、よっぽどのことがない限り無いからね。もともと悪評がたっていた二人だったから、それほど反発もなく比較的スムーズに裁判も済んだみたいだけど、余波はすごいだろうね」
「余波?」
 野菜スープを飲み干し、次の野菜炒めを攻略しながら、あたしは首を傾げた。
「悪い神官が裁判を受けて、それで終わりじゃ……ないのね?」
「うん。彼らと関わりのあった人達にも、大なり小なり罪があるからね。それらもちゃんと処罰しないといけない。洗い出しはもう終わってるんだろうけど、逃げようとする人を捕まえたりしないといけないから、いろいろ大変だろうなぁ……」
 保護官であるケニードは、そういった裁判の仕事にはほとんど関わることがない。
 例外として、保護指定物が関わったときだけ資料を整えたり、助言したり、相手の罪を追求したりと動くらしいが、孤児院に関わる不正問題については完璧に門外漢だった。
「彼らと懇意にしていた貴族も暗躍するだろうね。それにしても、慈善事業費をくすねる連中がいるなんてなぁ……」
 呆れとも嘆息ともつかない息を吐いて、ケニードはビネガーのたっぷりかかったサラダを器用にフォークで食べた。
 あたしは未だフォークに慣れなくて、手についたビネガーを嘗めながら、同じサラダを手づかみで食べていた。
 ……むぅ。今度、ちゃんとフォークの練習をしよう。
 レメクにも注意されたが、綺麗に上品に食べる人を見ていると、自分の食べ方の汚さがよくわかる。
 レメクもとても上品に食べるが、なにしろ食が細い。あたしが御飯に夢中になっている間にいつの間にか食べ終わっていて、あたしが見たことがあるのはパンをちぎっている姿と、紅茶を飲んでいる姿だけだった。
 ケニードは細いわりになかなかの健啖家で、あたしと同じぐらいよく食べる。なので、その上品な食べ方をしっかりと見ることができた。
 ……がんばって真似しよう。
「おじ様は、その費用は莫大なものだって言ってたけど、どれぐらいすごい金額なの?」
「うーん……」
 ケニードは軽く考える顔になり、さらりと金額を口にした。
 あたしにしてみれば、天文学的な金額を。
 ボタッと、あたしの手からパンが落っこちたのも無理はないだろう。それは、それほどの金額だったのだ。
「ちょ、ちょっと……待って、ねぇ、本当に……?」
「うん」
 あたしの動揺を余所に、ケニードはあっさりと頷く。
「国家予算の三分の一を投入したからね。まぁ、全額くすねられたわけじゃないだろうけど、ベルの話を聞く分には、半分以上くすねられたと見ていいだろうね。……陛下が怒るはずだよ」
 国家予算の三分の一。
 あたしは気が遠くなった。
 それほどの金額をあたし達のために使ってくれたのだ。この国の女王陛下は。
 なのに、それが半分以上ちゃんと使われずに貴族や神官達の懐に消えた。
 あの苛烈で破廉恥な女王陛下の怒りの程や如何に。
「……正義の仮面が炸裂するかも……」
「いやぁ、その前にクラウドール卿の制裁が炸裂するだろうね」
 レメクの制裁?
 あたしは首を傾げた。
「まさか、鉄拳制裁とか?」
「いやいやいや、てゆか、それだとバルバロッサ卿じゃないか」
 ……あの巨熊神官は、鉄拳制裁をするのか。
 あたしはつい数日前に会った巨漢を思い出した。
 ……しそうだなぁ……
 神官だというのに、むしろ歴戦の武将のような厳つい大男。彼には神官服よりも甲冑のほうが遙かに似合うに違いない。そのバルバロッサ卿が大神官なんてやってるのだから、世の中不思議だ。しかも裁判官でもあるらしい。
 てことは、レメクの制裁っていうのは、バルバロッサ卿に裁いてもらうことをいうのだろうか?
 なんかそれだと、レメクの制裁っていうよりは、バルバロッサ卿の制裁って感じなんだが……
 あたしの疑問をよそに、ケニードはしみじみとした口調で語る。
「クラウドール卿の制裁は恐いよ。誰も逃れられないから。まぁ、一番いいのは、裁判官に裁いてもらうことだからね。だから、クラウドール卿もみっちりと調査して、言い逃れできない証拠を揃えてから動いてる。きちんとした裁判をしてもらうためにね。『罪には罰を』だったかな? 彼のポリシーは」
 ほうほう。
 あたしは素早く脳内メモを広げた。
 罪には罰を。
 レメクのポリシーだと言うのなら、きっちり覚えておかねば。
「彼の前にあっては誰も言い逃れできない、って言われるぐらいだから、それこそ魔法みたいに不正を調べては証拠を揃えてくるよ。ターゲットにされた方は恐いだろうなぁ……。ただ、今回の神官の処罰がどういう目に出るのかは、博打だね」
「?」
 脳味噌に書き込みをしながらハンバーグを頬張っていたあたしは、またしても意味がわからずにケニードを見上げた。
 ケニードは首をすくめて苦笑する。
「ちょっとね、時期が早いなと思うんだ。いつもなら、裁判は最終段階だ。なのに、意外と早く裁判が行われた。……僕が思うに、昨日の裁判は見せしめなんじゃないかな。牽制なのか、抑制なのか、それとも布石なのか……その辺りの判別が、僕にはまだできないんだけどね。まぁ、ベルのいた孤児院に関わる人には違いないけど、孤児院そのものには手を出してない……ということは、布石と見ていいかな。牽制になって孤児院の体勢そのものが改善されればいいだろうけど、その場合は闇に消えたお金は戻ってこない……さぁて、どうするつもりなのかなぁ」
 どこか楽しそうに言うケニードに、あたしはちょっと口を尖らせた。
「楽しそうね、ケニード」
「うん? あぁ、ごめんよ、ベル。君にとっては他人事じゃないし、今も孤児院にいる子達のことを思えば、僕はとても不謹慎だね。……でも、うん、正直に言うと、僕は楽しみにしているんだ。クラウドール卿がどう動くのか、何を考えているのか、それを想像するのがとても楽しいんだ。彼がどうやってこの事件を解決していくのか、とか、それを考えるだけでワクワクしてたまらないんだよ」
 本当に正直にそう言ったケニードに、あたしは苦笑した。彼はとても子供っぽい人だが、同時にそんな自分自身にとても正直な人だった。言い逃れや苦しい言い訳は一切しない。
「ケニードはおじ様が大好きだもの。それは仕方ないことだわ」
「そう言ってもらえれると嬉しいよ。でも、不謹慎なことには変わりないね」
 ケニードは苦笑し、やや顔つきを改めてあたしを見た。
 あたしは肉の固まりを飲み込む。そうして、真面目な顔のケニードと向き直った。
「お詫びにもならないけど、一つだけ、君に言っておきたいことがある」
「……なに?」
「君を保護して以降、クラウドール卿はできる限りのことをしてきた。君が休んでいる間も、君が知らないあらゆる分野で、あの人は最大限の努力をしている」
「……うん」
「だから、覚えておいて。彼がそれだけのことをしても、どうしても、どうにもならないことはあるんだ、って」
 ケニードの声に、あたしはじっと視線を彼に注いだ。
 ケニードは軽く笑う。どこか、寂しいような悲しいような顔で。
「人は、過去を取り戻すことはできない。すでに終わってしまったことを最初からやり直すことはできないんだ。だから、彼にもどうしようもないことが沢山ある」
 あたしはその言葉を、一言ももらさずに頭の中にたたき込んだ。
 これは、とても大切なことだ。そう直感した。彼は、今、大事なことを語っているのだと。
「だから、全部が終わった後に、救えなかった人がいたとしても……あの人に対して、絶対に『どうしてもっと』とは、言わないでほしいんだ。だって、あの人は、本当にいつだって最大限力を尽くしているんだから。……まぁ、もっとも、こんなこと言わなくても、君は絶対に彼を守ってくれると思うんだけどね」
 ケニードの微笑に、あたしはちょっと戸惑った。
「おじ様は神様じゃないもの。全部を全部なんとかしてくれなんて、とても言えないわ。……でも、ねぇ、おじ様を守るって? あたし、守ってもらってばかりだけど」
 命を救ってくれた。いや、今もずっと救ってくれている。あたしはそのことをよく知っている。
 けれど、あたしがレメクに対してできたことなど、何もないのだ。迷惑ばかりかけるだけで、彼のためになることなど唯の一つもできていない。
 だからケニードの言葉が意味不明で、あたしは思わずそう問うた。
 ケニードは笑う。
 それはそれは眩しい笑顔で。
「いつだって君は守ってるよ。今はまだ、ピンとこないかもしれないけどね」
 ……やっぱり意味は不明だった。



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